第十七話『神意の在処(ありか)』
続きとなります。
一夜明けると、シュネーヴィントの街は銀世界になっていた。季節外れの雪に喜び、そこら中で子供たちが遊んでいる。ベリルの構築した術式の効果はすでに切れており、降雪は止んでいた。数日経てば、また普段通りの風景に戻るだろう。なので、クオン達は街の中にある公園で、目一杯遊ぶことにした。
「うんしょ。うんしょ。」
カリンはノインと雪玉を転がして雪だるまを製作中だ。地元の子供たちも一緒になって楽しそうだ。リッカの方は雪合戦で遊んでいる。べリルとクオンは、少し離れたところで、ベンチに座って三人の様子を眺めていた。クオンはべリルと二人きりになったこの好機に、気になっていることを尋ねた。
「べリルさん、300年前に何があったんですか?本当は覚えているんじゃないですか?」
「・・・なぜそう思うの?」
「蒐集者のことからです。べリルさんがダンジョンに置いたんじゃないですか?誰も入れなったあの場所にいたのは、べリルさんの仕業以外考えられないです。」
「・・・あの蒐集者は、カリンのトラウマよ。それを乗り越えて欲しかったの。もちろん、殺すつもりなんてない。万が一の時は、ノインが助けに入るようにしていたから。・・・私も甘いわね。」
「ええ、僕の疑問はそこからです。」
「?どこが疑問なの。」
「あなたは、蒐集者を倒すぐらいの実力がある。カリンさんも、あなたが倒してくれたといっていました。」
「ええ。」
「でも、あなたはカリンさんを封印した。封印しなければならない事情があったんじゃないですか?例えば、蒐集者以上の、あなたが死を覚悟しなければならない敵がいた・・・とか。」
「・・・。」
「覚えていないのではなく、カリンさんにそのことを教えたくないからではないかと思いました。あなたの館に飾ってあった絵、そしてあなたの様子。それらを見る限り、カリンさんをみすみす手放すとは思えないんです。」
「・・・。」
「まあ、全部僕の憶測ですけど。間違っていたらすいません。」
「はあ。ぼーっとしてる姉と違って君はいろいろ考えてるのね。」
「気分を害したのならすいません。」
「いいえ。別に気にしてないわ。・・・事実だから。」
「えっ!?」
べリルの突然の告白に、思わずべリルの顔を見るクオン。べリルは真剣な表情で、クオンの翠の瞳を見据える。ベリルはゆっくりと、真実の一端を話し始めた。
「私は、死ぬつもりだったわ。カリンにも、もう会えないことを覚悟していた。・・・それだけの相手だった。私はカリンを館に封印して隠し、奴と対峙した。」
クオンは息を呑む。あの蒐集者さえ倒す翠の魔女が、死を覚悟するというほどの敵に。
「結果は相討ち。そのまま意識が途切れて、気づいたらあのタマゴから出てきてた。後から聞いたけど、ノインが機転を利かせて助けてくれたみたいね。嬉しい誤算だったわ。」
「その敵って、一体・・・。」
「言わない。言いたくない。君にも、リッカにも、カリンにも。ただ、その敵はもうこの世界にはいない。君が気にする必要はないわ。」
べリルは視線をカリンに向ける。ちょうど、雪だるまが完成したところだった。カリンはべリルとクオンに向かって嬉しそうに手を振っていた。クオンも手を振り返す。
「君は、カリンが好きなの?」
「えっ!?」
「どうなの?うん?」
いきなりの質問。べリルの真剣な眼差しに、クオンは圧される。だが、正直に答えることにした。
「はい。好意を持ってます。」
「やっぱりそうか。まあ無理もない。カリンは可愛いからな。」
まるで自分のことのようにカリンを自慢するべリル。今のべリルは子供の姿なので、胸を張る姿は微笑ましかった。
「すまないな。私にも事情がある。過去、何があったのか全てを語ることはできない。だが、大事なのはこれからのことだ。君が好意を抱いているのなら、どうかカリンを支えてやってほしい。私からのお願いだ。」
「・・・はい。僕で良ければ。」
ふとカリンの方を見ると、クオンを手招きしていた。一緒に遊びたいらしい。リッカもいつの間にか合流していた。ノインはこっそりリッカの背中に雪を入れて驚かせていた。
「じゃあ、ちょっと行ってきます。」
