第四十三話『アイゼンの出会い』
工房都市アイゼン。王都レグニスの西に位置するこの都市は、この日も朝から盛況だった。アイゼンの中央広場には朝市が並び、多くの人で賑わっている。朝市を横切って、アルセイド家の紋章がついた三台の馬車が停まる。
「んー!やっと着いたー!」
リッカは馬車から降りると、体をうんと伸ばす。アティスを出て二週間あまり。やっと目的地のアイゼンへたどり着いたのだ。リッカはキョロキョロと辺りを見回す。
「リッカ。これからホテルに行くんだからな。街の散策に行くなら後にしなさい。」
「はーい。父様。」
アルバンはリッカに釘を刺しておく。リッカの目が爛々としていたからだ。何も言わないと、そのままアイゼンの街に繰り出しかねない。リッカは逸る気持ちを我慢して自分の分の荷物を持つと、アルバンの後をついていく。
中央広場から少し歩くと、『ホテル・エクレール』の看板が見えてきた。アルバンは無駄な出費はしない主義だが、アルセイド伯爵家にも貴族としての体面というものがある。下手に質素にするばかりがいいことでもない。今回滞在するホテルは上級とは言わなくてもそれなりの格式がある所を選んでいた。
ホテル・エクレールの入口まで来るとホテルの従業員が出て来て荷物を持ってくれる。
「パーティーは明日の夕方だ。明日の十五時には準備を始める。それまでは自由だが、外に出るときはノインと一緒に行動するように。」
一般的な貴族の清楚なお嬢様とは違い、リッカは冒険者だ。よほどの強敵でない限り自分の身は自分で守れる。だが親としては、年頃の娘を一人で街を彷徨かせたくなかった。ノインを張り付かせておくのを忘れない。
「そういえば兄様とはいつ会えるの?」
「アルノーなら今夜の夕食の時に来る予定だ。」
長男のアルノーは次代のアルセイド伯爵として修行中だ。籍は王立大学に置いているが、学友の伝で王国各地を見て回っている。現在はアイゼンに滞在しているため、久々に会う予定だ。
昇降機に乗り、客室のある三階へ。リッカはノインと二人部屋だった。荷物の入ったトランクをクローゼットに置くと、リッカはさっそくベッドに飛び込む。
「んー。ふかふかー。良いベッドだね~。」
冒険者生活で固いベッドにも野宿にも慣れたが、やはり寝るならふかふかベッドが良い。今夜は良く眠れそうだ。
「っとこのままじゃ寝ちゃうじゃん!」
リッカはがばっとベッドから飛び起きる。危うく夢の世界に旅立つところだった。
「リッカはこれから外出するのですか?」
「うん。飛行船の見学に行きたいの。」
現在、ファラデー工房では新型飛行船を建造中だ。アイゼンに来れたのならぜひ見ておきたい。善は急げだ。リッカは急いで支度を整える。
「もっと貴族らしい格好をしては?」
ノインはそう提案する。今のリッカは動きやすい町娘の服装だからだ。もっと貴族身分に相応しい服装を薦めるノインにリッカは首を振る。
「向こうに気を使わせちゃ悪いじゃん。アルセイド家としてじゃなく私個人の趣味で行くんだし。それにドレスで工房行くとかそっちの方が非常識でしょ。」
「それはそうですが、どうせ名前でばれるのでは?」
「貴族ならともかく、一般人が知ってるわけないよー。自慢じゃないけど田舎貴族だし。」
リッカは自信満々に言う。その認識は実は間違っているのだが、この時点でリッカは気づいていない。偽名を使う考えもなかった。
「では、私もこの服装ではダメですね。着替えましょうか。」
ノインはアルセイド家のメイドという事になっているので、メイド服を着ている。このままリッカと共に行けば、明らかに怪しまれるだろう。貴族かお金持ちでもない限り、メイドを従えているはずはないからだ。
「ノインは町娘っぽい着替えあるの?」
「ありますよ。」
ノインが指をパチンと鳴らすと、ノインのメイド服が光る。光が収まると、ノインはリッカと似たような服になっていた。
「これで大丈夫です。」
