第三話『竜角人の少女』
続きとなります。
ノインが起動した転移魔法陣の先は、青空の下だった。太陽が暖かな日差しを注いでいる。リッカとクオンはまるで狐につままれたような顔であたりを見渡していた。
「ねえクオン。私たち地下にいたわよね?ここ外?」
「外に見えるけど、まだ夜のはずだよ。」
クオンは懐の懐中時計を取り出し時間を確認する。まだ湖の小屋から転移してからあんまり時間は経っていない。まだ夜中のはずだった。クオンは手で目を守りながら、頭上に輝く太陽を見上げる。
「太陽から天然魔石の魔力を感じる。きっとここは地下だよ。魔法で地上が再現されてるんだよきっと。」
「ええ!?マジで!?」
「うん。太陽って月と違って魔力を放射してないんだ。だから太陽は魔力を放射している大地や月と構造が違うって言われてる。太陽は光る雲に覆われた惑星だって人もいるけどね。」
「じゃあここは翠の魔女が作った空間なのかな?」
「多分そうだと思う。それにほら。あそこに館が見えるよ。」
クオンが指を差した方向には大きな館があった。おそらくあれが翠の魔女の住処なのだろうとクオンは予想していた。
「あれが翠の魔女の館なのかな?」
「シュタールさんを信じるなら、だけどね。さあ、行こう。」
クオンとリッカは並んで歩き出す。小鳥のさえずりが聞こえ、そよ風も吹いている。リッカが空を見上げると流れていく白い雲が見えた。
「これが魔法で作られてるって信じられないなあ。300年もこの環境が持つものなの?」
「ここは玄武岩の岩盤みたいだから豊富に天然魔石が含まれてるんじゃないかな?その魔力を利用してるんだと思う。」
「ほえ~。こんな壮大なことしなくても地上に住めばいいのに。」
「あはは。リッカは正直だね。昔は今ほど魔女や魔術師同士で研究成果を共有することもなかったみたいだし、知られたくない研究がたくさんあったんじゃないかな?だから地下に隠れてたんだよ。」
今でこそ魔導師協会が作られ、研究成果は論文の形で共有されている。新発見には一番最初に論文を提出したものが栄誉が与えられるため、皆こぞって論文を提出しその成果はすぐに発表される。しかし翠の魔女の時代はまだ秘密主義であり、自分の研究成果をしまい込むことが多かった。最近でも、新発見だと思ったら実は昔の魔術師がすでに発見していた、なんてケースがある。
「翠の魔女って未発表の成果がたくさんあるって言われてるもんね。」
「そうだね。まあこの人工空間もそうだと思うけど。」
「ロッドフォード先生はこういうこと出来ないのかな?」
「どうだろ?僕たちも魔法は習ったけど基礎魔法だけだし。先生の専門は・・・何でもできるからわかんないや。」
「愛しのドロシーに頼まれたらなんでもできそうだもんね先生・・・。」
二人は魔法アンド親バカの魔法の師匠を思い浮かべる。親友のドロシーを通して運よく魔法を教えてもらう機会があったのだ。アルセイド姉弟が連携魔法で実力を底上げできたのもロッドフォード先生のおかげである。上の世代からはその冷酷さで『凍血の魔女』と恐れられているアデラインだったが、ドロシーが生まれてからずいぶん丸くなっているので、クオンやリッカは先生の恐ろしい時代を知らない。先生の話をしているうちに、二人は館に着いた。大きな鉄の門は意外と簡単に開く。長い間放置されていたにしてはきれいな庭を抜け、館の扉の前までたどり着いた。リッカはごくっと唾を飲み込みながら、扉の前に立つ。
「・・・行くよ。クオン。準備はいい?」
「・・・うん。」
リッカは思いっきり扉を開ける。大きな音を立てながら扉は開いた。中は薄暗かったが、長い間放置されていたようなカビ臭い匂いはしなかった。二人が館の中に足を踏み入れると、自動で灯りがついた。
「魔法灯みたいだ。この館の機能は失われていないみたいだね。」
「そうね。思ったよりずいぶん綺麗ね。自動清掃の魔法式でも組んであるのかな。」
二人は1階のホールの中を見渡す。クオンがホールから2階へと続いている階段の先へ目を向けると、そこには驚きのものがあった。
「ねえ!リッカ!あれを見て!」
「え?何?」
クオンが指差した先、赤絨毯の敷かれた階段の先の突き当りには、竜角人の絵が飾られてあった。二人は階段を上り、絵の前で立ち止まった。絵には白い竜角を頭に生やした少女が描かれていた。
