第六話『王都レグニス』
続きとなります。
リッカ達一行がアティスの街を出て七日、予定通りに王都レグニスに到着した。
「久しぶりの王都だあ~。」
「リッカはしばらく来てなかったもんね。僕とドロシーはトンボ返りだけど。」
「私は来るのは始めてだわ。これが王都レグニス・・・。」
カリンは感慨深げに城壁を見上げる。レグニスは平原上に建設された城塞都市であり、王城を中心として三重の城壁で囲まれている。中央街道と東西街道の交差する場所であり、交通の要衝として古くから栄えてきた。
「カリンちゃんは王都を通ってアルセイド州に来たんじゃないの?普通はそうやって来るよね?」
ドロシーの何気ない疑問にカリンは狼狽する。翠の森に来たときは、特別な手段を用いたのだ。その手段はアントラ王国が消滅した今では使えなくなっているはずだ。そう思ったのでリッカにもクオンにも話していない。ほとんど山脈で囲まれたアルセイド州に行くには王都経由で来るのが普通だということをすっかり忘れていた。クオンもリッカもカリンとある程度口裏合わせはしていたが、やはり細かいところでボロがでてしまうようだ。
「え、えっとね。そ、そう!道に迷ってたらいつの間にかアルセイド州にたどり着いたのよ!」
自分でもそれはないと思ったが、とっさに言ってしまったものは仕方ない。カリンが横目でリッカとクオンを見ると、二人ともあちゃーという顔をしていた。
「・・・そうなんですね!大変だったんじゃないですか?あの山脈は険しいですもんね!」
「え、ええ大変だったわ。」
目をキラキラさせるドロシー。根が純真なドロシーはカリンの苦しい言い訳を信じたようだった。カリンもまさか信じてもらえるとは思わなかったので微妙な表情をしていた。
「王都は入り組んでるところもあるし、人が多いから迷わないようにね。クオン君とリッカちゃんから離れたらだめだよ。」
「う、うん。分かったわ。」
ドロシーの中でカリンは方向音痴認定されたようだ。真面目に心配してくるドロシーにカリンは申し訳なく感じる。なんとかドロシーを誤魔化し、四人は王都の入口へ向かって歩き出す。城門では兵士が王都へ入る人をチェックしているようだ。カリンはクオンの袖をちょいちょいと引っ張り、どういうチェックをするのか質問する。
「ねえ。どういう検査をするの?」
「簡単に身分証を見るだけだよ。ギルドカードがあれば大丈夫。指名手配でもされてない限り堂々と入れるよ。」
「そっか。なら良かった。」
カリンはそっと胸をなでおろす。四人は王都へ入る人々の列に並び、順番を待った。三十分ほど列に並んでいると、四人の順番が来た。五人いる兵士たちのうち一人が応対する。
「身分証を見せてください・・・ってアルセイドの嬢ちゃんと坊ちゃんじゃねえか。」
「はは。こんにちは。ディックさん。」
「こんにちは~。」
アルセイド姉弟にそう声をかけたのは、三十代半ばほどの兵士だった。
「この前、出ていったばかりだろ?もう戻ってきたのか?」
「ええ、まあ。博士に急用がありまして。」
「若いのに大変だなあ。・・・いやそうでもないか?リッカ嬢ちゃんはともかく、ドロシー嬢ちゃんもいるし、しかも新しい女の子までいるじゃねえか。モテるんだな~クオン坊っちゃんは。」
ディックはクオンの背後にいる女性たちを見て、にやにやしながらクオンをからかう。クオンは後頭部に三人の視線を感じ、慌てて否定する。
「ち、ちがいますよ!ドロシーはたまたま王都に帰るからで、カリンさんは博士に会いたいからということで一緒になっただけですよ!」
「ほう?まあ、そういうことにしとこう。さあ、身分証を出してくれ。」
クオンたち四人は順番に身分証を見せる。特に問題もなく王都へ入ることができた。ディックに手を降りながら城門の中を進んでいく。
「今の人ってクオン君たちの知り合いなの?」
「うん。博士の手伝いのためにギルドに登録してから、王都に来ることも増えたからね。ドロシーもよく王都に出入りするから、僕たち三人は顔を覚えられちゃったんだよ。」
「毎回クオンにちょっかいかけてるよね。」
「そうなんだよね。かまって欲しいのかな?」
カリンにディックのことを話しながら城門をぐぐる。分厚い城壁の中を抜けると、その先には大勢の人々が行き交う街並みがあった。行き交う雑踏の中には、人間だけでなく獣人や妖精もちらほら見える。