「うっわ。すごく便利じゃんそれ。ドレスの着付けに使えたらなー。」
一瞬で苦労なく着替える事ができるのは魅力的だ。リッカは昔、魔法で出来ないか試した事があるが、結局無理だった。
「さあ、行きましょうか。・・・何ですかリッカ。そのジト目は。」
「だってねえ?よく考えたらノインが素直なのが何だか怪しくて。何か企んでない?」
いつもやたらと絡んでくるのに、今日はやけに素直なノイン。リッカがついつい疑ってしまうのも無理はなかった。ノインは、心外だ、という顔をする。
「さすがに企んでませんよ。楽しみは夜に取っておいてますから。」
「夜に何する気!?」
ノインはいつも通りだった。今晩寝る時は気を付けよう、そう決意したリッカなのであった。
*********
リッカとノインはエクレール・ホテルを出て、工房が立ち並ぶ工業区画を目指す。ホテルのある商業区画は南街、工業区画は北街にある。アイゼンは街の東から西へ向かってコリオリ河が流れ、ちょうど河が北街と南街の境界となっている。
コリオリ河に差し掛かると巨大な橋が見えてきた。アイゼン大橋。コリオリ河に架かる橋である。石造りの堅牢な橋で、見た目も美しい。橋の上も多くの人が行き交っていた。幅も馬車が二十台は並べる事が出来そうなくらい広い。
「おっきな橋だね~。」
河を航行する船が通れるよう、橋桁もかなりの高さに作られており、リッカが橋の上から河を覗き込むと眩暈がしそうな高さである。橋の下をくぐって帆船や動力船が行き交う様は壮大な眺めだ。
なお、この橋そのものは魔法機械であり、有事の際には変形するとの噂もあるが、その真偽は定かではない。
大橋の上では屋台がたくさん並んでいた。美味しそうな匂いが漂ってきてリッカの鼻腔をくすぐる。朝ごはんを食べたばかりだし、ここで食べるとお昼が入らなくなるのでぐっと我慢した。でも、美味しそうな屋台はチェックしておく事も忘れないリッカなのであった。
アイゼン大橋を渡るとそこはもう北街。大小様々な工房が立ち並んでいる。街の入り口には北街の地図案内板が設置されていた。
「ねえノイン。何だか視線感じるんだけど。」
「ある程度は仕方ないでしょう。ここではよそ者ですからね。」
リッカは忍んでいるつもりだったのだが、リッカとノインは非常に目立っていた。リッカは口さえ閉じていれば可愛らしい清楚な少女だし、ノインもゴーレムには見えず美人の分類に入る。周囲の注目を浴びるのは必然だった。ノインはその事に気づいていたが面白そうなので黙っている。
そんな事はいざ知らず、リッカは視線を気にしながらも、案内板で目的地を確認する。四大工房、鉄道研究所、材料研究所など有名な場所がすぐに分かるようになっていた。
「あ、あったよ。ファラデー工房。この大通りをまっすぐだね。ちょっと距離があるけど。さあ、行こ行こ。」
リッカは目的地までの道程をさっと覚えると、鼻歌混じりに歩き出す。リッカの後を歩きながら、ノインはある人物の気配を感じていた。
(この気配は、アハトですね。狙いは恐らく・・・リッカですか。)
気配の正体―――アハトという人物をノインは知っていた。その目的もおおよそノインには察しがついている。
(わざわざ私に位置を知らせたという事は、まずは話がしたいという事ですか。機を見て会うとしましょう。)
そう決めると、視線を前を歩くリッカに戻す。リッカの翠色のリボンを結んだポニーテールが揺れていた。
(苦労をかけてしまいますね。クオンにもリッカにも。)
アハトとノインは同じ目的の元で動いている。違うのはその手段。目的のために、アハトはノインよりも強引な手段を取る可能性があった。
(アハトが何をするにせよ、私のやるべき事は変わりません。)
アハトの考えも分かるが、ノインはこの件について譲与する気はなかった。
*********
アイゼンの遥か上空に、アハトはいた。まるで空気を足場にでもしているかのごとく、空中に立っている。アハトはアイゼンを見下ろしていた。
