第三十五話『出発』
大変お待たせいたしました。続きとなります。
工房都市アイゼン。ディレクレ湾へと注ぐコリオリ河の中流域に位置するこの街は、西にディレクレ湾、北にフェラム鉱山、東に王都レグニスという好立地を生かして発展してきた。
ディレクレ湾から西海洋に出てずっと西へと行くとフェルマー大陸がある。フェルマー大陸の地下王国から魔石を輸入しているが、その受け入れ口となるのがディレクレ湾である。魔石はディレクレ湾からコリオリ河の水運でアイゼンまで運ばれる。
北のフェラム鉱山からは鉄鉱石や魔法銀の元となる魔銀石が産出する。どちらも魔道具や魔法機械の製作には必要不可欠なものだ。東には人口集積地である王都レグニスがある。それだけでなく、レグニスからアイゼンを経由し港町まで西街道が整備されているため、人、物、情報の流れが活発である。
これら豊富な資源と人材を利用して魔道具や魔法機械の製作を行う工房が軒を連ねている。その中でも、特にエルステッド、ファラデー、カルノー、カプタインの四大工房が有名だ。大小の工房が互いに競い合い、時には協力することで王国の魔法技術は発展してきた。
四大工房の内、ファラデー工房では現在飛行船の製作を行っている。工房の敷地内にある巨大なドックには真っ白な船体が鎮座し、周囲では多くの職人達がせっせと作業をしている。ドックの隣には建物がある。その二階にある工房長室では、ファラデー工房の技術主任と工房長がいた。
「船体の建造、及びティルト機構の開発は順調ですが、静的重量制御装置の方は難航してます。」
技術主任アイザック=バローは工房長ジョセフ=ファラデーに進捗状況を報告する。
「ふむ。やはり難しいか。」
ジョセフは顎に手をやりながら思案する。静的重量装置は飛行船の浮力制御システムの要だ。技術的に難しいことは予測していたが、今後を見据えて敢えて挑戦させていた。
「現場からは、浮揚ガスをヘリウムガスからブラウガスへ代える提案も出ておりますが。そうすれば制御装置は必要ないですから、その工数分は削減できます。」
「いや。このまま続ける。将来的に浮遊大陸への調査を視野に入れているからな。多少無理してでも開発しておくべきだ。難航しているのはどの箇所だ?」
「ヘリウムの圧縮です。技術班で改善策を検討中です。ですが、専門家が不足しています。」
「ならば、専門家を王立大学に打診しておこう。受けてくれるかは分からないが。とりあえず、このまま進めてくれ。」
「承知いたしました。」
アイザックは報告を終えると、進捗表をジョセフに渡して退室する。そしてアイザックと入れ替わるようにして、一人の少年が部屋へと入ってきた。
「親父、呼んだか?」
工房長室に来たのは、ジョセフの一人息子のユウ=ファラデーだった。ジョセフは進捗表から視線をユウに向ける。
「ユウ。今度の博覧会の後、オストワルト市長主催のパーティーがある。今回はお前にも出てもらうからそのつもりでな。」
「それはいいけどな親父。俺は腹芸なんて出来ねえぞ。」
「構わん。いつかお前が工房を継ぐんだ。そのための社会勉強だと思え。」
ユウはいずれファラデー工房の後を継ぐ。長となれば技術だけに向き合っていられない。工房の運営には人脈の構築や王国政府との折衝など対話力や交渉力が求められる。それらはユウの苦手とするものだった。ユウはため息を吐く。ユウの暗い表情に気づいたジョセフは言葉を続けた。
「そう暗い顔をするな。可愛い女の子もたくさん来るぞ。楽しむつもりで行ってこい。」
工房の現場には女性は少ない。ユウの身近にいる女性と言えば母ぐらいだ。なので、可愛い女の子が来ると言われても、どうしていいか分からない。もちろんユウも男だから興味はある。ユウは工房室を後にすると、自分の作業場へと向かう。すると、途中で声をかけられた。
「どうしたんだユウ?そんなしょげた顔しちゃって。」
「ナヴィ。来てたのか。」
ユウに声をかけたのは、幼馴染みのナヴィエ=ストークスだ。ナヴィはハーフエルフで金髪に空色の瞳をしている。ほんの少しだけ尖った耳の先っちょが髪の間からちょこっと出ていた。
「いや。親父に市長主催のパーティーに出ろって言われてさ。」