「すごい・・・。人がいっぱい・・・。」
カリンは見たことのない人の多さに目を瞠る。右を見ても左を見ても人、人、人であった。
「はぐれないようにね、カリンさん。」
「迷子にならないようにねカリンちゃん。」
「そうですよ。クオン君とリッカちゃんから離れないようにねカリンちゃん。」
「もう~みんなして!分かってますよ!」
ドロシーは本気で心配しているが、クオンとリッカはちょっと調子に乗ってからかっていた。不思議と、この時は嫌な気分にはならなかった。
「じゃあ、私は家に戻るね。お母さんが待ってるから。またね。リッカちゃん、クオン君、カリンちゃん。」
「うん。またね。ドロシー。」
「まったねードロシー。」
「また会いましょう。ドロシーさん。」
ドロシーは手を振りながら雑踏の中へ消えていく。リッカたち三人はドロシーの姿が見えなくなるまで見送ったのであった。
「じゃあ、僕たちも行こうか。」
「その前に~はい!」
リッカはクオンとカリンの間に割り込むと、二人と手をつなぐ。
「これならはぐれないよ!」
「いやこれじゃ歩きにくいでしょ・・・。」
「ええ~!」
クオンのダメ出しにリッカは不満げだ。ぷう~っと頬を膨らませるリッカ。
「じゃあ、こうしよ!クオン、前に出て!」
「え?ええ?」
「カリンちゃん、クオンの服を背中側からつかんで!」
「え?ええ・・・。」
「そして私がカリンちゃんの服を背中側からつかむ!これで縦に一列になったし服を掴んでるからはぐれないでしょ!」
「なんでこの順番なの?リッカ。」
「この中で王都に一番詳しいのはクオン。だから先頭!カリンちゃんは一番詳しくないから真ん中!私が一番後ろになってクオンと私でカリンちゃんを挟めば絶対にはぐれないでしょ?どうよこの私の理論!必然的に明らかでしょ!」
リッカは笑顔でぐっと親指を突き出す。リッカのその様子を見て、クオンとカリンは互いに顔を見合わせた。
「あなたのお姉さんは随分愉快な人ね。」
「でしょう?たまに行き過ぎることもあるけど退屈しないよ?」
そのまま一列になって雑踏の中を進んでいく。王都の三重城壁は内側のものから一番、二番、三番と番号が振られている。クオンは歩きながら、カリンに王都の説明をする。
「三番城壁と二番城壁の間が第三区。主に商業施設や娯楽施設、平民の住居がある。二番城壁と一番城壁の間が第二区。主に公共施設や官庁街、王国議会、学究施設、地方貴族の邸宅がある。王都を管理する王都庁もここ。アルセイド家の邸宅もあるよ。」
「じゃあ、ハーヴィ博士は第二区にいるのね。」
「うん。今からそこに向かうよ。第二区までは誰でも入れるからね。最後の第一区が、第一城壁の内側の区画だよ。中央貴族の邸宅と王城があるんだ。ここは特別な場合や許可を得た場合にだけは入れるよ。」
「ん?ロッドフォード公爵家って中央貴族でしょ?なんでドロシーは第三区で別れたの?」
「ええと、それは家庭の事情だから詳しくは言えないんだけど、ドロシーのお母さんとドロシーのおじいさん、つまりアデラインさんと現ロッドフォード公爵の仲が険悪なんだ。だからアデラインさんとドロシーは第三区に居を構えてるんだ。」
「なるほど。いろいろ複雑なのね。」
「まあ、有名だもんねあの親子の不仲は。お兄さん、つまり次期当主とは仲いいのにねアデラインさん。」
会話を続けていると、次第に第二城壁が近づいてくる。第三城壁と違って、第二城壁には尖塔が六つほど建っていた。
「あの尖塔は何?」
「あれは防衛用の魔導塔だよ。僕も動いているところは見たことないけど、魔力を収束して撃ちだす兵器みたい。正式名称は、|全天候型魔導加速式自由砲塔だったかな?」
「やっぱり見晴らしのいい平原だと都市の防御も堅牢になるのね。・・・アントラ王国だと海が防壁みたいなものだから都市に城壁はなかったわ。」
ほんの少しではあるが、初めて故郷のことを口に出したカリン。リッカもクオンもアントラ王国の話を聞いてみたかったが、カリンに消滅してしまった故郷のことを話させるのは気が引けた。なので今まであえて触れてこなかった。次元門のことを質問したときについでにアントラ王国での話が少しだけ出たがそれだけだ。カリンが自分から話題に出すことはなかった。
(ほんの少しでも気を許してくれたのかな?)