「・・・白磁の竜角を持ってる。女の子だね。」
「うん。同い年くらいに見えるね。可愛い顔してるわ。」
ふとクオンが絵のタイトルを見つける。そこに書かれていたタイトルは『我が愛しの弟子』だった。
「やっぱり、翠の魔女の弟子って竜角人だったんだ・・・。」
「うん。肖像画を描くぐらいだから可愛がってたんだろうね。・・・ん?」
「どうしたの?クオン。」
「妙な魔力の流れを感じる・・・。」
クオンが竜角人の少女の絵に触れる。するとまるで、液体でできているかのように絵に波紋が広がった。
「うえ!?なんじゃこりゃ!?」
「これ、魔法がかかってる。転移魔法みたいだ。この絵に飛び込めばどこかに飛ぶんだと思う。」
「絵に飛び込むの?激突しちゃわない?」
「多分大丈夫だと思うけど・・・。」
しばらく絵を見つめていると、何事もなかったように波紋が収まっていく。リッカとクオンは思い切って飛び込むことにする。
「女は度胸!行くよクオン!」
「うん!」
二人は手をつなぐと、一緒に絵に向かって飛び込む。恐れていた衝撃は来ず、絵の向こうは虹色の光の世界だった。天地が回転した感覚がした後、光が薄れていく。平衡感覚がおかしくなりながらも、光が消えたと同時に足に地面がついた。
「うええええ気持ち悪いよお。」
「ちょっときつかったね・・・。」
二人はそのまま座り込む。転移魔法のせいで少し酔ってしまった。辺りを見渡すと、そこは大きな庭園だった。天井には大きな採光窓がはめ込まれており、人工太陽の光を受けながら色とりどりの草花が咲き誇っている。長い年月が過ぎているせいか、草はぼうぼうと伸びており、壁や柱には蔦が絡みついている。二人は酔いから覚めると、庭を散策し始めた。
「ここは一体なんだろ?薬草とか育ててたのかな?」
「多分そうだろうね。翠の魔女は薬草や植物の生育に長けていたというし。」
ぼうぼうと伸びている草をかき分けながら進んでいくと、綺麗に草が刈られている場所に出た。
「あれ?ここからは草が伸びてないわね。」
「本当だ。シュタールさんが草刈りでもしてたのかな?・・・ってあれ見て!リッカ!」
「え?ああああ!」
クオンが指さした先には巨大な水晶が鎮座していた。二人は水晶の前まで駆け寄る。その水晶の中には―――
「竜角人だ・・・。」
「ええ、本当にいたのね。」
二人の視線の先、巨大な水晶の中には、竜角人の少女が眠っていた。
*********
「この子、生きてるのかな?」
「この水晶を調べてみたけど、仮死の魔法がかかってるみたいなんだよね。」
「解けそう?」
「全然分かんないや。術式が複雑すぎて。ハーヴィー博士じゃないとダメかも。」
「そう・・・。残念ね。」
リッカは水晶の中に閉じ込められている少女を眺める。歳は同じくらいだろうか。腰まで伸びた長い漆黒の髪が艶々としていて、こめかみから生えている白い竜角と美しいコントラストになっていた。
「ところでクオンはスケッチをしているの?」
「うん。この光景は幻想的だし記録に残しておきたいんだ。」
「まあクオンはいつも心に残ったものスケッチしてるもんね。私も絵がうまければなあ。」
「僕が教えてあげてもいいけど。」
「いい。もう私には絵の才能がないって分かってるから。」
リッカはふて腐れながら、バックパックから手のひらに乗るほどの大きさの三角錐を取り出す。それを地面に放り投げると、ポン!という音と共にテントが出現した。魔法具の一種で、簡単にテントを張ることができるすぐれものだ。
「じゃあ、私は疲れたし寝るね。明るいけど時間的には夜だし。」
「分かった。僕はもうちょっとスケッチしてから寝るよ。」
リッカはごそごそとテントの中に入っていく。少しもしないうちに寝息が聞こえてきた。クオンはリッカの寝息を聞きながらスケッチを進めていく。一通りスケッチが描き終わると、絵の中の少女の顔と、水晶に閉じ込められている少女の顔を見比べる。
「・・・やっぱり何だか悲しそうな顔してる。」
水晶の中の少女は悲し気な表情をしていた。クオンはスケッチブックを自分のバックパックにしまうと、再び水晶に近づく。水晶は地面から浮いており、クオンは少女を見上げるような格好になる。
(ハーヴィー博士に報告するのは当然として、その後は?竜角人に会いたくてここまで来たけれどこの子を起こしてもいいのだろうか?)