「思ったより元気そうだね。ノイン。」
アハトの目にはリッカとノインが映っていた。およそ三百年ぶりに見る相棒の姿。人造兵へと姿が変わっているが、アハトはノインだと感じていた。
「リッカにべったりか。まあ、仕方ないか。彼女にそっくりだもんね。」
ノインはある人物をリッカに重ねている。少なくともアハトはそう思っていた。クオンも似ているが、やはり女の子であるリッカの方が親近感が湧くのだろう。
「君は甘いからね。まあ僕は君のそういうところが好きなんだけど。でも、僕はやるよ。君は嫌がるだろうけど、クオンとリッカには成長してもらわないといけないんだから。」
アハトはそう言うと、空気に溶けるようにその姿を消した。
*********
「わあ~。大きい~。」
ファラデー工房の正面玄関に着くやいなや、リッカは感嘆の声を上げる。隣接するドッグで建造中の飛行船が見えたからだ。白亜の美しい船体に目を輝かせる。
「リッカ。まずは受付に行きましょう。」
「あ、うん。そうだね。」
リッカと付き従うノインの二人をファラデー工房の技術者達が遠巻きに見ていた。男が多い職場。女性は事務員くらい。そんな場所であるがゆえ、可愛い女の子と美人の来訪で技術者達は色めき立っていた。
「おい、あの子は誰だ?めっちゃ可愛いじゃん。」
「貴族のご令嬢か?」
「バッカ。当主はともかくご令嬢がこんな男臭い職場に来るわけないだろ。服装も普通だし。」
「後ろの子、マジ美人だなー。」
技術者達の間で、突然現れた女性二人の正体について憶測が波紋のように広がっていく。リッカはその喧騒には気づかず、案内板に従って建物へとノインと共に入って行った。
受付と書かれた窓口に行くと、綺麗な女性が応対してくれる。その女性はリッカとノインを見て驚いているようだった。リッカは第一印象が肝心とばかりに元気に挨拶をする。
「こんにちは!」
「こ、こんにちは。今日はどのようなご用件で参られたのでしょうか?」
リッカに少し押され気味ではあったが、受付のお姉さんはにこやかな笑顔で尋ねる。
「ファラデー工房の見学に来たんです。」
「なるほど。見学をご希望ですね。ご予約はしてありますか?」
「ううん。してないけど予約必須でした?」
「そういう訳ではありませんが、状況によってはお断りする事もあります。」
「うーん。出来れば今日がいいけど、その時は仕方ないからまた来るよ。」
できれば今日がいいのだが、都合が合わなければ仕方ない。
「では、こちらに必要事項を記入して下さい。」
お姉さんはリッカに紙を一枚渡した。見学申込書と書かれている。リッカはさらさらっと記入していく。記入欄を全て埋めると、お姉さんに渡す。
(リッカ=アルセイド・・・アルセイド・・・どこかで聞いたような?)
頭の中で『アルセイド』という名前が引っ掛かったが、答えは出てこない。とりあえず頭の隅に追いやり、書類をチェックする。
「ご記入ありがとうございます。本日の見学が可能か確認致しますので、そちらに御掛けして少々お待ち下さい。」
「はーい。」
リッカは元気よく返事をすると、ノインと一緒にソファへと腰掛けて待つのであった。
*********
この日、ユウはナヴィエと一緒に南街の朝市に行っていた。買い物を終えてファラデー工房へと帰ってくると、何やら技術者達が話し合いをしていた。ユウとナヴィエは顔を見合わせる。
「どうしたんだろ?皆で集まってるけど。」
「さあ?とりあえず誰かに聞いてみようよ。ユウ。」
「そうだな。おーい。皆そこで何してるんだ?」
「あっ、坊っちゃん。それがですね。変わったお客さんが来てるらしいんですよ。工房の見学に。」
「変わったお客さん?」
「何でも女性の二人組らしいです。受付のマリンが案内できるかどうか言ってきましてね。」
「案内ならマリンがいつもやってるだろ?」
