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ゴッドチャイルド  作者: 桂木直
第三部 運命の子
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第一章 神の子と魔物の子 6

 昨日と違い空は晴れ渡っているため、視界が開けており、アストの姿は多くの民の目に晒された。聖騎士の隊長であるハリスが隣を歩いている事で、金髪の子供がアストだという確証を得やすくもあるのだろう。好奇や尊敬の眼差しが、多数アストに向けられた。

 中には突然祈りだす者のもおり、普段のアストならば確実に顔を反らしているところだ。しかし今日のアストは気にしなかった。目的地へ向かう事に精一杯だったからだ。

 晴れた日でも、町外れの森は少し薄暗かった。同じだけ気分が暗くなり、アストが足を止めると、「こちらでお待ちいただけますか?」とハリスの声がかかる。冗談ではない、なんのためにここまで来たのだと思い、アストは地面を蹴るように力強く歩いた。

 町の中では隣を歩いていたハリスが、常にアストの2歩前を歩くようになった。周囲に向ける眼差しも、鋭いものに変わっている。彼の立場上、警戒せざるを得ないのだと判っていただが、今にも魔物が飛び出してきそうな気になり、アストは少しだけ身を縮ませた。

 やがて目的の場所に辿りつく。雨が降っていない事を除けば、昨日見たものとまるで同じ光景が広がっており、アストは安堵した。レイシェルの墓に供えた花束もそのままだ。雨に打たれすぎたせいか、かなり弱り、花びらがいくらか散らばっていたけれど。

 念のためユーシスの無事を確認しておきたいと、アストは屋敷のほうへ目を向ける。しかし、すべての窓が閉めきられていて、中は覗けなかった。

 窓を叩いたり中に入ったりしても大丈夫だろうか? 躊躇するアストの前に、突然ハリスの大きな手が現れた。

「ど――」

 どうしたんだと、訊ねる必要はなかった。ハリスは腕の動きで下がるようにアストに伝えたすぐあとに、剣を引き抜いた。鋭い視線を森の奥に向け、剣を構えている。

 かすかな唸り声が森の奥から響くと、アストの背筋に冷たいものが走った。

「アスト様、先程のお約束、覚えておられますね?」

「あの声、魔物?」

「おそらくは。やつらがどこまで近付いて来られるか判りませんが、ここも危険かもしれません」

 アストが来た道を引き返しはじめると、ハリスは地面を蹴った。

 ザールに滞在している聖騎士たちの中で最年長だと聞いているが、とても年齢を感じさせない素早い動きだ。振り返りながら走っていたアストは一瞬だけ見とれる。「凄いな」と感心してから、足を止めた。

 真剣な眼差しを、屋敷に注いだ。アストはハリスの手前、約束を守るふりをしただけで、本気で引き返すつもりなどなかった。ユーシスの無事を確認するまでは。

 昨日ユーシスが現れた窓に駆け寄り、強く叩く。返事はない。何度か繰り返したが、やはり反応はなく、アストは歯を食いしばった。

 すでに屋敷を出て避難しているならば、それでいい。しかし、屋敷の中の別の部屋に居るのか、部屋の中に居ながら外に出てくる気がないのだとしたら問題だ。

 アストはいったん窓を離れ、周囲を見回し、屋敷の入り口に駆け寄った。

 都合の良い事に、鍵はかかっていなかった。アストはためらう事なく扉を開け、屋敷の中に飛び込んだ。

 はじめて足を踏み入れる屋敷だ。つくりがどうなっているか判るはずもない。がむしゃらに駆けめぐり、部屋をひとつひとつ確認するしかなかった。骨の折れる作業だが、さほど大きな屋敷ではない事が幸いだった。領主の妹レイシェルと、その息子ユーシスのための屋敷とはいえ、たったふたりが暮らすためだけに急遽建てたものなのだ。時間的にも予算的にも、あまり大きなものは造れなかったのだろう。

 アストは目に付いた扉を片っ端から開けて、人影を探した。台所や倉庫、明らかな空き部屋にはもちろん、ユーシスの部屋――もしかしたら違うかもしれないが、昨日ふたりが邂逅した場所だ――にも人の姿は見つけられず、アストは少々苛立ちながら、次の扉に向かう。

 乱暴に開いた扉は、書庫のものだった。小さい部屋の壁一面に本棚が備え付けられており、埋め尽くすように本が並んでいる。ザール城の書庫と比較すれば当然少ないが、充分圧倒されるだけの量があった。

 その部屋のほぼ中心に、アストが探していた人物はいた。

 毛糸で編んだ上着や膝かけで暖を取りながら、柔らかそうな椅子に座り、膝の上に開いた本に視線を落としていた彼は、扉が開くと同時に顔を上げ、見開いた目をアストに向けた。同時に、悲鳴混じりの息を吐いていたようにも聞こえた。扉が勝手に開いた事に驚き、扉を開けた人物がアストである事に再度驚いた、といったところだろう。

「覚えてるか? って言いかたも変かな? 俺、昨日会った、アストって言うんだけど。お前、ユーシスだろ?」

 ユーシスの動揺はいっそう強くなり、無意味にあたりを見回してから、アストに向き直った。

「どうして僕の名前を?」

「父さんが教えてくれた」

「なんで君のお父さんが僕の名前を知っているの?」

「俺を育ててくれたのはレイシェルさんだし、父さんはレイシェルさんのお兄さんのルスターさんと親しいから、だと思う。詳しい事は俺も知らない。それよりも、できればはやく……」

