03 そしていつか、わたしのところまで
「――リス。アリス。目を開けなさい」
「……ん」
意識の遠くから、私を呼ぶ声が聞こえてくる。
そうだ……私は夜の庭園でカンナさんと話をしていたんだっけ。
そしたらカンナさんが、不思議な呪文を唱えて。
――それからどうなったんだっけ?
私はゆっくりと、瞳を開ける。
目の前で艶やかに微笑んでいるのは、カンナさん。
伸ばされたその手を取って、私はおもむろに立ち上がる。
……と思ったら、足元には何もない。
ふわふわと、宙を浮いてるみたい。
なんだこれ?
「へぇ。これがアリスの風景か」
カンナさんの言葉につられて、顔を上げる。
すると――そこに映し出された光景は。
「え……ええええええええええええええええ!?」
西の空に沈みかけた太陽。
ビルやマンションがごちゃごちゃと、いくつも立ち並んでいる街の様子。
そんな、ありふれた光景を眺めることができるここは――学校の屋上。
私がかつて、ぼっち飯を食べていた、あの場所だ。
「ど、どうして!? わ、私はオルタナギアにいて……!?」
「落ち着いて。これはわたしの魔法が見せている、幻覚みたいなものだから」
幻覚っていうか、悪夢みたいだよ。
一瞬のうちに、ぼっちだった頃の苦い思い出が溢れてきちゃったもん。
「今見ているのは、君の心象風景を映し出したものだ。つまりこれが、君の魔法の原点ってことだね。覚えはある?」
「な、ないです!」
私は咄嗟に嘘をつく。
だってこんな、オルタナギアと乖離した世界を知ってるなんて言ったら……私の正体がばれちゃう!
私がオルタナギアじゃなくって、異世界の人間なんだってことが。
「そう」
だけど、慌てふためく私を気にした様子もなく。
カンナさんは夕日を浴びて真っ赤に燃える街並みを、静かに眺めていた。
「君に覚えがないとしても、この空間は間違いなく、君の心象風景を投影したものだ。つまり君の魔法の原点であり、想像力の源でもある」
「そ、そうなんですね」
まぁ確かに、ここでよく『シュバルツアリス』に書き込んでたけど。
学校が魔物に襲われて、それを颯爽と退治する自分を妄想して、にやにやしたりしてたけど。
「この場所を大事にする必要はない。だけど、忘れないで。この場所の存在が、今の君を支えているんだってこと。大切なのは、想像力と創造力。この場所で思い描いた力を表出すれば、それが魔法になる。オルタナギアで、奇跡を起こすことができるから」
……つまらない学校生活だった。
早く逃げ出したい毎日だった。
だけど、そのときに逃避していた妄想のおかげで……今の私はある。
そういう意味では感謝してるよ。二度と戻りたいとは、思わないけど。
「どうしてカンナさんは、私をここに連れてきたんですか?」
「思い出してほしかったから。君がどうして、魔法を使いたいと思ったのかを」
「どうして……」
たとえば学校が、魔物に襲われて。
クラスメートたちが阿鼻叫喚の渦に巻き込まれたとして。
そこに華麗に参上、私!
魔法を使ってみんなを救って。
感謝されて。もてはやされて。
いつも目立たなかった私が、一躍人気者になるんだ。
「……我ながら、不純な動機しかないんですけど」
「だけど君は、『魔法が使える自分』を夢見ていた。そして、その願いを叶えた」
「それは、そうですけど……」
「だったら、その魔法を出し惜しみするべきじゃないね」
出し惜しみ、かぁ。
確かに、もし魔法使いになれたら……なんて中二妄想していた頃は。
何か起きたらすぐに魔法を使って、バッサバッサと物事を解決したい!
そう、思っていたっけ。
『あたしがチェリルの立場なら――正々堂々、本気のアリスと勝負したいよ』
リーリカの言葉が、再びリフレインする。
カンナさんの神秘的な瞳が、私をじっと見てる。
「――分かりました。私、チェリルと本気で勝負します」
カンナさんをまっすぐに見返して、私は告げる。
チェリルのためにも、かつての自分のためにも。
私は手加減なんかせず……本気で魔法を使うべきなんだって。
ようやく、決心できたから。
「ああ。楽しみにしてるよ」
カンナさんが、ふっと笑った。
その微笑みは、まるで女神様か何かのように神々しい。
「――――『解錠』」
カンナさんが、呪文を口ずさむ。
それと同時に、再び白い光に目を奪われる私。
「……ん」
次に目を開いたとき、目に映ったのは夜の庭。
鳥の囁き声が、辺り一面から聞こえてくる。
「ああ。よかった、帰ってきたんだ」
私は安堵して、胸を撫で下ろす。
ここは間違いなく、ルミーユ学園女子寮。
あの頃とは違う――今の私にとっての、居場所だ。
「今を楽しむために。今の居場所を護るために。どうか頑張ってくれ。アリス」
「……はい!」
カンナさんの言葉に、私は笑顔で頷く。
私、頑張ります。
もう迷わないです。
怪我をしたりさせたりは嫌だけど……そうならないくらい、私が上手に魔法を使ってみせます。絶対に。
「アリス。君の成長が、本当に楽しみだよ」
そう呟いて、カンナさんは私に背を向けると、ゆっくりと歩きはじめる。
風に揺れる、艶やかな青髪。
幻想的な佇まいを、私はぼんやりと眺めている。
そんな私に向かって。
カンナさんは振り返ることもなく……言った。
「そしていつか、辿り着いてほしい――わたしのところまで」