クオンは一人思案する。大陸東側の国々、特にオストシルト帝国は七宝を求めている。竜角人、しかも『白磁の竜角』を持っている少女が生きていると知れたら彼女は捕まってしまうだろう。真偽はどうあれ、不老不死の薬を求めている人間はまだ多数存在する。竜角を切り取られることは死を意味する。竜角を切り取られると、大量出血すえう上に体の中の魔力の循環がうまくいかなくなり死に至るのだ。
(目覚めさせても、この世界でこの子は幸せになれるのだろうか。)
クオンはじっと少女を見つめる。クオンには何やらむず痒い感情が生まれていた。
(どんな顔で笑うんだろう?)
そう思いつつ、水晶にそっと手を触れた瞬間、ピシッ!と音を立てて手を触れた箇所に亀裂が走った。
「うわ!?」
亀裂は次第に水晶の全体へと広がっていく。クオンは慌ててリッカを呼んだ。
「リッカ!起きて!大変だ!」
「ううん?どうしたのクオン・・・?」
リッカが目をこすりながらテントから出てくる。眠そうだったが、亀裂が走っている水晶に気付くと目が覚めたようで、慌ててクオンの横まで走り寄る。
「なななな!?一体何したの!?」
「ただ触れただけなんだけど・・・。さっきは反応なかったのに。」
二人が見守る中で水晶の亀裂が縦横無尽に走っていく。そのうち、水晶が完全に割れて、中に閉じ込められていた少女が落ちてきた。
「わわっ!?」
クオンは落ちてきた少女をすんでのところで抱き留める。少女の体温は温かく、かすかに呼吸もしていた。クオンは少女のさらさらとした黒髪が腕に当たりくすぐったかった。
(・・・いい匂いがする。)
クオンが腕の中の温もりと匂いに呆けていると、リッカがにやにやしながらクオンを茶化す。
「よかったじゃんクオン。腕を鍛えていた甲斐があったね!お姫様抱っこできたじゃん!」
「いやその、別にこのために鍛えてたわけじゃ・・・。」
クオンは否定したが、剣の師匠に「そんな腕じゃ好きな子をお姫様抱っこできないぞ。」と言われて鍛えていたのは事実だった。
「・・う、ううん」
クオンの腕の中で少女が身じろぎをする。閉じられていた瞳がゆっくりと開いた。
(綺麗な瞳・・・黒曜石みたいな漆黒の黒だ。)
クオンが見惚れていると少女と目が合う。少女は状況を飲み込めず目をぱちくりしていた。
「・・・はじめまして。」
クオンが挨拶をする。すると、少女は―――
「・・・き」
「き?」
「きゃああああ!?」
クオンは挨拶の代わりに少女の右ストレートを思いっきり頬に食らうのであった。
********
「あなたたちは誰!?」
竜角人の少女は叫ぶ。彼女はクオンを殴り飛ばすと、腕から逃れ姉弟から距離を取っていた。その黒い瞳には明確な敵意が見える。
「お、落ち着いてよ!私たちは怪しいものじゃないわ!」
「信用できません・・・。どうせ私の竜角が目的なんでしょ!」
少女は興奮していた。無理もないとリッカは思った。少女が眠りについた300年前は、今以上に竜角を求める者がいたのだから。ループス帝国のように。人間なんて全部敵に見えるだろう。
(どうすれば信用してもらえるのかしら。こういうのはクオンが得意なんだけど、クオンはのびちゃってるしなあ。)
「私の話を聞いて!あなたの時代からもう300年はたってるの。」
「・・・え?300・・年?」
「そうよ。私たちはリンドブルム王国の冒険者で、依頼で翠の魔女の弟子だった竜角人の行方を捜してたのよ。」
「依頼?」
「ハーヴィー博士よ。」
