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化石の街の太陽の匂い  作者: ホロウ・シカエルボク
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以前mixiで連載したものです。

駅前のバーガーショップであの女はいつも途方も無く真剣な表情で長い髪を編むのだ、まるで、左右の髪を均等に編みこむことが出来たらそこかしこで厄介な話を起こしている原子力発電所が一基、音も立てずに消え失せるというミラクルが実現すると信じているみたいな顔をして。前のテーブルにはいつでも同じメニュー。フィッシュ・バーガーとホット・コーヒー。ミルクも砂糖もなし。セットのほうが安いけれどセットにはしない。ポテトはお呼びじゃないのだ。こそこそと確かめたわけじゃない。俺のこの店での定位置はガキのころからレジのそばの席で、この街じゃそれを知らないものはいない。もちろん、こんな店を利用する連中の間では、ということだが。といっても、別段俺はこわもてなんかじゃない、ただ、長い年月が過ぎる間に自然とそんな風になっていったということだ。俺自身、そんな風潮に終わりを告げようと、あえて席を替えてみたことがある、去年の話だ。だが、店員も周りの客も、そして当の俺自身もどうにも落ち着かず、数分でそそくさと元の席に戻ってしまった。きっと、座られなかった椅子も、座られた椅子だって落ち着かなかったに違いない…まあ、俺の話はいい。そんなわけだから、数ヶ月前からこの店に現れ始めた彼女の注文を知っていても別におかしくは無いのだ。彼女はいつも黒い光沢のあるストレッチ・スーツと、清潔で糊の利いた白いシャツでキメている。弁護士らしいぜ、と駅で働いてるダチから聞いた。それが本当なのかどうかは判らない。背はそんなに高くない。160も無いだろうな。標準よりほんの少し痩せ気味で(といっても、標準がどのあたりなのかなんて俺にはよく判らないのだが)、髪を編みこむ前はどこかのお洒落な秘書なんて感じだが、髪をかっちりと編みこんでしまうと切れ長の目のせいもあって冷酷な殺し屋みたいに見える。そう、なんていったかな、バイオ・ハザードって映画に出てた女優に似てる。あの女みたいに金髪じゃなくて黒髪だけど―まあ彼女について判ることはそれぐらい。要するに見たまんま、それ以上のことは何も判らない。確かめてみる気も無い。ただ彼女は毎朝同じ窓際の席に座り、そこが俺の定位置からよく見えるっていうただそれだけのことさ。ヒトメボレだなんだするには、歳が離れすぎてるみたいだし、だいいち俺は女なんか欲しいと思わない、誤解してほしくは無いが、男だって欲しくない。ただだらだらと決められた毎日を流して、時が来たら犬のように死ぬだけさ。それがこんな田舎町に生まれ、育ったものの宿命なのさ。なんで出て行かなかったのかって…?そんな退屈さが嫌いじゃなかった、とでも言えばいいかな。それに、ボンジョビになりたいとか、ゴッホになりたいとか、ボードレールになりたいとか言ってここを出て行ったやつらが、塞ぎこんで死んじまったりするのをずっと見てるとね、退屈さの中にいるのが一番だなんて、そんな風に考えたりするのさ。


それはともかく、彼女は髪を編み終えてちょうどいい温度になったコーヒーを一気に飲み干すと、トレイをキレイにして店を出て行った。ありがとう、とレジの女が少しだけ温かい事務的な口調で見送った。となると、俺も店を出る時間だ。別に女に合わせてるわけじゃない。ここからほんの少し歩いたところにある工場で働き始めてから、ずっとそうなのだ。トレイを片付けて店を出る。朝の太陽はようやくエンジンがかかり始めたようで、ほんのわずか外にいるだけでも汗が流れ出しそうだ。俺は女の後姿をちらりと眺めてから、彼女と反対の方角へ歩き始めた。めったに雨が降らないこの地域では、あたりは化石のように焼けて煤けている。



休みの日にはめったにバーガーショップに立ち寄ることはしない。ただなんとなく、朝食を何にするか決められないことがあって、そんなときにはいつもと違うものを食いに訪れることがある。その日もそんな日だった。いつもの席でいつもと違うものを食っていると、一人の女が俺の前の席に腰を下ろした。知り合いじゃなかった。この街に若い女の知り合いなんていなかった。というか、若い女はこの街にいなかった。この店のカウンターにいる女と、そう、最近姿を見せ始めた殺し屋みたいな女…ああ、あの女か。違う服を着ているから気がつかなかった。こんにちは、と彼女は言った。ああ、こんちは、と、俺はもぐもぐやりながら答えた。いつも、と女は話し始めた。

「いつも、私が髪を編むの見てるでしょう?この席で。」

悪かった、と俺は詫びた。

「そんなにジロジロ見るつもりは無かったんだ。ただ、この席はずいぶん前から俺の席でさ、朝飯を食いながらぼんやり窓の外を見るわけだ。そういう癖が子供の頃からあるんだ。」

別に怒ってはいないわ、と女は微笑んだ。

「そんなことだろうと思っていたから。」

で?と俺はコーヒーを飲みながら目で促した。

「あの、あたし、この街に来て初めての休日なのよ。もし良かったらこの街のこといろいろと教えていただけないかと思って。」

別に面白いところは無いよ、と俺は答えた。

「店はこの駅前のとおりに並んでいるくらいだし…まあ車で西の一本道を半時間も走れば、そこそこでかいショッピングモールがある。車は持っているか?」

それがないのよ、と、女は暗に連れて行けという願いをこめて俺を見た。判った、いいよと俺は承諾した。どうせ、そこに行くつもりだったのだ。そこでは結構な量の本やら音楽やらを眺めて楽しむことが出来るからだ。ありがとう、と女は答えて、リナよ、とようやく自己紹介をした。シチだ、と俺も名乗った。

「…シチ?」

「親父が七の馬にかけて俺の出産費用を稼いだから。ナナじゃ女みたいだろ、だからシチ。」

リナは黙って少しの間目を閉じていた。

「俺の車、エアコンついてないけど、構わないか?」

いいわよ、とリナは言った。

「我侭は言えないわ。」



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