第三十二話『神話と歴史、そして宗教』
続きとなります。
全話見直して間違った箇所は修正しました。設定の変更で生じた名前ミスが結構ありましたね・・・。混乱させてしまい申し訳ないです。
アティスの中央広場の東側には古龍を祀るジェダイト聖堂が立っている。今日は神話学の授業の一環で、クオン達は聖堂を訪れていた。古龍を祀る風習は国や地域によって違うものの、聖ルークス王国が音頭を取り、宗教として体系化されている。とはいえ、決まった教義も布教もない穏健なものだ。リンドブルム王国ではその国名通り、リンドブルムが一番信仰されている。
ジェダイト聖堂は龍神建築と呼ばれている。ライン大陸西部によく見られ、屋根から伸びる二つの尖塔が特徴だ。
ジェダイト聖堂内部には古龍七柱と新龍四柱の像が安置されていた。神話や歴史で語られる古龍とは対照的に、新龍は現代でも実在が確認されている。合計十一体の神像は、天窓から射し込む太陽光と相まってより神秘的に見えた。
大地固龍リソスフェア。
大地軟龍アセノスフェア。
大海龍ヴァンフリート=エクマン。
大空龍プラントル。
リソスフェアとアセノスフェアは地下王国のマグマの海でよく見かける事ができる。エクマンは年に数回だけ海中王国に現れ、プラントルはフレイム浮遊大陸の周辺で目撃例がある。
世界を創国したのが古龍ならば、世界の維持・管理を司るのが新龍だ。リソスフェアとアセノスフェアが大地を支え動かし、エクマンが海流を生じさせ、プラントルが大気を循環させると言われている。古龍と同様に、新龍も信仰の対象となっている。
「これから司祭様のお話が始まります。皆、静かに聞いてね。居眠りした生徒は後で説教だから。」
コリンは生徒達にそう注意する。司祭の話に限らず、こういう講釈には睡魔がつきものだ。
「俺、確実に後で説教だわ」
「バート、少しは聞く努力したら?」
「無理無理。俺は睡魔にめっぽう好かれてるんだ。クオンこそ、神話は聞き飽きているだろうによく眠くならないよな。内容はだいたい同じじゃん。」
「まあ、司祭様の話す内容は教会が認めた神話だからほとんど変わらないからね。変わり映えしないのは仕方ないよ。」
神話は多くのバリエーションがあり、枝葉末節まで含めたらキリがない。教会として認定された正統神話はあるものの、他の神話を禁じているわけでもない。なので、神話本には大学の神学者が編纂した本や私家本も多数存在する。
「どうせなら、それはねえだろ!ってぐらいの極端なやつ聞きたいよな。そっちの方が面白いじゃん。」
「それは一理あるけど、基本も大事だよ?」
クオンは神話が好きなので、幼い頃から何回も本で読んだり聞いたりしている正統神話でも楽しい。正統神話は、教会が収集した数多の神話の中から最大公約数的な話を抜き出して時系列順に並べたものである。換言すれば、どの地域にも見られる普遍的な話が集まっているということだ。
「私、神話とか好きだから楽しみ。」
竜角人はリンドブルムの竜角から生まれたとされているため、アントラ王国ではリンドブルム関係の神話がたくさん残っていた。
「あの人がこの教会の司祭、キッテル様だよ。」
コリンと入れ替わりで、キッテルが立つ。カリンの第一印象は優しそうなおじいちゃんという感じだった。キッテルは聴衆の生徒達を見渡す。
「さて皆さん。神話とは、ただ単に古い話というだけではありません。ご先祖様たちが大事にしてきた価値観や精神が含まれているのです。眠くなるかもしれませんが、人の話を聞く事も大事です。特にバートランド君。今日は頑張ろうね。」
「げっ!?」
名指しされ狼狽するバート。周りからもくすくす笑い声が聞こえる。キッテルは長くアティスで司祭を務めているため、生徒達の顔はだいたい知っている。
「それでは、始めましょう。」
*********
遥かなる昔、そこには虚無だけが存在していました。永遠とも言える静謐の中、突如として原初の火が灯ります。時と有限広大な空間が誕生しました。この時空は量子の泡で満ちていました。宇宙の誕生です。
この泡の海から、葦のように泡が伸びて分離し、二柱の神が生まれます。女神フェリと男神リウスです。フェリとリウスは巨大な剣を泡の中へと入れてかき混ぜます。すると、大きな泡が固まりました。
フェリとリウスは大きな泡の中へと降り立ちます。大きな泡の中では、まだ泡が固まっていませんでした。フェリとリウスは普通の剣で泡をかき混ぜると、二つの泡が固まりました。神界と世界の誕生です。
