790 ロングワンピと革ベスト
――さて、魔石である。
今、我々の目の前。
冒険者ギルド一階の、酒場を兼ねた食堂にいくつも並ぶ古びた丸いテーブルに無造作にゴトリと重たげに置かれているそれ。
小さなゴブリンの姿のままの男子らを含めたいつもの我々にぐるりと囲まれ、じっと視線を注がれるグレープフルーツほどの大きさの魔石は少しも動かしてはいないのにきゅるりきゅるりと奇妙に輝き、黄色味の強い透明な石の内側でなにかがうごめいているかのようだった。
実際になにかが閉じ込められていたとして、きっと私は疑わずそのまま納得しただろう。
どことはなしにその石は、不可思議な説得力を持っていた。
では、この魔石はどこからきたのか。
それは普通にダンジョンである。
我々、昨日から今日までダンジョンにしか行っていないので。
そしてそのダンジョンは、――すでにレイニーが天使らしく張り切って焼き尽くしてしまっているが、小物ながらに悪魔に利用されよくない感じに仕上がっていた。
どこまでも、最初から最後まで、いわく付きのダンジョンなのだ。
出てきた魔石がちょっと普通でなかったとしても、まあそう言うこともあるかもくらいにしか思えない。
ただ、我々の顔を今、ものすごく苦々しい感じにさせているのは、この魔石の存在を冒険者ギルドの宿で一晩休み、朝食にするかと食堂に集まりこの時間は一つしかやってないメニューを人数ぶん頼んで料理が運ばれてくるまでの間にレイニーが、「そう言えば、これはどうしましょう?」とか言って、マジで今思い出したとばかりに生成りのロングワンピと革ベストをタイトに重ねたお胸の辺りからごろんと出して見せるまで、全然知らされずにいたためだ。よく隠せてたな……?
「レイニーさあ……こう言うのはさあ、なんか……もっと早くさあ……」
「リコさんは気付いてもいなかったのに……」
「あっちあちの熱水がいっぱい出てきてパニックなのも解るけどさあ、ダンジョンで拾った石はちゃんと言ってくれないとさあ」
「わたくしには必要ありませんが、リコさんはお好きでしょう? 換金率の高い石……。リコさんのために気を利かせて拾ってきたのに、そんな言いかた……酷いです」
「レイニー、どこでそんな理屈じゃなくてお気持ちでライバルの悪役令嬢を追い詰めるヒロインみたいなムーブ覚えてきちゃったの……?」
我々はこれらの会話を問題の魔石を載せたテーブルを囲んだ状態でうだうだとくり広げていたのだが、レイニーは私から責められてつらいとばかりに金の巻き毛をわずかに揺らし、顔と視線を悲しげに伏せる完璧な演技まで披露して見せた。
完成度よ。
私ね、ちょっと恐いです。
なにがそこまでレイニーをガチな空気に駆り立てるのか。
ともかく、レイニーが胸元にひっそり隠し持っていた魔石はそもそも、くだんの呪われダンジョン最下層にあるラスボス部屋でボスとして待ち構えていた小物の悪魔をあっさりビャッと消し飛ばした時にあとに残されたものだったらしい。
いや、私はちょっと記憶にないですが……。
あの時はほら……なんか。ボコボコに焼けただれたみたいだったダンジョンの内部がラスボスの消失と同時に一変し、あっと言う間に辺りにあふれた大量の水であわわと逃げ惑うのに忙しかったので……。
まあしかし、それは別にいい。
私は本当に付いて行っただけであり、攻略したのは本気を出したらこんなもんじゃないと言い張ってホントに本気を出したレイニー単体の実力である。
そのラスボス部屋でビギャと悪魔を焼き尽くし、手に入れた拾得物をレイニーが独占してたとしても、まあ……ホント、別に……。レイニーががんばったことですし……。
と、正直、そのくらいの所感しかない。
できればほんの少しだけ、魔石を売っぱらったお金でちょっといいお肉とか食べさせて欲しさはまあまあの欲深さで持ってはいる。いいお肉チャンスは逃さずに行きたい。
ただ、同時に。
ではなぜ我々がさっきから「レイニーさあ……」と完全に責めるトーンで全責任を負わせる勢いでレイニーに相対しているのかと言うと、この魔石を入手したダンジョン攻略がそもそも、人類ゴブリン化現象に係る憤懣やるかたないキレかたをした被害者の会及び行政による合同作戦の形になっていたことに端を発する。
