772 予定にない
それはなんか、急にばたばたと色んなことが押しよせてトルニ皇国の赤い魚でエレの結婚を祝ったり、子育てに意欲を燃やしすぎるオットーが引き取った養い子のライム――これは元々名前がはっきりしなかった子供にオットーがアンドレアスと何日もうんうん頭を悩ませ厳選に厳選を重ねた末にライムントと名付けたものを自称お兄ちゃんであるスヴェンが「なっげ」と言い捨て勝手に愛称をライムとしたものだが、その養育についてもやはり悩みが尽きず、読み書き計算だけでなく剣や魔法の習いごとまで片っ端からやらせようと試みてその辺の意欲は全くなかったライムから「おっとーちゃん、いや!」と、やたらときっぱり拒否されたりしていた頃のこと。
いや待って、おっとーちゃんてなに?
と、気になりすぎる部分はあるが、どうやらお父ちゃんとオットーが変な感じにまざったやつだったようだ。
オットーは「いや!」と言われてショックを受けつつ、でもその呼ばれかたは割とまんざらでもなさそうだった。
ライムは最近家族になったのに嫌なことちゃんと嫌って言えてえらい……。
でも大人としては習いごともして欲しい……。わかる。子供にはなんとなく過剰な期待をよせがちになる……。わかる……。
じゅげむ、たもっちゃんの送り迎えはあるけれど数日ごとに公爵家までせっせと通って熱心にお教室で習いごと続けられててえらい……。
と、そんな感じで子供と言うものを身近に迎え、そしてその命と養育に責任を自覚し始めたことが心境に変化をもたらしたのかも知れない。
いや、もうすでにオットーは勝手な思い込みでテオを責め立てて、その当時、仕事としても生活としても拠点としていた土地から追い出したことを悔やんでいた。
そして実際その心情を告白し、贖罪の方法をどうにか探そうともしていた。
なんか、逃がさねえからな。みたいな勢いで我々の――と言うかテオのあとを追い掛けていつまでもくっ付いてくるのはそんな事情あってのことだ。
それがライムを引き取ってからさらに自責の念が強まったらしく、オットーは今やテオの顔を見れば済まなかったとしょんぼりし、いい人間になりたい……いい人間になりたいんだよお……。などと、地底からうめくような鳴き声を上げる謎の生物となっていた。
わかる。早く真人間になりたい。
今や、すっかり夏である。
今年のお中元、どうしたっけ? と言う、もうなにも解らない疑念を恐る恐る確認の上で一応配ってはいたがその裏でうっかり不義理が発覚した各位には平身低頭ギフトを差し出し先方の懐の深さに救われる夏。
例年ならすでにうきうきと大森林のエルフの里におジャマして親の実家の田舎みたいな勢いでごろんごろんと夏休みを満喫している時期だが、しかしエルフの里への突撃訪問はいまだ実現できてない。
ではなぜ実現できてないのかと言えば、本来は人族とは距離を置き、所在もよくは解らないはずのエルフの里に急に見知らぬ人間はさすがに連れては行けないと、さすがの我々もなけなしの社会性でもってなんとなく察していたからだ。
困るよね。予定にない急な来客。
しかも知らん人。連れてきたのが親しい人とか身内とかだとぶぶ漬けも出せぬ。
これはあくまでも大体の人族に対しての話で、決して、決してオットーたちだから連れて行けないと言うのではないのだが、贖罪の気持ちでカバディカバディとテオに迫る彼らのことをどうやってまいて置いて行けばいいのか。
そんな、こちらの人間性が試されるような状況ではあった。
どうにかしてまいて置いて行きたい。
なのでそれが起こった時も、我々はいつもの我々だけでなくオットーたちも一緒だった。
狙ってそうした訳じゃない。ただ結果、そうなったと言うだけの話だ。
しかし、もしかするとこれは思わぬ幸運だったのかも知れない。
その日、我々は戦力のほとんどを失った。
いや、あくまでも戦力についての話だ。別に誰かがいなくなったりはしていない。
だから、正確をきすなら、無力化されたとでも表現するのが妥当だろうか。
それがいつ起こったものなのか、厳密には解らない。
多分、その瞬間はみんな寝ていた。恐らく夜の間のことなので。
だから、気付いたのは朝。