フェリとリウスは世界へと降り立ちます。世界の中では、まだ泡が固まっていませんでした。フェリとリウスは小さな剣でかき混ぜると、三つの泡が固まりました。空と大地と海の誕生です。
女神フェリと男神リウスは大地の片隅に降り、契りの儀式を行います。フェリの足りないものとリウスの余っているものを互いに重ね合わせると、淡い光と共に龍が七柱誕生します。
生命龍リンドブルム。
数学龍オイラー。
電磁龍マクスウェル。
力学龍ステヴィン。
熱力龍クラウジウス。
幻影龍バルトリヌス。
量子龍プランク。
数学龍オイラー。かの龍は額に真理の眼を持ち、他の龍に数学を教授しました。
量子龍プランク。かの龍は数学で量子法則を記述し、世界に微細な構造を与えました。
力学龍ステヴィン。かの龍は数学で力学法則を記述し、世界に運動を与えました。
電磁龍マクスウェル。かの龍は数学で電磁法則を記述し、世界に光を満ち溢れさせました。
熱力龍クラウジウス。かの龍は数学で熱力学法則を記述し、世界に方向性を与えました。
幻影龍バルトリヌス。かの龍はその透き通る身体で神界と世界をの間に仕切りを設けました。
生命龍リンドブルム。かの龍は生命の種を世界にまき、全ての生物を創造しました。
こうして、女神フェリ、男神リウス、七柱の龍により世界が創国されました。世界に生命が生まれた事を見届けると、女神フェリと男神リウスは神界へと去っていきました。龍達も後を追って神界へと次々に去っていきましたが、リンドブルムだけは帰ろうとしませんでした。オイラーはリンドブルムに問いかけます。なぜ、神界に行かないのか、と。リンドブルムは答えます。我が子らが心配だ、と。
この頃の世界は、大地はとても固く、海は動かず、大気は溜まっていました。動きのない世界は、澱みを生んでしまいます。このままでは、世界は汚れ、せっかく生まれた命も死んでしまうでしょう。
そこで、リンドブルムは四柱の龍を生み出します。
大地の固さを司る、大地固龍リソスフェア。
大地の軟らかさを司る、大地軟龍アセノスフェア。
大海の流れを司る、大海龍ヴァンフリート=エクマン。
大気の流れを司る、大空龍プラントル。
この四龍の働きによって大地は動き、海は流れ、大気は循環を始めたのです。
さらにリンドブルムは、大地を七つに割った後、大精霊を生み出します。ライン、フェルマー、ククル、ゾンマーフェルト、フレイム、ローラン、スィンの七体。一大陸につき一体の大精霊に治めさせました。全てが終わると、リンドブルムは見守っていたオイラーと共に神界へと帰っていきました。
こうして世界は形作られたのです。
やがて時が過ぎると、世界に人間、獣人、亜人が現れます。人々は地上、地底、海中、天空に文明を築きます。
しかし、四龍によって支えられていると言えども、世界はまだ若く、不安定でした。
七龍は時折神界から降臨し、人々を教え導きます。人々は七龍と、その生みの神であるフェリとリウスを崇めるようになっていきました。
世界が安定し、文明が進歩していくと、七龍達は次第に姿を見せなくなりました。そして、長い年月が過ぎていったのです。
創国から一万年経った頃、リンドブルムは神界にある龍宮から世界を眺めていました。すると、一羽の綺麗な鳥が飛んでいるのが見えました。その小さな体は翠、赤、青の三色で彩られています。
「あれは、何という鳥だろう。」
リンドブルムは興味が湧きます。リンドブルムはこっそりと地上へ降りて、その三色鳥の後を追いました。
すると、リンドブルムは綺麗な花畑を見つけます。その中央に一人の少女がいました。三色鳥はその少女の肩に止まります。少女と三色鳥は仲良しのようでした。リンドブルムは花を踏まないように、ゆっくりと少女へと近づいていきます。
気配に気づいたのか、少女はリンドブルムの方を振り返ります。少女は驚いて目を丸くしました。栗色の長い髪に翠の瞳の可憐な少女でした。
「あなたは、だあれ?」
少女は鈴の鳴るような声で尋ねます。リンドブルムの姿に驚いたようではありましたが、逃げるような素振りは見せませんでした。三色鳥も少女の肩に止まったままです。
「我が名はリンドブルムという。」
「じゃあ、あなたは神様なの?」
「そう呼ばれることもある。」
「神様はどうしてここに来たの?」
「そなたの肩に止まっている鳥が気になったのだ。」
「そうなんだ。この鳥はね、カワセミって言うんだよ。」
