780 危ない場所
普段は地上の命に関わる行動が取れないために、魔獣の狩りや、おろかなる人族を魔法で圧倒し蹂躙するなどで実力を示すことができないレイニー。
だが、本当はこんなのものではないのだと。
天界育ちでいながらに、諸般の事情で地上暮らしの我が家の天使は苦々しげに唇を噛む。
「わたくし、やればできるのですよ」
そう、例えばモンスターが魔力で構成されていて命のような姿をしていても実際は命を持たないダンジョンでなら、遠慮なく執拗にモンスターを追い掛け回して日頃のうっぷんを晴らすなどの仕事が。
基本そこにいるだけのレイニーがなんのうっぷんをため込んでいるのかは解らない。
でもほら……人ってなにを秘めているかは実際そうなってみるまで解らないみたいなところあるから……。
ただそれはそれとして、ごめんねえ。でも行かないです。ダンジョン。行かないです。
ほら。やっぱね。ジャマとかしちゃうと悪いので、子供と地上でお留守番してます。
などと、私はもう全然やる気を失ってダンジョン前の森の中、すでにちゃぶ台みたいなテーブルを出して地べたに座り、子供らとだらだらするなどしている。
よく冷やしたお茶とか飲んじゃおうねえ。
「リコさん……リコさん……!」
そんな私にすがり付くみたいにびったびたに張り付き、至近距離から空色の瞳でギンギンに訴えかけてくるレイニーに私もさすがに空気を読んだ。
「しょうがないな……レイニーにもおやつあげましょうね」
「リコさん……っ!」
そうじゃねえ。食べるけど。
レイニーはそんな感じでじんわりと涙を浮かべておやつを両手に受け取った。
天界から地上へと落とされ、なんとなくそんな感じはしてないが一応は守護天使みたいなポジションで私のそばにいてくれるレイニー。大体は本気でいるだけではあるが。
また、レイニーは天使として地上の命に関われないだけでなく、私のそばからあんまり離れてはいけないしばりもあるようだった。
レイニーはその辺りを全体的にひっくるめ、悲壮な空気をかもして嘆く。
「これで……リコさんと一緒で、どうやって活躍しろと言うのですか……?」
「とりあえず……私がいっつも足引っ張ってますって感じやめよっか……」
隠して。せめて。例え事実だとしても。
それは……人に頼む態度ではないから……。
別に態度を改めてニャーニャー甘えて頼まれたところで一ミリたりとも譲ったり聞いたりする気はないのだが、こう、姿勢として。
でもそれはそれとして、自分の問題を人になすり付けるのよくないと思うの。
と、それっぽいことをキリッとした真顔で言い返す私のそばではゴブリンメガネがぼそぼそと「足引っ張る以前に危ない場所に行かないんだよなぁ。シンプルに」などと呟き、子供らにおやつをせっせと渡して機嫌を取ろうと忙しそうに働いていた。
確かにそう。行かないです。危ない場所とか絶対に。たまに事故った例外はあります。
そうしてゴネたりする内に、もうなんか。
イエネコの大人くらいの体格と全身の緑掛かった茶色の色彩でどう見ても人間とは相容れぬ異形の姿をしてるのに、一緒にいすぎて呪われゴブリンにも慣れてきてしまった。
小さいゴブリンが小じゃれたお皿に茶菓子をしゃららと並べ、エキゾチックな模様の入った小さめのカップへ子供のために甘くしたなにやらお花の香りをただよわすお茶をそそいでセッティングする様。
なんかちょっとほほ笑ましくてよくない。
サイズ感がネコチャン的なゴブリンもよく見るとだいぶ湿気た生命の代謝を思わせる質感で、全然かわいさとかはない。呪われとは言え、ゴブリンはあくまでもゴブリンなのだ。
でもこうして愛着のようなものがわいてしまうと、本物のゴブリンに遭遇した時に討伐の判断が鈍ってしまわないか心配だ。
ゴブリンとは本来、人類とは相容れぬ絶対的な敵なのだ。
これにうっかり同情してしまうと、心がきしんで引き裂かれてしまうことになる。ような気がする。
かと言って同情に任せて少しだけと見逃した結果、その場ではよくてものちのちにどこかで被害が出ることにでもなればそれはそれで償いようがなお。
今、我々の目の前にいる小さなゴブリンは呪われ、見知った人物や、それかどこにでもいるただの人間がその中身なのは解っている。しかし、そうであってもゴブリンの姿に親しみをよせるのは忌避感や動揺を伴った。
その意味でも確かに、このゴブリン化するダンジョンの呪いは悪辣だ。
