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ゴッドチャイルド  作者: 桂木直
第三部 運命の子
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第一章 神の子と魔物の子 7

 それが本当に意味のある行為なのか、考える余裕もないまま、アストはユーシスを背中に庇った。両手を広げ、ユーシスの前に立ちはだかりながら、大きく見開いた目で、歪む天井と屋根を見つめる。

 やがて強い力に耐えられなくなった壁が、激しい破壊音を立てながら穴を開けると、アストは歯を喰いしばって悲鳴をこらえ、息と共に声を飲み込んだ。そうして強がらなければ、腰が抜けて座りこんでしまいそうだった。

 穴から屋敷の中に飛び込んできたもの――むしろそれが飛び込んできたからこそ穴が開いたのだが――は、昆虫の足に似たものであったが、大きさや強度が違うのは見るからに明らかで、はじめて目にするものながら、「これが魔物なのだろう」と理解するに充分な異質さだった。

 全身が震えだすほどの恐ろしさだったが、不思議な事に、背中の後ろに隠れるユーシスの小さな悲鳴が、アストに冷静さを呼び戻してくれた。取り乱しかけていた心が落ち着き、とりあえず出口へ向かうべきだと考えられるようになった。幸いにも、魔物の足が飛び込んできた場所は出口へと反対方向であるし、魔物は穴に足がひっかかっており、その場を動けないでいる。

 ユーシスの手を引き、アストは再び走り出した。恐怖によってか、ユーシスの体は硬直していたので、半ば引き摺るような形になり、腕に重みを感じたが、気にならなかった。早々にこの場を立ち去り、ふたりそろって魔物の脅威から逃れなければという使命感が、アストを突き動かしていた。

 乱暴に扉を開ける。外から流れ込んでくる空気は、なぜか新鮮に感じられた。アストですらそう感じるのだから、ずっと屋敷の中に閉じこもっていたユーシスは尚更だろう。

 屋敷の外に踏み出そうとした瞬間、アストは手を強く掴まれ、引き止められた。あまりにも強い力で、アストの手を掴む人物がいつの間にか入れ代わったのではないのかと疑うほどだったが、やはりユーシスだった。

 両手でアストの手を掴むユーシスの両足は、床に縫い付けたかのように、その場を動こうとしない。

「どうしたんだよ」

「やっぱり駄目、駄目だよ。僕は、外には」

「だから、魔物が来てるんだぞ!? いいんだよ、今だけは! 町や城の中なら、まだ安全だって言ってたから……」

「嫌だ!!」

 喉が擦り切れんばかりの、感情がはじける叫びは、アストに強烈な衝撃を与え、息をする事さえも忘れさせる。

 アストが力を抜くと、ユーシスはアストの手を振り解いた。自由になった手ですぐに目元を抑えたのは、泣いているせいかもしれない。

「魔物が来てるならなおさらだよ。僕はここに残る。町にも城にもいかない」

「どうして」

「僕が行ったら、町にも城にも魔物が来るかもしれない」

 呼吸のしかたを思い出したアストは、胸いっぱいに息を吸ってから、はっきりとした声で返した。

「何言ってんだよ。魔物の力なんて持ってないって、お前が自分で言ったんじゃないか。もしザールが魔物に襲われたって、お前とは関係ないんだろ?」

 ユーシスは激しく首を振った。

「関係ないよ。もちろん、関係なんかない。でも、関係ある事にされるんだよ。僕のお父さんがしたように、同じ事をやったんだって決め付けられるんだ。僕は、魔物の子だから」

 力ずくでもこの館から避難させるため、ユーシスの腕を掴もうと伸ばしたアストの手は、ユーシスに触れる前に動きを止めた。

 嘘でも「そんな事はない」と言ってやれば、ユーシスの頑なな心や強張った体を動かす事ができたのかもしれない。だがアストには絶対に言えない、無責任な台詞だった。

 ただの子供と同じように、いや、ただの子供よりも何もせず、緩慢な日々を過ごしているアストを、「救世主だから」と、「神の御子カイとシェリアの息子だから」と、崇めているザールの民を、アストは知っている。彼らは疑いもせず信じているのだ。アストがいつか、魔獣や魔物の脅威から大陸すべてを救うのだと。