「カワセミ、という鳥なのだな。」
「うん。私の、大事な友達だよ。」
カワセミは少女の肩から飛び立つと、リンドブルムの白い竜角へと止まります。
「ふふっ。神様のことを気に入ったみたいだね。」
「そ、そうなのか?」
カワセミはリンドブルムの頭に生えている二本の竜角を行ったり来たり。リンドブルムはどうしてよいか分からず動けずにいました。その姿が何だかおかしくて少女は笑ってしまいます。その屈託のない笑顔にリンドブルムは見とれました。
「神様。あなたのことを知りたいな。教えてくれる?」
「いいとも。だがこの姿では話辛いな。」
少女はリンドブルムのことを知りたがっていました。知り合ったのも何かの縁。龍の姿では少女と体格差がありすぎて話がしにくいので、リンドブルムは人間の姿へと変化します。龍の体は発光し、ぐにゃりと形を変え、人の形になりました。カワセミは驚いて飛び立ちます。光が消えると、そこには白い小さな角を持った少女がいました。
「神様って女の子だったんだね。」
リンドブルムは少女の隣に腰を下ろし、少女の望むがままに話を聞かせました。あっという間に日が傾き、青い空が橙赤色に染まって来ました。
「神様、お話ありがとう。楽しかった。」
「お気に召したようで何よりだ。」
「もっと聞きたいけど、そろそろ帰らなきゃ。お母さんが心配しちゃう。」
「ふむ。そうか。我も帰るとしよう。」
「あっ。待って。」
少女は後ろで手を組み、恥ずかしそうにもじもじしていました。
「ねえ神様。あのね、お願いがあるの。私と友達になってください!」
「友達?我とか?」
「その、だめ・・・かな?」
「我で良ければ、友達になろう。」
「やったあ!」
嬉しそうな少女の様子に、リンドブルムは目を細めます。すると、リンドブルムは右の角を半分に折ってしまいました。突然竜角をへし折ったリンドブルムに少女はぎょっとします。
「ななな、何してるの!?」
「この竜角を、そなたに。」
リンドブルムは少女に折った竜角を差し出します。
「そなたの幸せを願うお守りだ。」
「えっ、でも・・・いいの?」
「構わぬ。長い間、神として崇められてきたが、友達になりたいと言ったのはそなたが初めてだ。友達に贈り物をしても変ではなかろう?」
「・・・そうだね。ありがとう。大事にするよ!」
少女は嬉しそうに竜角の欠片を受けとります。リンドブルムは少女の姿から龍の姿に戻りました。大きな翼を広げると、巨体が宙へと浮き上がりました。
「それでは、またな。」
「神様、またねー。」
少女は天へと登って行くリンドブルムに手を振ります。こうして、リンドブルムは神界へと帰っていきました。
その後も少女とリンドブルムの交流は続きました。少女の魂が旅立つまでおよそ八十年、友情を育んだのです。
少女は、リンドブルムが迷わないように、目印として一本の木を花畑の中央に植えました。今でもその木は、世界のどこかで葉を生い茂らせていると伝えられています。
********
その後もキッテル司祭の話は続く。他の六龍の話、竜角人の誕生、大精霊の話、様々な国家の勃興、フェリウス帝国の成立。帝国の成立を境に神話時代は終わる。史官が記述した歴史書が残っている歴史時代となる。
「ご清聴ありがとう。皆さんよく頑張りましたね。」
キッテルは一礼する。キッテルと入れ替わりで、再びコリンが前へと出てきた。
「キッテル様、ありがとうございました。それじゃ皆さん、学院へ帰る準備をしてください。忘れ物のないようにね。」
生徒達は椅子から立ち上がると、各々友達と話をしながら聖堂から出ていく。中にはキッテルに質問をしている熱心な生徒もいた。
「やっと終わった~。頑張ったぞ俺~。」
キッテルに目を付けられていたせいか、バートは頑張って起きていたようだった。
「カリン。司祭様のお話はどうだった?」
「知らない話が多くて面白かったよ。でも、なんかちょっと・・・。」
「何か気になる事があった?」
「気になるというか・・・。ごめん。上手く言えないや。」
カリンは神話のある部分に違和感を感じていた。少女がリンドブルムと友達になる場面。何が違和感を生じさせているのか、言葉では説明できない。
「キッテル様に質問する?」
「ん。今回はやめとくよ。違和感を説明できないし。」
結局、カリンはキッテルに質問しなかった。クオンと共に聖堂を後にする。
(色々バリエーションあるみたいだし、似た内容の話をどこかで聞いたのかな?)
