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まずは、リナの車がある駐車場に行って、その日必要なリナの荷物を俺の車に積み込んだ。手伝おうかと言ったが運転だけしてくれればいいから、と言うのでそれに徹することにした。彼女の車はプジョー・403だった。俺の趣味をどうこう言えたギリかよ。いや、車種の問題じゃないか、俺の場合は。
「コロンボのファンなのか?」
ふう、と、リナはため息をついた。
「何人もの人に聞かれたわ、それ。答えは、たまたまよ。」
なるほど、と俺は言ってエンジンをかけた。
「それで、まずはどこに行けばいい?」
リナは隣町の(といっても、一時間近く走るのだが)とあるビルの名前を言った。ビルの場所は知らなかったが、だいたいの見当はついた。俺は、弁護士の運転手として相応しい上品な態度で車を発進させた。こんなおかしな出来事が起こるなんて思わなかったな、なんて思いながら。
街に入る少し前から、俺は自分の車がいかに目立つかということを自覚し始めていた。普通の人間は自分が乗る車はこまめに洗い、ワックスをかけ、へこみや穴なんかはたちどころに修理に出して直しておくものなのだ。すれ違う車、前を走る車、後ろを走る車、二輪、あらゆる道路上の生物が俺の車を好奇の目で見て行った。考えてみれば、この車でこんなに人の多いところを走ったことはなかったな、と俺は思った。俺にしてもリナにしても、内心非常にバツの悪い思いだったが、表面上はそ知らぬ振りをしていた。俺は、いつも、この車に乗っているのだ、という態度でふんぞり返ってハンドルを握っていた。きっと、リナも忘れていたのだ。この車の持主は辺鄙な町の変わり者だということを。
やがて車は目的地に着いた。リナは衆目にさらされながら資料を抱えてビルに入っていった。そう、リナはそれで一安心なのだ。問題なのは運転手である俺だ。オーティス・レディングを聞きながら道端で待っていると、次第に人だかりが出来てきた。馴れ馴れしい男が窓をノックした。
「なあ、あんた、何でこんなポンコツに乗っているんだ?」
趣味だ、と俺は答えた。
「ポンコツなのは見てくれだけで、中身はピカピカだ。あと百年は乗れる。」
「何で外を直さないんだ。」
「それが気に入って買ったからだよ。」
へえぇ、と男は長く相槌を打って、言った。
「あんた、相当な変わり者なんだねえ!」
男の周囲で話を聞いていたやつらもうんうんと頷いた。
「そうなんだ。判ったら、もう放っといてくれないかな。友達の仕事を手伝ってるところなんだ。」
あの女なら一時間は出てこないよ、と別の太った男が言った。
「前にも一度来てたんだ。コロンボと同じ車に乗ってた。あのプジョーはどうしたんだ?」
「故障中なんだよ。」
「そいつは大変だな、直すのは骨だろうな。」
「たぶんな。なあ、ほんとにもう放っといてくれないかな?」
どうかね、みんな、と太った男はギャラリーに提案した。
「この愉快な男の仕事が終わるまで、この車と記念撮影と行こうじゃないか?」
俺、カメラ買って来るわ、と、最初に声をかけた馴れ馴れしい男がどこかへ走って行った。俺はハンドルに突っ伏してこの車を買ったことを初めて後悔した。
リナがビルから出てきたのは、ちょうど個別の撮影が終了して、全員で俺の車を囲んで撮影しているところだった。彼女は一瞬で事態を理解したらしく、澄ました顔で待っていた。太った男が彼女の姿を見つけて、ああ、楽しい時間が終わっちまった、と呟いた。俺はそそくさと車に乗り込んだが、リナが助手席に乗ってからも何人かの握手要請に応えなければならなかった。そうしてようやく車が次の目的地へ走り出すと、リナの表情が一瞬にして崩れ、壊れたみたいに笑い出した。俺の仏頂面がよっぽど可笑しかったのだろう。
「平日だってのに、あいつらいったい何して暮らしてるんだ?」
「あのひとたちみんな、近くのお店とかで働いてるのよ。珍しい車を見つけるとどこからか集まってくるのよ。あたしの車も一度囲まれたわ。」
記念撮影とまでは行かなかったけど、と言ってからリナはまた吹き出した。涙まで流して笑っていた。
「もう、メイクが台無しだわ…。」
そうぼやきながらまだ笑い続けている。俺はもう何も言わないことにして黙って車を走らせた。次の目的地に着いて、リナが顔を直してから車を降りていったあと、また誰か出てくるんじゃないかと気が気じゃなかった。
夕暮れ前にすべての用は片付いた。ショッピングモールで夕食を食べましょうよ、とリナが提案した。
「奢るわよ、今日のお礼。」
俺はなぜかリナよりもクタクタになって、言われるがままに車を走らせた。リナは時々まだクスクスと笑っていた。