 ユーシスも同じなのだろう。崇められているか蔑まれているかが違うだけで。

「じゃあ、お前はずっとここにいるのか? 魔物に殺されるかもしれないのに」

 わずかにためらいを見せた後、ユーシスは肯いた。

「町や城に逃げ込む事が、死ぬよりましだとは思わない」

「それは」

「しょうがないんだよ。誰かが悪いんじゃないんだから。本当は、お父さんが悪いんだろうけど、もう死んでしまって、謝ったり反省したりできない人だから……だから、どうしようもないんだよ。判るだろう? 君だって、普通の子供じゃないんだから」

 ユーシスの言う通りだった。アストには、ユーシスの言いたい事が痛いほど判る。泣きたくなるほど、理解してしまう。

 でも。

「でも、俺は、どうしようもないなんて言いたくな」

「アスト様!」

 知らない男の声が、アストの言葉をかき消した。

 長い腕が背後からアストを抱きとめると同時に、浮遊感がアストを包む。体が浮き上がったのは一瞬で、すぐに床の上に転がった。同時に、床が揺れる強い衝撃。見れば、数瞬前までアストが立っていた場所は、魔物の足によって無残に粉砕されていた。

 身を挺してアストを庇った男は、現状を理解しきれていないアストをその場に置き去りに、即座に立ち上がると、鞘から剣を引き抜く。

 濃い色の髪と、意志の強い眼差しと、左手に剣を持つ姿が印象的な男は、格好から聖騎士だとすぐに判ったが、アストには見覚えのない人物だった。そもそも、ハリスと同じ位の歳の聖騎士など、ザールにはいない。

 入り口を広げ屋敷の中に入ってこようとしている魔物と対峙する男に、「貴方は誰だ」と緊急性のない問いを投げかける事はできず、アストは男の戦いを見守った。

 左腕で振るわれる一撃は重く、魔物の硬質な皮膚を強打し、時に貫いた。男の攻撃にか、それとも身を貫いた痛みにか、怯んだ魔物が若干後退すると、ようやく屋敷を襲う揺れや軋む音がやんだ。

 アストは深呼吸をしてから、慌ててユーシスの姿を探した。呆然と横たわるユーシスの姿は、探す必要もないほどすぐ近くにあった。アストを守った男は、同時にユーシスも守ってくれたようだが、飛び散った破片すべてから庇う事はできなかったようで、ユーシスの額には何かが掠めたような小さな傷があった。

「大丈夫か?」

 アストが手を差し伸べ、ユーシスを抱き起こすと、ユーシスは小さな手でそっと額を抑えた。

「僕は大丈夫だけど、君は」

「俺だって大丈夫だぞ。お前と違って、傷ひとつない」

「そうじゃなくて……君だけでも早く逃げればよかったのに。今みたいに、都合よく助けが来るとは限らなかったんだから」

 言葉で説明できない不快な感情が、アストの胸の中にわだかまり、やがて抑えきれなくなった。アストは腕を伸ばし、ユーシスの胸倉を掴むと、顔を近付けてユーシスを睨み付ける。

「俺はお前を助けるためにわざわざここに来たんだ。ひとりで逃げるわけないだろ!」

 ユーシスは間抜けな表情をして、上目遣いにアストを見た。

「なんで君は、僕を助けようと思ったの? 昨日ちょっと会っただけの他人じゃないか」

「それは」

 すぐさま答えようと、口を開いたアストだったが、頭の中に浮かぶ言葉はあまりにも利己的にすぎ、ありのままに説明すれば、「余計なお世話だ」などと、失笑と共に冷たい言葉を吐き捨てられる気がした。