「今日は他の事務員が休みなんで案内できないんですよ。窓口に誰もいなくなったら不味いですし。」
今日の見学は遠慮して貰うつもりだったがマリンが待ったをかけたとか。マリン曰く、ここで帰してはいけない気がする、との事らしい。こういう時のマリンの直感は外れた事がない。
「ユウが案内してあげればいいじゃん。ファラデー工房の事、全部頭に入ってるでしょ?実家なんだし。」
話を聞いていたナヴィエはそう提案する。ファラデー家の経営する工房なのだからユウが案内役としては適任だ。
「それもそうだけど・・・。女性の相手とか俺は慣れてないぞ。」
「じゃあ、ユウのフォローに僕も一緒に行くよ。それなら大丈夫でしょ。」
「うーん。ナヴィーもいるなら大丈夫、かな。」
ユウとナヴィエは受付のある管理棟へと向かう。関係者用の入り口から事務室に入ると、マリンがいた。マリンはユウを見て驚いた顔をする。
「もしかしてユウ様が案内されるのですか?」
「ああ。話を聞いてさ。俺とナヴィエで案内するよ。」
「助かります。お客様はあそこにいらっしゃいます。」
ユウとナヴィエはこっそり窺い見る。待合所のソファに二人、少女と大人の女性が座っていた。自然と、ユウの目は少女の方へと引き寄せられる。
翠色の瞳。白い肌。亜麻色の髪。瞳と同じ色のリボン。一つ一つの特徴がユウに強い印象を与える。目を離せない。ユウにとってこんな気分になったのは、ナヴィエを初めて見た時以来だった。
(か、可愛い・・・。)
ユウは少女の方に見とれてしまっていた。そんなユウの表情を見たナヴィエはすぐに察する。
(これは、ユウに春が来たかな?)
ナヴィエは少女を観察する。この辺では見かけない顔だ。マリンに書類を見せて貰うと、リッカ=アルセイドとノイン=スマラクトという名前であると分かった。
(アルセイドって確か、王国南部の貴族だったな。)
ナヴィエは母との会話を思い出す。王都で最近じわじわと人気が出てきた織物。それがアルセイド織だった。アイゼンではまだそんなに知名度はないが、ナヴィエの母を初めアイゼンの女性層には話題になっているらしい。その話の中で、アルセイド伯爵の名前が出ていた。
(という事は、アルセイド伯爵のご令嬢?もう一人の女性は使用人かな?服装から見てお忍びっぽいけど。なんでここに来たんだろ。)
工房の見学がリッカの個人的な趣味だとは夢にも思わないナヴィエ。あれこれと考えるが答えは出ない。
「これ以上待たせるのも悪いですし、早速お願いします。」
「そうだな。行ってくる。」
ユウはナヴィエと共に事務室を出て、リッカとノインの座るソファへと近づいていく。
「こんにちは!あなたが案内してくれる人?」
「あ、ああ。私はユウ=ファラデーです。」
「僕はナヴィエ=ストークスです。ユウの助手だと思ってください。」
「ユウ君にナヴィエちゃんだね。私はリッカ=アルセイドだよ。よろしくね。」
「ノイン=スマラクトです。よろしくお願い致します。」
「リッカさんにノインさんですね。よろしくお願いします。」
自己紹介をすると、早速リッカはある提案をする。
「ユウ君。同世代っぽいし、堅苦しいのはナシにしようよ。ね?」
「そ、そうか?そう言ってくれると助かる。」
「そっちの方が案内しやすいでしょ?ユウ君もナヴィエちゃんも私をリッカって呼んでいいよ。」
「い、いいのか。」
「うん。」
「じ、じゃあ、リッカ。」
リッカは恥ずかしそうにするユウを見て微笑む。
「あはは。そんなに恥ずかしがらなくてもいいのにー。」
「慣れてないんだ。そこら辺は許してくれ。」
「ナヴィエちゃんっていう美少女が傍にいるのに?変なの~。」
ナヴィエは男物の服装をしているのだが、リッカは女性だと信じているようだった。ナヴィエの美貌を考えれば無理もない誤解だ。ユウとナヴィエはリッカとノインの反応を期待しながら種明かしをする。
