794 強い自覚
便宜上、と言うか、なんとなくのふわっとした感じで私は「予想だにせぬ」みたいなことを申し上げてしまったのだが、これはちょっと言葉としての誠実さに問題があった。
事実、エルフの里から住人であるエルフたちが逃げ出して、その集落ほとんどもぬけの殻みたいなことになっていたのは確かだ。
けれども、そうなったのには原因がある。
それも、始まりは恐らくは何年も前。
最初はなんの影響のない、それか影響が見られたとしてもごく軽微なものだった。
これが時を追うごとに少しずつ増し、迫り、今年になって里の安全をおびやかすまでになった。
……と、言うのが正しいのだろう。
そして種族として総じて長命なエルフらが親から、またはさらにその親や、もっと古い先祖から受け継ぎ、守り、愛してきた里から離れ、逃げ出さなければならなかった理由は――。
「蟻だ」
我々にそう語るのは、エルフたちの長である。
絹糸のようにさらさらと、その肩からすべり落ちる長く真っ直ぐでつややかな髪はその合間からつんと覗く長い耳と共にエルフに多い特徴でもあった。
そして年月を重ねても美しい、白皙の顔。
たもっちゃんが老若男女を分け隔てなく愛してやまぬエルフらの、しかし今はなんの温度も浮かばぬほどのどこまでも真顔の表情が恐い。
我々は、知らずごくりと固唾を飲んだ。
「蟻……とは……?」
「知っているはず。人族の国から持ち込んだ黒糖を、蟻の茸と毎年交換していたじゃないか」
「してましたねえ……」
アリかあ……。
もしかしたら我々の知らないアリのことかもとほのかな期待をいだいたが、そこまで言われてしまうとな……。厳しいな……。
私は、そしてそのほかの、エルフの里で夏休みを満喫しようと意気揚々と勝手に押し付けた人類たちは、大体いつもそんなとこだけ気を遣うメガネが一応いきなり直接はエルフの里に行くことはせず大森林のやたらと巨大な草花が生い茂る原っぱに待機し、びかびかとした魔法を打ち上げ合図してお迎えを待つ地点へとやってきて、そうしたらなんだかすでにいくつもの天幕が設営されてすでにキャンプ地となっていたその場所で里から逃げてきたエルフらと相対していた。
この時点でね、あれですよね。もう。のっぴきならねえ気配があるよね。
そして、あれ。
どこにでもありふれた草花のようでありながら人間を全然上から見下ろすほどに大きな植物を、ぐっと顔をあげて眺めるようにしながらに現実から目を反らそうとしていた。
主に黒糖をその媒体として、物々交換に対応してくれる大森林のアリ。
なんでかな……。ものすごく心当たりしかないんですよね……。
そう言えば、大森林でエルフたちと出会う前にはこの場所でドラゴンさんとエンカウントしたこともあったなあ。元気かなあ。まだアイテムボックスに残ってるけど、なくなったらまた万能薬の材料に血とか出してくれないかなあ。
そんな、知性を持つドラゴンを素材としか見ない倫理と人間性に問題のありそうなことを考えて気を紛らわせてみたが、大した気休めにもならなかった。
アリ……アリかあ~!
それはあれだね~!
回り回って我々にも原因の一端とかありそうですよね~!
