770 私でもなれた
オットーは恐らく、きっと、思い切り愛していい相手を求めていたのだ。知らんけど。
その子供はまだものすごくちっちゃくて、ものを知らず、行儀も悪く生意気で、でもぴかぴかの好奇心に顔を輝かせていた。
そして、出会って間もないはずなのに、どうしてだかもうすでにオットーとアンドレアスの間にいればなにもかも安心だと信じ切っているみたいに見えた。
聞けば、この子はなにやら最初からこんな感じだったとのことだ。
オットーは優秀さから目を付けていた子供の件では事務長との闘いに破れ、それでもやっぱり手放せない未練を胸の中にもやもやかかえてローバストに近年できた孤児院に通い詰めていたらしい。
簡単な読み書きや計算を教えられる子供らを見たり、たまに教えるのを手伝ってみたりしながら「もしかしたら自分は親になる資格がないのかなあ」などと言うところまで思い詰めていたところ、ふと気が付くといつもこの子がオットーのそばにいる。歩けば必死に付いて回って、座ればがっちり服をつかんで必ず隣に陣取った。
それで一緒にもそもそごはんを食べたり、オットーに付き合うアンドレアスが大きめの子供らにしっかりめの棒でつつかれてやり返すと見せ掛けて軽く剣を教えたりしているのをぼーっと眺めている内に、この子ともっといたいなとじわじわ気持ちがあふれたと言う。
なお、大きめの子たちにアンドレアスが人気だったのはこの異世界で冒険者になるのは家業とかを持ってない、もしくはそもそも親のない子供たちには割とポピュラーな選択肢だったからのようだ。
現役の冒険者に話を聞いたり手ほどきを受けたりすることは、子供らには貴重な機会になったのだろう。
わかるよ……。
冒険者、私でもなれたもんな……。
とりあえずの日銭を稼ぐのに、だいぶ手軽な職業ではある。わかるよ。なんか危ない感じするから、あんま子供にはよくないんじゃないかと思いはするが……。
と言うか、大人でもそんなによくはない。
仕事によっては危険も多く、福利厚生がなに一つ保証されないフリーランスなので……。私は草しかむしってないから、なにも解らぬままにやってるけども……。
そんな、ちょっと関係ないとこで勝手にしんみりしてしまった我々を前に、しかしオットーはもじもじと今の自分のはち切れそうな気持ちを語った。
「先日、才能やできのよさで子供を選ぶのはどうなのかと言われて……悩んだ。自分にその資格があるのかどうか。けど、もうこの子じゃないと嫌だったんだ。これからどうなるか……どうなって行けるのか、解らないけど、精一杯、一緒に生きて行きたいと……」
「重い……」
「うっかり聞いちゃったのこっちだけどさあ……。重いのよ。覚悟が。いや……子供もらう訳だから覚悟は重いくらいのほうがいいのかも知んないけど、我々には別に言わなくていいのよ」
なんでだろうなあ。
なぜ、よりにもよってなんの頼りにもならない我々にそんな決意表明を……。
ついヒマを持て余し、人様の人生のだいぶ大事そうなところへ無責任に口だけはさんでいたらこの始末。よくない。よくないですよ我々が。
ともあれ、なんとなく子供のほうもしっかりとオットーとアンドレアスの間にみちみちに収まり、だいぶ満足そうには見える。
これはあれだ。
子供と言う名の小さき命から見込まれている。オットーとアンドレアスの大人二人が。
保護者的ななにかとして強く。
そしてまた、その大人らも小さき命に頼られて全世界の信頼を浴びたみたいな勢いと自覚を得ていたようだ。
なにを思ってか、と言うか多分、じゅげむがいるからなのだろう。
テオだけでなくメガネや私にまで子育てに関するあれやこれやの質問を浴びせ、彼らはふんふんと鼻息荒くなにもかも学び取ろうとするみたいな姿勢を見せた。
よく考えたら我々に比べると常識と良識にあふれていると言うだけでテオも子育ての達人とかではないのだが、まあなんとなく頼りたくなる気持ちは解る。とても。よく解る。