「これでも男なんだよ。ナヴィーは。」
「そうです。僕は男なんですよ。リッカ。」
「・・・へ?マジ?」
リッカはまじまじとナヴィエを見る。そして、ぐるりとナヴィエの周囲を回っていろいろな角度から観察する。
「ドロシーにも匹敵する可愛さなのに、男の子なんだ・・・。びっくりだよ。二人とも私を騙してないよね?」
「騙してない騙してない。アイゼンじゃ有名だよ。ナヴィエは母親がエルフで容姿が生き写しなんだ。」
「はー、なるほどー。だから美人なんだ。」
「でも、ノインさんは驚いてないようですね。もしかして気づいてたんですか?」
二人の予想とは裏腹に、ノインは全く表情を変えていなかった。ユウとナヴィエを走査していたのでナヴィエが男だとすぐに分かっていたからだ。
「驚いていますよ。顔に出ていないだけです。」
ここでゴーレムだと明かしても変に話が拗れるだけなので惚けるノイン。リッカもその意図が分かったので特に何も言わない。
「じゃあ、そろそろ案内を初めるよ。どこか見たい場所とかある?」
「はい!飛行船が見たいです!」
リッカは挙手をして元気よく答える。
「リッカは飛行船目当てで来たのか?」
「そうだよ。アイゼンには家の用事で来たんだけど、時間もあるしせっかくだから見学しようと思って。」
「珍しいな。女の子で飛行船に興味あるなんて。」
「うーん。弟の影響だと思う。弟は魔法機械が好きなんだよね。一緒に本読んでたらいつの間にかって感じかな。」
クオンは魔法機械図鑑という本を持っていて、リッカも一緒に読んでいた。豊富なイラストで彩られたその図鑑の影響で、リッカも興味を持つようになったのだった。
「じゃあ、まずは飛行船ドックから行こうか。」
「やったー!楽しみ!」
嬉しそうなリッカの笑顔を見て、ユウも嬉しくなる。魔法機械に興味を持ってくれる女の子は初めてだった。思わずユウの頬が緩むのであった。
********
ユウとリッカは飛行船ドックへの道すがら話をする。リッカの人当たりの良い性格のおかげか、ユウの緊張はすっかりなくなっていた。ナヴィエは二人のやり取りを微笑ましく見守っている。
「順路から外れないようにね。危ないから。」
「うん。」
ずっと順路を進んでいくと、真っ白な飛行船の間近まで来る事が出来た。
「これがうちの工房の最新鋭飛行船、シュナイダー号だよ。」
「わあ~!」
浮力の原理で空に浮く事は以前の飛行船と変わらない。革新的なのは浮力制御の方法だ。分かりやすい説明の為に、飛行船のイラスト図解が設置されていた。
「これがシュナイダー号の内部を示したイラスト。」
船体の大きな気嚢の中に、蝶の繭みたいなものが沢山配置されていた。
「この繭みたいなのは何?」
「それはヘリウム圧縮気嚢って言って、ヘリウムガスを圧縮して入れる場所だよ。ちなみに船体気嚢の内側面に付いてるのが空気拡張容器。」
「ほうほう。」
「重要なのはこの二つ。ヘリウム圧縮気嚢と空気拡張容器。」
「ふんふん。」
ユウは一つ一つ説明する。船体気嚢にはヘリウムガスが入るのだが、このヘリウムガスを圧縮してヘリウム圧縮気嚢に入れることで船体気嚢のヘリウムガス圧力が下がる。すると空気拡張容器が外からの空気で満たされて、飛行船全体の静的重量が重くなるという仕組みだ。逆にヘリウム圧縮気嚢からヘリウムガスを船体気嚢に放出すると静的重量が軽くなる。
「つまり?」
「つまり、ヘリウム圧縮気嚢と空気拡張容器で飛行船の浮力をより簡単に制御できるって事。」
なるほどー。確かに便利だね。ヘリウムを使うのは何で?」
「ヘリウムは希ガスだから水素より安全性が高いんだ。産出量が少ないからお高いんだけどね。」
「ヘリウムって王国じゃ採れないの?」
「採れない事はないけど、潤沢に使うには厳しいかな。水素より値段は高いよ。」