答えは出そうにないので、とりあえず頭の片隅にしまっておくことにするカリンなのであった。
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クレアはハルトヴィンに呼ばれ、メーヴェと共にハルトヴィンの自室を訪れていた。
「クレア。メーヴェ。例の遊学の打ち合わせをしておきたい。」
「ライン大陸の西部諸国に行く予定ですよね?」
「そうだ。だが途中で錬金都市ギーセンに立ち寄ろうと思う。」
「ギーセン・・・ですか?」
錬金都市ギーセンはライン大陸中央部にあるため、寄り道することは不可能ではない。
「理由をお伺いしても?」
「そうだな・・・ゲーベルは知っているだろう?奴は錬金術師を名乗っている。錬金術師ならばギーセンに奴の情報があるかもしれない。ヘンドリクから調査してくれと依頼された。」
「宰相閣下が・・・。」
「ああ。奴は皇帝に取り入って何かを企んでいる。だが奴の目的がはっきりしない。それを知るためにも、奴の情報を集める必要がある。」
宰相を中心とした勢力は、ゲーベルを危険視している。まるで紙にインクが染み込むように、わずか一年で帝国上層部の多くを味方につけた謎の錬金術師。皇帝もゲーベルの言うことを聞いている。ゲーベルの目的は分からないが、オストシルト帝国を操って何かをしようとしているのは明らかだった。
「分かりました。ギーセンには一度行ってみたかったんです。」
特に反対する理由もないし、錬金術には興味があるので一度は訪れてみたいとクレアは思っていた。
「ありがとう。そう言ってくれると助かる。これが大まかな予定表だ。」
ハルトヴィンはクレアとメーヴェに予定が書かれた紙を渡す。クレアは内容に目を通した。帝国と仲が悪い国を通らなければいけないが、戦時ではないため通行には問題はない。
ハルトヴィン達は予定表を見つつ、細かい部分を詰めていくのであった。
*********
クオン達が学院へと戻った後は歴史の授業だった。歴史の担当はクーンという先生で、学院でもかなり古株である。春学期は歴史時代の始まりからリンドブルム王国建国までが範囲だった。
クーンは春学期の復習も兼ねて、リンドブルム王国建国までの、歴史の概観を話す。
フェリウス帝国の建国。国家の乱立。戦乱と平和を繰り返した時代、フェリウス帝国の世界統一。そして長きに渡る平和と繁栄の時代。数多の先進的な魔法機械が作られ、世界各地に大都市が溢れたという。
しかし、栄華の時代も唐突に終わりを告げる。災厄が起きたためだ。
災厄―――繁栄を極めたフェリウス帝国が七夜で滅んだとされる出来事だ。その原因も内容も当時の記録が失われているため、真相は定かではない。わずかな伝承、記録、遺跡の調査から推測できるのみだ。
災厄とは結局何だったのか。神界へ渡ろうとしたために、神の怒りを買ったという人もいれば、世界的な天変地異だという人もいる。だがどちらの説も反証があり、定説とはなっていない。
災厄以前の神話や歴史は、フェリウス帝国の永久書庫が発見されたためよく研究され分かっている。だがその反面、魔法機械など文明を支えていた技術書は永久書庫にはなく、人類の文明は大きく後退してしまった。オストシルト帝国の飛行艇や地下王国の巨大装甲列車など少数の技術遺産が残るのみである。文献からの復元や遺産のリバースエンジニアリングにも限界があり、結局一から知識と技術の集積をする事が多い。
災厄の後、暗黒時代と呼ばれる時代となる。フェリウス帝国の滅亡により世界秩序が崩壊したために訪れた混沌の時代だ。史書が作られることも少なくなり、歴史的な記録はほとんど空白である。