「ああ、あの博覧会の後にあるやつね。」
「ナヴィもパーティに出るのか?」
「うん。うちの工房も呼ばれてるからね。父さんも市場開拓だーって張り切ってるよ。」
ナヴィエの両親が経営しているストークス工房は規模こそ小さいが、高品質の結晶回路の作製で名が知られている。結晶回路とは魔法機械の制御に欠かせない部品であり、ファラデー工房もストークス工房と取引をしている。その関係で、ユウとナヴィエは幼い頃からの付き合いだ。
「お偉いさんと話すのも女の子と話すのも気が重いんだが。」
「ジョセフさんの言うとおり、楽しめばいいじゃないか。お偉いさんはほっといて可愛い子とお近づきになろうよ。」
「確かにそうだけど・・・俺にはナヴィみたいに女の子相手に気の利いた会話はできねえよ。」
「それ以前に、僕は異性として見られていない節があるんだけどね。」
「ナヴィは可愛いもんな。生まれてくる性別間違えただろ絶対。俺の初恋返してほしい。」
ナヴィエの容姿はエルフの母親に生き写しだ。ユウも最初は女の子だと思い込んでいたほどである。ユウの初恋がナヴィエになったのも不思議ではなかった。なので、男だと知った時のユウの衝撃は相当なものだった。今でも、目の前にいるナヴィはポニーテールの可愛い女の子にしか見えない。ナヴィは母の容姿を受け継いだことを誇りに思う反面、異性から男として認識されない事に悩んでいた。
「気にしてるんだから言わないでよ・・・。とにかく、せっかく可愛い女の子と知り合う機会だよ。もっと積極的にならなきゃ。僕も頑張るからさ。ユウだって彼女欲しいでしょ?」
「それはもちろん。」
ナヴィエの容姿は、そこらへんの女の子よりもずっと可愛い。女の子から好かれはするが、いまいち異性だと見られていない節がある。ナヴィエ本人は心も体も男なのだが。
「それに、意外と運命の出会いっていうのがあるかもよ?」
「そんな上手くいかないだろー。」
ユウもナヴィエも年頃の少年だ。ナヴィエはパーティーに前向きだ。一方のユウも、口では後ろ向きな事は言いつつも、パーティーでの出会いに少しは期待をしているのであった。
*********
アルバン達がアイゼンへ向かう日がやって来た。アルセイド本邸の前には馬車が三台停まっていた。荷物の積み込みはすでに終わり、あとは出発するだけとなっていた。
「いってらっしゃい。気を付けてね。あなた。」
「ああ、行ってくるよ。」
アルバンはルビーを抱き締める。その様子をリッカ、クオン、カリン、ミーチョは遠巻きにして見ていた。リッカも同じようにクオンに抱き着く。
「ちょっと!抱き着かないでよリッカ!」
「ええ~。いいじゃん。」
「あはは。二人とも仲良いよね。」
嫌がりながらも、リッカを引き剥がすことはしないクオン。カリンはそんな二人を微笑ましく思う。そして、リッカはクオンから離れると、カリンの方に近づいてきた。リッカはカリンの耳元に口を寄せる。
「クオンって、しっかりしてるように見えて寂しがり屋なんだよね。」
「そうなの?」
「うん。クオンは絶対に認めないけど。だから、ちゃんと構ってあげてね。」
リッカとクオンは囁き合う。クオンは二人が何やら話をしているのは分かったが、内容までは聞き取れていない。リッカはパッと体を離すと、カリンとハイタッチをした。
「カリンちゃん。クオンのこと頼んだからね!」
「はい。任されました。」
いきなり自分の名前が聞こえたので、クオンは困惑するが、二人がとても楽しそうなので割り込むことはしなかった。
「じゃあ、行ってくるね。お土産楽しみにしてて!」
「いってらっしゃい。ちゃんと父さんの言うこと聞くんだよ。」
「リッカ、いってらっしゃい。頑張ってね。」
「お嬢様、アイゼンで有名になってはだめですよ?」
「もう!そんなことしないって!」
リッカはアルバンと共に、屋敷の前に停めてある馬車へと乗り込む。御者が馬に鞭を打ち、三台の馬車は出発する。見送り勢は皆、馬車が門を出ていくまで手を振っていた。
「行っちゃったわね。さあ、みんな仕事に戻るわよ。」
