783 根源的な恐怖
森に隠された地下ダンジョンの入り口の、その周辺でそれぞれ持ちよった食べ物をシェアし合ったりその場で調理したりしてお昼の休憩としていた我々。
その様相はまるで、ちょっとしたバーベキュー会場のような空気感がある。
なぜなのだろう。この根源的な恐怖。
バーベキューに張り切るパリピがウェイウェイと我々のいる日陰のほうまで包囲網をせばめてきたらどうしよう。そんな不安が胸の中を占拠する。
しかし、今日は普通にただの昼食だったのでウェイウェイしたことは特になかった。
あと、パリピにも都合や気分と言うものがあるのでそんな我々に構ってばかりもいられないだろう。そう言われるとそれはそれで寂しい。複雑。もっと我々にも興味持って。いやでもやっぱこっちにはこないで。ちょっとだけ気に掛けて。でもあんまり構わないで。あの、あれ。物陰で震えてるネコチャンを保護する気持ちで接するなどして!
陰キャは自らのコミュ力の乏しさを棚に上げ、勝手に甘えたことを言うのだ。私です。
イマジナリーパリピ、属性が違うと言うだけで根拠なき絡みかたされてかわいそう。ごめんな。がんばれ。
そんな、全部私の脳内だけで行われたシミュレーションとその結果に深い同情と忍びない気持ちをいだいたりしながらしんみりと、小さいゴブリンや人間のメンズ、堅牢なゴーレムを装備した子供らに自称神やいるだけの天使に囲まれて、お肉多めに。こっちにお肉多めにお願いしますと小声で主張だけはしながらにもりもりと力の限り昼食をいただいていた時だった。しんみりとはなんだったのか。
――わっ、と。
控えめな、けれども確かにおどろきと恐れを含んだように、空気を震わすざわめきが突然生まれて広がった。
そして、あっと言う間に伝播するざわめきを切り裂いて、誰かが端的に警戒を叫ぶ。
「ゴブリンだ!」
その内容に思わず「えっ」と小さく声が出た。
だってほら……ゴブリンはずっといっぱいその辺にいるから……。呪われた、ちょっと小さめのやつだけど。
だから、どうして今さらと思ってしまった。
だが、我々の周りにいるのは世慣れた冒険者や街の兵士たちだ。
そんな前提は承知の上で、それでも声を上げたのだ。叫ばれた言葉の外側に、かるべき理由が隠れていると、自然と考えられる状況だった。
実際、その「理由」らしきものはすぐに自分の目でも確認できた。
いや、なんかね。
いつの間にか小さなゴブリンたちの合間に、大きめの……いや、大きめと言うか。
普通に、それが標準ではあるのだが、イエネコほどのサイズ感である呪われゴブリンに比べるとなんだか「大きい」と思える個体がいつの間にかにそこにいた。
そしてその、ゴブリンにまざってゴブリンと一緒にゴブリンのための食事を素手で口に詰め込んでいるゴブリンは、全く呪われていなかった。
いつでもいるし、――いや、常時討伐対象で発見次第狩られているから厳密には「いつでも」とは言えないかも知れない。
ともかく、ざわめきの中心にいたそれは、忘れた頃に厄災のようにやってくる普通の、呪われずして生まれながらのゴブリンだったのだ。
「えっ、ダメじゃん」
いたら。いたらマジでダメなやつじゃん。
そう思い、それから遅れて納得がくる。
だから人族、それか小型ゴブリンと化した冒険者および兵士らが一気にピリピリと緊張したのか。
やっと頭が追い付いて、私は思わずまるで今発見したかのように「ゴブリンだあ」と、全く新しくない事実を口走ってしまう。
と、小さなゴブリンの姿をしたメガネは「だからそう言ってんでしょ」とだいぶ冷たいリアクションを見せた。
これはね、よくないですよ。
「たもっちゃん、冷たい。そう言うの……ちょっとどうかな……。親しい仲にも礼儀ってもんがある訳じゃない?」
もっとこう、なんかあると思うの。
ホントにホントのやついるじゃんと動揺する私に、傾聴と共感にあふれたとりあえずの相づちとかが。
そんな悲しみに思わず私は長らく記憶にないくらい真摯な気持ちで抗議をしたが、たもっちゃんはゴブリン顔をだいぶしかめて全然解らんみたいな感じで言った。
