塔の上の紙人形
高い高い塔のてっぺんに、僕は鎮座する。
ビルも雲も超えて高く高く積み上げた僕の功績。
高すぎて誰も届かない。
今まで僕をなじった奴も、
今まで僕を後ろ指指した連中も、
もう僕まで届かない。
床に這いつくばった僕が見える。
今は僕が上から見る方だ。
誰も届かない。
金も、株も、家も、思いのまま。
今の僕は、なんだってできるんだ。
得意になって僕はまた一段高いところへ登った。
もう下が見えないほど高く高く。
人々の姿は見えない。
僕はやったんだ。
やつらを見返すことができたんだ。
でもなんだろう。
この空虚な気持ちは。
全てを掴んだのに、僕の胸を締め付けるこれはなんだろう。
いつか心臓から染み出した灰色の液体は、形になって落ち着いた。
「ねぇ、どうしてこんな高いところにいるの?」
驚いた。こいつは言葉を喋るのか。
「下へ降りて、みんなと一緒に遊ぼうよ」
僕はゆらゆら揺れる陽炎みたいなやつに言ってやる。
「やなこった。俺はあいつらとは違うんだ。あいつらなんかと遊べるか。」
俺は鼻を鳴らして嘲笑った。
陽炎は黙った。
ある日僕のそばで揺れていた陽炎がまた言葉を話した。
「ねぇ、一体なにを作っているの?こんなに高くしたら降りれなくなっちゃうよ。」
僕はまた嘲笑って答えた。
「降りれなくてもいいんだよ。僕はもう二度と下には降りないから。」
陽炎はまた黙った。
表情はないはずなのに、何故だか悲しそうに見えた。
「ねぇ、寂しくないの?君には愛し合う恋人も分かち合う友達も居ないんだよ?」
陽炎がまた僕に話しかけた。陽炎はなんだか今にも消えてしまいそうだった。
「寂しい?どうして?そんなものがなくても僕はのしあがれた。そんなものはいらないよ。」
僕は皮肉そうに笑って答えた。
陽炎は返事をしなかった。
僕は一層高いところに登った。
もう下が見えないところまで来た。
ここは空気がない。
ああ、ここは宇宙なんだ。
僕の体はふわふわ浮き始めた。
「やぁ、こんにちは。いつかの君。」
今度は僕から陽炎に話しかけた。
他に誇れる相手がいなかったからだ。
「ねぇ、君は僕の正体に気づいてないの?早く気づかないと、僕は…」
「え?」
灰色の液体は揺らいで少し宇宙の闇に溶けた。
そんな!そんな!君が消えてしまったら、僕は誰に僕のことを話したらいい?
嫌だ!消えないでくれ!
僕は必死に考えた。
「タイムリミットはあの太陽が沈むまで。」
陽炎は冷たい宇宙の中で輝く暖かな太陽を指差した。
早く、早く、答えを出さないと彼は消えてしまう。
僕は髪を掻き毟って考えた。
黒く冷たい宇宙の闇は、唯一の光から目を閉ざそうとしている。
沈んでしまう。
タイムリミットはすぐそこだ。
急がないと沈んでしまう。
しかしどんなに考えてもわからない。
今まで積み上げて来たものをだんなに漁っても、答えは出てこない。
「あぁ!どうして僕には答えがわからないんだ!」
僕は泣き叫んだ。
「…君には君に答えをくれる友達がいない。君に愛を教えてくれる恋人がいない。自分が知らないことはわからないんだよ。誰かがそばにいないと、わからないこともあるんだよ。」
陽炎は消えかけの体で微笑んだ。
「自分以外の誰かに教えてもらわないと、答えはでないって言うのか!?そんな、馬鹿な…」
「そんなバナナ?」
陽炎はくすっと笑った。
「ふざけてる場合じゃないだろ!!」
僕は怒った。
「ユーモアは大事だよ。人生を豊かにするスパイスだ。君はこのぐらい覚えないと友達ができないよ。」
陽炎は悪気はないと言うように揺れた。
僕は何も言えなくなった。
僕には友達がいない。
僕には恋人がいない。
どんなに高く積み上げても、答えが見つからなきゃ意味がない。
寂しい。
寂しいよ。
どうして僕には友達がいないんだ。
「僕はちゃんと君の友達だよ」
「え?」
「君は忘れてるかもしれないけど、僕はちゃんと君の友達だよ。」
「あ…」
「今気づいたの?君は本当に可笑しいなぁ…」
陽炎はくすくす笑った。
