785 業務の香り
私の守護天使のような、ただただフォローし切れないやらかしにより弱体化の上で地上に落とされただけのような気もするレイニーは、基本私のそばを離れない。
村人たる私がつつがなく異世界ですごすためかなんかで、そう言うしばりがあるらしい。
天界の、天使としての上司さん辺りに厳しく指導されているのだろうか。レイニーは割と、この決まりを破らない。たまにアクシデントとかはある。
このことに関して存在するのは濃密な業務の香りだけである。
なのでその辺りについては感謝よりはなんとなく、めんどくせえなの気持ちが強い。
いてくれて助かる時もあるにはあるが、――あとスイーツなどを賄賂とし、便利に使う時とかもあるが。
ほぼほぼいるだけのレイニーに対する、ぬぐい切れないナメた気持ちと純粋なる不信がそうさせるのだ。
村人なのに。守護天使だっつってんのに。
感謝の薄すぎる慣れと慢心。
恐らく、これは油断と呼ぶべき状態だろう。その内に多分、訳の解らない揚げ足を取られてどうしようもなく詰むやつだ。私が。
そんなやらかし堕天使たるレイニーは天使としての宿命により地上の命に一切の関知せず、しかし存分に暴れ回りたい欲求がたまに爆発し、庇護対象であるはずの私をダンジョンへと誘い込もうとするところがあった。
私から目を離せないのなら、私ごとダンジョンへ行けばいいじゃない理論。
くどいようだが、ダンジョンはやばい。
内部には狂暴なモンスターがアンギャアと跋扈し、決して、決して無力な村人を連れて行くような場所ではないのだ。
だと言うのに、どうですか。
ダンジョンモンスターはダンジョンから漏れ出る魔力によって形成されたものであり、つまり生命であるとは定義されないらしい。
そのため地上の命に関わることのできない天使でも、安心して蹂躙することができるのだそうだ。
極めて人聞きの悪すぎる理屈で、法の抜け穴を突く所業。
澄み切った空色みたいに綺麗な瞳をギッラギラにねばつかせ、並々ならぬ執念をメラメラと前面に押し出してくる我が家の天使。
天使って、なんかね。なんとなく、もっと清廉なもんだと思ってたよね。こわいね。
で、ダンジョンに関してはなぜかそうしてやる気いっぱいのレイニーをちょいちょいつついて誘導し、私はこっそりとダンジョンへと入った。
なぜこっそりかと言うと、多分心配されるからだ。
ありがたい。心配はね、してくれる人間がいないとしてもらえないですからね。今だとテオとか、もしかすると事情を知らない街の薬屋もしてくれるかも知れない。
ただ、ダンジョンでモンスターを倒す作業は天使としては弱体化してても魔法的な意味だとまだ全然べらぼうな実力を持つレイニー先生が張り切って全部受け持つし、私は私で天界が見かねて実装してくれた茨のスキルが知らない内にがんばっているので正直負ける気はしない。
私に関してはただ負けないで勝つ見込みも別にないのだが、付き添いとしてぼーっと見ているだけなので勝負にはなに一つとして噛まない予定だ。
あるよね。なにもしないほうがむしろ助かるみたいなパターン。
私は、料理の味付け段階で隠せもしない隠し味を入れるか入れないかみたいなギリギリの気持ちをしっかり刻み、これまでの人生で生み出してきた数々の失敗料理の悲劇の記憶をしんみりと思い出した悲しみと共に久しぶりのダンジョンではあはあと取り乱すレイニーの影に隠れてびくびくと足を進めた。
そんな、なんか色々思い出し一人で勝手にしょんぼりしてきた私をよそに、――いや、よそにと言うか。早く早くと腕をぐいぐい引っ張って、レイニーがはやる気持ちを抑え切れない様子で急かす。
「リコさん、さぁ参りましょう。急いで。モンスターが逃げてしまいます。さぁ。ダンジョンですよ。歩いていてはいけません。さぁ! 駆け足!」
「たらたら歩いてたら怒り出す昭和の体育教師みたいなこと言い出したな……」
あれだろ。暑い日の部活中に生徒が水飲んだだけでなぜかキレるタイプだろ。よくないよ。そう言うの。
「根性論は昭和に置いて行け。理論にもとづいて考えてくださいよお。あれよ。教育委員会にチクるかストレートにおまわりさんに相談しちゃうかんね」
「リコさん。あそこにモンスターがいますが、ゴブリンではないようです。ゴブリンの捜索と駆除を優先すべきでしょうか? わたくしとしては、目に付いた全てのモンスターの首を捻じ切りたいと……」
