775 因縁の地
今、我々の前に立ちはだかる問題。
メルたんママの呪われダンジョンとそれに付随する人類ゴブリン化現象について。
ママの呪いダンジョンはとりあえず大体の感じで私が呼んでいるだけなので、あんまり真正面から受け止めないで欲しい。
で、そのダンジョンについてはメルたんママやらその関係者やらの悪事発覚でずるずるとイモヅル式に発見されたのち、すぐに状態を確認するため調査探索が実施されている。
その頃はまだ誰もダンジョンが悪魔の素養を吸い込んで呪われているとは知らず、ダンジョンの存在そのものをママたちが便利な倉庫として利用し秘匿していたために街も冒険者ギルドもそこにあると言うことすらも把握していなかったからだ。
初期の調査探索には兵士、冒険者を取り混ぜて様々な人間が関わった。
そもそも、当時の街の状態があらゆる悪事が横行し、かなりグズグズで、色々と人手が足りないと言うので我々にも声が掛かったほどだった。
当時は街を守る兵士の数も減らされてどんどん弱体化させられていたそうで、それもこれも街を支配していたホラーツ家――すでに亡い先代の後妻と、後妻と共謀していた当主が原因らしいと聞いた気もする。
公的な兵士を減らす代わりにホラーツ家の私兵をごりごりに押し出し、あらゆる場面で好き勝手にするために。さすが悪の華である。迷惑さに余念ない。
だから、当該ダンジョンの調査探索に参加できたのは種族も職業もバラバラな、よせ集めの集団となった。
ダンジョンが公的に認知されてすぐ、なにも解らない状態からの初期探索だ。
必然的にダンジョンの特殊性について知るはずもなく、完全な手探りで、そしてある意味では無防備な仕事になってしまった。
そんな、恐らく因縁の地へ。
たもっちゃんを始めとした我が家のゴブリン男子らはとにかく早く、とにかくどうにかして人間になりたいと深刻に訴え――いや、金ちゃんはちょっと解らないけども。
とりあえず元凶と思われる呪われダンジョンの街へと急ぎ、そしてすでにそこにいた小さいゴブリンの集団と出会った。
「あはははははははは!」
「リコ、やめなよぉ……泣くほど笑うのやめなよぉ……。こっちは笑い事じゃないんだからさぁ……やめなよぉ……人でなしだよぉ……」
大笑いする私の足元でしくしくと、ゴブ化メガネがやめてよやめてよと私のズボンを引っ張るみたいにしがみ付き必死な感じで泣いている。
いや、微妙に涙は出てないのかも知れないが、なんとなく雰囲気的にはもう泣いていた。
私にいたっては実際にちょっと泣いており、どこもかしこも涙でしめっぽい、と見せ掛けて笑ってはいけない時に思いっ切り笑ってしまう感情のバグが露見している格好である。割とよくある。大丈夫ではないです。
そんな我々の前。
鉄格子を介したその先に今、だいぶわらわらと、結構多めのゴブリンがいた。
そう。
この、我々の主観としてはメガネやテオや金ちゃんを突然襲った、大人のイエネコほどのサイズ感で展開されている一部の人類ゴブリン化現象はなにも、我々にだけ起こった異変ではなかった。
それらは鉄格子の間隔が細かめの、なんらかの牢屋にとりあえず収監されていた。
街中で急に、またはクエスト中の野営地で突如、小さめとは言えゴブリンがわらわらと現れたのだ。
混乱である。
それはそう。死ぬほど笑ってからのん気に朝食なんか食べてるバカはそういない。いません。そらね。そらそうよ。
あちらこちらで忽然と、人族の隣に現れた何体ものスモールゴブリンは一様に、必死に、会社の金に手を付けたか、うっかり事故を起こしたか、ついつい上司の奥さんに手を出したかで急に大金が必要になったかのように俺だ俺だと周りに自分は人間なのだと訴えた。
が、ゴブリンは元々、悪辣に人の言葉をなぞったりするとのことだった。
そうして混乱させて油断を誘ったりするので、例えどんなに人間のように思えてもそのまま信じる訳には行かない。
構わず討伐してしまえば良し悪しはともかく話は早いが、しかしゴブリンが現れるのと同時に彼らが元の人間なのだと主張する人物たちの姿も消えている。
万が一、やっちゃったあとでマジでそうだったと解ったら目も当てられない大惨事。
で、スモゴブたちを牢屋にとりあえず閉じ込めてどうしたものかと街や冒険者ギルドのえらい人たちが議論しているところへスモゴブ連れの我々がのこのこと現れたのだ。
