04 カンナさんの思惑
それは、まさに『怪物』だった。
三階建てのルミーユ学園寮を優に超える、巨大な体躯。
園庭すべてを埋め尽くすほどの、長く太い尻尾。
その頭部は骨だけで構成されており、皮膚や肉はそげ落ちている。
これが――地軍大将ヴェルゴーシュの、正体。
「地軍最強の魔物――ティターンとは、俺様のことだ」
巨大な怪物と化したヴェルゴーシュの声が、地震みたいに足元を震わせた。
そして、ずしりと。
その太く大きな脚を、踏み出した。
「……どんなに大きくたって、私の魔法なら、あなたを消滅させられる!」
すぅと息を吸い込み、私は怪物ティターンを見上げた。
こんな巨大なモンスターと対峙してるっていうのに、不思議と先ほどまでの恐怖心は消え去ってしまっている。
それよりも、心に灯っているのは――純粋な怒りだった。
「これで、終わりにしてやるから!」
私は再び、両手をクロスさせた。
足元が発光し、光のサークルが出現する。
そして私は、呪文の詠唱を開始した。
「はじめに言の葉があった。言の葉は私に力を与えた。力はすべてを掌握し、世界は私にひれ伏した。けれど――」
「おい、アリス……こっちを見ろ」
詠唱の途中で、ヴェルゴーシュは笑いながら言って。
その手に握った――一人の少女を見せてきた。
それを見た私は、思わず呪文を中断してしまう。
「リーリカ……っ!」
果たしてそこにいたのは、私の一番の友人――リーリカだった。
最初に石化させられたときから、ぴくりとも動いていない表情と姿勢のままで。
リーリカは、ヴェルゴーシュの手の中にいる。
「ヴェルゴーシュ! 一体、何をするつもり!?」
「……こうするんだよ」
冷酷な声で、そう告げて。
ヴェルゴーシュは、骨組みの頭の中にリーリカを放り込んだ。
そのまま骨を伝って、肉と皮に覆われているヴェルゴーシュの体内へと呑み込まれていくリーリカ。
「な……っ!?」
「てめぇがどんな魔法を使うつもりか知らねぇけどよぉ……俺様の体内には今、てめぇの大切なお仲間がいる。果たしてその魔法は、お仲間を傷つけずに済むのかねぇ?」
なんて……なんて卑劣な真似を!
私は唇を噛み締めながら――静かに両手を下ろした。
『私と天使の夜想曲』は、敵だけにダメージを負わせられるというチート魔法だ。
もしかしたらこのまま攻撃しても、リーリカには影響がない可能性だってある。
けど……体内に取り込まれた時点で、リーリカがヴェルゴーシュの一部だと認識されてしまっていたら?
ヴェルゴーシュもろとも、リーリカは消滅する。
そんな危険な賭け……私には、できない。
「死ね!」
ヴェルゴーシュが私を踏み潰そうと、脚を振り下ろした。
けれど、『堕天使の羽根』によって、その攻撃は弾かれる。
「くっ……」
この魔法がある限り、私がヴェルゴーシュに倒されることはない。
しかし、このまま拮抗状態を続けていたら、周りの被害が拡大していくばかりだ。
早く、早くなんとかしないと。
焦る気持ちで頭が真っ白になる。
禁断教典『シュバルツアリス』に記してある魔法のことが、うまく思い出せない。
どうしたら。
どうしたら、いいんだ……?
「――にゃっはははははははっ!!」
甲高い笑い声が、星の散りはじめた空にこだました。
そして――ヴェルゴーシュの骨に向かって振り下ろされる、双剣。
ガキンと。
剣と骨がぶつかり合う音が、響き渡る。
「ありゃ? あっちゃあ。こいつ、マジで固いね」
「……なんだ、てめぇは?」
「キサラさんだよ! 覚えとけ!!」
軽口とともに骨組みの頭を蹴りつけると。
くるくると回りながら、我が校最強の剣士――キサラさんは、私のそばに着地した。
「やっほー、アリス。遅くなってごめんよ?」
「キサラさん!」
パチッとウインクをしてくるキサラさんに、私は思わず駆け寄った。
普段はちゃらんぽらんで、わけの分からない人だけど。
こういう場面では――これ以上に、心強い人はいない。
「はぁ……しっかし、リーリカはまだまだだねぇ。簡単にとっ捕まっちゃって。やっぱうちが、きちんと鍛えてあげないと」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ! 早くあいつを、なんとかしないと」
「だねぇ」
軽い口調でそんなことを言うと。
キサラさんは双剣を腰元のホルダーにしまって、頭の後ろで手を組んだ。
その余裕ぶった態度に、私は思わず目を丸くする。
「何やってるんですか、キサラさん!?」
「高みの見物ってやつさ。あんたが、あの怪物を倒すところをさ」
「何言って――今は非常事態なんですよ!?」
「いや、うちもそう思うんだけどさぁ……そこの大将が、手出しをさせてくれないっていうか」
苦笑いを浮かべながら、キサラさんはひらひらと、私の後ろの方へ手を振った。
「――――アリス」
聞き慣れた、海のように澄み渡ったきれいな声。
そして現れたのは、声以上に美しい女性だった。
腰元まで伸びた真っ青な髪を揺らしながら。
長いまつ毛で飾られた瞳で、私をまっすぐに見つめてくる。
「……カンナさん」
「苦戦しているようだね、アリス?」
カンナさんが微笑を浮かべて言う。
その言葉に、私は大きく頷いて。
「はい。リーリカを人質に取られて、正直どうしたらいいか分からなくって。だから、カンナさんも力を貸し――」
「やってごらん、アリス」
私の発言を遮って。
カンナさんは淡々とした口調で、告げた。
ぞわっと……私は背筋が冷たくなるのを感じる。
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。リーリカを助けたいのなら、相応の知恵を絞ればいい。そして君の力で――この危機を乗り越えるんだ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!?」
何を。
何を言ってるんだ、この人は。
「今がどういう状況か、分かってるんですか!? 魔軍四将の一人に襲われて、この学園が滅ぼされちゃうかもしれない……そんな危険な状況なんですよ!?」
「そうだよ、カンナさん。うちだって、戦いたくってうずうずしてるんだぜ? キサラちゃんが華麗に活躍、華麗に解決! そうすればリーリカだって、うちのことを――」
「ダメだよ、キサラ」
しかしカンナさんは、酷薄にそう告げて。
微笑を湛えたまま、きっぱりと――言った。
「わたしとキサラがいなければ、魔軍四将の一人すら満足に倒せないような学園では、意味がないんだよ。だからわたしたちは、力を貸さない。すべてはこの学園が、この世界が――レベルアップするために」




