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夢の呪縛が終わり跳ね起きると朝になっていた。一〇何時間眠っていたわけだ。まだ夏はそこらで生きていたが、身体には冷汗がべっとりとこびりついていた。顔をぬぐい、自分が大人になっていることを確かめた。シャワーを浴びて、汗を洗い流した。夢の内容は真実だと確信していた。おそらく俺はすべてを見ていたのだ。一刻も早く帰らなければならなかった。確かめなければならなかった。あのときのことを知っている誰かを捕まえなければならなかった。身体を拭いて身支度を整えると、フロントに鍵を返し、トライアンフのエンジンを回した。モーテルを出て道に出ると、一気にアクセルを踏み込んだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンみたいに、トライアンフは一直線の道路をかっ飛んだ。そうとも、タイムマシンに乗るんだ、御伽噺のはずだった血の臭いを嗅ぎに。俺は混乱し、冷静で、興奮して、冷めていた。すべてのことがいっぺんに始まり、いっぺんに終わろうとしているのを感じていた。どうすればいいんだ、なんて、躊躇する時間さえなかった。そんな猶予など少しも与えられず、真実の入口に放り込まれた。迷っている暇はなかった。その入口にはきっと、制限時間が設けられている。期限内に滑り込むことが出来なかったら、きっと、なにもかも元のところに収まってしまう。元のところに収まって、もうどんなことをしても動かせなくなってしまうに違いない。これは俺が人間として生まれ変わるチャンスだった。そう、俺は、生まれてこのかたずっと、ある違和感を抱えて生きていた。それをなんと説明すればいいのか判らなかった。今はそれがどういうものだったのか判る。ちゃんと言葉にして説明出来る。「余りの命」だ。俺は自分の存在をずっと、余りの命だと思って生きていたのだった。それは消化試合のようなものだった。タイムスケジュールに乗って、クリアするだけのゲームだった。それはきっと、エンディングを先に見てしまったせいだ。どうしようもないバッドエンドのエンディングを。コンティニューしなければならない。データを維持したまま整理しなおして、リスタートのボタンを押さなければならない。このまま、両親と同じ墓に入ることは出来ない。俺はもうそれ以上踏み込めないアクセルをさらに踏み込もうとしていた。必要なところまで巻き戻さなければならない。一刻も早く、街へ―一刻も早く…頭の中では夢の映像が何度もリプレイされた。殴り殺される母親、殴り殺す父親、にっこりと笑う父親、痙攣する父親、痙攣する…俺の脳天で極限に達した緊張が破裂する瞬間が判った。駄目だ。アクセルを緩めろ、誰かがそう命令した。俺はゆっくりとアクセルから足を離した。車は速度をなくし、時のゆがみの中に迷い込んだ。俺はハンドルに突っ伏して目を閉じた。眩暈がして、自分がどこに居るのかよく判らなかった。洗い流したはずの冷汗が吹き出て、凍えたように身体が震えた。吐きそうだ…俺は車を降りて、道を外れた。そこは斜面になっていて、もはやまともに動けない俺はすぐに足がもつれ、転がり落ちた。俺が覚えているのはそこまでだった。
目覚めたとき、なにがなんだか判らなかった。見知らぬ部屋の中で、ベッドに寝ているようだった。点滴のパックが見えたので、病院だと判った。身体を起こそうとしたがうまく出来なかった。右手だけは動いたので枕元を探ってナース・コールのボタンを見つけ、押した。程なく足音が聞こえ、若い女の看護師がやってきた。俺と目が合うと、ああ、よかったと言ってにっこりと笑った。ここはどこなんだ、と俺は聞いた。彼女は、ある街の名前を言った。聞き覚えのない街だった。知りたいことは他にも山ほどあったが、朦朧としてうまく喋れなかった。私があなたを見つけたのよ、と、女は言った。
「ここに出勤する途中で、道路沿いにピカピカのクラシック・カーが止まってるのを見てね。運転席のドアが開いたまんまで、乗ってる人の姿がない。おかしいなと思って車を止めて、近付いてみたら、車には事故のあとはない。これは、運転中に体調を崩したのかもしれない、そう思ったわ。道路沿いは斜面になっていて、その下は浅い川になっているから、もしも落ちていたら急がないと危ない。そう思って覗いてみたら、あなたがうつ伏せで沈んでいた。急いで滑り降りて、なんとか岸に上げて、人工呼吸をして、呼吸があることを確かめてから、助けを呼んだ。ずぶ濡れよ、風邪引きそうだわ。」
俺はゆっくりと、彼女の言葉を反芻した。言葉を理解するのに時間がかかった。ようやく理解して、礼を言おうとしたが、うまく話せなかった。俺はまた眠りの中に引きずり込まれようとしていた。眠りなさい、と優しく微笑みながら命の恩人は言った。
「お礼なら、元気になってからたっぷりしてもらうから。」