ルビーがパンパンと手を叩くと、アーチボルトやメイド達は屋敷に戻っていく。クオン、カリン、ミーチョはこの後学園のため、そのまま登校する。いつもはラッセル兄妹も一緒だが、今日は見送りで遅れるから先に行くようにと伝えていた。
「じゃあ、僕達も行こうか。」
「ん。」
「はあ~疲れましたぁ。講義で寝ちゃいそうです~。」
クオン達は歩き出す。クオンとカリンは自然と横に並ぶ。夜遅くまで、出発の準備をしていたミーチョはふわあと欠伸をしていた。寝惚け眼で、ゆっくりとした足取りで二人の後ろを付いていく。
「ねえクオン。今度の休日は予定あったりする?」
「特に予定は入ってないよ。」
「だったらさ、この前言ってた魔力測定に付き合ってくれないかな。」
「うん。いいよ。でも思ったんだけど、ベリルさんに見てもらえばよかったんじゃない?」
魔法なら師匠であるベリルに頼むのが、弟子であるカリンにとって当たり前の事ではないかと、クオンは思っていた。だが、カリンは表情を曇らせる。
「あまり師匠には言いたくないんだよね。止められちゃうから。」
「止められる?」
「うん。別に危険はないはずなんだけど。」
カリン曰く、以前にも魔法を撃ちまくって魔力測定をしようとしたことがあるらしい。その時はベリルに止められたという。理由は聞いてないそうだ。
(ベリルさんが止めたのがちょっと気になるけど・・・。)
懸念はあるが、カリンの希望をふいにしたくない。魔法をひたすら使うだけならカリンの言うとおり危険はないはずだった。
「だからお願い。師匠には言わないで。」
「うん。分かった。ベリルさんには言わないよ。」
とりあえず、次の休日に魔力測定をする約束をした二人なのであった。
*********
馬車に揺られながら、リッカは窓の外の景色を見ていたのだがとても退屈だった。リッカと同じ馬車にはアルバンとメイドが乗っている。アルバンは疲れているのか腕を組んだまま寝ていた。リッカが欠伸をすると、メイドが不意に口を開いて話し掛けてきた。
「やはりクオンとカリンがいないと退屈ですか?」
「そうだね。ってなんでいんの!?ノイン!?」
メイドはノインだった。不思議な事に、リッカは今の今までメイドをノインだと認識できていなかった。
「またまたご冗談を。最初からいましたよ?」
「さては、認識阻害の魔法をかけてたでしょ。」
「ばれました?」
「ばれました?じゃなーい!なんで付いてきてんの!?」
「そこにリッカがいるからですよ。」
「また変な事言う。そもそも、父様が同行を許すわけないじゃん!」
ノインはアルセイド伯爵家の一員ではない。ノインが同行しているのは明らかにおかしいことだった。すると、ノインはアルバンの隣に座る。そして、自分の鼻をつまみ、アルバンの声真似をする。
「ワタシハアルバン。ノインノドウコウヲキョカシヨウ。」
「私は今ひどい工作活動を見た。」
ノインの物真似は、棒読みな上に全く似ていなかった。リッカはアルバンの方を見るが、これだけ騒いでもアルバンは起きない。きっとノインが何かしたのだろうとリッカは思った。
「ベリルちゃんはほっといてていいの?あなたのご主人様でしょ?」
「大丈夫ですよ。私は自由な人造兵なので。」
「何がどう大丈夫なのか全然分からないんだけど。」
ノインが悪い奴ではないのは知っているが、いつもグイグイ来るのでリッカは苦手だった。そもそも何故ここまでなつかれているのかも分からない。
「リッカは、私が嫌いですか?」
「別に嫌いではないけど・・・その、ノインはグイグイ来すぎなの。ちょっとは自重してよ。」
「そうですか?ではもっと優しくしてあげます。」
「ちょ!?」
ノインはリッカの隣に移動すると、ずずいっと身を寄せてきた。リッカは思わず仰け反る。互いに息がかかる距離まで顔が近づく。
「リッカ、提案があります。」
「な、何?」
「キスしていいですか?」
「は、はあ!?なな、何言ってるの!?私は女!ノインは女性型!女同士でキスしてどうすんの!?」
「幸せな気分になれますよ。」