その後も飛行船の構造や仕組みを説明するユウ。ナヴィエと語り合う事はあっても、女の子とこういう話をするのは初めてだ。最初は緊張していたが、リッカが興味津々で聞いてくれるので次第に楽しくなっていった。
「操縦席に行ってみる?」
「うん!行く行く!」
二つの操縦席の前には計器や水晶画面が沢山嵌め込まれている。
「機械が一杯。ここで操縦するんだね。パイロットは誰がするの?」
「王国空軍に飛行船パイロットがいるんだよ。」
「そうなの?竜騎士以外もいるんだ。知らなかったよ。」
「現行の飛行船だと戦力としてはあまり当てにならないからね。表に出てくる事は少ないよ。」
空軍の主兵力は飛竜と空竜だ。共に騎乗する兵士は竜騎士と呼ばれている。飛行船は動きが鈍く、飛竜や空竜に太刀打ちできない。戦力としては数えられていないが、フェイリス帝国の遺産ではない飛行機械は貴重なので運用しているのだ。
かつては民間でも運用されていたが採算が合わず廃線となった。どうしてもコストの面や利便性では飛竜や空竜便に敵わない。
「特にこの飛行船は浮遊大陸への運用を視野に入れてるんだ。あの大陸は飛竜や空竜じゃ行けないからね。」
浮遊大陸の探査については完全にオストシルト帝国の独壇場だ。帝国には浮遊大陸へ行ける飛行艇があるが、リンドブルム王国にはない。その遅れを取り戻す意味でも飛行船の開発は重要なのである。
一通り案内が終わると、お昼の時間になっていた。鐘の音が鳴り響き、正午を告げる。鐘が鳴り終わると同時に、リッカの腹時計もぐーと音がなった。ユウは笑わないようにしながら、リッカのためにある提案をする。
「・・・あぅ。い、今の聞こえちゃった?」
リッカはお腹を押さえて顔を赤くする。さすがのリッカも、今日会ったばかりの男子に腹の虫を聞かれたのは恥ずかしかった。
「良かったら工房の社員食堂で食べて行くか?」
「え!いいの!?」
ユウはリッカとノインをを食堂に誘う。部外者でも利用できるし、特にナヴィエはよく来てユウと一緒に食べている。
「ああ。特に利用制限はないしな。どうする?」
「食べる食べる!いいよねノイン。」
「ええ。構いませんよ。」
ユウ達は交流棟へと向かう。交流棟は社員食堂や仮眠室、遊戯場がある施設だ。昼休憩や終業後に社員が利用する。
「結構空いてるんだね。お昼だからもっと混んでるのかと思ってた。」
お昼時だというのに意外と席は空いていた。半分くらいの席は空いている。その理由をナヴィエが教えた。
「あまり混雑してると、ゆっくり食べれないからね。何グループかに分けて食事時間をずらしてるんだよ。」
ナヴィエがそう説明していると、厨房からコックが顔を覗かせた。
「いらっしゃい!・・・ユウ坊っちゃんが女の子連れてる!?」
コックはユウの隣にいるリッカを見て大声で叫ぶ。その声で食堂内にいる職員達の視線がユウ達に集まった。
「この子は見学者だから!変な憶測をしないように!」
ユウは釘を刺しておく。社員達は興味津々な視線を送って来るが、話しかけては来なかった。
(こりゃあ、後で質問攻めだね。御愁傷様。ユウ。)
今までろくに女っ気がなかったユウ。それだけに、同年代の女の子を連れているというだけで関心を持たれるのは仕方のない事だった。
「へえ。定額のビュッフェ形式なんだね。」
「うん。リッカが好きなだけ取っていいよ。」
「わーい。」
すると、ノインは喜ぶリッカの脇腹を指でふにっと摘まむ。突然の感触に、リッカはぴょんと飛び上がって変な声が出た。
「うひゃあ!?な、何するのノイン!」
「リッカ。気を付けて下さい。あまり食べ過ぎるとブタちゃんになりますよ。」
「分かってるよ!いきなり水を差さないで!」
リッカはぷりぷりと怒ったが、トレイに料理を載せて席につく頃にはご機嫌になっていた。
「いただきま~す。」
リッカは幸せそうに料理を頬張る。ユウはそんな微笑ましそうに見ていた。
「もっとおしとやかに食べないと。そんなだから恋人もできないんです。」