もう半分も消えかけた君が笑っている。
僕は悲しくなって泣き崩れた。
そして泣き止んだ時には全てがどうでもよくなった。
「なぁ、いいのかい?僕はもう何も考えていないんだよ?」
ぐず、ずすっ、と鼻を鳴らして僕は彼の隣にしゃがんで座った。
「そうやって挫折するのも必要さ。一度頭を空っぽにするのもいいことだよ。」
陽炎は全く気にせず笑っている。
そういうもんなのか…
僕は目尻に溜まった涙を拭いた。
眩い光が一筋の線になって宇宙の彼方に消えようとしていた。
「ああ、もうすぐだね…」
陽炎は目を細めた。
「あっ…わかったぞ。もしかして君は…!」
沈みかけた太陽が闇に消えようとした時、一つの閃きが頭の中でちかちかと瞬いた。
「君は、君は、」
突風のような風がおきて僕は思わず目を瞑る。
「あっ!」
開けた真っ白な天井に目を開ける。
もうそこは宇宙じゃなかった。
シワのついたベットの上。
瞳からとめどなく流れる涙に視界を塞がれる。
「君は…いつかの君は…僕?僕なのか…?」
夢から覚めた僕は布団の上で涙を拭いた。
思い出される幼い頃の記憶。
柔らかな芝生の上で絵を描いていた僕に、おじさんが小さな紙人形を作ってくれた。
僕はその紙人形に、自分の名前をつけたっけ。
おじさんが教えてくれた。
全部のこと。
大切なこと。
あれは一体誰だったんだろう…
ピルルルル!
いきなり電子音が響いて俺の心臓が跳ね上がった。
スマホの時代にしては珍しく、ガラケーだ。
液晶画面に、「母」と表示されている。
何の用だろう…
「はい。母さん?」
「貴之!貴方連絡ちっともくれないから心配したじゃない!」
電話口から心配そうな声が聞こえてくる。
「ごめん…仕事が忙しくて…」
常套文句を話し出した俺に母は拗ねた声を出す。
話している間も先ほどの夢が頭から離れなかった。
「母さん。」
「?なに?」
唐突に切り出した俺に母は少し動揺した。
「食事しようよ。話したいことがあるんだ。10時に。うん。迎えに行くから。」
母はきっと、携帯の向こうで怪訝そうな顔をしているのだろう。
10時。
俺の車から降りた母は、「まあ!」と感嘆の息を漏らした。
高級レストランのビルの前、俺は母をエスコートして中へ入った。
食事の席に着くと、俺は早速話し始めた。
夢のこと、友達のこと、そしておじさんのこと。
母は馬鹿にせずじっくり耳を傾けてくれた。
話し終えた俺に母は一呼吸置いて話し出した。
「…普通の会社からの引き抜き。IT関係の会社に引き抜かれて貴方は喜んでいたわね。これで俺は勝ち組だ!やっと見返してやれる!って。お金もたくさん。仕送りもしてくれた。」
俺はなんだかいたたまれなくなって視線を膝の上においた拳に落とした。
「…でも。私は貴方の心からの笑顔が消えてしまったことに気がついた。お金、地位、家。全部が貴方のそばにあるけど、貴方のそばには誰もいなかった。友達も、恋人も。」
「でも私はそれを感じながら、なにもしてあげられなかった。」
母は目を伏せた。
「でも。」
顔を伏せた俺に母は言った。
「あの人が、助けてくれたのね。」
「あの人?」
そう言うと母は財布から一枚の写真を取り出した。
「…!おじさん!」
俺には生まれつき、父親がいなかった。
「この人…そうだ!親父だ!絵描きだった、あの!あれは親父だったのか!」
その時、唐突に子供の頃の夢を思い出した。
「将来、なりたいものはあるのかい?」
そよ風の吹く原っぱに寝転んだ僕に親父は聞いた。
「僕?僕はね!おじさんみたいな、絵描きになる!」
「そうか、そうか。」
親父は僕の頭を撫でてくれた。
親父…思い出させてくれてありがとう。
俺、もう大丈夫だよ。
「ねぇ!どうしてお父さんは、絵描きになったの?」
「そうだなぁ…お父さんのお父さんの影響かな。それと…」
「それと?」
「お父さんの、友達のおかげかなぁ…」
「友達?友達ってだあれ?」
「それはね…」
俺は息子に小さな紙人形を作った。
大切なことを思い出させてくれる、友達として。