「はーびぃー・・・?ハーヴィー!その人はジョン=ハーヴィーの関係者?」
「ジョン=ハーヴィーの子孫で、学者のジョルジュ=ハーヴィー博士よ。」
「・・・そう。」
「私たちはあなたに危害を加える気はないわ。」
「信じられないです。」
「そうね。いきなり信じろってのも無理だもんね。だから行動で示すわ。」
リッカは自分の剣とクオンの剣を少女の足元に放り投げる。
「これでどう?剣がなければ私たち二人とも魔力も尽きているしあなたに危害は加えられないわ。あなたは翠の魔女の弟子なんでしょう?」
その時、ちょうどクオンが気絶から回復する。頬は腫らしたままだったが。
「あれ?これどういう状況なの?」
「彼女を鋭意説得中かな。」
「あなたたちは私を探してどうするつもりだったのですか?」
少女は鋭い瞳で問いかける。嘘は許さないぞという強い視線だった。二人は顔を見合わせると笑顔で同じ答えを口にする。
「「竜角人に会ってみたかったから!」」
「・・・へ?」
姉弟の無邪気な答えに少女が呆気にとられる。少女は気を取り直すと、再び問いかける。
「それだけ、ですか?」
「うん。それだけだよ?だって伝説の種族だよ!会ってみたいじゃん!」
「うんうん。」
リッカが熱く竜角人のへの想いを語り、クオンがうなずく。しかし、少女の視線は冷めたままであった。
「この竜角が欲しくないのですか?不老不死を得られるのですよ。」
「え?その話本当だったの?眉唾だと思ってた。」
「本当ですよ。さあ、欲しいのではないですか。」
少女の視線は、あなたたちも結局、欲に塗れた人間でしょうと言外に示していた。しかし、その視線に対する反応は意外なものであった。
「え?いらないよ?」
「・・・嘘です。」
「嘘じゃないよ。そりゃあ不老不死に全く興味がないかって言われたら嘘になるけどさ、竜角を切り取ったら君は死んじゃうんだろう?」
「ええ。」
「僕は竜角人に、君に会いたかったんだ。ずっと夢見てた。たとえ不老不死になれても、君がいない永遠なんて意味がないじゃないか。」
「・・・え?」
少女はクオンの言葉に狼狽するが、気づかずにクオンはまくしたてる。
「それに!竜角人の角は竜角人の頭にあってこそだろう!?それを切り取るなんて、龍神様への冒涜だよ!」
「え、ええと。」
「はいはいクオンそこまで~。熱くなっちゃだめよ~。彼女引いてるわよ~。」
「はっ!?ご、ごめんよ。」
リッカは一歩前に踏み出すと腕を組んで高らかに宣言する。
「私たちはたいして強くないわ!翠の魔女の弟子のあなたなら撃退できるだろうし心配ないでしょ!」
「リッカ、そこは威張るとこじゃないよ・・・。」
二人の様子にすっかり毒気を抜かれた少女は、警戒を少し緩めた。
「危害を加える気がないことは今のところ信じてあげます。でも変な真似をしたら容赦はしませんよ。」
「ええ、それでいいわ。」
リッカとクオンはうなずいた。とりあえずいきなり魔法で攻撃されることはなくなったようで安堵する。
「貴方たちに質問があります。」
少女は方針を変え、とりあえず二人に話を聞くことにしたようだ。しかし、リッカが少女が言葉を続ける前に声をあげる。
「待って!その前に、大事なことがあるわ!」
「大事な事?なんですか?」
リッカはこそこそとクオンに耳打ちする。クオンは少し恥ずかそうにしたが、リッカの言葉にうなずいた。リッカとクオンは少女に向き直る。
「私の名前はリッカ=アルセイド!リンドブルム王国の冒険者よ!」