「ぶっ!?それ今言う事じゃなくない!?それに私はできないんじゃなくて、そういう人がいないだけだからね!」
「いえ、今言うべきなのですよ。ねえ?」
ノインはちらっとユウを見る。ユウは心の中を見透かされたような気がして顔が熱くなった。だが、ノインのおかげで有益な情報が手に入った。
(そうか。恋人はいないのか。)
リッカにはすでに恋人がいるのではないかと危惧していたが、杞憂だったようだ。心の中でガッツポーズする。
「へえ。リッカ、恋人とかいないんだね。」
ナヴィエはユウの為にもっと情報を引き出そうと試みる。ノインはその思惑が分かったのか、ペラペラと喋る。
「ずっとリッカは弟にべったりでしたからね。ですが最近、その弟に好きな子ができたんです。それで以前より構ってもらえなくなったので寂しがっているのですよ。なんだかんだで寂しがりやですからね。」
「な、なんで分かるの!?」
「見てれば分かりますよ。だから心配なのですよ。今のリッカはちょろそうですからね。」
「ちょ、ちょろくないし!」
そんな二人のやり取りを聞きながら、ユウは頭の中で情報を整理しながら考える。
(ちょろくはないと思うけど、リッカは可愛いから男が寄ってきそうだ。)
リッカが住んでいるのはアルセイド州。気軽に会える距離ではない。何とかして次に繋げないと、このまま縁は自然消滅だろう。
(何とか文通仲間になれないかな。いや、ここで何としてでも繋ぎ止めないと。こんな機会そうそうないんだから。)
今日の最後にダメ元で言ってみようと決意する。
********
その後、他の場所を回ったり、話し込んだりして、気付けば夕方になっていた。リッカは名残惜しかったがそろそろホテルに戻らなければいけない。
「もう帰らなきゃ。今日はありがとね。ユウ君、ナヴィー君。」
リッカはユウとナヴィエに今日のお礼を言う。ナヴィエはこそっとユウに耳打ちした。
「ユウ。言うなら今しかないよ。」
「お、おう。」
ナヴィエに背中を押され、ユウは思い切ってリッカに言う。
「リッカ。最後にお願いがあるんだ。」
「お願い?なあに?」
「よ、良かったら友達になって欲しいんだ。」
ユウは精一杯の勇気を出す。リッカはきょとんとした後、少し頬を染めて答えた。
「うん。いいよ。」
「本当か!」
「うん。」
喜ぶユウを見ながら、リッカはリッカで内心ドキドキしていた。
(男の子にこんな事言われたの初めて、かも。)
よく考えたら、リッカには男友達なんてほとんどいない。例外はバートだが、どちらかといえばクオンの友達だ。
「あ、ついでに僕もいいかな?」
「もちろん。」
「それとさ。リッカ、俺達と文通しないか?」
「えっと・・・そうだね。」
リッカは手帳を取り出すと、さらさらっと何かを書き付け、ページをビリっと破ってユウに渡す。ユウがリッカから渡されたのは、住所が書かれた紙だった。
「それあげるね。私ん家の住所だよ。アイゼンとアティスじゃ中々会えないけど、文通なら連絡できるもんね。こ、こういう事するの初めてなんだからね。ちゃんと手紙書いてよね。」
「あ、ああ!もちろん書くよ!」
リッカと文通できると知って、ユウは心踊る。リッカがアイゼンから去った後、どうやってまた会おうか考えていたのだが、交流さえ途切れなければ会う機会は作れるはずだ。
「今日はとても楽しかったよ。じゃあ、またね。ばいばーい。」
リッカはぶんぶんと手を振る。夕陽に照らされたリッカの笑顔は、とても愛らしく感じた。リッカとノインの姿が見えなくなるまで、ユウはじっとリッカの後ろ姿を見つめていた。そんなユウにナヴィエが声を掛ける。
「良かったね。ユウ。」
「ああ。」
(またね、か。)
『さようなら』ではなく『またね』とリッカが言ってくれた事が、ユウにはとても嬉しい。
リッカとの出会い。これはきっと運命だとユウは感じていた。そして、その気持ちをさらに強める出来事がすぐに起こるのである。