まだ出会って八日目だが、カリンの表情が徐々に柔らかくなっているような気がしていた。最初はほぼ無表情だったが、次第に表情が豊かになっている。
(笑った顔も可愛いんだろうなあ。見てみたいな。)
ふいにエアストの街で、カリンが部屋を尋ねてきた時の事を思い出す。あの時のカリンはシャワーを浴びた直後のようだった。美しい烏の濡れ羽色の髪、上気した頬、上目遣いの3点セットはクオンの脳裏に焼き付くには十分な威力を持っていた。クオンの頬が熱くなる。頬の熱が冷めるまで、クオンはカリンの方を振り向かないように努めたのであった。
**********
第三区の平民住宅街。その一角にひときわ目立つ屋敷がある。貴族邸宅よりはこじんまりとしているが、他の立ち並んでいる一般的な家よりも大きい。その家の主はアデライン=ロッドフォード。王国最強の魔導師でその名はライン大陸中に知られている。彼女はこの家に愛娘とメイド二人の四人で暮らしていた。
「ただいま~。」
「おかえりなさいませ。お嬢様。」
「おかえりなさいだぜ。」
出迎えたのは二人のメイド、シェリーとクレアだった。クレアは長い栗色の髪を三つ編みで纏め、空色の瞳をしている物静かな少女で、シェリーはくせのある赤毛をボブにし、アンバーの瞳をした男っぽい強気な少女だ。
「お母さんはいる?」
「ええ、首を長くして待っておられますよ。」
「早く言ってあげるといいんだぜ。」
「うん。」
ドロシーは屋敷に入ると、アデラインの部屋にまっすぐ向かう。扉を開け中に入るが、ドロシーの予想に反して中には誰もいなかった。
「あれ?お母さん?」
頭に疑問符を浮かべるドロシー。その瞬間、ドロシーは後ろから誰かに抱き着かれる。
「ひゃあ!?」
「ドロシーおかえりぃ~!」
猫なで声で頬をすりすりしてくるのはアデラインだった。筆頭魔導師の威厳はどこへやら。凍血の魔女と呼ばれているとは思えない甘えた姿だった。
「た、だだいま。お母さん。」
いつものことなのでドロシーはすりすり攻撃を受けながらもただいまを言う。ひとしきりすりすりされると、ドロシーはアデラインの腕から解放される。
「今日はずっとお休みだよね?お母さん。」
「ええ、休みにしてきたわ。」
休みにしてきたという言い回しに少し引っ掛かりを感じたドロシーだったが、休みを申請したということだろうと勝手に納得した。
「一緒にお出かけしましょうか。」
「うん!」
花がぱっと咲くような笑顔を見せるドロシー。アデラインも嬉しそうな娘の様子に微笑む。いくら凍血の魔女と言われていようと、そこにいるのは仲睦まじい親子の姿であった。
*********
第二城壁をくぐったクオン達は王立大学へと向かっていた。さすがに街を行く人の数も少なくなったので、一列縦隊をやめ横に並んで道を進む三人。ふとカリンがある門の前で足を止める。
「ここは・・・図書館?」
カリンが見つめているのは門の向こうに見える王立図書館だった。御影石をふんだんに使った歴史ある建物で、入口には学問の神様として信仰されている古龍の一柱———世界の法にして数学の根源龍オイラーの像が置かれている。その三つの瞳で真理を見通すと言われ、古代魔法帝国はその伝説をもとに七宝のである一つオイラーの眼を作り出したという。
「うん。王立図書館だよ。図書館の利用登録すれば誰でも本を借りられるよ。禁帯出や重要文献だけは研究者とかじゃないと貸し出しはできないけどね。」
「・・・落ち着いたら、利用してみようかな。」
ふと、カリンは図書館の建物から古龍オイラーの像に目が行く。その時、一瞬心臓がトクンと波打った気がした。
(・・・何?この胸の感じ・・・。)
胸を押さえるカリン。次第に心臓の鼓動が早くなっていく。そしてカリンの脳裏にある風景がフラッシュバックした。
(・・・!?)