「ふふ。頑張れ男の子。」
べリルは雪で遊ぶ四人の様子を、幸せそうにずっと眺めていたのであった。
*********
クレアは沈痛な面持ちで、皇宮の中を歩いていた。目的地は、ハルトヴィン皇子のいる春揺宮だ。皇族に会うというだけで緊張で胃に穴が開きそうだ。それでも、クレアはビクビクしながら少しずつ目的地へと進んでいた。幸い、御付きのメイドさんが先導してくれるので迷うことはない。
(怖いなあ。何か言われるのかなあ。)
なぜ庶民のクレアが皇宮にいるのか。それは、ハルトヴィンが今回の旅に同行する研究者に会いたいと言ってきたためだ。事前に知っておきたいらしい。ヘルツ博士経由で来たその申し出を断るなどできるはずもなく、クレアは人生で初めて皇宮に足を踏み入れることとなった。
「こちらの部屋でお待ちください。」
メイドに通された部屋は立派な客間だった。促されるままソファに座る。メイドが一礼して去ると、なんとも言えない静寂が舞い降りた。耳を澄ますと、部屋に置かれた柱時計の音だけが規則正しく聞こえてきた。
「眠い・・・。でも寝たら失礼になっちゃうし。」
ふあ、と欠伸をかみ殺す。今までずっと緊張していたせいか、急に眠気が襲ってきた。うつらうつらしていると、誰かが部屋に入ってきた音がした。クレアは慌てて目を開ける。だが、視界に入ったのは予想外の人物だった。
「あら?あなたはだあれ?」
客間に入ってきたのは女の子だった。八歳くらいだろうか。ふわふわのアッシュブロンドに琥珀色の瞳。頭の後ろに大きな黄色いリボンをしていた。あまりの可愛さに思わず見惚れるクレア。だが女の子はさっと部屋の中に入ってくると、向かいのソファの裏に隠れてしまう。
「あれ?どうしたのかな?」
クレアがじっとソファに目を向けていると、ソファの影からこっそり顔をのぞかせる女の子。こちらの様子をうかがっているようだ。
「こっちおいで。怖くないよー。」
「・・・・・。」
女の子は訝しげにクレアを見つめる。クレアはそろーっと女の子に近づいていく。すると女の子の瞳が変わっていることに気付いた。
(虎の瞳だ・・・。)
虎の瞳。琥珀色で、瞳孔が細長い瞳のことを言う。一般的には、魔眼と呼ばれている。魔力の流れで虹彩の色が刻々と変わる。人の心を見透かすと言われ、多くの人に嫌悪されている。
「あなたの瞳。綺麗ね。」
「・・・えっ?」
研究者の性で、初めて見る虎の瞳にうずうずする。クレアが近づいていくと、女の子は困った顔をしたが、拒否はしなかった。クレアは女の子の頬に両手を当てて、じっと瞳をのぞき込む。
「・・・綺麗。」
うっとりと女の子の虎の瞳を見つめるクレア。本では知っていたが実物を見るのは初めてだった。
「お姉ちゃん。変な人。」
女の子は頬を紅く染めて、上目遣いに言う。クレアは女の子の言葉に、ぱっと手を離した。
「ごめんね。つい夢中になっちゃった。」
「・・・気持ち悪くないの?」
「なんで?とても綺麗よ。」
「・・・そんなこと言う人初めて。」
女の子はぷいっと顔を背ける。頬は赤いままだ。ここで、クレアは自己紹介をしていなかったことを思い出した。
「名前、まだ言ってなかったね。私はクレア。クレア=クルックシャンクよ。あなたのお名前は?」
「・・・レーネ。レーネ=オストシルト。」
クレアは衝撃のあまり沈黙する。姓にオストシルトが付く人物なんて皇族しかいない。一体どの皇女様だろうかと記憶を探るがそれ以前に覚えてなかった。
「何番目の皇女様か知らないけどすいません!?」
レーネは慌てているクレアにきょとんとしている。別に気にはしていないようだった。
「ごめんね。今日、皇宮に来たのが初めてで緊張でいっぱいいっぱいなの。」
「お姉ちゃん。何しに皇宮に来たの?」
「えっとね。ハルトヴィン皇子って知ってるかな?その人に会いに来たの。」
「お兄ちゃんの知り合い?」
「お兄ちゃん?ハルトヴィン皇子はあなたのお兄ちゃんなの?」
「うん。ハル兄は私のお兄ちゃん。」
「そうだったんだ。私はその、あなたのお兄ちゃんに呼ばれてきたのよ。」
「・・・お姉ちゃんはかいざーヴぃるへるむの学者さん?」
「ええ。そうよ。レーネ様。」
「ダメ。」
「え?」