ノインはリッカの両腕をがしっと掴んで、さらに顔を近づけてくる。力が思いの外強く、振りほどくことができない。もう少しで唇が触れそうだった。リッカは覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じた。だが、待っていても一向に触れる感触が来ない。リッカは恐る恐る目を開ける。すると、今まで何があっても無表情だったノインが微笑んでいた。
「やはり、リッカは面白いですね。」
そう言って、ノインはリッカから離れる。しばしノインの笑顔に見惚れていたが、はっと我に返ると、からかわれただけと分かった。リッカは急に恥ずかしくなり、頬を赤くしながら詰め寄る。
「か、からかったなー!」
リッカはノインをぽかぽかと叩く。ノインは微笑んだまま、座席下の収納から何かを取り出した。それは、折り畳み式のリバーシ一式だった。ちょうど退屈していたリッカは即座に食い付く。
「リッカ。退屈なら一緒にリバーシをやりましょう。」
「おおっ!気が利くじゃん。」
「では、負けた方が勝った方の言うことを聞くという事で。」
「んんっ!?すごく嫌な予感がするんだけどっ!絶対にキスはしないからね!」
「チッ。」
「舌打ちするなぁ!」
「これは失礼。リッカの嫌がる事はしませんよ。」
「ならいいけど・・・。」
ノインはリバーシの台を展開する。10×10のマス目が刻まれた盤面の中央に石を四つ置く。先攻後攻は銅貨のコイントスで決める。
「うっし。私が先攻ね。負けないからね!ノイン!」
「望むところです。」
リッカとノインの熱い戦いの火蓋が切って落とされた瞬間であった。
*********
エルヴィン、ツェツィ、ベルンハルト、アイリス、カルツァの五人は、ヴァレンシュタイン城へと向かうため、ドラグの北門へと集まっていた。ここには乗合馬車乗り場があり、トイセンの街方面への馬車が出ている。アイリスが代表として切符売り場へと向かおうとしたところで、エルヴィンが疑問の声を上げた。
「あれ?馬車で行くの?」
「目的地のトイセンまで距離あるわよ。どうやって行くつもりだったのよ。」
「えっと、走っていくつもりだったんだけど?」
その言葉に、アイリスだけでなく他の皆も驚いた顔をする。エルヴィンは皆の反応に首を傾げた。エルヴィンは馬に乗れるが走った方が速いし、馬車はお金がかかる。なのでいつも走って移動していた。
「ツェツィ、俺なんか変な事言ったか?」
「エル君、普通は馬か馬車に乗るんだよ。」
「そうなの?走った方が楽じゃないか?」
「でも、疲れちゃうでしょ?」
「走るだけだぞ。なんで疲れるんだ?」
きょとんとするエルヴィン。人類の中で、獣人は身体能力に優れている。だがその事を考慮しても、エルヴィンの体力は規格外のようだった。
「はあ・・・いい?エルヴィン君。いくら獣人でも君みたいな無尽蔵な体力は普通はないの。走って行けないことはないけど、体力の無駄でしょ。任務の前に疲労で動けなくなっちゃうわ。」
「そうなの?普通の事だと思ってたんだが。」
「はは。エル君にはいつも驚かされるね。」
「俺も同感だ。それに、エルは見てて面白い。」
「ただの阿呆だな。」
呆れるアイリスとツェツィ、楽しそうなベルンハルト、小馬鹿にするカルツァと反応は四者四様だ。アイリスは気を取り直して、売り場から人数分の切符を買ってくる。皆に切符を配ると、アイリスは乗り場に停まっている乗合馬車のうちの一台を指差す。
「私たちが乗るのはあの馬車よ。さあ、行きましょう。」
エルヴィン達はアイリスを先頭にして馬車へと向かう。アイリスが御者に話しかけた。
「トイセンの街までお願い。」
「では、切符を拝見致します。」
御者はエルヴィン達の切符を一人ずつ確認し、入鋏していく。切符に入れられた切り込みは馬車の停留所ごとに違う形をしており、どこで乗ったのか分かる仕組みになっている。
「確かに拝見致しました。もうすぐ出発です。馬車にお乗りになってお待ち下さい。」
エルヴィン達は馬車へと乗り込む。馬車は四席×二列で八人乗り。エルヴィン達は思い思いの座席へと座った。御者はエルヴィン達の全員が乗り込んだ事を確認すると、御者席に座って馬に鞭を振るう。ゆっくりと馬車は動き出した。
「トイセンの街ってどんな所なんだ?」
