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たわいない話をしたり、窓の外の景色を見ていたり、工場の中を案内してやったりしながら夕暮れ前までそこに居た。それから、リナの希望で駅の裏のレストランに移動した。ユイはまだ来ていなかった。休みの日かもしれない。席について、少し早い夕食をとりながら、また話をした。
「ねえ、あそこによく行くの?」
ああ、と俺は答えた。
「月に二、三回は行きたくなるな。」
「ひとりぼっちになりに?」
「ああ。」
「ねえ、今までに誰かあそこに連れて行ったことある?女の子とか?」
ない、と俺は答えた。
「ひとりぼっちになるところだからな。」
リナは、ふんふんと頷いてから、ふと何かに思い当たったというように、はっとしてこっちを見た。
「なんだよ。」
「その…シチさんって、まさか…童貞、ってことは、ないわよね…?」
当たり前だ、と、俺は苦笑した。
「そういうことにあそこを使いたくなかっただけだよ。」
「えーじゃあどんなとこ使ってたの?」
「家だよ。学生の頃にゃもう持家に住んでたからな。」
「あ、そうか。」
そしてまた、リナは少し考え込んだ。
「ねえ、相手の人って、ユイさんかしら?」
水を飲んでいた俺は驚いて噎せこんだ。
「慌ててる。」
「バカ、突拍子もないこというからだ。違うよ。」
「ふーん。」
そのとき、ちょうどそのユイが現れてリナの背後で咳払いした。
「私の名前が聞こえたけど?」
「いやあ、なんでもないんです…。」
ちょうどよかった、と言って俺は席を立った。
「ちょっと相手してやってくれよ、鼻に水が入っちまった。」
トイレの個室に少し篭ってトイレットペーパーで鼻の中を掃除して、ついでにそのまま小便をして流した。手を洗ってフロアーで出ると、ドアのすぐ外にユイが居た。少し咎めるような目をして。
「お爺さんの工場って、手放したんじゃなかったの?」
「…そんなこと言ったっけ、俺?」
「言ったわよ、持っててもしょうがないから売るって。」
俺は記憶を懸命に遡ってみたが、どうしてもそのことは思い出せなかった。悪い、と俺は詫びた。
「思い出せない。」
「そんなこと言ってるんじゃないのよ、どうして黙ってたの?」
内緒にしてたわけじゃない、と俺は弁解した。
「聞かれなかったから…。」
はん、とユイは大きなため息をついた。
「そうよね、あなたには判んないわよね。ごめんなさい、私があれこれ言うことじゃなかったわ。」
ユイはそれだけ言うと、さっさと俺のもとを離れて、バックヤードに引っ込んだ。
心配そうにこちらの様子を伺っているリナのもとへ帰った。
「なんかあったの?」
なんでもない、と俺は言った。
「工場のこと、言っちゃいけなかった…?」
そんなことはない、と俺は言った。
「ただ、ちょっとした食い違いがあっただけだよ。俺は昔あの工場を売るつもりだったらしい。まるで覚えてないが。」
リナはちょっと首をかしげた。
「それでどうして、ユイさんが怒るのかしら?」
さあ?と俺は肩をすくめた。
「俺に嘘をつかれたと思ったんじゃないかな。そういうことにすごく敏感だからな、あいつは。」
そうなんだ、とリナは言って、食後のアイス・コーヒーを飲みながらストローの包み紙で遊んでいた。
「ねえ、どうして私をあそこに連れて行ってくれたの?」
「言ったろ。素敵な場所って、あそこしか思いつかなかったんだ。」
「あ、そうか。」
ストローの紙がくるくる。
「どうして、おじいさんやご両親のこと、話してくれたの?」
「説明しないと判らないだろ、あそこがどうして俺にとって素敵な場所なのか。」
「あ、そうか…そうよね。」
ははは、と、リナは笑った。なんだか落ち着かない様子だった。その落ち着かなさが俺にまで伝染して、俺は間を外すために自分のコーヒーを飲んだ。その後はたわいない話をして過ごした。人と話をするのは難しいな、と、俺は改めて考えながら過ごした。そういやこんなに人と話すのも久しぶりだな、とも思った。仕事場で、仕事の話をする以外には。
そうして日が暮れた頃に、レストランを出た。ユイは中で何か仕事をしているのか、出てこなかった。店長の奥さんがレジに立った。子供の頃に何度も世話になった。恰幅のいいおばちゃんだ。ひさしぶり、と俺は言った。ほんとだよ、とおばちゃんは返した。
「もっと食べに来なさいよ。お金がないときは、タダにしてあげるからさ。売り上げのことなんか気にすんな。どうせ年々客は減るばかりなんだから。」
そう言ってガハハと笑う。
「かわいい女の子連れて。あんたの彼女かい?」
違うよ、と俺は言った。
「仕事でこの街に来てるんだ。ちょっとした縁で休みの日にあちこち案内してやってる。」
へぇ~、とおばちゃんは言って、リナをじろじろと見た。リナは微笑を浮かべて、ぺこりと礼をした。可愛いこと、とおばちゃんは笑った。
「お街の子だね、お育ちのいい。」
大事にしなさいよ、と俺に言う。
「だから違うって。」
「はいはい。」
リナは後ろでくすくす笑っていた。
面白い人ね、と店を出たところでリナが言った。ああ、と俺は答えた。
「あの人がいなかったら、俺は餓死してたかもな。一時期なんか、毎日のようにただ飯を食わせてくれた。まあその頃には、まだ店も賑わっていたしな。」
「いい人なのね。」
「そうさ、お人よしで、世話好きな、標準的な田舎の人間さ。そっとしておいて欲しいときまで、人の腕引っ張ってこれ食え、あれ食えって。孤児なのに太ってたんだぜ、俺。」
ふふ、とリナは笑った。
「ユイもそうさ、学校じゃあいつが俺の世話係だった。あいつら、今でも俺のことをかわいそうな孤児だと思ってんじゃねえかな。」
あ、とリナが言った。
「そういえば、ユイさんのことはいいの?」
大丈夫、と俺は言った。
「感情的だけど、冷めるのも早いんだ。明日の朝にはいつも通りさ。」
「そうなんだ。よかった。」
気にしなくていい、と俺は言った。うん、とリナは微笑んだ。
「じゃあね。」
「ああ。」