「様付け。ダメ。だめだめ。」
「えぇ・・・。じゃあ・・・レーネ・・・ちゃん。」
「上出来。よろしく。クー姉。」
レーネは畏まられるのが嫌いらしい。ちゃん付けで呼ぶと、満足したようだった。レーネは改めて、その特徴的な虎の瞳でクレアを頭のてっぺんから足のつま先まで観察する。子供らしい遠慮のない視線にさらされて恥ずかしい。
「ど、どうしたの?」
「合格。」
「へ?な、なにが?」
「なんでもない。」
レーネの瞳が妖しく光る。魔力の流れによって色合いを変えていく虹彩に、クレアは思わず見惚れる。そのうち、頭がぼーっとしてきた。
「お姉ちゃん。疲れてる。私の膝、貸す。」
レーネは、甘い声でクレアを誘う。耳元で囁かれる声を聴いていると、なんだか気持ちよくなってくる。クレアは瞬く間に夢見心地になっていた。レーネの甘美な声が、心に浸透していく。そしてクレアの意識は闇へと沈んでいった。
*********
エルヴィンはテオバルトと朝食を摂っていた。昨日の黒竜戦以来、話をしてみたのだが思ったより悪い奴ではなかった。皇帝の番の座を狙っているのと噂も、どうやらテオバルトの父である現ツヴァイク公爵の仕業らしい。本人には全くその気はないようだった。
「てっきり、ツヴァイクとウィンゲートの皇帝を巡る争いかと思ってたんだが。」
「確かに、実家は反目し合っている。だが今回の試験のことは関係ない。ただ単に、あいつが気に入らないだけだ。」
ふん!と鼻を鳴らすテオバルト。ローズとは反りが合わないだけのようだ。昔からのライバルみたいなものらしい。
「で?結局、フランカ陛下のことなんとも思ってねえの?それはそれで男として問題じゃね?女性に興味ないとか?」
「なっ!?そんなわけないだろう!陛下は十分に可憐だ!俺を衆道好きに仕立て上げようとするな!」
テオバルトがばんばんと机を叩く。衝撃で、朝食のトーストが浮いた。エルヴィンはタイミングよく浮いたトーストをつかむとバターを塗って口に運ぶ。もぐもぐ。
「そういう貴様こそ、陛下を狙っているのではないか?」
「それ以前に、俺は陛下の姿を見たことないんだが。テオバルトは見たことあるのか?」
「相当昔だが、一度だけ。限られた貴族だけのお披露目会でな。」
「可愛いの?」
「ああ。ってなんで貴様に言わないといかんのだ!」
「いいじゃん別に。減るもんじゃないし。ほらほら手が止まってるぞ食え食え。」
「むぐう!?」
騒がしくなりそうだったので、手近にあったトーストをテオバルトの口に突っ込む。もがもが言ってたが、大人しくトーストを食い始める。自分も食事を再開しようと思ったところにツェツィがやってきた。
「おはようエル君、テオ君。いつの間に仲良くなったの二人とも。」
「おはようツェツィ。別に仲良くなってないぞ。」
「そうなの?遠くから見てたら、エル君がテオ君にトーストを食べさせてあげてたから仲がいいのかなって思ってさ。」
「はあ?テオバルトが騒がしいから黙らせただけだぞ。なあ?」
「もがもが!」
テオバルトは抗議していたが、口に詰め込まれたトーストのせいで言葉にならない。ツェツィは困ったように笑う。
「今日から最後の試験だね。お互い頑張ろう。エル君と当たっても手加減しないから!」
得物は双剣のはずなのに、拳をしゅっしゅと繰り出すツェツィ。その仕草になんだか笑ってしまうエルヴィンであった。
「ああ~笑ったな~!本当に本気のマジなんだからね!」
「はは。楽しみにしとくよ。」
ふと、エルヴィンは視線を感じた。ツェツィの背後を見ると、向こうのテーブルにローズがいる。こちらをじっと見ていた。なんだか顔が赤い。
「なあツェツィ。ローズがめっちゃこっち見てんだけど。」
「今日の試験のこと考えてるんじゃない?エル君とテオ君のこと見ながら、受けとか攻めとか言ってたし。作戦立ててるんだよきっと。首席目指すなら二人とも倒さないといけないしね。ローズ、首席目指すっていってたし。」
「いつの間にか仲良くなってたんだな。ローズと。」
「女の子の受験者少ないからね。他の三人とも仲良くなったよ。貴族様だから構えてたけど、話してみると別に尊大な感じはしないし普通だったよ。」
