94 獰猛な魔獣
ゴルトブントと言うそうだ。
我々を追い掛けてきた兵たちを、あやうく肉のかたまりにし掛けた獰猛な魔獣のことである。
貴族の護衛は、あらゆる敵と戦う訓練を積んでいる。実力がなければ、そもそも貴族に雇われはしない。
そんな彼らをここまで追い詰めるほどの魔獣は、金色のオオカミの群れだった。
いや、実際目にしてみるとその毛の色は金と言うより枯草色に近い気がする。金色の毛と言うと、やはりグランツファーデンの親分みたいなびっかびかに輝く毛色のことだろう。
大森林のオオカミたちは、私が知ってる大型犬より一回りか二回りほども大きな体を持っていた。イヌ的な口から飛び出す牙は鋭く太く、大地を駆ける大きな足には丈夫で鋭利な爪もある。
もしかして、逆に。こんなのを怒らせ追い掛けられて、今も生きているってだけでも兵士たちは結構優秀と言えるのではないか。
そんなことを思わせるほどに、枯草色のオオカミたちは捕食者としてのやる気にあふれた造形だった。生まれながらに狩ることに特化した生き物って感じがすごくする。
その辺のことを心にとめて、受け止めて欲しい。
今、目の前で。八匹ほどのオオカミたちが横並びに整列し、たもっちゃんが焼いたちょっといいお肉に夢中でかじり付くなどしている姿を。
「飼い犬なのかな?」
「野生とは一体なんだったのか」
空になったフライパン片手にメガネが言って、私も全力で同意した。
肉に夢中のオオカミたちが並んでいるのは、レイニーが張った障壁の外だ。
ばっさばっさとボリュームのある尻尾が機嫌よさげに左右に揺れて、お尻に近い地面の上をほうきのようにはいている。
やばめの魔獣とは言えど、しょせんイヌ。いや、オオカミ。火の通ったたんぱく質の前には無力。枯草色の全身からは、よろこびがあふれ出しているかのようだ。
その光景に、声を震わせ男が呟く。
「恐ろしい魔獣なのだぞ……ゴルトブントの群れに遭えば、死を覚悟せねばならぬのだ……恐ろしいのだぞ……」
我々がいる障壁の、その隣にはもう一つメガネ作の障壁があった。その中で、ぼう然と呟く騎士っぽい男を筆頭に十人ほどの兵たちがそれぞれ完全に動揺していた。
ちょっとだけなら、気持ちは解る。
彼らがここへ現れた時、全員残らず血みどろでなかなか悲惨な姿にされていた。そうしたのは、このオオカミの群れだ。
信じたくないだろう。
殺されるかと思ったほどの凶暴な魔獣が、今や飼いイヌなのである。別に飼ってる訳じゃないけど。軽率に餌付けしただけだけど。
しかしそこは、我々も大人だ。
一応ではあるが、野生動物との付き合いかたについてはすでに話し合いを終えている。数日前の大河のほとりで、巨大な黒ネコと出会った時に。
大森林の生き物は、大森林から出てこない。ナワバリもあるし、出入りできる数少ない道は冒険者ギルドの管理下にある。
だから人間の食べ物を求める魔獣が、襲うとしたら大森林を探索中の冒険者などだ。
加えて、そもそも。魔獣は、なにもなくても冒険者を襲う。冒険者もまた素材を求めて魔獣を狩るので、お互い様だ。
つまり餌付けしてもしなくても、大森林の魔獣と冒険者と言うものは殺し合う宿命と言うことになっている。
なんかさ、よくない? もう、大森林に限っては。餌付けの弊害とか気にしなくても。
いい大人のはずなのに割と早い段階でそんな気持ちになった我々のことを、できればあんまり責めないで欲しい。
獣族の冒険者などはわざわざナワバリの主にお肉を捧げたりもするが、あれは餌付けと言うより命乞いに近い気がする。
どうだろう。我々も、餌付けじゃなくて捧げものと言ってみるのは。
横一列に並んだイヌ的なものが、ほどよく焼いたブロック肉にかじり付く絵面は餌付け以外の何物でもないが。
それと、これは強めに言っておきたい。
今回は、我々ではないのだと。
最初にこのオオカミたちに焼いたお肉を与えたのは、私でもなければメガネでもない。異世界の常識にどっぷりつかったテオでもないし、自分の食事とおやつにしか興味のないレイニーも違う。
うちの金ちゃんだったのだ。
魔獣から逃げてきた兵たちが、血みどろで現れたのは我々が朝食を終えた頃だった。