 戸惑うアストが口を噤むと、ユーシスは唐突に思いついた顔をする。

「そっか。神の一族だと、僕みたいな子供も助けないといけないんだね。僕に祝福を与えたカイ様みたいに」

「なっ……そんなんじゃ、ない……」

 重い物体が地面に落ちる音がして、アストとユーシスは振り返る。

 落ちたものは、魔物の足の一本だった。男が叩き切ったのだろう。先を失った魔物の足と、男の剣から、人のものとは違う色をした血液が滴っている。

 魔物の血は思いの他悪臭で、アストは瞬時に顔をしかめた。

「ジオール!」

 凛とした女性の声が、アストの知らない名前を呼んだ。

 合図だったのだろうか。足を一本失っただけで、変わらず暴れている魔物のそばから、男は素早く退散する。どうするつもりだと、反射的に問いかけようとしたアストが声を出すより一瞬だけ早く、落雷が魔物の体を打った。

 アストは咄嗟に顔を背けて目を閉じたが、刺激的な光が残した残像は強く、消えるまで長い時間を必要とした。耳の奥で鳴り続ける轟音が消えてもなお。

 白い世界が落ち着きはじめ、周囲の光景をはっきり捉えられるようになると、アストはあらためて周囲を見回す。

 男はすでに剣を鞘にしまっていた。魔物は雷に身を焼かれ、地面の上で果てていた。

「なんで、雷? 今日、確か、晴れて……」

 誰と定めずアストが問いかけると、男は振り返り、アストの前で跪いた。

「お怪我は」

 アストは少し戸惑ってから、何度か肯いた。

「あ、うん。大丈夫、なんともないけど……えっと、貴方は?」

「お初にお目にかかります。私は聖騎士で、名をジオールと申します」

 なるほど、先ほどの声は彼の名を呼んでいたのかと、アストはひとつ納得した。

「いつもザールにいる人じゃないですよね?」

「常時は王都セルナーンの大神殿において、神の御子リタ様のおそばに仕えております」

「リタ様?」

「カイ様やシェリア様と同じく、天上の神エイドルードと地上の女神の」

「いいわよ、ジオール。自己紹介は自分でするから」

 先ほどジオールを呼んだ声が、再びアストの耳に届いた。綺麗な声だった。意志が強く、だが攻撃的ではない、すんなりと頭や心に響き渡る声。

 新たな人影が入り口近くに立っていた。ひとりはハリスだ。若干息を乱した彼は、体のあちこちに魔物の返り血を浴びている。屋敷を襲った魔物以外にも、多くの魔物と戦っていたのだろう。

 ハリスの隣に立つ人物は、アストと同じ、淡い色の金髪を持つ女性だった。やはりアストと同じ色の瞳が、宝玉のごとく輝いている様は、とても似ていた。いや、似ているなどという言葉で片付けていい域を超えていた。

「母さん?」

 母であるわけがなかった。アストの目の前に立つ女性は寂しげに笑っているが、肖像画の中や人々の思い出話に登場する母は、けして笑わない人だった。

 何より、アストの母は、アストが産まれた頃に死んでいるはずではないか。

「ごめんね。似てると思うけど、私は貴方のお母さんじゃないんだ」

 女性は背の中ほどまで伸びた髪をゆるく揺らして、アストのそばに寄る。

 近くで見ても母とよく似た顔をしていたが、やはり母ではなかった。表情の違いだけでなく、全身から溢れる生命力も、およそ母らしくないものだった。

「こんにちは、アスト」

 凛とした声が、優しくアストの名を呼ぶ。

「私はリタ。私も貴方やカイと同じ、エイドルードの一族の者よ」

 握手を求めて差し出された手は眩しいほど白く、アストは戸惑いながら手を伸ばす。

 触れた手は柔らかく、少し冷たかった。

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