88 隠匿
ないものは仕方ない。
と言う結論になった。
服屋も古着屋もこの町にはない。布ならいくらかアイテムボックスに入っているが、我々に布からズボンを仕立てる技術がある訳がなかった。
仕方ない。うちのパーティにはおっかさんがいない。
「とりあえず、もうちょっと我慢して」
「通気性がさー、死んでんだよ」
しょうがないのは解る。でもそれはそれとして、ぱりぱりズボンはものすごく蒸れる。
たもっちゃんとそんな会話をしながらに、宿屋のおかみにちょっと出てくると言い置いて建物を出ようとしていた時だ。
ちょうどドアから入ってきた男と、たもっちゃんがぶつかった。
これはタイミングの問題で、どちらが悪いと言う話でもない。それでも相手は鷹揚に、おや、とメガネを見下ろして言った。
「悪い。大丈夫すか?」
「……アッ、ハイ」
ちょっとした不自然な間を置いて、こっちもすいませんでしたと素直に謝るメガネの後ろで、私は思った。
忍びって、ホントどこにでもいるもんなんだなー、と。
「あれもか? あれもそうなのか?」
全然解らなかったぞ、と。聞きたくないけど興味は正直とてもある。みたいな感じでテオが言う。
我々がいるのは小さな森だ。
避難先の小さな町は、夏の日差しにじりじりと乾燥気味の荒野にあった。その周囲には木立めいた小さな森がぽつりぽつりと点在し、外から少し離れて見るとブロッコリーをそのまま大きくしたみたいな感じだ。
そんな規模では大した実りはないのかも知れない。森には人の気配がなかった。周りは荒野に囲まれて、誰かくればすぐ解る。
そんな場所でそれぞれに、料理をしたり草を干したりしながら話すのは隠密についてだ。
さっき宿屋の戸口で会った男は、明らかに薬売りやビートと同じ話しかたをしていた。
しかしそうと解っていたのは、やはりメガネと私だけだったようだ。
「やっぱ、普通に話してるように聞こえる?」
「あぁ。少々荒い口調ではあったが、町の兵士ならあの程度は普通だな」
たもっちゃんがぶつかった相手は、町に常駐する警備の兵だ。と、宿屋のおかみが言っていた。
まあまあ、旦那。いらっしゃい。今日の見回りはおしまいかい? うちの客がすいませんねとか言いながら、おかみは謝り合う男二人の間に入った。そしてメガネとついでに我々を、ぺっと表に放り出した。
戸口でごちゃごちゃされるのがジャマだったようだ。つよい。
町に置かれる警備の兵は、警邏が主な業務だそうだ。大きな街だと正式な兵が兼任するが、小さな町だと雇われた傭兵が務めたりもする。だから、お行儀もそれなりらしい。
小さな町の警備兵に扮しているなら、荒いくらいの口調で正解なのだろう。
そんなもんかと思いながらにメガネとテオが話しているのを聞いてると、草を干すのを手伝ってくれてたレイニーが「あぁ」と納得したように呟いた。
「あの者も、隠密だったのですか。それで、隠匿の魔法を薄く纏っていたのですね」
「なにそれ」
詳しく。
太陽は熱く、荒野にはかさかさした細長い草くらいしか生えてない。そこに土の魔法で立ててもらった柱の間に洗濯ロープをピンと張り、束ねた草をせっせと干す手を思わず止めて解説をねだった。
「隠匿の魔法は強く掛けると存在そのものを隠す事もできますが、薄く纏うとそこに誰かがいるとは認識できても興味を引かず印象にも残り難くなるのです」
うちの天使は不殺の誓いであんまり使うところを見せないが、魔法の知識と実力だけはムダにある。
キリッと教えてくれた内容に、そう言えば思い当たることがなくはなかった。
薬売りは大きな木箱を背中に担ぎ、頭には円錐の編み笠をかぶる。ユニフォームっぽいそのそろいの格好は、簡単に思い出すことができた。
しかし、顔を覚えてないのだ。
髪の色は? 目の色は?
