2.夢の中の違和感 -2-
アシモフに説明し終えて、彼の部屋を出てから時計を確認すると、まだ2時を過ぎたかどうかといった頃合いだった。
「あの人は話したとしても最初から分かってたような反応しかしないよね」
公園に戻る最中、横を歩いているレミがポツリと言った。
私は彼女の方に顔を向けると、小さく頷く。
「頭が良いんでしょうね。話してると考えが読まれているみたいになる」
私はそう言って小さく笑う。
こんな、普通の人じゃなかった前回の世界…3軸のあの時ですら、彼は何もしゃべらない私から情報を引き出していった。
彼は私の反応に周囲の状況、何を判断基準にしているのか知らないが…兎に角、面白いくらいに私の考えを当ててくるのだ。
「彼が前の時と同じ"半"レコードキーパーみたいな曖昧な状態で助かった」
私はそう言いながらレコードに残った彼の情報を消す。
前回はそれが原因で暫くこの世界を不安定に晒した元凶となっていたのだが…この世界…私の夢の中の世界では、それがプラスに働いてくれる。
アシモフは、私とレミ以外に、私の創り出した世界のレコードに囚われない人間だった。
そんな彼は以前の世界で私のベースを作り上げた人。
体が治りかけの私に、彼の知識の一部を教えてくれた人。
互いに名乗らず、少しの間しか面識は無かったが…得られた物は今でも役に立っている。
「これで味方は3人。少ないけど、心強い」
マンションが立ち並ぶ路地を抜けて、広い車道を渡って公園の駐車場まで戻って来た。
私は車の鍵を取り出しながら、遠くの青い車に目を向ける。
「それで、お姉ちゃん。これからどうするの?」
「とりあえず、部長に言った2人分は処置して…マンションに戻って体を元に戻して帰る」
「そう…なんかもう戻る必要も無いんじゃないかなって思えてきたんだけど」
「何も起きてないのに部長の前から消えるのは悪手だと思うの。それに…」
「それに?」
「いや、それはこっちの話」
私は言いかけた言葉を飲み込むと、笑みを崩して下手に誤魔化す。
レミはそれ以上追及してくることもなく、少し眉を上げて肩を竦めた。
「話は変わるけれど、アシモフみたいに中途半端な状態になる人って見たことがある?」
私はそう言って、目の前にある車のドアを開けて中に入った。
レミは助手席に収まり…少し考えた素振りを見せて首を横に振る。
「ないなぁ…可能性世界なら、そう言う人は世界を危機に導く危険因子として扱われて…私達に処置されるから」
「そう…この前の時は、部長の一言で処置だったんだけど、結局あれで合ってたのかなって、ふと考えちゃってね」
私はそう言いながら、車のエンジンを掛ける。
直ぐには動かさず、窓を開けてレミの方に顔を向けた。
「レコードキーパーのレコードがどうなってるのか知らないけれど、違反は違反。レコードが渡されなかったってことは、その人に資格が無かったってことでしょ?」
「まぁね」
「レコードのことを"感づいてしまう"人って、それなりに居るのよ。何かの拍子に、ふと"知ってしまう"みたいな」
レミはそう言うと、彼女の持つレコードを開いて私に見せてくれた。
「お姉ちゃんは3軸の人だから、可能性世界からの流入に遭った事があるよね」
「ある。それも数回は」
「その人たちのレコードって、こうなってるの…」
レコードに表示されていたのは、誰かもわからない人のレコード。
レミが指さした所からレコード違反が始まり、そして直ぐにレミによって処置される所までの行動履歴が全て見えた。
「こんな風にさ、何の前触れもなくレコードについて"知ってしまう"わけ」
「……偶に居るよね。処置が遅くなれば…不意に気づいてしまう人が居る」
「そう。私達の所は毎回だよ。レコード違反=レコードに気づく…みたいな」
「え?」
「そして、それはゾンビみたいに広がってく。私達はそういう世界を毎回無事に終われるように修正していくの」
彼女はそう言いながらレコードのページを捲る。
「今回の風戸さんのレコード。出してみたの。3軸にいた頃のね」
そう言って見せられたのは、さっき私がレミに見せたアシモフのレコード。
そして彼女が指さした部分は、丁度アシモフがレコードを違反するまさにその瞬間だった。
「軸の世界では、違反してすぐに気づく人は居ないんでしょうね。けれど彼はちょっと違う」
レコード違反の瞬間。
アシモフのレコードは、彼がレコードに気づいてしまう瞬間を記録していた。
「彼は違反したと同時にレコードの存在に気づいてしまったの。可能性世界ならその瞬間に世界の敵。だけど軸の世界ではレコードを持つ資格もないのにレコードのことを知っている中途半端な状態で宙ぶらりんになった」
「つまり…?」
「彼は軸の世界の人間でありながら、気質は可能性世界の人間。そのせいで軸の世界のレコードでは扱いきれなくなった。お姉ちゃんが前にやった処置は正解だったってわけ」
彼女はそう言ってレコードを閉じる。
私は何度か小さく頷くと、ギアを1速に入れて車をゆっくりと発進させた。
「そして、今回の世界が終わったら…彼は三度お姉ちゃんの前に現れるはず」
「……それは、3軸に帰った後の世界ってこと?」