そんな感じでわちゃわちゃと、子育てについて問い掛けられてテオはともかく特にはなにも答えられる事柄がなく「大丈夫なのか?」と質問側から逆に心配されたりしてしまう我々をよそに、適当極まりないスヴェンが自らを「イトコのお兄ちゃん」と言い張り続けた余波により新しく現れた小さな子供に対し「もしかして、小さいイトコ……ってこと?」などと、厳密には全然そうじゃない発見にハッとしたじゅげむがうっかりだいぶめろめろとやられ、金ちゃんやらイトコのお兄ちゃんを自称するスヴェンへのよじ登りかたを全然イトコではないのだが小さいイトコのような気がしているらしい存在に全て伝授するなどの大切なお仕事をしていた。
生まれたての子ネコにキャットタワーの遊びかたを教えるちょっとだけ大きなお兄さんネコみたいで、なんとなくとてもよいものだった。
どうやら、オットーやアンドレアスはすでにその子供を引き取ることで話が本決まりのようだった。
これはなんだか話が早い。
我らがユーディット院長が海辺の街のクレブリで治める孤児院であれば、もっと厳しく審査され、そのぶん時間も必要になっていただろう。
が、ここは割と色々な人権がどんぶり勘定で運用されている雑な異世界。
すぐには渡さず様子を見る期間を置いただけ、なんならちゃんと審査されてるほうですらある。――と、ローバストに新しい孤児院を税金とかでどかどか建てた事務長がなにやらキリッと言っていた。
しかしまあ、これまで持て余してきた慈愛の心をこれでもかとびっしゃびしゃにあふれさせるオットーを見てたら、多分やけども大丈夫やろみたいな気持ちにはなる。わかる。
大丈夫やろ。多分やけども。
たもっちゃんも念のため、薄目のガン見とかして「溺愛が過ぎて逆に心配だぁ……」などと、ボソボソ小声で言ってたし。
……大丈夫かな……。逆に……。
ただでさえだいぶ重いオットーの、溺愛の字面がちょっとだけこわい。
そうこうしながら合間合間――と言うか、定期的にちょこちょことじゅげむは公爵家の塾へ通ったり、私はギルドでせっせと草を売ったりしていたし、やはりメガネやテオらの男子らは夜な夜なお薬持って皇国のやんごとない宮殿へとお出掛け。
おのおのがやるべきことを細々とこなし、この夏はまあまあ忙しくすごした。
――と、見せ掛け、まだ全然終わっていない。
それは白く小さな毛玉の自称神であるフェネさんが昼間はぐでぐでしていながらにそこはかとなくいつも忙しくしているテオとのコミュニケーション不足が爆発し「つま! つま! つまはね、我のこともっと大事にしたらいーとおもう! もっとべたべたしてたらいーとおもう!」などと暴れ出し、テオの顔面にビターンと張り付いて全力でごねたりしていた頃のこと。
ちなみにこれはただの完全な余談だが、この夏の始まる七ノ月がそろそろ終わると言う時分になると、金ちゃんの肩にまたがったじゅげむとスヴェンに肩車された小さな子供が人馬一体のなにかみたいな感じでトロールといい年の大人を走らせてキャーキャー言って競争したりと楽しそうだった。
ただし肩車で競争は危ないとの指摘が入り、オットーやテオから馬役の大人がだいぶじっくり怒られていた。それはそう。
ただしじゅげむを肩にくっ付けた金ちゃんについてはこれまでの行状を思い出すにつけ、今さらのおもむきが極めて強い。
――まあ、ともかく。それは夜だった。
いや、夜がそろそろ終わりを迎え、朝の気配がゆるゆると霧のように広がって闇を煙らす夜明け頃のことだったかも知れない。
たもっちゃんはその日、泣きながらでっかい魚をかかえて戻った。
「やったよぉ~! 俺、やったよぉ~!」
やたらと感激したように、氷詰めの木箱の中で鮮度的にピチピチとしているなにやらやたらと赤い魚を腕に、たもっちゃんはわあわあと騒いだ。
対し、私はおねむのおこである。
「うる……うるせえ……時間考えろよ……まだ暗いじゃん……寝てんだよこっちは……」
夏だぞ。
なのにまだ暗いんだぞ。
そらキミ、まだ全然夜やないかい。
そこを涙をにじませやったやったとうるさい中年にたたき起こされてごらんなさいよ。
おこですよ私は。
もうそこはかとなくおこと言う言葉の鮮度は落ち切っている気がするけれど、今の私を表現するにはこの言葉しか思い付かない。はやりの言葉はどこからきてどこへ行くのか。もうなにも解らない。
私はまだ全然寝ぼけた頭でそんなことを考え、すっごいイライラしてるのに寝起きでテンションが付いて行かずに極めて静かな抵抗しかできない無力な自分に涙する。あまりにも不本意。私の寝起きが悪いばかりに……。