「僕ね、得意です。そう言う空気の読めないマジレスムーブ。慣例なんかぶっ壊して生きやすい世界を後輩に残そう」
我々――今は私とレイニーだけだが。
とにかく、もーめんどくせえからさっさとカタ付けようぜとの勢いだけで呪われダンジョンへ入った我々は、こうしてガタガタ言ったりしたりしながらにまあまあどんどんと足を進めた。
周囲に広がる空間はまぎれもなく地下でありながら、あちらこちらであふれる水が不思議に光を含んで放ち、ほの暗くはあるけれどものを見るのに苦労はしない。
そんな幻想的ですらあるダンジョンの内部を、互いが自分のしたい話だけをし、なにも全然噛み合ってない会話をくり広げながら。
会話とはキャッチボールらしいので、無数のボールを一方的にボンボン投げて全く受け取ろうともしてないこの状態は会話と呼べはしないのかも知れない。
本当になに一つとして噛み合ってないが、なんかもうこれぞ我々である。
よく聞いていただけばお解りだろう。そもそも内容のある話なぞ、私とレイニーのどちら側もしていないのだ。
虚無。いや、虚無にしてはうるさいけども。
我々の間に横たわる、なにもない、けれどもただただ騒がしいなにか。
そんな感じで地底に向かいダンジョンと言う名の穴倉を、不思議に光る水を避け、またはうっかりびたびたになりつつひたすら進む。
特に、地上から入ってすぐの一階層から下方へ向かい続くのは、階段状の光るプールだ。
豊かな水を受け止めて、そして端からどんどんあふれさせては下へ下へと順々に、止めどなく水を落とす天然のプールは形状としては棚田に近い。と、思う。
ただし水がたまるプールのふちは白っぽく、でこぼことしていて、深さは大人の腰から胸の上ほどもある。
なぜそれを知っているかと言うと、胸の上ほどまで一回水にひたひたになったところをレイニーの魔法で乾かされ、それでもお風呂上がりのイヌのようにしょんぼりした私の姿で察して欲しい。
まあしかし、光るプールはよいものだった。
段々と連なる天然のプールが暗く沈む地底に向かい、無限のように重なって、そこにたたえた豊かな水が不思議に放つほのかな光で地下空間に幻想的な風景を作る。
美しい光景だと思う。
暗闇に光るナイトプール。うぇいうぇい。
見るぶんにはゴキゲンながらそのプールはまあまあの水深を持ち、形状もでこぼことしてつかまれる所はろくにない。
この階段状のプールに入って上がって下の段のプールに向かってざぶざぶ移動をくり返すのは、想像よりも骨の折れる作業だ。
レイニー先生も、どうやらこの点では同じ意見だったのだろう。
魔法に長けた我が家の天使は棚田のようなプールの上に障壁魔法を展開し、人類に優しい段差でもって階段状の足場を作った。レイニーは特になんの感慨もなく、簡単そうにやって見せるがこれは難しい技術だそうだ。
前にメガネが全然ムリとぼやいていたふんわり知識によると、強度のある障壁に複雑な形状を持たすのはもう匠の技であるらしい。
村人にはよく解らない、でもなんか難しそうな技術でもって作り上げた障壁の足場を、段々と連なるプールに何度も飛び込みよじのぼりまた飛び込んで移動するほどではないけども、階段は階段でおりんのきついとはあはあ文句を言いながらえっちらおっちら歩いて下へ。
ステージが変わってもやはり水分でびたびたとしているダンジョンを、張り切りすぎてきびきびと、そしてちょっとめんどくさい感じで鼻息が荒くなっているレイニーと、そんなレイニーを見守るような、そしてなにがあってもただ見守るのみの強い気持ちを胸にいだいてあとから付いて行く私。
ダンジョンは久しぶりながら、完璧にいつものやつである。
途中ちょこちょこゴブリンを含めて各種様々なモンスターが出たり、なんか歩きにくいなと思ったら浅瀬ながらに足元に広がる水辺に生えた草すらもなにやらモンスターの仲間だった様子で、靴に絡んでずぶずぶ引きずり込まれそうになったのを有能なる茨のスキルが見事阻止。しかし茨は茨で頑丈なので結局は足元でわしゃわしゃとして、何度もつまずきまた私をしょんぼりとした風呂上がりのイヌのようにさせた。
草……。私はこんなに愛してるのに、草は私を愛さない。悲しい。