暗黒時代が終わりを告げたのは災厄から四百年後のことである。ライン大陸の中央部には、フェリウス帝国建国以前よりルークス大神殿が存在していた。災厄を生き延びたルークス大神殿は、暗黒時代において人々の拠り所だったとされている。大神殿はライン大陸の秩序の回復と暗黒時代の終わりを掲げ、聖ルークス王国を建国する。その影響を受けて、ライン大陸西部では都市国家レグニス、アイゼン、イストゥーアが連合し、リンドブルム王国が建国されたのである。
「さて、ここまでが春学期の内容です。皆さん思い出しましたか?では、今期はリンドブルム建国後から始めます。まずは全体の概観から。」
カリンは春学期の授業は受けていないが、クオンにノートを見せてもらって勉強しているので問題はない。
クーンは板書をしながら、リンドブルム王国の変遷を簡潔に述べていく。
「伝承によると、災厄の際、大陸西部は大地震や大津波に見舞われました。すると、天からリンドブルム様が現れ、人々を神の艦に導いたそうです。この伝承に根拠があるわけではありません。ですが、当時の人々は伝承を信じ、リンドブルム様を一番に信仰していました。リンドブルム信仰という共通の土台があったために、国家形成はスムーズに進みました。戦争もありましたが、大陸東部よりは激しくありませんでした。徐々に領土は広がって行きます。」
三都市の連合で始まったリンドブルム王国は、徐々に領土を広げていく。アルセイド州が加わったのが八百年前。五百年前にシュネーヴィントがある北部が編入され現在の領土となった。
クーンは内政史と対外史を分けて年表を書いていく。重要な事件には黄色のチョークで強調する。
「秋学期からは、この年表にある出来事を流れも含めて授業します。余裕のある人は予習をしておくと良いでしょう。春学期も言いましたが、歴史とは暗記科目ではありません。何事にも原因があるのです。いつ、どこで、だれが、何を、何のために、を理解することが重要です。歴史――過去を知ることは今を知ることでもあります。過去の積み重ねが今という時代に反映されているのですからね。それを忘れないように。」
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「クー姉、お願いがある。勉強を教えて欲しい。私の家庭教師になって。」
レーネの突然のお願いに、クレアは戸惑う。皇族ならば家庭教師がついているのが普通だ。クレアはレーネに尋ねる。
「レーネちゃんには家庭教師がいるんじゃないの?」
「いるけど、あまり教えてくれないの。私を怖がってる。」
レーネは目を伏せる。魔眼のせいで、避けられているようだ。話を聞くと、最低限の内容しか教えてもらえていないようだ。自分なりに独学でも学んでいるようだが、限界があるらしい。
「時間があれば兄様が教えてくれる。でも兄様は忙しい。あまり負担をかけたくない。クー姉、学者だって聞いた。頭良くないと学者になれない。クー姉、頭いい。きっと適任。」
レーネは一気に捲し立てる。いつもは物静かなレーネだが、必死にクレアを説得しようとしていた。そこまで健気にされては、クレアとしても断れない。
「ハルトヴィン皇子が許可してくれたら、なってもいいよ。」
「本当!?分かった、兄様に言う。」
「あっ、待って。私も行くわ。」
クレアとレーネはハルトヴィンに会いに行く。偶然メーヴェを見つけたのでハルトヴィンの居場所を聞くと、ちょうど今の時間は自室にいるとのことだった。なので、ハルトヴィンの部屋を訪れる。
「兄様。お願いがある。」
「レーネがお願いとは珍しいな。どうした?」
「クー姉を私の家庭教師にして欲しい。」
「クレアを?クレアはどう思ってるんだ?」
「私は構いませんよ。」
「なら、俺が反対する理由はない。レーネをよろしく頼む。」
「はい。謹んでお受けいたします。」
特に問題なく家庭教師の件は了承される。すると、レーネはクレアの服の裾をぐいぐいと引っ張った。
「クー姉、さっそく教えて欲しい事がある。」