もうやってられるかとキレにキレた冒険者たちに押し流される形の見切り発車感はあったが、街の兵士やその上層部をも巻き込んでのダンジョン攻略である。
例え単騎で――私と言うオマケは付いてたが。
大多数の戦力をダンジョンの外に置き去りにレイニーだけでビギャビギャと攻略してしまったのが事実だとしても、一応の申告もなしにダンジョンボスがドロップした魔石をそのまま秘匿したのはまずいのではないか。
なんとなくの気持ちと、恐らく国、街、冒険者ギルドの規定として。
その場で言ってくれればフォローのしようもあったが、一晩隠していたのが悪質と取られても仕方ない。いやー、まずい。
みたいな感じで、サイズとしては大人のイエネコほどの小ぢんまりとしたゴブリンの姿。かわいらしさは微塵もないが内面のハンサムがにじみ出てのことなのか、やたらと凛々しいテオゴブが事態をこの上なく深刻に受け止めた。
このテオの意見を聞いて、さすがの能天気な我々もにわかに震え上がってしまった。
それはさあ……怒られが発生するやつじゃん。
嫌じゃん。怒られんのはさあ、――と。
もうこれはあれよ。全部レイニーが悪いことにしよ。実際レイニーが悪いし。多分。
我々もちょっと長めに一緒にいるだけの、家族でも仲よしでもないただの有象無象の集まりですし。
そらもう。裏切りもやむなしってもんよ。
どこまでも保身。みたいな一心で、「レイニー、よくないよお。よくないよお、そりゃあ」などと、主に私が本当によくないかどうかは横に置きとにかくよくないよくないと吹き込む一方、同じテーブルの一角では静かに、事態を真摯にとらえがちのテオが冒険者ギルドの職員に相談するためテーブルを離れようとしていた。
彼は不本意ながらに小さなゴブリンのサイズ感か大人のイエネコほどであるためイスにつま先立ちで乗り、丸テーブルに両前足でちょこんとつかまった状態だった。
なんだかやたらと凛々しい顔で、人間の食事を厳しく監視するネコチャンのように。
だから、そこから移動しようするならまずはその前足をテーブルからどけ、全ての重心を両足の下にあるイスへと移してやらなければならない。
テオはそれを危なげなく、実にスマートに素早くやってのけた。さすが二足歩行動物である。
できて当たり前みたいな気もするが、その体躯の小ささのせいか幼児が一生懸命がんばって歩こうとしているみたいな感慨が生まれる。完全にただの錯覚である。
そして、ひらりと。
テオは小さなゴブリンの姿ながらにイスから身軽に飛び下りて、冒険者たちに踏まれ蹴られて傷だらけの床へと着地した。
――不幸は。
そのテオがゴブリンの姿となってなお、自称神たる毛玉の獣から一身に寵愛を受けすぎていたと言うことかも知れない。
軽やかに床へと下りたテオ。
すかさず、なになにどこ行くの我も我も我も行く我も我の背中乗る? いいよ! つまだから! などとキャンキャン言ってギュンギュン走り、そのあり余る勢いで愛しのテオにドーンと体当たりしてしまう白き毛玉の自称神。
さらには「あそんでる? あそんでるのっ?」となぜか張り切って参加する、ライムと言う名の暴れたい盛りの人間の幼児。
きゃあきゃあキャンキャンと楽しげに、どーんとぶつかり合う三つの小さきものどもの影。テオは巻き込まれただけであり、別に楽しそうでもなかったかも知れない。
その、無遠慮に衝突するエネルギーはさながら、矛盾の故事を思わせた。
生きとし生ける生命は弾け、星々は燃え尽き、光も闇も消え去ったその虚無に新たな宇宙が生まれ――る、ほどではないにしろ、ゴブリンと小動物と元気な幼児がぐちゃっとぶつかった結果、最も年少であると同時に成ネコほどのゴブリンや小型犬めいた白い毛玉神と比較してサイズとしては一番大きいにも関わらず、ライムがボヨンと弾かれてしまった。
これが体幹の差と言うものか。
さすがゴブ化してもAランク冒険者様。
あと小刻みに震える小型犬みたいな自称神の強健さは意外なような、しかしよく考えたら元々が魔獣なので頑丈で当たり前みたいな感覚もある。
そんな、体幹バチバチの小さき人外にボヨンと弾かれ、か弱い幼児がぶつかったのは誰も座っていないイス。さらにそのイスがガタンとテーブルに当たり、そこに置かれた丸い魔石をぐらりと揺らして転がした。
5話更新の4。