と言うか、そもそもの話はどう考えても我々――……いや、今のはつい保身に走り事実を控えめに申告しました。
なんとなく、なんとなくね。確証はないですよ。
ただ、なんとなく、我々と言うか、私と言うか。
大森林のアリと物々交換を始めてしまった事実をかかえる者として、この、エルフらが慣れ親しんだ里を放棄するにいたった理由。そしてその事態に対し、全面的な責がなくもないように思う。
まあ、あるよね。恐らく。普通に。
「逃げたい」
私じゃないんじゃないかな。私じゃないと思うな、悪いの。そう自分に言い訳し、どうにかしてうやむやにしようとしてもムリが出る。
そんなレベルでの強い自覚にさいなまれ、ついつい口から願望がぽろっとこぼれる私にメガネがなぜかキリッと追い打ちを掛けてきた。
「リコ、隠して。せめて隠して。罪と責任の重さに耐えきれなくて全部放り出したい気持ちは解るけど、そこはぐっと隠して取って。責任を」
「ムリだよお……エルフの里潰した責任は取れないよお……人間の街潰したのもばっくれてんだよ僕たちはよお……」
「急に全力で巻き込んできたな……」
正確に言うと別に我々は街を潰したとか人聞きの悪すぎることはしたことがなくて、たまたま、なんか知らんけどたまったま、訪ねたことのある街とかがごちゃごちゃしててのちのち街を管理してたり代表っぽいえらい人が総入れ替えになってたりすることがちらほらあるだけで、全然。潰したとかでは全然。ホント。ないんだけども。
なんかね。あれよね。
今、この流れで引き合いに出すならこれしかないかなって。
人間、ガチガチの事実で追い詰められると大体の感じで力いっぱい周りの人間を巻き込むために手段なんか選んでらんないよね。って。思いましたね。
だから私は、恐らく「なんだアリか。だったらリコじゃん」みたいな感じで、親しい幼馴染であると同時にこの異世界を旅する仲間でありながら、もう全然普通に切り捨てる空気を出しすぎているメガネを極めてキリッとした顔で見詰め、がっしり腕をつかむなどしてゆっくりと首を横に振って迫った。
「たもっちゃん。なに言ってんの。仲間じゃん。私たち、張り切って黒糖とキノコ物々交換して調子こいてた仲間じゃん。なんなら今もちょっとお砂糖親子の所とかちょこっと行って体にいいお茶で黒糖いっぱい仕入れてきたじゃん」
この、たもっちゃんのドアのスキルがなければ成立しない周到な用意。計画性のある加担。
逃がさねえからな。
大森林のアリたちとなぜか流れで物々交換を始めたのは確かに私かも知れないが――いや、まあ私なんだけれども。
しかしそのあとに続いていそいそと、一緒になって黒糖ばら撒いてたみんなの姿。私ちゃんと覚えてるからね。
大丈夫だよ。一人にはしないよ。
みんなで横一列に怒られようね。
誰かが特別に悪いとか、悲しい犯人捜しはやめにして……。もう本当に……やめにして……。
もしも逆の立場なら私はこの時点で我先に全力で逃げてるだろうな確信に近い思いはあるが、それはそれとして逃げ切るのがムリならせめて可能な限り身近な人間を連座させたい。
そんな、回り回っていっそのこと純粋なまでのどす黒い気持ちが私をキリッと突き動かしていた。
怒られるならみんな一緒だよお!
なお、私のこの必死の行動は、たもっちゃんとレイニー方面などから「さすがの見苦しい最低さ」と言う、非常に強めの評価を受けた。
まあ、それはいい。
すでに起こってしまったことの、原因を突き詰めたところでなんにもならない。
いや……ごめん、嘘。すいませんでした。
原因究明と再発の防止は安全管理上、非常に大切なプロセスである。私の都合に合わないだけで。
さすがにそこは自分でも自分をごまかし切れず、なんか……ホントすいませんでしたと私もエルフたちに頭を下げた。
それはもう。草生える大森林の豊かな大地に額をこすり付ける勢いで。
「本当に……本当に……今回は申し訳のしようもなく……」
「お、おぉ……」
エルフたちはその様に引いた。
これまで我々の言動により、この世界が終わろうと私は頭など絶対に下げないとでも思われていたのかも知れない。
完全に大きな間違いである。
全然下げる。頭くらいなら安いもんよみたいな感覚すらある。
これは少しあとになってからになるが、ついそんな話をしてしまい、それはそれでどうでしょうかとよりにもよってレイニーに苦い顔をされた。それはそう。でもそれを言ったのがレイニー。ショックです。
――で、本題はアリのことである。
なんか、エルフらが大切に守ってきた里を離れねばならなかった原因こそがアリなのだ。
それはふんわり認識していたが、なにがどうしてこうなっているのか詳しいことを我々はまだ聞いていなかった。責任とやらかしの重さにとっ散らかって、逃げることばかり考えるのに忙しかった。反省はしている。
5話更新の3。