笠を脱いだところを見てもいるのに、記憶がすごくあいまいだ。いや、それより。もっと色々あったはずのビートも、外見についてはちょっともうよく解らない。
たもっちゃんによるとどうやら隠密の一族らしいビートとは、最初に行ったダンジョンで会った。ただこれは結構前の話になるので、正直普通に忘れてる可能性もある。ような気がする。ビートだし。
しかし、それは今は横に置く。
人目を避けるべき隠密に取って、隠匿の魔法にはうってつけの特性を持つ。
大事なのはそこだ。
レイニー先生のこの解説を、なんだか微妙な変な顔で聞いていたのはテオだ。
気持ちは解る。たもっちゃんと私は、もっとはっきり不可解さを表情に出して同じ角度で首をかしげた。
「レイニーは? その魔法使えないの?」
「まぁ。いいえ。使えますとも」
だったら、なにか不都合なことでもあるのだろうか。現にレイニーが気付いたように、ほかの魔法使い的な人には隠匿の魔法は見破られてしまうとか。
この隠匿魔法には、きっとなにか隠れた不利益があるのに違いない。そうでなければ説明が付かない。
我々はそう思ったが、聞いたら別にそう言うことでもないらしい。
「ある程度のレベルの者が余程集中して見破ろうとすれば別ですが、普通に接しているだけで知られる事はないでしょう。相手が並のレベルなら尚更」
見破られることもあるにはあるが、それは使い手が未熟であったり実力に歴然とした差がある場合に限られる。相手が魔法についてはカンストレベルの天使とか。
そもそも隠匿魔法は注意をそらす性質があるし、それでなくても矮小な人間などには遅れは取らぬ。と、レイニーは自信ありげに胸を反らした。
その様は、たもっちゃんとテオと私の困惑をさらに深めるのに充分だった。
「じゃあ、さ。……何で使わないの? それ」
「……だよね。布巻いて隠すより、隠匿の魔法使ったほうがいいよね。多分……」
金髪碧眼の美しい天使は人目を引くし、トラブルも呼ぶ。そのためにレイニーは頭を布でぐるぐる巻いて隠していたが、この魔法を使えばその必要はないはずだ。
注意を引かず、印象に残らず、しかも布と違って暑くない。
だったら使えばいいじゃない?
なんでそうしないのか。
じりじりと照り付ける夏の日差しにあぶられて、ぬるい風が肌をなでて行く昼下がり。
首をかしげて静かに見詰める我々の前で、レイニーは妙にゆっくり頭に巻いた布をほどいた。
そしてぐしゃぐしゃに巻き取ったその布を、彼女は荒野の乾き切った地面に投げ付けた。
実際口に出してはいないが、ちくしょうと叫ぶ魂の声を聞いたような気がする。
夏の日は長い。
そう思い込み、少し油断しすぎていたようだ。
日が暮れるまでには宿に戻ろうと話していたのに、ふと気付いたらすっかり夕暮れになっていた。あわてて料理や草やロープを片付け、わちゃわちゃ走って町へと戻る。
いや、戻ろうとしていた。
空が端から夜の色に染まり初めて、辺りは赤のまざった薄闇で満ちる。メガネやテオやレイニーは、お互いに手を伸ばしたら届きそうな距離にいた。そのくらいなら顔もぼんやりどうにか解るが、少し遠い所にあるものはもう黒っぽい影にしか見えない。
だから、最初は解らなかった。
目の奥に赤い色がしみ付くような夕闇を、いくつもの小さな人影がこちらに向かって駆けてくる。
私はその時いつものように、金ちゃんの首輪に付いた鎖を持ってそばにいた。
トロールは、体が大きく力が強く、気性が荒い。一般的にはそう言われている。
うちの金ちゃんを見ているとなにかの間違いと言う気がするが、うちのはうちのでちょっと空気を読みすぎるような印象はあった。過去になにかがあったのかも知れない。
とにかく、そのせいだろうと思う。
まるで年端も行かない子供のように。細く小さな人影は、明らかに非力な私を避けて剣を持ったテオやメガネを最初に襲った。
「リコさん!」
下がって、と。レイニーが駆けより障壁を張り、同時に、光の魔法で周囲を照らす。
それらは剣やナイフを持っていた。古びて、欠けて、サビまで浮かんでいるようではあった。しかし、確かに武器だった。
夕闇にまぎれて近付いてきたものは、子供ではなかった。
身長は私の半分にも満たず、背中は丸く痩せぎすで、緑掛かった茶色の体。ギシャギシャと耳障りな鳴き声を出し、骨ばった手でボロボロの刃物を振り回す。
それをきっと、ゴブリンと呼ぶのだ。