「レーネちゃんってば、そんなに急がなくても・・・。は、ハルトヴィン皇子、失礼致します。」
クレアとレーネは慌ただしく退出していく。二人が出て行った扉を見ながら、ふっと微笑む。
「よかったですね。ハルトヴィン皇子。」
いつの間にか部屋の中にいたメーヴェが話しかけてくる。ハルトヴィン皇子は驚くこともなく応じた。
「そうだな。クレアのおかげで、レーネが明るくなった気がする。」
レーネは気丈にふるまってはいたが、やはり魔眼で避けられるのは精神的にきついものがある。ハルトヴィンはできる限り、レーネに構うようにはしていた。だが男のハルトヴィンでは自ずと限界がある。クレアは魔眼について正しい知識を持ち、レーネを避けたり恐れなかった。嬉しい誤算だった。
「引き続き、二人を頼むぞ。メーヴェ。」
「心配しなくても、報酬の分はきっちり働きますわ。我が主。」
メーヴェはペロッと赤い舌を出すと、その姿が掻き消えた。ハルトヴィンはため息をつく。
「相変わらず、つかみどころのない奴だな。」
*********
ハルトヴィンの部屋を後にしたクレアとレーネは春揺宮の図書館にいた。他に人影はなく、二人だけの貸し切り状態だ。自ら勉強しようとする殊勝な心がけの皇女はレーネだけのようだ。レーネは本棚から一冊の本を取り出すと、クレアの元へと持ってくる。
「クー姉。この本で分からないところがある。」
「どれどれ。・・・宗教学入門?」
レーネが持ってきたのは、宗教学の基礎が描かれてある本だった。クレアはページをペラペラとめくる。入門と書かれているだけに難しい本ではなさそうだが、レーネの年齢の子が読むような本ではない。
「この本、レーネちゃんには難しいと思うけど、面白い?」
「うん!本読むの面白いよ!」
「そっか。レーネちゃんは勉強熱心なんだね。えらいえらい。」
「えへへ。」
クレアが頭を撫でる。レーネのアッシュブロンドの髪はふわふしていて気持ちいい。クレアに撫でられて、レーネは嬉しそうに微笑む。
「レーネちゃんは、どこが分からないの?」
「うんとね。このページ。」
レーネが示したページには、ライン大陸の地図が載っていた。信仰されている宗教が色分けされて示されている。土着の信仰がちらほらと見受けられるが、だいたい大陸中央部から西部は龍神教で、大陸東部はカントール神教となっている。
「何で綺麗に分かれているのかよく分からないの。」
「あー、それは災厄の解釈の違いだね。」
「解釈?」
龍神教を信仰するか、カントール神教を信仰するかは災厄における解釈の違いが起因している。解釈の違いを生んでいる大元は、信じられている伝承の違いだ。
ライン大陸中央部から西部では、災厄の際に古龍が人々を助けたという伝承が多い。一方のライン大陸東部では、災厄の際に人々を助けたのが無限神カントールとなっている。
前者の場合、災厄はあくまで天変地異であり、人々を救うために古龍が降臨したという解釈になる。後者の場合、災厄は古龍が世界から人々を淘汰するために起こしたものであり、その事に異を唱えた無限神カントールが人々を救ったという解釈になる。
クレアは以上の事柄を、できるだけ優しく、噛み砕いてレーネに説明した。上手く説明できたかどうか、クレアは不安だった。だが予想以上にレーネは聡明で、内容を理解できたようだった。
「クー姉、分かりやすい。よく分かった。満足。」
「上手く説明できたみたいでよかったわ。」
「クー姉、次は算術を教えて欲しい。私、苦手なの。」
家族のいないクレアにとって、レーネとの時間はまるで妹ができたみたいで嬉しかった。クレアは年上のお姉さんとして、家庭教師として、レーネの疑問に丁寧に答えていくのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