いつものようによぼよぼと、目が覚めるにつれて世界への憎しみに似たなにかをいだきながらに寝床でごろんごろんとうごめいていると、どこからともなく小さく、か細く、弱弱しい声がしくしくと聞こえた。
「リコ……リコ……どうしよう、リコ……俺だよ……俺……たすけて……」
「突然の助けて詐欺……」
夏の朝。
早くからどんどん空が明るくなって、家の中にも少し青み掛かったような静かな光が入り込む。
そんな空気感の中、語り掛けてくるものすごく聞き覚えはあるけどだいぶウザすぎるその声に、私はカッと両目を見開いた。
そして笑った。
「あははははははははは!」
「やめてよぉ……やめてよぉ……俺達、困ってるんだってぇ……笑うのやめてよぉ……」
困惑なのか、悲しみか。
やめてくれと訴えるそれは、まあまあの涙を浮かべてめそめそと、ぽっこり飛び出た自分のお腹を痩せぎすの小さな手の平でぎゅうぎゅう押さえて自らの体を抱きしめる。
そうしているのは、間違いなくうちのメガネ――なのだと思う。
ただし、それは人の姿をしていなかった。
もっと小さく、もっと醜く、最も憐れな命の姿をしていた。
ゴブリンである。
「あははははははははは!」
「やめてよぉ……リコ、酷いよぉ……。笑うのやめてよぉ……」
絶対に、なんらかの異変があったのだ。
それも、だいぶのっぴきならないタイプのなにかが。
でなければ夜寝る前まではいつも通りでいたものが、次に起きた時には突然ゴブリンになっている訳がない。
また、変化したあとの彼らは、よく見れば普通のゴブリンとも違った。
棒っ切れみたいな痩せぎすの手足に真横の引っ張ったかのような耳。ギザギザの歯。ぽっこりとお腹だけが丸く飛び出しているのは全体的に普通のゴブリンと同じだが、けれども全身がもっと小さく大人のイエネコほどのサイズしかないのだ。
ゴブリンであってゴブリンでない、でもちょっとだけゴブリンのなにか。
で、ありながら、その中にどこかありありと私のよく知る人間を思わせる彼らは、不思議なことにそれぞれが今の小さな体に合わせたミニチュアの装備を身に着けていた。
――そう、彼らだ。
朝起きたら突然に、スモールゴブリン、略してスモゴブとなっていたのはメガネだけではなかった。スモゴブは自分で言っといて全然しっくりこないので、多分定着しないと思います。
その、ある者は黒ぶちのメガネを。
また別のある者は羽を持つヘビを模した剣を。
そしてほかのスモゴブよりも一回りサイズの大きなある者は、左腕が欠け、顔には傷跡。そしてガルガルとうなり声を上げながら、穀物を半殺しにするためのこん棒めいたものを片手でぶんぶん振り回すなどしていた。
順番に、たもっちゃん、テオ、金ちゃんである。
金ちゃんゴブだけ大人ネコの中でも貫禄のありすぎるサイズだが、もしかすると元々の体格が影響するのかも知れない。なんとなく中性脂肪が気掛かりなどっしりとした中年のようにゴブゴブとしている。
この朝、我々はまだローバストのクマ村にいた。
決してオットーたちが悪いと言うのではないのだが、どうやって振り切り逃げたものかと悩みながらもなに一つとして思い付かずにうだうだしてしまっていた結果だ。
我々にはよくある現象である。
夏のギフトの確認にあちこち訪ね歩きはしたが、たもっちゃんのドアのスキルでちらっと行って戻っただけなのでもはや誤差の範囲みたいな感覚しかない。
そのためスモゴブたちを前にして私がバカ笑いしているこの瞬間もクマの老婦人が管理するメガネの家で、玄関を入ってすぐのキッチンに面したリビングダイニングのような空間にツタで作ったベッドマットをぽいぽい並べて雑魚スタイルですごしていた。
そして人類とは異なる小さな姿になってしまった男子らに、ひどいひどいそれはないゴルゴルと責められている。
「リコ、もっと人の心を持てって俺いつも言ってるでしょ……」
「いつもは言われてないですね……」
確かに、これで笑っちゃうと人間性が若干どうかしている気がするが、私も早朝に起こされたばかりで寝ぼけていたのでそのせいだと思う。人間性の問題じゃなくて。全然。そう言うことではなくて。ホント。全然。




