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ゴッドチャイルド  作者: 桂木直
第二部 神なき大地
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第五章 守り人の地 2

 ひたすら可愛がられているだけの愛玩動物たちにも、それなりの苦労があるのだろう。数え切れない民の前に立っていただけで気力が根こそぎ奪われたカイは、想像上の存在に同情しながら、肺中の息を吐き出した。

「お疲れ様でした」

 堅苦しく飾り立てた服から着替え――ここで与えられる普段着も、以前のカイが身に付けていたものに比べれば充分堅苦しいのだが――背もたれにだらしなく体を預けていたカイの目の前に、労わりの言葉と共に果実水が差し出される。爽やかな香りと口の中にほのかに広がる酸味は、喉だけでなく疲労した心も潤してくれた。

 ようやくひと息吐けた気分だった。緊張で固まっていた表情が、ゆっくりと解れていく。

「カイ様、お疲れのところ申し訳ありませんが、ひとつ、お話があります」

 傍らに立っていたルスターが、ひそめた声でもカイの耳に届くよう、わずかに身を屈める気配がした。

 疲れたカイに大声で話しかけるのは無粋と判断したのか、周りに聞かれては困る話をするつもりなのか。ルスターの行動だけではまだ予測がつかないが、後者だとすると、あまり良い予感はしない。

 カイは力ない言葉で本音を返した。

「悪い話なら、今は勘弁してください」

 しばし間が開いた。おそらく考え込んでいるのだろう。

「悪い話ではないと思うのですが、お疲れ気味のカイ様にとって、良い話かどうかは……」

 曖昧さゆえに余計に気になり、カイはルスターに気付かれないよう静かに息を吐いてから、姿勢を正した。

「一応、聞いてみます」

「ありがとうございます」

 ルスターは柔らかな笑みを浮かべ、カイの正面に回った。

「噂話ですでにお耳に入っているかもしれませんが、明日、セルナーンの北に位置するザールの町へ、遠征隊が向かう事となりました」

 噂話の類をカイの耳に入れる可能性が最も高い男の口から語られた話は、当然ながら事前には知り得ない事だった。

「いえ、聞いた事はありませんけど……セルナーンより北にある町と言うと……」

 ルスターの説明の中で最も気になる単語を拾い上げ、問いかけるように呟いた。

 カイが知る限りでは、エイドルードの結界の北端は、ここセルナーンである。つまり、セルナーンより北に位置する町は、カイが愛する故郷と同類であると考えられ、聖騎士団が遠征する理由は、ひとつしか思いつかなかった。

「エイドルードの結界は、大神殿、森の神殿、砂漠の神殿が描く図形の中と言われております。確かにその通りではあるのですが、神殿の周囲には特別大きな力が働き、多少はずれた程度ならば力が働きます。そうでなければ、セルナーンの街の北側も、加護が働かない地域になっていたでしょう」

「ああ、言われてみれば、あたりまえですね」

 大神殿がセルナーンの中心近くにある事を思い出し、カイは納得した。

「ザールはセルナーンより半日ほど北に歩いた所にございます。我々が認識する限り、神の守りの力が働く最北の地――の、はずでした」

「やっぱり、その町に魔物が出たんですか」

 ルスターは静かに肯いた。

 いつだったか、ハリスは言っていた。天上の神が失われた弊害は各地に出始めていると。これまでエイドルードの加護があった地にも、魔物が出現するようになったのだ、と。

 アシェルやザールのように、元より際どい場所にあった町から被害が出るのは必然だろうと思いながらも、王都セルナーンにほど近い地にまで影響が出ていると考えると、カイは少しだけ恐ろしくなった。

「ザールは『守り人の町』と呼ばれております。遠い昔、大神殿の命によって、魔獣に最も近い地に興された町です。代々の領主たるアルケウス家は、魔獣を見張る役割を担っております」

「アルケウス?」

 聞き覚えのある家名を口にすると、ルスターは小さく肯いた。

「はい。ザールは私の故郷です。今は事実上、妹の夫――私の義弟が治めております」

 即座に浮かび上がった疑問をすぐに口にして良いものか判断できず、カイは自身の頬を掻く。短い沈黙ののち、結局好奇心に抗えなかったカイは、率直な質問を投げかけた。

「妹さんの旦那さんよりは、ルスターさんのほうが、領主となるのに相応しい気がするんですけど」

 ルスターは一瞬呆けた後、照れ隠しの笑みを浮かべた。

「失礼しました、言葉が圧倒的に足りませんでしたね。アルケウス家は20年ほど前、私の兄が家督を継いだのですが、昨年に若くして病に倒れました。その時私が戻って継ぐとの話もあったのですが、兄の長男であるランディが来年成人を迎えるまでに成長しておりましたので、それならば私が戻るまでもない、むしろ甥が成人した際に話がややこしい事になりかねない、ならば戻らないほうが良い、との結論にいたりました。兄の後は兄の長男である私の甥が継ぎ、成人を迎えるまでは、妹夫婦が後見人という形をとっています」