騎士試験の女性受験者は五人。自然と女性同士で固まって仲良くなっていた。その中で貴族はローズだけのだが、話してみるとけっこう普通だったらしい。当のローズは、さっきとはうってかわって黙々と朝食を摂っていた。顔は赤いままだが、こちらを一切見ていない。
「そういや、ベルはどこだ?」
「ベル君なら、恋人に手紙書くんだ~って言ってたけど。」
「ああ、例の幼馴染ね。お熱いな~ベルも。」
「エル君はそういう相手はいないの?」
「俺にはいないかな。」
「そ、そうなんだ。」
ツェツィはほっとした様子だった。エルヴィンはそんな様子を訝しみながらも、特に追及はしなかった。エルヴィンはローズの方へ足を向ける。エルヴィンは、知り合いの顔を見たなら挨拶する主義だ。
「ようローズ。おはよう。」
「あ、ああ。おはよう。お前は朝から元気だな。」
「さっき、俺とテオバルトの方見てたけど何か考えてたのか?」
「・・・す・・すこしな・・・。」
なんだか歯切れが悪いローズ。すみれ色の瞳を泳がせている。顔もさっきから赤いままだ。
「ツェツィが言うには、受けとか攻めとか言ってたらしいけど?」
「ま、まあそうだな。エルヴィンは、自分ではどう思っている?」
(攻撃主体か防御主体かってことかな?まあ俺は攻撃する方が好きだし。)
「俺?まあ、攻めかな?ぐいぐい攻めるの好きだぞ。」
「ぐいぐい・・!?」
なぜか目を見開いて驚愕しているローズ。そんなに驚くことだろうかと首を傾げた。
「テオバルトが攻めで、エルヴィンは受けだと思っていた。やはり脳内で考えただけでは限界があるな。」
「テオバルトが攻めなのは分かるが、俺はいうほど受けか?」
「私の見立てでは、そう感じた。」
エルヴィンには、ローズが一体どういう見立てをして「エルヴィンは受け」という結論になったのか全く分からなかったが、話の腰を折るのも気が引けた。
「ふうん。まあいいや。今日、試験で当たったら全力で頼むぜ。ローズ。」
「ふっ。無論だ。ほえ面をかかせてやるぞ。」
ローズは楽しそうに笑う。唇の隙間から白い牙がちらっと見えた。大剣を背負っているときは、威圧感があったが、こうしてみると年相応の少女だ。
「どうした?私の顔になにかついているか?」
「いや。ローズは可愛いなと思って。」
「は!?」
「じゃあ、俺、ベルンハルトのとこ行くわ。また後で。試験会場でな。」
固まるローズをそのままに、エルヴィンは食堂を出ていく。ツェツィもその後を追っていった。後には、顔を真っ赤にしたローズが取り残される。熱くなった頬に手を当てる。ふと顔を上げると、テオバルトと目が合った。まだ口をもがもがさせている。
((なんなんだあいつは・・・。))
この時ばかりは、反りの合わない二人の心が一致したのであった。
*********
エルヴィン、ベルンハルト、ツェツィの三人は、個人試験が行われる会場に来ていた。個人試験はランダムバトルで、各自五回戦う。四回戦までは受験生同士、最後の五回戦は試験官と戦う。試合結果と内容で点数が付けられる。
「試合の組み合わせ出てるぜ。」
ベルンハルトが指さした先には、掲示板があった。そこに、個人試験の試験組み合わせが載っている。
「1回戦、エル君とだ。」
エルヴィンの1回戦はツェツィだった。2回戦の相手はローズ。3回戦はベルンハルト。4回戦の相手はテオバルトだった。
「なんだこれ。黒竜倒した面子じゃん。」
「だろうな。ランダムと言いつつ絶対考慮されてるな。強さの順番を知りたいんじゃね。」
「負けないからねエル君!」
「私もだ。」
三人が振り返ると、いつの間にかローズが来ていた。なぜかちょっと頬が赤い。ローズはエルヴィンにびしっ!と指を突き付けて叫ぶ。
「エルヴィン。私を翻弄させるとはいい度胸だ!試合では覚悟するんだな!」
それだけ言うと、ローズはすたすたと歩いていった。三人はその背中を呆然としながら見送る。
「ねえ。エル君。ローズに何かしたの?」
「いや。全然覚えがないんだが・・・。」
「お前って思ったことをそのまま口走ることあるからな。不用意に何か言ったんじゃねえの?」
「食堂で少し話しただけだぞ。」
