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昔、友達の家があった駐車場代わりの空地に止めてある俺の車を見て、リナはとても難しい顔になった。
「これは、人を乗せて走ることが出来るのよね?」
そうじゃないと困るな、と俺は答えた。
「でないと、俺が今まで乗ってたのはなにかの間違いだったってことになっちまうからな。」
リナは精一杯だという感じの笑顔を浮かべて、否定にも肯定にも取れる首の振り方をした。まあ、無理もない。83年製のトライアンフ。隣町の中古屋でタダ同然で売られていたのを買った―状態は良くないよ、と店の親父は何度も念を押した。何しろ、もともと何色だったのかも判らない有様で、俺はそれが気に入ったのだ。
「走ることは出来るんだろ?」
「そりゃ、まあね。」
さあ、乗りなよ、と俺に促されて助手席側に回ったリナは、さらに困惑の表情を浮かべた。ドアの下の方にある大穴を見たのだ。大丈夫だ、と俺はあくどい押し売りのような笑顔を浮かべて保障した。
「整備はしつこくやってるんだ。エンジンの具合は上々だぜ。」
リナは諦めて肩をすくめ、乗り込んだ。そうだよ、我侭は言わないって誓っただろ?俺も乗り込んでエンジンをかけた。脱穀機のような稼動音を聞いてリナは何度か瞬きをした。やれやれ、走りながら少しずつ部品が落ちていく場面でも想像しているのか?しばらく走るまでは納得しないだろうな、こりゃ。俺はいつもより静かに発進させた。リナはこれ見よがしに十字を切ってみせた。
「質問してもいいかしら?」
ようやくちゃんと走る車だということを理解したあと、リナは疑問を提出した。
「これだけきちんと整備しといて、どうして外はそのままなのよ。どうして塗り直さないの?どうしてドアの穴を塞がないのよ?」
俺は小さく流しているオーティス・レデイングに耳を澄ませながら答えた。
「まあ、その無茶苦茶な感じが気に入って買ったってのもあるし…そっちの方の技術は持ってないもんでね。」
そうなの、とリナはため息混じりに笑いながらこう言った。
「なんでもいいわ、もう。」
それから少しの間は会話が途切れた。機嫌を損ねたのかと思ったが、どうやら景色に気を取られているみたいだった。
「ねえ、この世に二人きり、って感じするわね。」
まあね、と俺は同意した。
「いつもこんなところを一人で走ってるの?草っぱらと、岩と、土しかないこんなところを?」
まあね、と俺はまた言った。
「取り残されるのは嫌いじゃないんだ。」
リナは、少しの間首をかしげて俺のことを凝視した。何だよ、と俺は言った。
「あなた、私が生まれてから出会った人間の中で、一番の変わり者だわ。」
俺は肩をすくめた。そして、だからだよ、と言った。
「だからって…?」
「だから、取り残されるのが嫌いじゃないんだ。」
「それ、癖なの?」
「なにが?」
「判るような判らないような感じで話すの。」
俺はそれについて少し考えてみた。そして、よく判んないけど、たぶんそうなんだろうと答えた。ひひひひ、とリナは笑ってシートにもたれこんだ。
それから俺たちはがらがらのショッピングモールでそれぞれの買い物をして、がらがらのフード・コートでコーヒーを飲んだ。飲みながら基本的な話をした。何歳だとか、どんな仕事をしているのかとか。俺が40だと言うと、ほほう、と目を丸くして、若く見えるわ、と拍手をした。俺は顎で頷いて感謝の意を示した。リナは25歳で、本当に弁護士だった。詳しくは話せないが仕事の資料集めに来たのだと言った。
「ずっとあの街で暮らしてるの?」
「ああ。」
「出て行きたいと思ったことは無い?」
「どういうわけか無いな。」
俺がそう言うと、リナは不思議そうな顔をした。いろいろと理由はあるんだけど…と、俺は、なるべく判りやすく話すにはどうすればいいんだろうなんて考えながら続けた。
「あの街にあるどうしようもない退屈が、なぜか嫌いになれなくてね。」
リナはやっぱり判ったような判らないような顔で頷いた。
「まあ、機会があれば詳しく話してやるよ。君はどこで生まれたんだ?」
リナは、ずっと南の方の街の名を言った。ずいぶんな都会だった。なるほど、そんな街で育てば俺のような人間を不思議がるのは無理もないだろう。
「どうして弁護士に?」
子供時代の話やなんかのあとで、そう聞いてみた。そうね…とリナはもったいぶった。
「機会があれば詳しく話してあげる。」
そして、勝ち誇った顔をした。俺は両手を挙げて降参の意を示した。