 カイは納得して相槌を打ち、ルスターに話の続きを促した。

「昨日の夕刻近くの事ですが、ザールより救援を求める急使が訪れました。私は当然、甥の事も義弟の事もよく存じておりますが、双方とも勇ましい騎士であり、よほどの事が起こらない限り大神殿に救援を求めるような事をしないでしょう。急使による報告もただならぬ状況を伝えてきたようで、大司教と聖騎士団長は遠征隊の派遣を即座に決定し、すでに人選も済ませました。本日の朝、先行隊として一個小隊がすでにザールに向けて出立しており、明日にもハリス殿率いる本隊が出る予定です」

「ハリスが率いるんですか? あいつは、シェリアの護衛隊長でしょう?」

「はい。つまり、シェリア様もザールへと向かわれるのです。シェリア様のお力が必要となるかもしれませんから」

「町ひとつに神の子まで出るなんて、ずいぶんと協力的なんですね」

 ルスターに嫌味を言うつもりはなかった。だが、自然と口を吐いた言葉は、ルスターの優しい心に痛手を与えたようだった。口を噤み、申し訳なさそうに項垂れるルスターを見上げ、カイは慌てて謝罪の言葉を口にする。

「すみません。別に、『なんでトルベッタにも同じように力を貸してくれなかったんだ』とか、そういう意味で言ったわけではないんです」

「いいえ。結界外でお育ちになられたカイ様がそうお考えになられるのは、むしろ当然の事かと。カイ様がそうお考えになってなくとも、私自身はそう思っております」

 自分の故郷だけに救いの手が伸ばされる事への罪悪感が、ルスターの表情にありありと浮かんでいた。相変わらず、善良ゆえに本音を隠しきれない人だと思いながら、カイは首を左右に振った。

「ザールがこの国の存続のために重要な地だって事は俺にも判ります。だから、神殿がわの迅速な決定も当然ですよ。そんな事気にしないでください。それで? 遠征隊が出るからなんなんです?」

 ルスターは頭を下げ、謝罪と感謝の意志を明らかにしてから話を続けた。

「カイ様さえよろしければの話なのですが、遠征隊と共にザールへ訪れてみるのはいかがか、と考えたのです。この先セルナーンを離れる機会がいつ得られるか判りませんから――もちろん、カイ様がザールへ向かわれるのでしたら、私や部下がお供をいたしますので、変わらず息が詰まる思いをされるかもしれませんが」

 カイはルスターを見つめる目を丸くした。

 遠征隊を率いる人物があまり顔を合わせたくない男である事を除けば、願ってもない事だった。大神殿の敷地は充分広いと言えるが、ずっと中に居ては気が滅入ってしまうので、たまには外の世界を見て気分転換をしたい。大神殿に来てからこちら、礼儀作法だの神聖語だの歴史だ算術だのと勉強ばかりを強いられているので、それらから逃げられるのもありがたかった。

 だが、すぐに喜べるほど、カイは楽観的ではない。

「願ってもない事ですけど、俺は一応、大事な神の子なんですよね? 魔物が出るような場所に、理由もなく行かせてもらえるとは思えないんですが……許可、下りますか?」

「問題はないかと。以前よりシェリア様は年に一度、視察のためにザールを訪れており、今年からはカイ様リタ様にもご参加いただこうと、話が進んでおりました。例年より2ヶ月ほど早くなりますが、この度シェリア様がザールを訪れる事となりましたから、同時に用件を済ます形になるでしょう。ならば、カイ様リタ様も、ご一緒したほうが良いのでは、との話も上がっているようです」

 ルスターは笑顔で、強い口調で言い切った。

「何より、カイ様もリタ様も、かつては魔物狩りをなされておられましたから、我々よりも対魔物の経験や知識が豊富です。我々が知らず、おふた方ならばご存知の魔物が、ザールに出現している可能性もあるでしょう。いざその時が来たならば、助言をいただければ思っております。いざとなれば助力いただく事になっているシェリア様より、よほど安全な役割ですから、誰も反対はしないかと」

「そう言われてみれば、そんな気もしてきます、ね」

「では、話を進めますが?」

「はぁ……お願いします」

「承知いたしました。今宵はごゆっくりお休みください」

 ルスターは礼をすると、部屋を飛び出していった。駆け足というほどではないが、いつもと比べると素早い足取りはどこか軽く、嬉しそうにも聞こえる。

 彼も、生まれ故郷に帰れるのは嬉しいのだろうか。一瞬そう考えたカイだったが、すぐに違うだろうと思い直した。ルスターの事だ。純粋な厚意で、カイにより良き時間を作ろうとしてくれているのだだろう。

 カイは閉じられた扉を見つめた。

 エイドルードの元にも、心地よいものや優しいもの、美しいものはある。綺麗でなかったとしても、すべてが悪ではないし、理解できないものばかりではない事を、カイは知っている。

 だがそれらは、不本意ながらここに居るカイにとって、複雑な思いを抱かせるものだった。

 カイは床を蹴るように立ち上がると、寝台に身を埋めた。頬に触れる毛布の柔らかさに酔うように、静かに目を伏せた。

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