「僕の名前はクオン=アルセイド。僕も冒険者だよ。」
そして、名乗りを上げた後、二人は大きく息を吸い、タイミングを合わせて少女に叫んだ。
「あなたの「君の名前は?」」
二人の勢いにたじろぐも、名前を聞かれたからには答えなければいけないと思ったのか、少女は小さな声で名前を告げる。
「カリン。・・・カリン=アントラ。翠の魔女べリルの弟子にしてアントラ王国の王女よ。」
カリンは少し恥ずかしそうにそう自分の名前を告げたのであった。
*********
それから、リッカとクオンはカリンにここ300年の歴史を教える。アントラ王国の滅亡後、ループス帝国も滅亡したこと、『白磁の竜角』が原因で勃発した魔王戦争のこと、そして今でも『白磁の竜角』を含めた『七宝』を求めるオストシルト帝国のことなどだ。一通り話し終わった後、リッカはカリンに尋ねる。
「ねえ、あなたはこれからどうしたい?良ければ力になるよ?」
「・・・今はまだ何も考えられない。」
「ハーヴィー博士に一度会ってみようよ。」
「ジョン=ハーヴィーの子孫・・・そうね。それもいいかもしれないわ。」
「そうと決まったらクオン!博士に手紙を書いて!」
「分かった。」
クオンはバックパックからいそいそと手紙用の用紙を取り出し、博士への手紙を書き始める。
「ねえカリンちゃん。地上へ出るにはどうすればいいの?伝書鷹を飛ばしたいんだけど。」
「ここへ来たのなら、鍵を持ってないの?」
「鍵?あのランタンのことかな?地下に転移した時には手元から消えてた。」
「使い捨て鍵だったのね。いいよ。ちょっと待って。」
カリンはそう言うと、詠唱を始める。白い竜角が魔力の光で淡く輝く。その光に二人は思わず見とれた。
「世界の理よ。その理糸を解きほぐし、刹那に浮かぶ架け橋と成れ。次元門。」
すると、空間に地面まで届く楕円形の穴が開いた。穴の先には、見覚えのある湖と小屋があった。
「クオン、博士への手紙はどう?」
「ちょっと待って。いま暗号をかけるから。」
クオンはバックパックから印鑑のようなものと笛を取り出す。魔道具の一つ、暗号鍵だ。復号鍵とセットになっていて、この暗号鍵で暗号化した文章は対となる復号鍵で解読できるようになる。復号鍵はハーヴィー博士が所持している。
「望みしは堅牢なる秘鍵。定めし法を持って、我が意思を守りし盾と成れ。暗号施錠。」
暗号鍵が光ると、手紙の文章が決められた法則にしたがって暗号化される。知らない人から見たら意味不明な文字の羅列に見えるだろう。
「これでよしと。後はハヤテを呼ばなくちゃ。」
クオンは次元門から地上へ出ると、笛を吹いた。少し待っていると、空からばさばさとクオンの右腕に小さな鷹が降りてくる。クオンの相棒のハヤテだ。寂しかったのか、ピーピーと声をあげながら顔をすりすりしてくる。
「くすぐったいよハヤテ~。」
クオンは持ってきた手紙を丸めて専用のケースに入れ、ハヤテの足に括り付ける。
「急ぎでお願いね。」
「ピー!」
ハヤテは了解!というように鳴くと空高く飛び立っていった。クオンはハヤテを見送ると、次元門から館へと戻る。
「これでハーヴィー博士にカリンのことが伝わるはずだよ。」
「ねえカリンちゃん。もう夜も遅いし、ここに泊まっていいかな?」
「・・・いいよ。部屋は余ってる。」
「やった!もう疲れたんだよねえ~。」
「あなたの片割れはやけに元気なのね。」
「あはは。いつも言われるよ。」
「部屋に案内するわ。来て。」