エルヴィンは首を捻る。どう思い返しても自分に落ち度があるとは思えなかった。エルヴィンは姉の影響で、女の子に対して、可愛いと思ったらすぐ口に出す。そのことがローズをやきもきさせたのだが、本人はまったく気づいていなかった。
「やはり、貴様と対戦になったか。」
声がしたので振り向くとテオバルトがいた。テオバルトもローズと同じように、指をびしっと突きつける。
「貴様には絶対負けんぞ!」
テオバルトはそのまますたすたと去っていく。ベルンハルトはエルヴィンの肩に、ぽんと手を置く。ベルンハルトは笑いをこらえていた。
「エル。めっちゃ人気者じゃねえか。噂の二人から目の敵にされてるぞ。」
「・・・俺、なんかしたか?」
「ま、まあまあ。本気で戦ってくれると思えばいいんじゃない?」
ちょっと元気がなくなったエルヴィンを慰めるツェツィなのであった。
「はっ!?もしかしてトーストを口に突っ込んだのを根に持ってるのか!」
「違うと思うよ・・・・。」
**********
「お姉ちゃん。起きて。」
「・・・ん。」
微睡みの中にあったクレアの意識は、レーネの声で浮上した。目を開けると、近くにレーネの顔があった。
「あ、あれ?私・・・。」
「起きた?ぐっすり眠ってた。」
「えっ!?うそっ!?」
「疲れてた?まだ寝てていい。」
クレアはレーネに膝枕されていた。起き上がろうとするクレアの肩を押さえるレーネ。何だか全身に力が入らず、また寝かせられてしまった。
「この体勢、恥ずかしのだけれど・・・。」
「気にしない。」
「ていうか、皇女様の膝枕じゃん!?」
「私は気にしてない。」
一回りは年下のはずなのにレーネに翻弄されっぱなしのクレア。さすがにこのままは恥ずかしいので、なんとか膝枕を脱しようとした時、部屋の扉が開いた。
「すまないな。遅くな・・・。」
入ってきた男とばっちり目が合うクレア。頭はレーネの膝の上に頭を載せたまま。かなり気まずかった。
「ご、ごめんなさいいいい!?」
「おっとっと。」
気力だけでがばっと起き上がるクレア。心臓がバクバクとなっていた。まともに男の方を見れない。
「レーネ。ずいぶんとその子になついてるじゃないか。お前にしちゃ珍しいな。」
「そう?覚えがない。」
「お兄・・・もしかしてあなたがハルトヴィン皇子ですか?」
「ああ、そうだが。」
「申し訳ありませんでしたあ!」
クレアはがばっと立ち上がると、風が巻き起こる勢いで頭を下げる。いきなりの行動に、ハルトヴィンは呆気にとられる。ハルトヴィンが何か言う前に、クレアは顔を真っ赤にして一気にまくしたてる。
「お待ちさせていただいたあげく、名前さえ知らなかった皇女様に膝枕してもらい、あまつさえそんなだらしない恰好でお目を汚してしまい、かつ何番目の皇子様かも知らないで申し訳ありませんハルトヴィン様!」
「待て待て待て!謝らなくていい!別に気にしていない。待たせてしまったのはこちらだしな。だから落ち着け。」
「は、はい。」
レーネはそんな二人の姿を見て笑いをこらえていた。レーネはクレアの腰に抱き着くと、上目遣いでハルトヴィンを見る。クレアはその仕草に思わずきゅんとなる。
「楽しい人。私は気に入った。このお姉ちゃんでいい。他はろくなのいない。」
「えっと・・・?」
状況を飲み込めないクレア。すると、ハルトヴィンはクレアの手を引っ張り、部屋の隅へと連れていく。そしてこそこそと内緒話を始めた。
「ヘルツ博士からどこまで聞いている?」
「えっと、皇子と竜角人の調査に行くんですよね?」
「ああ、だが表向きは遊学だ。あと、母と妹がついて来る。」
「え?皇子のお母さんとレーネちゃんも行くんですか?」
「そこは俺の個人的な事情だ。深く考えなくていい。竜角人のことは秘密にしておいてくれ。」
「はい。分かりました。」
「で、話は戻るんだが、カイザー・ヴィルヘルムの研究者が同行すると聞いて嫌だと駄々をこねたんだ。今日、君を呼んだのはその件のことでな。」
ハルトヴィンはちらっとレーネを見る。レーネはソファに座って足をぶらぶらさせていた。ご機嫌なようで鼻歌を歌っている。
「説得しようと思ったんだが、その必要はなさそうだな。君の名前は・・・。」
「クレア。クレア=クルックシャンクです。」