見慣れない風景だった。どこまでも広がる青空。半透明な大地に玉座のような豪華な椅子が七つ置かれている。そのうちの一つに自分は腰掛けていた。そしてそんな自分に歩み寄り、話しかけてくる銀髪の少女。顔は霞がかかっていてよく見えない。
『まったくもう。カリンったら慎重に見えて抜けてるんだよね。世話が焼けるわ。』
やれやれと言葉を続けながらも、自分に微笑む銀髪の少女。心は大事な記憶だと訴えているのに、頭の中をいくら探しても銀髪の少女は見当たらなかった。
(一体、だれ?アントラ王国にこんな知り合いいなかったはず。)
心臓の鼓動が激しくなっていく。まるで別の自分が忘れるなと叫んでいるかのように。別々な訴えをする心と頭に限界が来そうになった時、クオンの声で現実に引き戻された。
「どうしたの?カリンさん。」
クオンとリッカはカリンの背中側に居るので異変に気づいていないようだった。先程までが嘘だったかのように心臓の鼓動が収まる。クオン達に気付かれないようにハンカチで額の汗を拭うと、何事もなかったかのように言葉を続ける。
「なんでもないわ。ちょっとオイラーの像に見惚れてただけ。さあ、行きましょ。」
カリンはその場を誤魔化す。クオンもリッカも特には気にせず、先へと進む三人であった。
*********
神工世界の星の城―――広間にある円卓で、レオノーラはぬいぐるみを愛でていた。ぬいぐるみは三体。カリン、クオン、リッカの三体だ。円卓の上に三体を並べた時、広間の入口の魔法陣が輝き、一人の男が現れた。筋骨隆々とした黒髪の男で、ブラウンの瞳がレオノーラを捉える。
「おや?レオだけか?」
「ええ、ノインが来たけれどフェリウスへ戻ったわ。」
「そうかい。ノインの嬢ちゃん元気だったか?」
「そうね。少し無理をしていたかしら。」
「ノインの嬢ちゃんは頑張りすぎるからなあ。心配だ。」
「あなたが思うよりは強い子よ。でなければ、九番目に推薦はしない。」
「ならいいんだが。」
男は円卓の開いている椅子にどかっと座る。先程まで気安い笑顔を向けていたが、席に着くなり神妙な表情になる。
「・・・神の柱の準備は完了した。いつでも降下可能だ。」
「そう。面倒をかけたわ。ありがとう、エラスムス。」
「できれば使いたくはないが。」
「私もよ。でも、リンドブルムが最後の力で張った結界は健在といっても、奴らからの干渉を完全に防げるわけじゃないから。対策をしておくに越したことはないわ。」
「確かにな。奴らなら世界の理なんぞ無視してフェリウス内で顕現しそうだ。」
「・・・せめて何事もなければいいのだけれど。」
レオノーラはカリンのぬいぐるみをなでる。その表情はとても悲壮なものだった。
「悔いているのか?まだ、あの時のことを。」
「・・・当たり前でしょ。」
「君のせいではないといっても、無駄なのだろうな。だが責任があるというのなら、我ら全員だ。一人で背負うのは君でも許さないぞ。レオ。」
「・・・そうね。ごめんなさい。」
レオノーラはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「時が来たらみんなであの過ちを漱ぎましょう。」
レオノーラは無表情に戻ったが、その怒りは蒼い瞳の中に内包されていた。
「リンドブルムの心を、優しさを、慈悲を踏みにじった奴を私は絶対に許さない。」
エラスムスは無言のまま、レオノーラの怒りの言葉を聞く。
「必ず、神の座から引きずり下ろす。」
*********
クオン達一行は特に問題なく王立大学に到着した。大学へ入っていく学者や学生の流れに乗り、目的の研究室、四号館三階へと向かう。
「意外と他種族も多いんだね。」
カリンは道を行く人々を見ながら言う。先程から妖精や獣人の学生がちらほらと視界に入っていた。
