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化石の街の太陽の匂い  作者: ホロウ・シカエルボク
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素敵な景色なんて言っても、観光などにはまるで需要のない、弱小工業地帯のこの街のことだ。俺が思いつく「素敵な場所」とは、ひとつしかなかった。ユイに冷やかされながらバーガーショップを出て、そこまで歩いていった。白い無地の長袖シャツと、ベージュのパンツにスニーカーといういでたちのリナは、大学生だといっても通用しそうだった。

「あまりスーツとか好きじゃないのよ、ほんとは。髪だって編みたくない、面倒だから。」

「じゃあなぜするんだ?」

「そうして自分に枷を作らないと、仕事に身が入らない気がして。」

「そういうもんかね。」

ふふん、とリナは笑った。俺は少しからかってやろうとしたが、その前にリナが次の話題を切り出した。

「ずいぶんたくさん工場があるのね。これ、全部潰れてるの?」

「ああ、産業革命に対応出来なかった。ここで働いていた人たちや、ここで働くつもりだった人たちが、仕事を求めてどんどん出て行った。だけどみんな、出て行った先で仕事にあぶれたらしいよ。新しいマシンを扱えなかったからさ。」

この街はそれ自体が化石のようなものなんだ、と、言おうとして、止めた。リナは、俺の言ったことについてしばらく考えているようだった。俺はある工場の通用口の鍵を開けた。

「どうして、こんなところの鍵を持っているの?」

「爺さんの工場なんだ。爺さんが死んで、今は俺のものになってる。と言っても、何に使えるわけでもないがね。」

ふうん、とリナは言った。本当は違うことを言いたそうだった。

「ま、入れよ。」


敷地の半分は屋内作業場で、後はトラックやなんかが楽に出入りできるだけの空き地になっている。ちょっとしたグラウンドぐらいの広さだ。錆びた10tトラックが二台、錆びた建物に寄り添うように止められている。敷き詰められた土だけが、何も変わってないかのように白い。俺は先に立って、工場の中に入った。開口部は開けたままにしてある。マシンにはすべてシートをかぶせてあるが、状態が良くてもたぶんもう使えないだろう。仮に使えたとしても、どこかが故障したら交換する部品もない。「何のためにここにいるのか」うす暗がりの中でもはやオイルすら臭わなくなったそいつらは、顔を合わせるたびにそんなことを問いかけているような気がする。でも俺には答えようがない。俺もまたそうして生きているものの一人だからだ。配電盤を開けて電源を入れる。電気も水道もガスも残してある。リナはまるで礼拝堂の中を歩いているように静粛に俺のあとをついてきていた。俺は工場の奥にある階段を上がった。そこは事務所の跡だ。事務所の中は蒸し風呂のような有様だった。ブラインドを引き上げ、窓を開けて空気を入れ替えた。それから窓を閉めて年代物のエアコンのスイッチを入れ、涼しくなるのを待ちながらケトルを洗って湯を沸かした。

「コーヒー飲むか?」

「うん。」

書類やなんかをすべて捨ててカラになったキャビネットの中には、ハンド・クリーナーが鎮座している。俺はそれを出して、事務机と椅子の掃除をした。それが終わると冷蔵庫からミルクのポーションをひとつ取り、食器棚からスティック・シュガーを出してリナの分のコーヒーに添えた。俺が社長の椅子に座ると、リナはその斜め向かいのデスクの椅子に腰を下ろした。ちょうど俺とリナの顔の間に、さっきブラインドを上げた窓があり、この街の果てを眺めることが出来た。リナは、ミルクと砂糖を入れたコーヒーを慎重にかき混ぜて、飲んだ。

「美味しい。」

そういって微笑んだ。なぜこんなところに連れてこられたのか、と考えているみたいだった。ここは俺の子供の頃からの穴場なんだ、と、俺は説明した。

「素敵な景色って言われて、思いついたのはここだけだった。」

ふふふ、と、リナはあっけに取られたように笑った。

「あなた、本当に面白いわね。」

いや、今度ばかりはそれだけじゃないんだ、と俺は説明した。

「この街に人に見せられるような美しい景色なんて、ないんだよ。俺は車に乗り始めたころ、何かあるだろうと思ってこの街の周辺をくまなく走り回った。どんな小さな道にも入ってみた。だけどそこにあるのは、いつ見捨てられたのか判らない小さな家ばかりだったよ。」

リナは、なんと答えていいのか判らない、という顔をした。

「ここから数時間走れば有名な滝がひとつある。だけど、そこはもう周辺ではないからな。」

リナは少し困った顔になった。俺は微笑んでみせた。

「まあ、どちらにしても、俺にとってみれば、ここは、最高に素敵な場所に違いないんだ。ガキの頃に相続してから、ずっとね。」

「ひとつ聞いていい?」

俺は頷いた。

「その…あなたの、ご両親っていうのは…?」

「うすうす判っているとは思うけど、俺がガキの頃に死んだんだ。親父がギャンブルをやりすぎておかしくなって、母親を殴り殺してから首を吊った。その家も俺のものになった。不憫だっていうんで、俺が爺さんのところに居る間に、街の大工が格安で建て直してくれたけどね。おかげでこの街じゃいい部類の家に住んでるよ。爺さんも早くに逝っちまったけど、それからはこの街の連中がみんなして俺の世話を焼いてくれた。俺は若くして戸籍上は天涯孤独になったけれど、腹が減ったらレストランに行けば何かしら食わせてもらえた。どういう経緯でかは判らないが、学校にも通わせてもらえた。両親の記憶も、爺さんの記憶もほとんどない。俺を育ててくれたのは、この街なんだ。」

リナは神妙な顔つきになった。

「なんか、へんなこと聞いちゃって、ごめんなさい。」

俺は笑った。

「気にしなくていい。言ったろ?親の記憶なんてないんだ。だけどやっぱりさ、そんな風に育ってると、なにかこう人と違うところがあるんだろうな。なにかひとつのグループの中に居るとしんどくてさ。そんなときはあの扉の鍵を開けて、ここに座ってこの街の果てを眺めてるんだ。そうすると、心が静かになる。だからここは、俺にとっちゃ最高に素敵な場所なのさ。君の言い方を借りれば、世界で一人きりになれる場所だ。」

俺がそう言うとリナも笑った。



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