それからポーションやケガに効きそうなお茶をばらまくなどしたり、こんな状態で置いて行ったらやっぱ人としてアレかしらと話す内にお昼になった。置いて行きたい気持ちは、少しだけあった。
お昼ごはんに出されたお肉はまんがみたいに大きな骨が付いていて、金ちゃんはこれを手づかみで持ってもりもりと食べた。
そして、大体半分くらいだろうか。まだまだお肉の残ったその骨を、なにを思ったか障壁の外へぽいっと投げた。
うちのトロールには片腕しかないが、肩はとても強かった。ひゅるひゅると回転しながら高い所へ投げ上げられた骨付き肉が、緩やかに落ち始めようとした時だ。
もさもさと草木のしげる森の中から、ばさりと枝葉をかき分けて枯草色のかたまりが弾丸のように飛び出してきた。すごかった。なんか、余裕で五メートルくらいはとんでた。
跳躍したそのかたまりは高い所で骨をばくりとキャッチして、軽やかに地面におり立つと素早く森の中に飛び込んで消えた。
きゃうんきゃうん言いながら、なんかしげみがもっさもっさ揺れてるなー。と思ったら、ほどなくしてにょきにょきと、おいしげる葉っぱのあちらこちらの間からオオカミたちが大きな頭を突き出してきた。
なにこれおいしい! みたいな感じできらきらとしたイヌたちの顔に、まんざらでもなく気をよくしたのはメガネだ。しょうがないとか言いながら、うきうきと追加で肉を焼く。
枯草色のオオカミたちがガツガツ行くのは、塩やスパイスにまみれた肉だ。動物に味の濃いものを与えるのはよくない。そんな地球の知識も頭をよぎるが、しかしその辺の心配はいらない。
大森林の魔獣ともなると、生半可な毒餌では効果がないレベルなのだそうだ。うちのメガネの話によると、味付け程度でその健康がどうにかなるものでもないっぽい。
我々は、地球的なモラルと一緒に元の世界の常識を思い出の引き出しにそっとしまった。
一応捨てずに取っておく。いつか使うかも知れないし。あれみたい。おばあちゃんがため込んでる丈夫な紙袋みたいに。
「ああ言うのって、なんで捨てた途端にちょっとだけ必要になるんだろうね」
不思議だなあ、とか言って。
どうでもいい話をしながらお昼の続きを食べてると、「不思議と言えば」みたいな感じでテオが言う。
「たまにな、トロールがゴブリンや魔獣の群れに混ざっている事があるんだ。それがまた厄介なんだが……こうして手懐けているのかも知れないな」
どうして種族も違うのに、争いもせず一緒の群れを作っているのか。いつも不思議に思っていたと、妙に感心したようにうなずく。
一見意味の解らない金ちゃんの行動は、その裏でしみじみとした納得を生んでいたらしい。
ポーションと薬湯を摂取して、休息ののちに兵たちは言った。
「では、行くか」
昼にはメガネのごはんもよく食べて、体力的には兵たちもそこそこ回復したらしい。
とにかく、危機は去ったのだ。
彼らはそう考えることにしたようだ。
例えそれがゴルトブントと言うオオカミの魔獣が餌付けされ、飼いイヌ化したことによるものだとしても。もういいのだと。なんとなく遠い目をしているような気はするが。
そうか、行くのか。じゃあ、薬と食事の代金を払ってくれるとありがたい。
たもっちゃんがそう言うと、兵士の中でも騎士っぽい男が「ん?」と頭を傾けた。
「済まないが、今は余り持ち合わせがない。支払いは戻ってからにして欲しい」
「ん?」
今度は、私たちが首をかしげた。
「戻る?」
「どこへ?」
「主の所だ。決まっているだろう?」
彼らの主は大森林で、狩りのために野営をしている。そこへ戻れば、代金も謝礼も支払えるそうだ。それは解る。しかし。
「俺達も、そこまで行くって事ですか?」
「当然だろう」
当然なのかな。
なんか釈然とはしないものを感じるが、我々は異世界の常識にうとい。そう言うものなのだろうかとまた頭をかしげていたら、兵の中から「あっ」とあせったような声がした。
「小隊長! 自分ら、追い掛けてきた理由まだ説明してません!」
部下の一人にささやかれ、騎士めいた男はカッと目を見開いた。そうだっけ? みたいな感じで背中を丸めてひそひそ話し、しばらくのちに振り返った時には失敗などなにもなかったと不自然なほどにキリッとしていた。
残念ながら、なにもごまかせていない。




