773 見る影もないメガネ
朝起きたら、と言うかしくしくと泣いているなにかに起こされてみたら、なぜだかすでに小さめのゴブリンとなっていた男子たち。
そしてその中でも、べらぼうに泣いているのはもはや見る影もないメガネだった。
あまりにも唐突すぎたのと、寝起きで倫理観と判断力が鈍っていた私。あくまでも人間性の問題とかではなく、ついついうっかりバカ笑いしてしまった。
よくない。よくないですね。あくまでもうっかり笑っちゃってるだけですけども。
ちょっと止まんなくて涙出てきちゃった。
まあそれはいい。
いや、よくはない。
でもあの……私の人間性は……ほら……。なんかこう、もう、あれ。
これまでの人生を通して大体ずっと、疑われ続けてきたみたいなところがあった。そのためどこかなんとなく、今さらのように思えなくもない。誰が人でなしだ。
なので一旦それは置いといて、今、取り急ぎ追及すべきなのはうちの男子らがなぜ突然にゴブリンの姿になってしまったかと言うことだろう。多分。
たもっちゃんはその大いなる疑問を前にして、なぜかそれも大人ネコほどのゴブリンサイズに合わせるように変化した小さな黒ぶちメガネのその奥ではるかな遠くを見るような、それか自分にしか見えない説明書をじっくり読むような眼をしてこう言った。
「呪いだゴブぅ……」
「えっ、また? またなんか人知を超えた法の手が及ばないやつなの?」
なにそれマジかよと私はあわてて荷物やポケットを調べたが、そこから発見された呪い人形……と言うと逆の意味に聞こえるが、ありがたい神官からいただいた呪いのようなものをどうにかしたりしなかったりする木の根っこの人形はメガネら男子たちのものはもちろん、私やレイニーのものまでもなにやらぐずぐずにねじくれていた。こわい。
なんらかの……こう、なんらかのよくない力が可視化されている……。
男子らについては一応、呪い人形も本来の仕事はきっちりとこなしていたものの、その上で呪いが強くて貫通ゴブしてしまったと言うことのようだ。
しかし男子らと同じく呪い人形がねじくれているのに、私やレイニーはゴブ化もせずに人間のままだ。
これはなぜなのか。
その謎を解き明かすため我々探検隊は怪鳥飛び交いめずらしい草の生い茂るジャングルの奥地へと――まあ行かないのだが、この割と大事そうな疑問について、たもっちゃんがぷりぷりしがなら説明するのはもう少しだけあとのことになる。
なぜならば、まずその前に私の態度が気に入らないとメガネが一回キレているからだ。
「リコ、それより、それよりもよ。ゴブリンに寄せた俺の特殊な語尾に言及してくれないのは本当に人の心がないと思うの」
「いや……こんなややこしい時にめんどくさい細かいボケ入れてくるなや」
「細かくないゴブぅ~! 今この時しか通用しない定番のやつゴブぅ~!」
大人ネコほどの大きさしかないアンバランスなゴブリンの体で、黒ぶちメガネをクイックイッとさせながらメガネがなんか全然いつもの感じでわめく。
その様に、私は床に並べたベッドマットに腰掛けたまま、ぐっとそちらに頭をよせた。
「たもっちゃん、ゴブリンになってんのよ。ゴブリン。そんなどうでもいいボケをこすり倒す余裕ないのよ普通は多分」
「こう言う訳解らん時だからこそ心の余裕が大事になってくるんだゴブぅ! 人の事そうやってすぐ異常者扱いするの良くないゴブぅ~!」
ゴブゴブとしながらなんかそれっぽいことを言うが、たもっちゃんなのだ。ゴブリン化してても。
私には解る。絶対テキトーに言ってるだけだ。異様にそれっぽいと言うだけで。
まあしかし、異常者かどうかは知らないが異常事態であることには間違いがない。
あくまでも、そう、あくまでも私の人間性の問題とかでは全然なくて、まだあんまり起きてない状態であるがため逆になんとなく普通にやいやいしてしまう私とゴブ化メガネとのやり取りに、やはり大人のイエネコサイズのゴブリンとなった我が家の常識人がなにやらやたらとしみじみ呟く。
「お前達は何があろうとそんな感じなんだなぁ……」
もはや感心してしまう。
憐れなゴブリンになってもなんとなく、しゅっとしたイケゴブ感ただよわすテオの声にはそんな響きがあったように思う。
