82 人は、孤独
勇者から巻き上げた希少金属の斧は今、大体いつもトロールの腰布にはさまれている。前にフラウムの木を切る時に取られて、気に入ったのかずっと返してくれないままだ。
私は、このトロールを金ちゃんと名付けた。
すごいの。斧と筋肉のかもし出す、力持ちの金太郎感が。
ほかのトロールはどうか知らない。しかし奴隷商にはかなり暴れるから覚悟しろと脅されたこの金ちゃんは、思いのほか空気を察する心優しい男でもあった。
お陰で私はほとんど大森林を歩いていない。
大森林の地面は石や木の根でぼこぼこしていて、自分で歩くとびっくりするほどよく転ぶ。結果手に持つ金ちゃんの首輪の鎖をぐいぐい引っ張ることになり、すると金ちゃんは決まって私をかかえ上げて運ぶのだ。優しい。
金ちゃんの青黒い、大きな傷のある顔はいつも迷惑そうな感じではあるが。
「魔法、使っちゃいけないんだもんなぁ」
たもっちゃんは絶えず水滴がぽたぽた落ちる苔の多い湿気た森で、昨日から何度目になるか解らない呟きをぼんやりとこぼした。
あれ、俺がやりたかったなあ。とか言って。ばっさばっさと長いつるや枝を切り払われている最中の、ファンゲンランケの木の辺りをうらやましげにメガネが眺める。
まあまずムリと言うことは、本人も解っているだろう。
この木は、人や魔獣を平気で襲う。分類としては、魔木の一種になるそうだ。
自らの長く丈夫なつるや枝を振り回して生き物を捕らえ、消化液で満たされた幹に取り込み溶かしてしまう巨大な食肉植物なのだ。
当然素材の採集にもかなりの危険が伴うが、素材採集が目的ならば魔法で応戦する訳には行かない。
「それさー、なんでダメなの?」
「窓に使う素材、消化液らしいんだけど、魔力を込めると固まるんだって」
人間はそれを利用してガラスのように加工するが、本来これは消化液に落とした生き物を逃がさないための働きだそうだ。
固まった消化液は木の中で放って置くとじわじわ溶けるが、にごってしまう。素材としては各段に価値が下がるのだ。
もっと置けば一応透明にもなるのだが、そのためには何日も掛かる。大森林で日数単位のロスは痛い。それを待つなら別の木から採集し直すほうが早いし、もっと言えば最初から変質させなければいい。
ファンゲンランケにわずかな魔力も触れさせてはならず、この木の見える範囲では魔法を使ってくれるなと釘を刺されたのはこのためだ。
ピリピリした感じでそう注意してきたのは昨日、我々より先にファンゲンランケに挑んでいた冒険者たちだった。
恐らく、素人にジャマされては堪らないと言うことなのだろう。彼らはこの木を専門に扱うパーティのようだった。
まあ、解る。生活が掛かっているなら仕方ない。私も草刈りをジャマされたら怒るし、向こう三年くらいは悪口を言う。
だから昨日はおとなしく専門家たちの作業を離れて見学することにして、その結果、たもっちゃんに関しては今日もおとなしく見学になった。
メガネはね、ダメなの。大体の魔法でゴリ押しするほかは、料理くらいしか取り柄がないの。
採集を終え一夜明け、ファンゲンランケの採集は素人にはキツいと思うが、まあ死なない程度にがんばれ。と、そんなことを言い置いて、そこそこ傷だらけになりながら先客たちは高温多湿の森から去った。
霧を集めた水滴に打たれ、苔むした地面をしっかりと踏む彼らの姿は、どことなくほこらしげに見えなくもない。背中に担いだ壺の中には、きっと苦労して手に入れた素材の消化液でいっぱいなのだろう。
疲れているのに充実している。そんな表情をにじませて、一仕事終えた冒険者の姿に私たちは思った。
魔法が使えないのなら、あとは普通に力業しかないのだと。
それが今朝のことである。
あとは、なんだかんだ早かった。
ぶんぶんと振り回されるつるや枝はリーチが長く、威力もあって厄介そうだ。しかしそれを軽々とかいくぐり、二つの人影がそれらをたやすく切り払う。
肉食の木に立ち向かっているのは剣をミスリルの鎌に持ち替えたテオと、片腕ながらどっしりと安定感のある動きで斧を振り回すトロールだ。特殊金属農具シリーズが強すぎる。
テオがいつもたずさえる剣は、魔力を込めると切れ味が増す。そう言うふうに何度も魔力を通した剣はその気配がしみ付いて、ファンゲンランケには使えないらしい。