「そうだね。いろんな種族が学んでるからね。留学生は友好国のククル妖精国とドラグラ=ファイン連邦が多いかな?」
「人間って排他的なイメージだったけど。」
「ああ、それは大陸東部の人間はね。あそこは一神教だから。」
「そうなの?」
「うん。僕らの国はその国名の通り、リンドブルムを信仰しているから他種族には比較的寛容なんだよ。」
「命の価値はすべて同じ。貴き生き方だけがその違い・・・だっけ。」
「そうだね。まあ現実はそううまく行かないこともあるけれど人類国家の中では一番寛容だと思うよ。」
「妖精さんは可愛いし、獣人さんはもふもふできるのにねー。排斥するとかどうかしてるよねー。」
リッカの暢気な意見に微妙な表情になり呆れるクオンとカリンであった。
「一番不寛容なのはオストシルト帝国かな。以前戦争してたとはいえ、今では表面上は平穏を保ってるから留学生も少しはいるんだ。過敏になりすぎるのはいけないけど、気をつけてね。」
「うん。気をつけるよ。」
話をしているうちに、目的の四号館までたどり着いた。赤いレンガ造りの建物で年季が入っている。
「ここの三階だよ。」
そのまま三人は階段を上り、三階の研究室の前まで来る。扉には不在と表札が出ている。
「勝手に入っていいの?」
「うん。許可は貰ってあるし。あれ?開いてる?」
クオンが扉を開いて中へと入る。リッカとカリンも後に続く。研究室の中には誰もいないように見えた。
「うわっ!?クオン!?」
「その声は・・・シャーロット?」
声がすれども姿は見えず。クオンが声が聞こえた方を凝視すると一つの小さな影を見つけた。その影の主はささっと机の上に置かれていたコーヒーカップに隠れる。
「ああ!シャーロット!またお菓子をつまみ食いしてたのね!」
「し、してないよ!?」
「カップの横の食べかけのクッキーは何?それに口に食べかすがついてるわよ!」
「ひゃあ!?」
シャーロットと呼ばれていたのは小さな妖精だった。綺麗な半透明な羽根を動かして逃げようとするが、猫並みの反射神経を発揮したリッカに捕まってしまう。
「妖精さん?」
「うん。博士の協力者だよ。」
「でもあれ大丈夫なの?握りしめてるように見えるけど。」
「大丈夫だよ。乱暴に見えるけどちゃんと加減してるから。ほら、羽根をつぶさないようにしてるでしょ?」
「・・・ほんとだ。」
よく見ると握り方も考えているようで、妖精の命である羽根をつぶさないように握っている。
「そーれ!こちょこちょこちょ~。」
「あはははは!脇はやめて!」
「つまみ食いした悪い子はおまえか~。」
「あはっははははは!そうです私ですすいません~あはははは!」
「よーし白状したな。離してやろう。」
解放されたシャーロットはふらふらと机の上に降りるとそのまま突っ伏す。どうやら笑いすぎて疲れたらしい。ひくひくと体がけいれんしていた。
「だ、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。いつものじゃれ合いだから。」
「そう?ならいいんだけど。」
シャーロットはうつぶせに倒れたまま、顔だけ横に向けてリッカたちの方を見る。
「あれ?そちらはどなた?」
「この子はカリン。アルセイド州で知り合ったんだ。」
「はじめまして。」
「これはこれはご丁寧にどうも。妖精のシャーロットよ。」
シャーロットは机の上でちょこんと座ると丁寧にお辞儀をする。カリンは思わずシャーロットの頭を撫でる。ふわふわした金髪はとてもくすぐったかった。
「見た目は可愛いけど、中身はまるでおっさんよ。」
「誰がおっさんじゃい!」
「腹出してぐーすか寝てたりするじゃん。クオンが腹巻作ってあげたんだよね?腹巻してる妖精見た時は爆笑だったわ。」
「うるさーい!あったかいんだぞ!」