部屋に案内するために歩き出すカリンの後を姉弟は欠伸を噛み殺しながらついていくのであった。
*********
リッカとクオンは、簡単にお風呂で汚れを落とした後、寝室ですやすやと寝息を立てていた。様子を見に来たカリンは、二人の暢気な様子に呆れる。
「私が逃げるとは思わないのかしら。」
300年も経ってしまった世界では、カリンに寄る辺などどこにもない。これからどうすればいいのかも正直分からない。ハーヴィー博士に会えば、何か浮かぶだろうか。
「・・・たとえ不老不死になれても、君がいない永遠なんて意味がない・・か。」
カリンはクオンの言葉を反芻する。ぎゅっと目を閉じると、目頭が熱くなってきた。
「なんで初対面の君が、そんなことを言うの・・・・?」
人間の世界に飛び出した時、誰もが優しくしてくれた。しかし、それはうわべだけだった。人間でカリン自身を見てくれたのは師匠だけ。その師匠でも、欲しかった言葉は言ってくれなかった。カリンの中で、人間を信じたい気持ちとかつて殺されそうになって恐怖した気持ちが衝突する。
(そう簡単には信じないって、決めたはずなのに。)
カリンとしては彼らを拒否するつもりだった。だが、クオンの言葉に心が揺れた。まだ、何も知らなかったあの頃の自分の心を思い出してしまった。カリンの瞳から涙がこぼれる。
「・・・私は信じていいのかな?」
カリンの言葉に答える者は誰もいない。彼女の言葉はそっと夜の闇へと溶けていった。
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王都レグニスにあるリンドブルム王立大学は『眠らない大学』として有名だ。四六時中、研究に励む教授や学生がいるため、かならずどこかの部屋に明かりがついている。その中でも、4号館3階はとくに有名だった。ワンフロアが丸ごと一部屋になっており、その部屋の主が国から優遇されていることが分かる。事実、部屋の主は若いころから多くの分野で業績を上げ、王国に貢献していた。この世界では優秀な研究者に『通り名』が贈られる。この部屋の主も例外ではなかった。その件の人物は今夜も思索に耽っていた。すると、窓の外からバサバサと羽根の音が聞こえてくる。
「この音は、ハヤテか。」
部屋の主は窓を開けると、ハヤテを部屋に招き入れる。ハヤテは慣れた様子で指定席に着地した。部屋の主はハヤテの足に括り付けられていたケースを外すと中身を取り出す。中に入っていた手紙の文字が暗号化されていることに気付くと、真剣な表情になる。暗号化するときは、誰にも聞かれたくない発見があったときだと事前に姉弟と決めていたからだ。
「・・・まさか。」
部屋の主は机の引き出しの鍵を開け、中から復号鍵を取り出す。クオンの持っている暗号鍵と対になっているものだ。
「望みしは意思の再生。定めし約束に従い、その姿を我が前に示せ。復号解錠。」
復号の詠唱を唱えると、手紙の文字が元の形に再構成される。意味のある文章に戻った手紙を読むと、すぐに驚きの表情に変わった。そして深夜にもかかわらず大声を上げた。
「ついに見つけたのだな!」
部屋の主は興奮したまま、クオンへの返事をしたため始める。
「鶏肉を好きなだけあげるから、クオンのとこまでもういっちょ頑張ってくれ。ハヤテ。」
興奮冷めやらぬ様子で、部屋の主―――『驚異博士』ジョシュア=ハーヴィーはハヤテに語りかけるのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。