「賑やかな街だよ。ドラグと北部の中心都市であるノルスへの途中にあるからね。近くにフェリウス帝国時代の遺跡もあるから冒険者も結構いるよ。」
ツェツィはトイセンの街へ行ったことがあるようだ。ヴァレンシュタイン城についてもある程度知っていた。
「ヴァレンシュタイン城にはね、ある伝説があるの。」
「伝説って?」
「吸血鬼の真祖と財宝が封じられてるっていう伝説。」
ライン大陸の北東にはゾンマーフェルト大陸がある。一部を除き、魔族はゾンマーフェルト大陸に居住している。高位の魔族である吸血鬼がライン大陸の、それもドラグガルド連邦にいるのはおかしいことだ。
「眉唾なんだけどね。そもそも魔王が真祖を放って置くはずないよ。でも、遺跡のついでってことで城を探索する冒険者は昔からいるよ。吸血鬼のお宝目当てでね。今回の任務でも鉢合わせするかも。」
ツェツィの説明の、冒険者と言う言葉にアイリスは渋い顔をする。眉間を指で揉みながら、忌々しそうに言う。
「冒険者か。絡まれたら厄介ね。」
「別に俺達は吸血鬼のお宝目当てじゃないんだし、無視すればいいんじゃないの?」
「甘いわねエルヴィン君。国の騎士と魔導師がいるって時点で、冒険者は様々な想像を膨らませるわよ。吸血鬼や財宝の件が本当だから、この場所に私達がいるって風にね。調査しているだけだって言っても無駄よ。」
「それはめんどくさいなー。案外、不審者ってどこぞの冒険者だったりしてな。」
「その可能性はあるわ。そっちの方が報告は楽で済むんだけど。まあ、現地に行ってみないと分からないわね。はあ、頭が痛いわ。」
結局、冒険者の対処は対症療法的にやらなければならないようだ。暗い顔をするアイリスに、カルツァが笑顔で話し掛ける。
「アイリスは心配性だな。憂いのある顔も魅力だが、そんなに今から心配していては参ってしまうぞ。さあ!私の膝を枕にして存分に寝るがいい!」
「しね。」
「ぐおっ!?」
アイリスはカルツァの脛を思いっきり蹴る。カルツァは足を押さえて悶絶した。アイリスはそんなカルツァを見てため息をつく。
「はあ。たまにはいいこと言ったと思ったらこれなんだから。まったく。」
「僕達はチームなんだから、リーダーだからって根を詰めなくてもいいんだよ。もっと頼って。」
「そうね。ありがと。ツェツィ。それと、一つお願いがあるんだけど。」
「僕に?何かな?」
「わ、私と友達になってくれないかしら。」
若干頬を染めながら、アイリスは言う。アイリスの突然の申し出にツェツィは驚いたが、すぐに笑顔になる。
「もちろん!大歓迎だよ!」
「ほんと?・・・良かった。」
アイリスは涙ぐむ。はらはらと涙を流し始めたアイリスに、ツェツィはぎょっとする。カルツァ以外の全員が驚いていた。
「ど、どうしたの!?」
「大丈夫。嬉し涙よ。カッツェがつきまとうせいで、魔法兵団でも全然友達できなくてさ・・・だから嬉しくて。」
アイリスは涙の理由を語る。カルツァはほとんどアイリスの傍にいる。なので、魔法兵団の先輩や同期にも避けられていたらしい。皆、どう見てもヤバイ奴オーラを放っているカルツァと関わりたくなかったからだ。
「アイリスは泣き顔も最高だ・・・。」
そんな事情を知ってか知らずか、カルツァは恍惚な表情でアイリスを見ている。その様子を傍から見ていたエルヴィンとベルンハルトはドン引きしていた。
「ベル、こいつ予想以上にやべえ奴だぞ。」
「ああ、俺も同感だ。」
ツェツィとアイリスはエルヴィンら男達をほっといて談笑を始めていた。エルヴィンは特にすることもないし、カルツァとも絡みたくないので寝ることにした。ベルンハルトはどうやら詩集を読んで時間を潰すつもりのようだ。
「ベル、俺は寝るわ。飯の時間になったら起こしてくれ。」
ツェツィとアイリスは未だに会話している。音があると眠れないという人もいるが、エルヴィンは気にせず眠れるタイプだった。
(ツェツィの声は何だか心地いいな。)
エルヴィンは目を閉じると、すぐに眠りに落ちていったのであった。
*********
べリルは自分の屋敷のテラスでハンモックに揺られていた。ノインはリッカに付いていったので、この屋敷にはベリルしかいない。湖のささやかな波音と小鳥のさえずりを聞きながら、ベリルはのんびりと本を読んでいた。