「あはははははははは!」
「やめなよぉ……やめなよぉ……。もうちょっとで仲間とか身内とかから殺されそうだったんだよぉ……? 同情くらいしなよぉ……」
お役所的な建物の、奥へ行くほど薄暗く、なにやらじめじめとした牢屋の一角で嘆くメガネゴブリンを膝の辺りにくっ付けてもう全然笑いが止まらない私。
牢屋としては広めだが全体的にせせこましい感じの空間に小っちゃいゴブリンがぎゅっと押し込められていて、そのそれぞれが床にあぐらで座ったり端のほうで小汚い壁により掛かり頭をかかえたりしている姿が完全に疲れ切ったおっさん丸出しでおもしろすぎた。
一方、たもっちゃんは私のズボンの布地を引いて「人の心を持ちなよぉ……」と小さな声で悲しげに言い、スモゴブの同胞だけでなく、ここまでの案内に付いてきた冒険者ギルドのえらい人とかお役所のえらい人などを深刻な顔で赤べこのようにうなずかせていた。
同じ不遇に見舞われた、スモゴブとその周囲の人類による団結。
薄暗くじめじめと、いかにも道を外れた人間にしか縁のないようなこの場所で、私のことだけ仲間外れにしてくるじゃんとは思ったが、そもそも人の不運を死ぬほどおもしろがって笑っているので私に人権などないのかも知れない。
でも……おもしろかったから……。それはなんか、笑っちゃうから……。人の心はちょっとないかも知れないけども……。
その、突如として現れた小さめのゴブリンらについて。
これらがこの街だけでなく、数はガクンと少なくなるが遠く離れた場所においても発生した例がちらほらとあった。
なおかつその小さなゴブリンたちはなめらかな人語を理解し発し、スモゴブ発生と同時に消えた人間たちの極めて個人的な情報を提示して俺だよ俺俺と主張する。
簡単に信じる訳には行かない。
僕たちだけはだまされないだなんて、そんなのは根拠のない幻想なのだ。
けれども、奇妙なほどに細かな部分までゴブリンたちは知っていた。その事実。
加えて、能天気にやってきた我々が「これ、うちの」みたいな感じで連れてきた三体のスモゴブを普通になんらかの悪い魔法で姿を変えられたカエルの王子みたいに扱っていたのも手伝ってだろうか。
えらい人たちもじわじわと、マジでそうかもみたいな空気になった。
いや我々がそんな感じだからと本当にそうと言う証左にはならないのだが、ちゃんとした人ほど場の空気を読むことに長けすぎているみたいなとこがある。テオとか。
世の中は割と、なんとなくの忖度でできているのだ。
そこへどうにか頼み込んで別の街から引っ張ってきた鑑定スキルの使い手が到着。
ゴブリンたちを一体一体どんな感じか見てもらい、マジじゃんと確認してから牢屋を出してお役所的な建物の、質素ながらにまだ人権について尊重されていそうな広めの部屋へと移した。
この際に大人のイエネコほどの大きさしかないゴブリンたちが階段に手間取り、人間にひょいひょい運ばれて表情がだいぶ死んでしまったり、一部のプライド高いゴブリンが自分たちだけで段差に立ち向かい一人をみんなで押し上げてその一人が次の奴を引っ張り上げようとしてたのに逆に落ちて下で待機していたゴブリンにぶつかりぷぎゃぷぎゃ潰してそこはかとないストライク感を出したりと、だいぶわっちゃわちゃの騒ぎになった。
だいぶ小さめであると言うだけで、中身がおっさんのゴブリンたちにほんわりとほほ笑ましさが出るのはなぜなのか。不思議だ。
ただ、小さいとは言ってもよくよく見るとじっとりとしたゴブリンには違いない。生命。それか、中高年の悲しみを感じる。
ゴブリンだもの。元の年齢層が高めの。
解像度はちょっと下げて行きたい。
ちなみに、そうして運ばれる中には使命感にキリキリとしたじゅげむにだらんと抱きしめられた金ちゃんや、初めてのペットに張り切ったみたいなライムに抱き付かれ、どうしたらいいのかと表情が虚無になったテオ。これはまだ幼児であるライムには運び切れずテオがほぼほぼ自分で歩き、ふらふらしている幼児のフォローにアンドレアスが付き添う周りをフェネさんが「我も! 我もつま乗せれるよ!」とキャンキャン騒ぎ飛び跳ねる。
なお、やはり虚無顔のメガネはめんどくさげな、しかし結局は面倒見のいいオットーが小脇にかかえて雑に運んでくれていた。優しい。だいぶ絵面がおもしろい。