ぎゃあぎゃあと言い合うリッカとシャーロット。シャーロットはリッカの指に噛みついたりしているが、痛くはないのかリッカは笑っている。じーっと二人の様子を観察しているカリンの視線に気づくと、シャーロットはこほんと咳ばらいをし、何事もなかったかのように身なりを正す。
「ところで、博士に何か用?」
「うん。まだ博士は忙しい?」
「今は教授会の会議中よ。例のローラン大陸遠征のことでね。」
「じゃあ待たせてもらおうか。」
「どうぞどうぞお菓子ならたくさんあるわよ。」
「こら!食べかけのクッキーを渡すなぁ!」
リッカはぷりぷり怒りながらもシャーロットから渡されたクッキーを頬張る。クオンとカリンは適当な場所にあったソファに腰を下ろした。
「妖精の羽根って面白いんだよ。トンボの翅に似てるんだ。」
「そうなの?」
「うん。わずかな空気の流れで揚力を得られる構造なんだ。」
「ちょっと!こんな乙女を捕まえてトンボとは何よ!あんなメガネ昆虫と一緒にしないで!」
「ええ!?褒めてるつもりなんだけど。」
「全然うれしくなーい!」
シャーロットはクオンの目の前に滞空し、体を揺らしながら抗議をする。妖精の光が動きに合わせてまき散らされる。その間にもカリンはシャーロットの羽根をじーっと見つめていた。
「ほんとだ。トンボの翅みたい。」
「カリンちゃんまで!?」
「トンボの翅みたいでとてもきれいよ。」
「褒められてるのは分かるけどなんだかうれしくなーい!」
ハーヴィー博士が到着するまで、騒がしく時を過ごす四人であった。
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ドラグガルド連邦———かつてドラグ帝国とガルド王国であったこの国は、それぞれの独自性を保ちながらも共存し、今では列強の一つとして数えられている。その連邦都ドラグの中心にある皇城では、若き女帝フランカ=ドラグガルドが執務に励んでいた。皇帝家は妖狐の一族であり、黄金色の髪、狐耳と尻尾を持っている。すると、執務室の扉をノックする音がした。
「フランカ陛下。将軍のヴェンツェルでございます。今よろしいでしょうか?」
「いいわよ。入って。」
「失礼いたします。」
執務室の扉を開けて入ってきたのはまさに武人といった風貌の偉丈夫だった。連邦軍将軍ヴェンツェル=アイブリンガー。狼の獣人である彼は、この連邦でも指折りの猛者である。銀色の髪をオールバックにし、まるで獣のような獰猛な黄色の瞳は見る者を威圧させる。
「ローラン大陸遠征への派遣人員案書です。」
「ありがとう。早速目を通すわ。」
フランカは派遣人員案書に目を通す。ヴェンツェルはその間直立不動のままであった。フランカは書類に目を通すと、顔をあげヴェンツェルの方を見る。
「うん。特に不備はないと思うわ。明日の会議で皆の意見を聞きましょう。」
「ありがとうございます。では私はこれで。」
一礼するとヴェンツェルは執務室から去る。ヴェンツェルがいなくなると、フランカは机に突っ伏した。
「うう~。あの眼、絶対に会議で不満言うつもりだよう。」
フランカは机の脇にあった書類に目を向ける。他の部署からの派遣人員案だ。
「みんな好き勝手言い過ぎだよ・・・。調整する私の身にもなってぇ~。」
各部署の利害が衝突する場合は、案を提出してもらい、会議で利害調整をする。そして最終決定するのは皇帝フランカだ。しかしまだ小娘。威厳など皆無。老獪な重臣たちに圧倒される毎日だ。特に軍部は対帝国の矢面に立っている分、その発言力が強い。毎回、ヴェンツェルの「俺の意見を尊重しなかったら分かってるよな?」と言いたげな殺気のこもった視線がとても怖い。
「胃が痛い・・・。」
狐耳をしゅんと垂れさせ、翠の瞳を潤ませながら、明日の地獄に震えるフランカなのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。