「ふう。とりあえずは読み終わったわ。なかなか興味深かった。」
偏微分方程式の本をパタンと閉じる。べリルのお腹の上には、読み終わったフーリエ変換の本と線形代数の本が乗っていた。それらの本を本棚に戻すため、ハンモックから降りようとする。すると、テラスに突如魔法陣が浮かび上がった。幾何学的な文様が刻々と変化していく魔法陣。べリルはその魔法陣に見覚えがあった。
「これは・・・レオの魔法陣?」
べリルがそう呟くと、光が弾ける。輝く魔法陣の上に銀髪の少女、レオノーラがふわりと現れた。まるで羽根が落ちていくように、地面へとゆっくりと両足を着ける。魔法陣と周囲に舞う光の粒子が消えると、レオノーラは閉じていた目を開き、微笑んだ。
「久しいわね。ベリル。」
「やっぱり、レオなのね。」
べリルの声に嬉しさが混じる。ノインからレオノーラが健在なのは聞いていたが、すぐに会えるとは思っていなかったからだ。思わず愛称で呼んだべリルに、クスクスとレオノーラは笑いかける。レオノーラは近づくと、ハンモックの上にいるベリルの両脇に手を差し入れて持ち上げる。お腹の上に乗っていた本がばさばさとハンモックに落ちた。
「こ、こら!レオ!」
「随分と可愛らしい姿になったのね。」
そしてそのまま、レオノーラは自分の白い頬をべリルの頬に摺り寄せた。ベリルは驚いたが、されるがままになっていった。本当は恥ずかしいのだが、べリルはこれがレオノーラの愛情表現だと知っていた。とてもくすぐったいが、レオノーラの気が済むまでさせることにした。ひとしきりすりすりすると、レオノーラはべリルの目をじっと見つめる。
「久しぶり。会いたかったわ。べリル。」
「私もよ。レオ。」
べリルとレオノーラは笑いあう。レオノーラはべリルをテラスに降ろす。べリルが促し、二人はテラスにあるベンチに座る。
「レオ。あなたが私を助けるように命令したの?」
「私は命令してない。神殻をベリルに使用したのはスミレの独断よ。スミレはベリルが大好きだから。スミレ、泣いてたわよ。」
べリルの脳裏に、遠い日の記憶が蘇る。敵と刺し違え、倒れた自分に駆け寄ってくるスミレの姿。スミレはいつも楽しげで冗談をよく言っていた。泣いた姿などその時しか見たことがなかった。
(あれは、見間違いじゃなかったのね。)
「・・・その割には、私の扱いがぞんざいじゃない?」
「スミレは、好きな子をいじめるタイプだから。愛情表現よ。」
「愛情表現ならもっと素直にして欲しいのだけれど・・・。まあいいわ。それで、レオ。今日は雑談しに来たわけじゃないんでしょ?」
「そうね。今日はべリルに知らせたい事があって来たのよ。カリン、魔法を魔力限界まで使うつもりよ。あなたに黙ってね。」
「何ですって?私は止めていたはずだけど?」
「止めさせた本当の理由を知らないからでしょう?魔力が尽きるまで魔法を使う事を深刻にとらえていないのよ。適当に理由をでっちあげてやめさせて。白磁の竜角が活性化してしまうとまずいことになるわ。この世界に潜んでいる使徒を刺激してしまうかもしれない。」
使徒という言葉にベリルは眉をひそめた。かつて、べリルが対峙した相手。神の使徒を自称し、この世界を混乱にもたらした者達。
「召喚された軍勢は倒したってノインは言っていたのだけど・・・。」
「下っ端の軍勢はね。残念ながら、幹部の使徒は全員殺せなかった。一応監視は続けているけれど、この世界は広い。奴らが顕現でもしないと捕捉できないわ。」
「まだ、使徒はいるってことね。分かった。カリンを見ておく。」
「頼んだわね。べリル。」
それで言いたいことは全て言い終えたのか、レオノーラはべリルを自分の膝の上に乗せ、すりすりを再開する。
「それで、この状態はどのくらい続ける気?」
「顕現の時間はあと三分よ。それまでこのままにさせて。」
「はあ。まったく、仕方ないわね。」
嬉しそうなレオノーラを見てため息を吐く。だが、べリルも心の中では、この刹那的な再会を喜んでいたのであった。
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