「クレアか。知っているとは思うが、俺の名前はハルトヴィン=オストシルト。この国の第八皇子だ。」
「八番目の皇子様だったんですね。今度は覚えておきます!」
「いや別に覚える必要はないんだが・・・。まあいい。ところで、一体どういう方法でレーネを誑し込んだんだ?」
「誑し込むって・・・。ただ気づいたら膝枕されていただけですよ。」
「なんでそんな状況になったんだ。」
「私にも分かりません。」
「・・・レーネは見ての通り魔眼を持っている。そのせいで気味悪がられたり、利用されたりして人間嫌いなんだ。他の皇族からは邪眼姫とか皇宮では呼ばれてるしな。」
「そうなんですか?人間嫌いには見えませんでしたよ?」
「俺も驚きだ。あそこまで気を許しているなんてな。・・・そう言えば君は魔眼は怖くなのか?」
「?何でです?ただ虹彩に魔力が流れているだけじゃないですか?瞳の色が刻々と変わってとても綺麗ですよ。」
「綺麗?」
「ええ。知ってはいましたけど実物は初めだったので思わずじっと見ちゃいました。」
「そのことをクレアに言ったのか?」
「恥ずかしがってました。」
「なるほど。そういうことか。だから懐いたんだな。」
「???」
「良ければ、レーネと友達になってやってくれないか。大人ぶってはいるが、まだまだ子供でな。いつまでたっても女友達もいないのは兄としても心配なんだ。」
「わ、私なんかで良ければ!」
皇族とお友達なんてさらに胃が痛くなりそうだが、事情を知ってはレーネ放っておくこともできない。自分ができる限りのことはしようと思うクレアであった。それに可愛いレーネと一緒なら憂鬱だった今回の旅も楽しくなりそうだ。
「話、終わった?お姉ちゃん。お兄ちゃんはかっこいい。お兄ちゃんを恋人にしてみない?」
きっと、兄を薦めてくるのも、クレアを気に入ってくれたからなのだろう。だが、クレアの返事は決まっていた。
「恐れ多いうえに絶対何かの陰謀に巻き込まれそうなのでお断りします!」
確かに顔は整っているが、皇子の恋人なんて陰謀に巻き込まれる匂いしかしない。男性と付き合ったことのないクレアにはハードルが高すぎて天にそびえたっている。レーネには悪いがお付き合いはありえなかった。
「なぜ俺は告白もしていないのに振られているんだろうか?」
「お兄ちゃん。春は遠い。」
何もしていないのに振られてしまったハルトヴィン皇子は、遠い目をしながら自問自答をするのであった。
*********
王都レグニスへと帰る途中にある街の中に乗合竜車は停車していた。クオンたちは竜車の中で眠りについている。日はとっぷりと暮れ、月が煌々と魔力を含んだ光を放っていた。乗合竜車の屋根の上で、ベリルとノインは夜空を眺めていた。静寂の中で、ほーほーと鳴くフクロウの声と流れてゆく雲だけが動きを持っている。
「神工世界にいるレオノーラ達は息災なの?」
お茶をずず~っと飲みながら、べリルはノインに問いかける。月はちょうど雲の間に隠れるところだった。
「ええ。元気ですよ。今は、来るべき時に備えています。」
「・・・来るべき時ね。それはいつの事なの?」
「何百年か、何千年か。少なくとも、べリルが生きている間にはないでしょう。リンドブルムの結界は強固ですから。」
「そう。・・・レオノーラは今、何をしてるの?」
「カリンを静かに見守っています。」
「見守っている?本当にそれでいいの?あなただって・・・。」
「カリンが望むように生きていけるように。カリンが一生を全うするまではなるべく干渉はしない。それが、我らの総意であり神意ですから。」
「はあ。頑固ね。レオノーラも、あなたも。」
「そんなに褒めないでください。」
「褒めてないわよ。ところで、カリンを今目覚めさせたのはなぜなの?」
「レオノーラが判断しました。クオンとリッカならきっとカリンの望みを叶えてくれると。私もそう思います。」
「そんなに期待されちゃって。リッカはともかくクオンは大変ね。」
「そこは頑張ってもらいますよ。」
雲間から再び月が顔を出す。二人は月を眺めつつ、密かな会話を続けるのであった。
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