782 なるかも
ダンジョンの探索が全くはかどってないと言うのなら、いちいち外まで戻って休憩してたらさらにはかどらないのではないか。
そんな思いが一瞬頭をよぎったが、人の心がだいぶ足りないこの効率重視の考えはすぐに別の色合いに塗りつぶされて消えた。
まあ、人間ですもんね。解ります。休憩はね、ちゃんと休まないとですよね。
みたいな、しんみりと身につまされるような深すぎる理解。
「そりゃあね、あれよね、薄暗くていつモンスターと戦闘になるか解らない地下トンネルでずっといたらそらね。メンタルヘルスの面で問題ありそうですもんね。なんか。解る解る。知らんけど」
「何だろ……リコの理解が深そうな割に雑すぎてもういっそずっと黙ってて欲しい」
「なんでだよ。ありったけの洞察力でなんか大変だったんやろなって大体の感じで察した上ではれ物に触るみたいに優しかっただろ今のは」
「腫れ物扱いは優しさなのか……?」
「ダメだテオ。オレもうこいつら訳解んない」
調理器具だ食材だ、いやそれより先にその辺にかまどでも作っちゃおうぜとやいやいしながら止めどなく言い合うメガネや私の騒がしい姿に、ちょっと心の距離ができてそうな感じでテオやオットーたちの異世界常識勢がざわめくと言うには弱弱しく密やかに小さな声で呟いていた。
オットーは最初から人間のままだが、テオはまだうちのメガネと同様に小さなゴブリンの状態だ。
だとしたら私は今、ゴブリンに常識で負けていると言うことになる。いやならない。ならないかな。でもなるかも。
イエネコほどの体格の、小さなゴブリンには大きすぎる調理器具を駆使してお昼ごはんを作ろうとしている黒ぶちメガネ。そして自ら仕事を探して動こうとする、できるタイプのテオを始めとしたゴブリンの集団。
常識って、なんなんだろうなと思わずにはいられない。
ただし積極的に働いているのは人類もそうだし、すきあらばサボろうとする者だってゴブリンにも人類にもいるので個人の性質による部分が大きいはずだ。
たもっちゃんらと集団にまざってやるぜやるぜとダンジョンに入り、俺はやったぜ俺はやったぜみたいな感じでガルガル主張しながら戻ってきた、やはり呪われ小さなゴブリンとなっている金ちゃんに食前のおやつを要求されつつ一緒になってちびちび甘いものをつまみながらにサボるほうの人類としてそんなことを思いました。
いや、私もメガネを手伝おうとは思ったのだが、調理器具とか食器とか用意するフェーズが終わってしまうとなにもできることがなかった。
戦略的撤退である。
味方による破壊行為でむざむざ被害を増やすことはないから……。
こんな感じでなんとなく大体いつもの我々の感じで昼食になだれ込もうとしていたのだが、そこはまあ、多少は慣れてきたとは言っても周囲にあふれているのはゴブリンだ。
このことに、小さいながら、そして中身は人間ではあってもダンジョンからぞろぞろ出てきたその人ならぬものの集団に、街の薬屋がさすがに引いた。
「お……おぉ……」
「内心すっごいドン引きなのにここで引いたら相手に悪いと思って踏みとどまってるのえらい」
「リコ、それ全部言っちゃったらもう台なしなのよ」
ダンジョンの呪いかなんかでそうなっているとうっすら聞いてはいたものの、どうやら目の当たりにするのはこれが初めてのことだったようだ。
困惑と本能的な恐怖の間でビクッとしている若い街の薬屋に、私はなんだか感心してしまった。
「見て。小さいけど近くで見たら肌のテクスチャーとかがモンスターのそれ」
「やめてよぉ……やめてよぉ……本人にもどうしようもないことでねちゃねちゃ責め立ててくるのやめてよぉ……」
「せ……先生……あの……あっ、肌荒れに効く軟膏があったかも……」
見て。この質感にリアリティの厚みあふれるゴブリンの顔。
みたいな感じでぐいぐいと、たもゴブを街の薬屋のほうへと強引に押し出し見せ付けているとメガネがなんかちょっと泣いてたし、街の薬屋はさらにおろおろしながらここまで自分で背負って運んだ荷物の中からあわてて薬を探そうとしていた。
あるんかい。
ゴブリンの肌が荒れてるかどうかはともかくとして、なんか効きそうな軟膏が。