「そう。可能性世界の人間に言えるのだけれど、永遠にループするのよ。同じ末路に向かって」
「…それって…?」
「軸の世界から派生した世界の人間は、レコードの内部的には同じ人間。何度も世界の崩壊と共に消え去っては、別の可能性世界に蘇るし、同時に幾多の世界に存在してるの」
彼女は頭の中が混乱しそうな事を言い出した。
ポテンシャルキーパーとして話すレミの言葉を、私は少し整理しきれないまま聞き流す。
「それと同じ。彼は他の沢山の人と違ってレコードを違反してしまったときに"2周目"の自覚があった。その反応はレコードに気づいてしまう可能性世界の人達とよく似てる」
レミはゆっくりと、落ち着いた口調で話続け、私は車の鼻先を目的地の方に向け続けながら彼女の話に耳を傾ける。
「まだ風戸さん一人しか知らないし、きっとレア中のレアケースだろうけれどね。彼とさっき話しててそう感じたの」
「そう……今まで気にかけたこともなかったな。時間を戻すことはあれど、どうせ処置する人間…処置すれば死んで終わりだと思ってたし」
「軸の世界ならそう感じると思う。けどね、何度も似たような世界に産み落とされる可能性世界じゃ、段々と…本人の内面には"前にも見たぞ"みたいな光景が重なっていくんじゃない?レコードに居たがってるうちは内面に持っていたとしても出てこないで…違反した時に全てを"思い出す"みたいな」
「そうなのかな。ま、軸の世界でそれが乱発しないのなら、きっとそうなのでしょうけれど…軸の世界なんて、戻さない限りループすることは無いし」
私が何気なく言うと、横に居るレミは曖昧な表情を浮かべた。
私は一瞬、視線を彼女の方へと向けると、彼女は小さく笑って見せる。
「…何か変なこと言った?」
「いや、レコードキーパーならそう思うよねって」
「どういうこと?」
「パラレルキーパーの視点でしか見てこなかったから、ちょっと新鮮だったの」
「確かに、私達はほぼ一方通行だけど、そっちはそうじゃないのね」
私はそう言いながら、ついでに処置しようと思っていた2人が居る場所の近くまで車を走らせる。
勝神威の端…少し距離のある住宅街に、処置対象は2人…見たところ、大した手間にもならない相手だし、丁度よかった。
「…といっている間に、仕事の時間。そろそろこの付近に対象が2人、歩いてくるはず」
そう言って小学校近くの道に、ハザードを付けて車を止める。
丁度真横に電話ボックスがあったが、使う人間なんているわけないだろう。
「対象は学校の先生?」
「いや、子供」
私はサイドブレーキをかけて、エンジンを付けたまま車を降りる。
「レミはそこで待っててよ」
「分かった」
「直ぐに終わる…あ、一人目」
丁度、一人目の対象…低学年くらいの男の子が歩いてきた。
レコードを確認する限り、他の違反者との予期せぬ接触によるレコード違反。
危険因子でもなんでもない、ありふれた処置だ。
「ゴメンね。少しだけチクリとするけれど」
私は手際よく手帳を見せて男の子を世界から隔離すると、ササっと注射器を突き立て処置を終える。
「手慣れてるね」
元に戻って来た男の子が私の横を通り過ぎて行くと、窓を開けて様子をじっと見ていたレミが言った。
私は注射器に液体を満たしながら、小さく苦笑いを浮かべる。
「レミもこれくらいやってるでしょう」
私はそう言いながら次の処置対象が見えたので、レミに対象を指さした後に口の前に指を立てた。
今度は高学年くらいの女の子。
この子も違反者との接触によるレコード違反のパターン…私はレコードで確認した内容を思い浮かべながら彼女に目を向けたが、ふと彼女を何処かで見たような感覚に囚われる。
「失礼…ごめんね」
私は何処かで見たことがあるような顔立ちの少女を止めて処置を行う。
その最中も、見たことは無いのに、何処かであったことがあるような彼女の顔をじっと見つめていた。
「…」
処置を終えて、彼女を元の世界に放すと、私は彼女の方に振り返った。
「誰かに似てない?」
車の助手席の方まで言ってレミに言う。
レミは私の方を見て首を傾げて見せた。
「他人の空似じゃない?」
「やっぱりそう思う?」
私はそう言いながら注射器を仕舞う。
「偶にあるよね。この人何処かで見たことあるような…って」
「あるある。この時代なら、学校の同級生の親とか?見たことあるなって思って処置した時に調べたらそうだった。みたいな」
「そうそう。私の場合は色んな時代に行くから、子供時代を見ることもあったりするの」
ふとしたことから弾む会話。
だが、それが良かったのだろう。
「……!」
レミと会話が弾んでいる最中、それを止めたのは鳴るはずもない電話の音だった。
「!」
「!」
私達は直ぐに公衆電話の方に振り返る。
「レコードは?」
「何も無い!」
「それなら私達に…?」
「まさか…でも、それしかない…の?」
直ぐにレミにレコードを確認させて、電話がレコード外の動作をしている事を突き止める。
私は突然の事に困惑しつつも、鳴り続ける電話を取らないという選択肢は無かった。
「レコードを監視してて」
「オーケー!」
レミに指示を出して、私は電話ボックスの中に入る。
そして、鳴り続ける電話の受話器をそっと持ち上げて耳に当てた。
「もしもし……?」