さて、ここで一つ訂正がある。
私は先ほど呪い人形みんなもれなくねじくれてますみたいなことを申し上げてしまったが、あれは厳密には正しくなかった。
大体みんなねじくれていたが、例外もあった。
じゅげむだ。
もちろんじゅげむ本人もまったくゴブ化してないし、ポケットと言うポケットに仕込んだ呪い人形も無事だった。
助かる。本当によかった。でもなぜなのか。
メガネと常識人とトロールと言う大人のメンズがゴブリン化の憂き目を見ていると言うのに、ゴブ化する者としないものの違いはどこなのだろう。
呪い人形はねじくれていても、ゴブ化はしてないレイニーや私のこともある。
なお、小さな、けれどもほかの個体より一回り大きなボスネコみたいなゴブリンとなった金ちゃんに対しては、起きたら急にこうなっていたスモールゴブリンおじさんたちに「えっ、これきんちゃんなの?」と一回おどろいてからハッとしたじゅげむが台所のパンを熱心かつ慎重にスライスし、バターとジャムでじゅくじゅくにしたものをもちもち食べさせてあげるなどしていた。
じゅげむは語る。このゴブリンが金ちゃんならば空腹で暴れて誤解を招き討伐されてはと心配で、あわてて食べ物を探したと。
えらい。まだ幼さ残る男児の顔が使命感でキリキリとしている。
そんなじゅげむと金ちゃんのほほ笑ましい光景に、「そうだ、朝食の時間だ」と気付いたメガネがゴブ化しても使えたらしいアイテムボックスからごそごそと備蓄の料理をぽいぽい出して、ああだこうだとやいやい言いつつとりあえず食べられる時に食べておく精神でもりもりと朝ごはん。
と、そこへ、クマの村でクマのジョナスがやっている宿に逗留しているオットーたちがいつもの感じでやってきた。
それでまあ、オットーだけでなくアンドレアスやスヴェン、最近引き取られた幼子のライムも含めてなんだこれとばかりにおどろいた。
ただやはり、一番やかましく騒いだのはオットーだ。
「ゴブリンて! よりにもよって、ゴブリンになるって! どんな悪事を働いたんだよ! 聖人の墓でも暴いたのか? 精霊が住み付く泉にションベンでもしたのか?」
「そんなレベルの……」
謎の力でゴブリンの姿にされるって、それほどの罪を思わせる悲劇なの……?
私、ひでえ罪からの連想でありがたい感じの泉にお小便って発想が出てくる辺りにも引いてます。それはかなりの大罪ですね……。
そうして、いつでもどこでもパッションあふれる、もしくはなんでも大げさに受け取るオットーにより話題は朝食に出た備蓄のスープの白身魚がとてもおいしいと言う話から、本来もっと深刻に突き詰めるべきでしかない男子らが突然ゴブ化した謎へと戻された。
それはそう。
今この瞬間それより気になることはあまりない。私はうっかり大笑いしすぎて、なんかもうちょっと気が済んだみたいな感じになってはいるが全然なにも済んでないのだ。
よくないですね……。一笑い起きたらもうそれでおしまいみたいな、トラブルを消費型コンテンツとして扱うの。誰だよ。私です。
――ところで、お気付きだろうか。
我々の中でただ一人、いや一頭……一匹……まあ、なんかこう。キャンキャンともせずいつになく静かにしている存在があるのを。
そう、我が家の毛玉たるフェネさんである。
愛しき伴侶のテオまでがスモゴブ化して困っていると言うのに、なんの嘆きもコメントも発さず、自称神たる白い獣が一体どうしているかと言うと、いない。不在だ。
いや、不在と言うか、フェネさんがいたはずのおふとんの上にはぽとりと一つ、いつだったかブルーメの王の娘、武者姫から贈られた勲章を模した大きめのペンダントが落ちているばかりだ。
なお、ペンダントはちょっとした入れ物にもなっており、中身は自称神たる本体の毛。
そうですね、戻っちゃってますね。毛に。
たもっちゃんガン見の調べによると、どうやら呪い人形の奮闘もむなしくフェネさんもまたうっかりなんらかの波動を浴びていたようだ。
けれども、その白い獣は自称神の本体が自らの毛を媒体に魔力で練り上げた分体だ。
そのためかゴブ化こそはしなかったものの、相反するなにかでぱちんと爆ぜて分体そのものを維持できなくなってしまったらしい。
……呪いに負けとる……。
神なのに……。自称だが。