ダンジョン攻略に肌荒れの薬はいらんやろと思ったが、本人もあわてて駆け付けたので荷造りの統合性まで気を回す余裕がなかったらしい。
たもっちゃんはそんな話を聞かされて、そして目の前の薬屋が心配のあまり取るものも取りあえず駆け付けたのだと知らされて、「心配してくれたの……? 俺の事……?」などと、ゴブリンの顔をときめき方面にドキドキとさせた。
私、知ってます。これは多分、本人たちはほんわか関係性を築いているのに人間とゴブリンではふさわしくないと周りが勝手にやいやい騒いで恩着せがましくジャマしてくるタイプの恋愛ものが始まるやつだと。
わかるわかる。最初はほのぼのしてたのに急に修羅が始まる少女マンガとかで見た。
ついでに、街の薬屋のカバンの中がだいぶしっちゃかめっちゃかだと判明し、私の同情と共感は過去ないくらいに最高潮である。
「二人がいいならいいじゃない……ほっといてあげてよお……」
むやみな親しみでついそんな、別に誰にも頼まれてないし多分そうじゃない加勢までをしてしまう。
思ったことがぼろぼろ声として口からこぼれ出て、なんの脈絡もないことを口走る私にいつもなら、すかさず横から口をはさんでくるのはメガネだ。
だが、今のメガネゴブリンはうっかりときめくのに忙しい。
なんか街の薬屋と二人、心配してくれてありがと……いやこれくらいは……とか言って、もじもじとしている。
信じられるか?
これで彼らの間にあるのは愛とか恋とかなどではなくて、便利な地球の知識をはさんだただの利害関係なんだぜ。知ってた。こわい。
そんな忙しいメガネに代わって――なのだろうか?
こわごわしたふうに、でも確かめられずにいられないみたいに神妙な様子で問い掛けたのはテオだった。
イエネコみたいな大きさの、でもまあ造形はゴブリンである小さな姿でありながら、テオは憂い深げなイケメンの空気を出して言う。
「リコ、また何か……どうでも良い事を考えてないか……?」
「うん」
そう。でも、なぜかな……。私なぞ毎秒どうでもいいことしか考えてないのだと、テオにバレて逆にほっとするようなこの気持ちは。
で、たもっちゃんはもじもじとし、テオは片っ端からものごとを憂い、金ちゃんはなんか世界が大きくなって思うように行かないがメシは出てくるから今のところ、まあ。みたいな、根拠の弱い鷹揚さを見せる。
そんな我が家のゴブリンたちを中心に、とにかくお昼ごはんにしながらうだうだ話を聞いてると、やるぞやるぞと意気込んで行った呪われダンジョンの探索は全然うまく行ってないようだ。
「やっぱね、あれよ。つらいのよ。ゴブリン。ただでさえパーツが人間に似てるからさ、やり難いのもあんの。でも今は俺らもゴブリンな訳じゃない? こっわい。レース付けてても同士討ちこっわい。あと何か、ダンジョンのゴブリン倒してもすぐには消えてくれないみたいで念入りに確認して絶対これ仲間じゃないって解ってんのにダンゴブが死んでんの見るとものすっごい後味悪い」
「たもっちゃん。ダンジョンで出るゴブリンのことダンゴブって呼んでんの?」
「解りやすいから……」
その辺にいる通常のゴブリンと呪われた元人間のゴブリンとダンジョンの中に出るモンスターとしてのゴブリンなどのバリエーションが出てきてしまい、呼び分けによる判別が必要かと思った。
我が家の料理担当であるメガネは幼児よりも小柄な、私でもひょいと片手で持ちあげられるほどの小さな姿で、山盛りの料理を前にしてキリッとしていながらにどこか憂鬱そうな様子で語った。
ゴブリンにそんな造詣深くなりとうはなかった。そんな思いがにじんでいる気がする。
なお、この山盛りの料理はメガネがささっと用意――するつもりが、思ったより自分が小さくなっていて愛用のフライパンすら思うままにならぬと泣いているところへ颯爽とアンドレアスが現れて、たもっちゃんの指示に忠実に調理を実施し作り上げたものだった。
アンドレアスは寡黙ながらにやるときはやる男なのだ。
そうして、なんかもーたーいへんとか言いながら、とりあえずごはんにしていたそのさなか、突如として騒ぎは起こった。