「そんな場合じゃねぇのよ。リコ。ゴブリンいんのよ。ゴブリンが。ゴブリンの中に。これ。この感じ。これがダンジョンで頻発したの。見て。顔一緒。今いるあれは大きさ違うけど、ダンジョンだと大きさも一緒だったからさぁ。やだよね。すっげぇやりにくいの。解る? そらもうSAN値ゴリゴリよ」
「そっかあ……」
それはなんか、大変でしたね……。
私も野生のゴブリンに遭遇したことくらいはあったが、それだけだ。
戦力的になすすべもない村人であるため、ゴブリンと言う脅威を前にしても着信を告げる昔の携帯電話のようにテーブルから落ちる勢いでやたらと震えて金ちゃんを含む男子らがなんとかしてくれるのを待つことくらいしかできない。申し訳ない。お世話になります。
だから純粋にダンジョン産の、もしくは野生の。普通の。比較的その辺にいるゴブリンと遭遇した時、中身は人間でありながら呪われてゴブリンの姿となった集団がどんな心境でそれらと対峙したのか。ちょっと想像も付かないことだった。
大変でしたねと思いはするが、それはだいぶ勘に頼る感じで雑に理解を示しているにすぎない。
ただ、これはなにも思っていない訳ではなくて、自分の中に存在しない苦しみに共感まではできずとも察して余りある同情ならばいだくことができる。そう信じる。大変でしたね。あんまりちょっと解らないけども。
と、我々――内訳としては、ほぼほぼ私だけではあるが。
こんな感じである意味のんびりしている間にも、周囲、特にどこからか紛れ込んでいた普通のゴブリンが発見された辺りでは一触即発と言うような、ピリピリとした空気がどんどん濃くなって行く。
同時に、これは人間側が手をこまねいていると言うことでもあった。
ゴブリンなのだ。相手はただの。
いや、私のような力なき村人しかいないのならばかなり厄介な敵である。
体は成人した人族の半分にも満たず、痩せぎすで、背中を丸めて姿勢も悪い。
けれども道具を使う器用さと、人をあざむき襲う悪辣さをも持っていた。
加えて、類人猿に似た……と言ってしまうと齟齬があるだろうか。
それらは明らかに別種でありながら、全体を見れば人間に似た姿形であるために討伐にはどうしても忌避感が伴う。
そう、例えば今まさに普通のゴブリンを中央に、一定の空間を設けた上でその対象を取り囲む冒険者や兵士らがもうやだつらいと泣いているように。
「やらなきゃ……やらなきゃ……」
「でもよ、今はおとなしいじゃないか……」
「一匹くらい見逃しても……」
見て。
歴戦かなんかのおっさんたちが、このびっくりするほど腰の引けよう。
人間、呪われゴブリンを問わず、それぞれの武器を構えながらにガタブルとしている。
あれやんけ。
自分たち、それか近しい仲間やなんかが小さなゴブリンに変えられたことで、ヒトガタに近い動物を傷付ける忌避感が心に押し込め切れなくなっとるやんけ。
私、習いましたよ。冒険者ギルドの講習かなんかで。
ゴブリン一匹見逃すと三十匹になって戻ってくるって。いや……、これは黒光りする虫の話だったかな……。
だから……、だから?
虫の話とかはさんだせいでちょっともう自分でも「なんだっけ……」みたいな感じなってふわっふわしている部分はあるが、とにかく。
いかにゴブリンがおとなしく、例え憐れに命乞いしてきたとしても。
我々は慈悲など見せず、それらを根絶やしにしなければならない。
この異世界において、これが基本かつ唯一絶対の方針なのだ。
私はしないけど。戦闘力がマイナスなので……。
――けれども。
その方針や異世界的常識を百も承知であるはずの冒険者や兵士らですら、彼らにすれば「たかだか」ゴブリンを前にしてメンタルぼこぼこにされている。
聞いてはいた。
ゴブリンの姿にされ、または仲間がそうなって、その上でゴブリンと戦うのはきついと。
しかしそれをダンジョンには同行してなかった私は実際には知らず、ここで初めて目の当たりにした。
そして思いました。
敵ゴブリンにあうたびにこんな感じだったとしたら、これ多分、なんとなくで思ってたより全然探索進んでねえなと。