友人や仲間に対する感情を楯に、ゴブリンそのものへの刃や敵意を鈍らせるのだから。
――と、なんか深刻に思うがよく考えたら私は戦闘で全く役に立たない村人だった。
その判断が鈍ったところで、ゴブリン討伐に関してはあんまり影響はなさそうではある。
困るとしたら私以外の、ちゃんと冒険者をしてるか街を守る兵士だとかだ。
当方、おやつを食べながらぼんやりと、なんかみんな大変だなあ。みたいなことを思うばかりです。
こうして子供の安全を第一に、あと私の戦闘力の乏しさをかんがみ、ダンジョン前でピクニックを始めてどっしりと待機の構えを崩さぬ我々。と言うか私。
レイニーだけはどうしてどうしてと泣いている。
子供らもダンジョンの中まで連れて行ってもらえないのは少なからず不満に思う様子ではあったが、オットーが少し屈んでゴーレムに乗ったライムとしっかり目線を合わせ「危険を承知で危険な場所へ子供を連れて行く者に親の資格なんてない。そうなれば、もう一緒にはいられなくなると思うんだ」と、極めて真っ当な大人みたいなことを言い、ライムをしぶしぶ納得させた。
たもっちゃんや私はそれを横で聞き、「あ、うん。これ」と、やはりゴーレムを装備したじゅげむに、美しい親子愛と保護者としての高い倫理観を指さして示した。
ゴブリン化して小っちゃくなってもどことはなしにイケメンの空気をかもし続けるテオゴブが「今さら……?」と言わんばかりの感じは出したが、我々も一応、子供を危険に近付けたい訳ではないので……。やっちゃってる時もだいぶんあるが、それはうっかりやっちゃってるだけなので……。事故なので……。うっかりならいいとは言ってないです。
そんな説得のお陰だろうか。
今ではゴーレムを装備、または搭乗したままお茶としている子供らはあまりにさめざめとしたレイニーの様子に「だいじょうぶだよ。いってきてもいいよ……?」などと妙な気を回し、でも私の守護天使であるがためダンジョン前のピクニック会場から離れることができない天使をさらにウッと涙ぐませるほどの聞き分けのよさを見せてくれていた。
この頃になると、復讐心とやる気をこじらせた呪われゴブリンを擁するダンジョン攻略集団がわあわあと盛り上がり、過剰な勢いがもう自分たちでも止められないほどの熱を放っているかのようだ。
そしてその勢いのまま、もー解らんけどとりあえず行ってくる! と、見切り発車としか言えない感じでぞろぞろとダンジョンの中へと若干走って消えて行ってしまった。
なんか色々言ってても、冒険者は雑なフリーランスの集まり。ちょっと野良犬みたいなところある。個人の見解になります。
こうなると慎重にことを運ぼうとしていた行政の力でもどうにもならず、しかも今回は兵士たちにもゴブリン化した者が含まれた。
彼らにも思うところはあったのか、比較的お行儀のいい異世界の公務員たる兵士らも、行こう。すぐ行こう。そしてやろう。ゴリゴリに。みたいな、ギャンギャンに覚悟を決めてしまってて、誰にもステイができない状態だったようだ。
仕方ない。岩がごろごろした濁流のように、場合によってはもう外からどうにかできるものではなくて、なるに任せるしかないのだ。
それで、やるぜやるぜと呪われゴブリンの集団とその付き添いの人類がダンジョンの中へと消えたあとには人間の兵士が見張りのために数人。
あとはピクニック気分、または泣いている我々がもっちゃもっちゃとおやつをいただき残された。
これはもう仕方ない。ほら。やっぱね。なんだかんだで心配ですもんね。呪いへのいら立ちと復讐心をたぎらせてダンジョンへと入って行った元人間のゴブリンとかが。
それはもうね。カロリーと炭水化物で胸に開く不安のすき間を埋めようなどとしてしまいますよね我々も。
ダンジョンの入り口は森に存在するものの、見張りの兵士もいることですし。オットーたちも普通にダンジョンに入ってしまって不在だが、子供らはゴーレムに乗ってて万全ですし。セキュリティに関しては。
と、それに加えてダンジョンの外ならまあそんな危ないこともないやろと思いっ切り油断してお茶としている我々の前に、ぜえはあとものすごく苦労してここまできましたみたいな様子で現れたのは大荷物を背負った一人の男が現れた。
頭に白い布を巻き付けたその若い男性は、なにやらちょっと遅れて情報を仕入れ、あわてて駆け付けたラオアンの街の薬屋だった。