霧のただよう森の中、したたる水に打たれながらに農具で戦うイケメン剣士はなんかちょっと悲しげだった。
襲いくる肉食植物の枝やつるを片っ端から打ち払い、切り裂き、苔むした地面にばらばらと落として行く。
その戦いと言うかあざやかな作業は、大体二時間ほどで終わった。まだお昼にもなっていなかった。
「終わったぞ」
複雑そうな顔のままテオが呼び、たもっちゃんと私は長いはしごを一緒に持ってそちらに向かう。はしごはぶちぶち言いながら待つ間、たもっちゃんが適当に作った。
さあ対価をよこせとばかりに片手を差し出す金ちゃんに、ブルッフの実でできたスイートポテトをぽいぽい渡す。金ちゃんはがんばったのだ。なぜなのかは解らない。
最初はテオだけで木を刈っていたが、危なげはなくても効率には問題があった。一人で攻撃をかわし、一人で枝やつるを払い、一人で支援魔法さえもなく全てをこなしているのだ。ムリもない、と私でさえ思う。
そこへなぜか金ちゃんが、イライラしながら斧を片手に参戦して行った。なんとなくだが、うちのトロールは多分短気だ。
ぶるんぶるんと重く振るわれる長いつるや硬い枝を全て二人で切り取って、ファンゲンランケは丸裸にされた。
枝葉を失ったこの肉食植物は、なんかこう、ぽちゃっとしていた。シルエットが。
つるりとした樹皮を持つ幹の上は細くすぼまり、地面に近い下のほうはぽっちゃりとふくらむ。ビール腹で中年太りに悩むお父さんみたいだ。それか壺。
「リコ、ちょっとこん中入ってくんない?」
「たもっちゃん、寝ぼけるのもいい加減にしろって私いっつも言ってるでしょ」
私を呼んだメガネはすでに、丸裸の木にはしごを立て掛けその上にいた。
そうして覗き込んでいるのは、木の幹の内部。ファンゲンランケの胃袋と言うべき、消化液で満たされた穴の中だ。
そこへ入れってお前。おかしいだろお前。
「溶けるじゃん」
「ヘーキヘーキ。すぐには溶けないって」
軽いんだよなー。言いかたが。
あんまり気は進まなかったが、目の前の高級素材を見逃すことも私にはできない。しぶしぶと、ファンゲンランケの穴の中に入る。
「濃厚でありながらさらりとしていて、なおかつ全身を包み込むかのような……」
「リコ、リコ。リコが今つかってんの、消化液だから。あんまゆっくりしてたら溶けるから。服とか。早めにやろ、早めに」
うん。知ってた。
ファンゲンランケの木の中で消化液に腰までつかり、せっせと透明な液体をすくう。
しかしその前にまず、私は困った。
この結構量がある消化液を、入れるための容器がないのだ。普段からなにも考えていない、我々の詰めの甘さがここで出た。
我々は恐らく、専門の冒険者たちのように壺などを用意しておくべきだったのだ。我々と言うか、たもっちゃんが。
少なくとも草刈りがてら付いてきて、なんかよく解らんまま消化液に腰まで漬かるはめになった私の役目ではないはずだ。
この採集段階になって発覚した容器問題は、たもっちゃんの「お米の殻のさー、ボウルみたいなやつあるじゃん? それですくって、そのままアイテムボックスにしまえない?」と言う、とりあえず試そ。みたいな一言で解決した。できたわ。
恐怖の実のボウルで周囲にたまった消化液をせっせとすくい、せっせとアイテムボックスにしまう。ひたすらしまう。
途中、ゆるやかに私を溶かしているらしい、透明な消化液にたっぷんたっぷんつかりながらに手を休めて上を見る。
ファンゲンランケは幹の内部もつるりとしていて、足場になりそうなでこぼこはない。しかも、わずかに光の入り込む穴の入り口は私の背よりはるかに高い位置にある。
ここに一回入ってしまえば、自力ではそうそう出られないだろう。
そう思ったら、薄暗い木の中は恐ろしい棺桶のようだった。
いや、解ってはいるのだ。たもっちゃんたちが外にいて、ほどほどのところで引っ張り出してくれるはずだと。
頭ではちゃんと解っているのに、それでも胸の奥が寒いような暗いようなちょっとだけ恐いような気がしてしまう。
「人は、孤独なものなのだなあ」
「いや……ちゃんと助けてあげたでしょ。お昼ご飯も、リコが食べたいって言うからオムライス作ってあげたでしょ。やめて」
オムライスを食べつつ人生の無常を呟く私に、メガネは人聞きが悪すぎると嘆いた。