「もしかして、君のお父さんって、カイ様?」

 ユーシスが突然父の名を紡いだので、アストはわずかの間息を止めた。

「父さんの事を知っているのか?」

 ユーシスは半ば伏せた睫に哀愁を乗せた。

「母さんが生きてた頃、よく話をしてくれたから。カイ様は僕の恩人だって。僕が産まれた時、神官たちは僕に祝福を与える事をためらったけど、代わりにカイ様が祝福を与えてくれたって。カイ様と、お兄さん――僕にとっては伯父にあたるルスターさんが、守ってくれたんだって」

 本に添えられていたユーシスの両手に、力が篭る。

 苦悩の証である皺が、ユーシスの眉間に刻まれている事に気付いたアストは、数歩踏み込んで、手が届く位置まで近付いた。

「とにかく、話はあとで。今は」

「どうして僕に祝福なんかを与えたんだ」

 吐き出された言葉は、感謝とは縁遠い、呪いにも似た言葉だった。

「僕は魔物じゃない。だけど、魔物の子供なのは本当だ。だからみんな僕を怖がってる。みんな、お父さんがやったように、僕もザールを襲うんじゃないかって怯えてる。だからお母さんは、城や町で暮らせなくて、でもザールから遠く離れる事もできなくて、僕を連れてこんな所に隠れたんだ」

 ユーシスは真に呪詛するカイの代わりに、息子であるアストを睨みつけた。カイが持つものと同じ、空色の瞳を。

 風がざわめくように粟立つ肌を抑えようと、アストの右手は左腕を強く掴んだ。

「僕は祝福なんていらなかった。守ってほしくもなかった」

 掠れて空気に溶けてしまいそうな叫びが、アストの記憶を呼び起こす。わずかな過去に交わされた言葉、何よりも優しい父の声。

 違う、とアストは思った。抑えるべきは、自分自身の震えではないのだと。思った瞬間、体は勝手に動いていた。

「余計な事をしなければ、僕は産まれてこなかったかもしれないし、産まれてきてもすぐに死んで、お母さんを苦しめる事がなかったかも――」

 アストはユーシスの手を掴んだ。

 興奮と動揺のために震えていた、アストのものよりも幾分細く神経質そうな指は、他者からの力に耐えるためにか、瞬時に強張る。直後、アストの手から逃れようと力が込められるが、力くらべならアストの方が圧倒的に上だった。

「俺が産まれるのとほとんど同じ頃、俺の母さんは死んだよ。だから俺も思ってた。俺が母さんを殺したんじゃないかって、不安だった」

 ユーシスがきつく唇を噛んだ。

「でも父さんは言ってくれた。俺が母さんを殺したんじゃないって。何度でも何度でも言うって、父さんは言ってくれた。それで俺の心が本当に楽になるのか、まだ判らないけど、でも嬉しかった。言ってもらえないよりずっといいって思ったんだ」

「それが、なんだって言うんだ!」

 消え入りそうな声で怒鳴るユーシスに、一瞬気圧されそうになったアストだが、負けじと言い返した。

「お前もだよ。父さんは言った。お前はレイシェルさんを殺してなんか居ないって。だから、お前がそうしてほしいって言うなら、父さんは何度でもそう言ってくれるはずだ。いや、父さんはもしかしたら、お前にしょっちゅう会いに来るほど時間がないかもしれないけど……それなら、俺が代わりに言ってやる!」

 ユーシスの瞳が瞬いた。

 若草色のそれが、春の日差しに照らされたように明るい光を宿すところをはじめて目にしたアストは、小さく、今にも消えてしまいそうな儚い光を逃すまいと、ユーシスを掴む手に力を込める。

「君は、どうして……なんで、そんな」

「そんなん、判るかよ。ただ、今のお前みてるとむかつくんだよ。いや、むかつくって言うか」

 悲しい。

 そうだ、悲しいのだ。みっともなく泣き叫びたくなるほどに。傷付く姿を見ていると、まるで自分が傷付いているかのようで、息苦しいのだ。

 父がどれほど優しい言葉をかけてくれても、優しい温もりを与えてくれても、それは許されているだけで、本当の意味で救われているわけではないのかもしれないと、心のどこかでアストは不安に思っている。けれどもし、目の前のこの少年が、立場は違えど共通する痛みを抱えるユーシスが、救われるならば。

 その時は、自分も救われるような気がしたのだ。

 不安はどこかに消し飛び、自信が持てるような気がしたのだ。

「僕、は……」

 アストの手の中にある、アストよりも少しだけ小さな手が、それまでと違った理由で震えはじめる。奇麗な色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、頬を伝いはじめると同時に。

「泣くなよ」と言いかけて、アストは必死に言葉を飲み込んだ。今朝、父から同じ言葉をもらい、泣きそうになっていた自分を思い出したからだった。ユーシスはきっとアストよりも素直で、見栄で涙をこらえるような子供ではないのだろう。

 黙って眺めているのも気まずく、ユーシスに背を向けたアストは、忘れかけていた現状を思い出す。力いっぱいユーシスの腕を引き、無理やり立たせると、走り出した。

「な、何、どこに?」

「話し込んでる暇なんてなかった。なんか、近くまで魔物が来られるようになったみたいで、この屋敷も危ないかもしれないんだ。今調査してるらしいんだけど、だからとりあえず、いったん屋敷を出て……」

「でも、僕は、屋敷を出ちゃ駄目だって言われてるんだ」

「緊急事態だぞ!? 関係あるか!」

 アストが厳しい口調で言い切ると、ユーシスは黙ってアストに従ったが、病弱なユーシスがアストと同じ速さで走れるわけがなく、アストは仕方なしに走る速度を緩めた。

 これでは歩いているのとほとんど変わらない。いっそおぶったほうが良いかとアストが考えはじめた瞬間、異質な音が低く響き、耳を刺激する。

 アストが振り返った時、ユーシスも振り返っていた。少年たちはほぼ同時に、通路の先の壁が軋むのを確認した。

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