769 全然途中
ドアからドアへ移動する便利なスキルの大活躍で、遠い異国の島国へ夜な夜な出張して行く我が家のメガネと常識人テオ。
心配すると見せ掛けて、だいぶすやすやその帰りを待つ留守番の我々。
だって、くんなって言うから……。我々だってね、東洋の異国感のある皇国のその地理的にも政治的にも中心にある皇帝の城にちょっとだけ忍び込んでみたかったです。
ただ、これななんとなくの確信ながら、多分そのあちらこちらに置いてある高そうな壺とか秒で壊して逃げ惑うことになる。間違いない。私には解る。ほかならぬ私が絶対にやらかす。
そんな強い確信でしっかりとお留守番している私のために色々あとから教えてくれる出張組の男子らによると、トルニ皇国の皇帝がおわす宮廷はどーんとでっかく豪華でなにもかもが華やかに飾られ、そのどっかしらで西太后が若い侍女をいじめてそうな偏見を彷彿とさせる雰囲気にあふれていたらしい。
やっぱり……。やっぱりね。わかる。
例えが人聞き悪すぎるけども。なんかめちゃくちゃイメージは湧いた。
そんで宮廷のどっかにその昔の王妃が皇帝から寵愛を受けすぎた側妃を妬んで始末して押し込んだ古井戸とかがあるんでしょ。こわいね。
そんな話を聞かされたり勝手に捏造したりしながら、特にはなんの役にも立たないために大人しくしてろと置いて行かれた私も時間を持て余し、夜はすやすや、昼間はひたすらむしった草や蒸して干した草などにまみれてぐつぐつ体にいいお茶を煮出したりしていたある日のことだ。
ついにメガネが悲鳴を上げた。
「夏だよ? 休暇じゃない? エルフの里行かなきゃじゃない?」
黒ぶちメガネのレンズの奥でなにやら両目をぐるぐるさせて、たもっちゃんはもう限界とばかりに訴える。
その、頭の上からボンボンと湯気でも出しそうな異様なメガネの両肩を、はっとあわてたみたいなテオが強めにぐっと押さえて首を振る。
「タモツ、落ち着け」
「あれよ! お薬もほら! 最近いっぱい使っちゃったからさぁ! エルフさんに頼んで新しく作ってもらわなきゃじゃない?」
「たもっちゃん、テオがだいぶ必死に止めようとしてるのシカトしないで」
大森林に飛び込んでエルフの里にどっぷりつかりたいのはだいぶ伝わってきたけども。
私の目の前では今、あふれんばかりの良識と使命感でめいっぱいの責任を運用している苦労性のテオがまだ治療の途中でしょうがとメガネをどうにかなだめんと、もはやプロレスのように完全なるただのパワーでがっちがちに押さえ込もうとしていた。
テオにしては極めてめずらしい強引さだったが、それはそう。これは多分、たもっちゃんがよくない。
私は話に聞いているだけだが、皇国のほう、まだちょっと手が離せないらしいじゃん。
途中途中。全然途中。
だからテオの強引さも仕方ない話なのだが、たもっちゃんもそんなことは承知の上でごねたい気分だったのだろう。
「命なんてさぁ! 命なんてそんな預かれないんすよ俺にはぁ! しかも患者が皇帝だからプライド高い侍医がいっつも監視しててぇ……! いや、それは俺もあんま自信ないから逆に助かったりもするけど。それはそれとしてぇ、俺の顔見るだけでネチネチ嫌味言ってきてぇ……。もうやだぁ……プライド傷付けられたエリートおじいちゃん、やだぁ……。あたしね、もうやってらんない……エルフの里で恥も外聞もなくきゃっきゃさせてくんなきゃやってらんないんですよぉ!」
「恥も外聞もないとは思っていたのか……」
あまりのメガネの勢いに、テオも「自覚の上であの痴態を……」みたいな顔である。
ただ、そんな我が家の変態がのたうち回る異様な姿と常識人が自ら苦労に飛び込む様を見ながらも、私の心の隅っこのほうでは共感の鐘がだいぶうるさく鳴り響いていた。
あれよね。大事よね、長期休暇って。
わかる。
私もね、思ってました。そろそろすきあらば夏休みを満喫する気まんまんでエルフの里の里長の家でごろんごろん倒れ伏したいなって。
大森林のエルフの里、長い休みの時だけお泊りできる親の実家感がある。
しかし、それはムリな話だ。
ひたすら留守番の私はともかく、たもっちゃんは毒にやられそうになってヤバかった皇帝をなんとかすると言う大事なお仕事の最中なのだ。マジでなんもしてない私はともかく。
そこまでぼんやり考えて、私は、夜な夜な出張して行くために昼間はだいぶ寝ぼけてて、今はクマの老婦人が管理する家のリビングで嫌だ嫌だとじたばたしているメガネにやんわり問い掛けた。
「たもっちゃん、これは……これはね。例えばよ。例えばの話なんだけど……たもっちゃんとは別行動で、私らだけ先にエルフの里で夏休みってことには……」
「なる訳ないでしょ」
なんなの? 泣くわよ?
たもっちゃんは急に真顔の、そして低すぎる声で、貴様に人の心はないんかと打てば響く速度で即座に責めた。それはそう。
この件については、じゃあメガネも別にずっと皇国に行きっ放しって訳でもないし、もうみんなでローバストからエルフの里に行っちゃって夜だけそっちから通うことにすれば……とも思ったが、まあ普通にダメだった。
トルニ皇国の皇帝の健康。
そしてエレの結婚――のお式に必要なめでたい魚を手に入れんとして、日々じりじりと治療の進捗を問い掛け続ける皇国からの移住組と事務長が、それはならぬと強めに拒否してきたためである。
わかる。
夏休みの宿題も全然終わってないのに外へ遊びに行かせてしまうには、我々の信用がなさすぎた。わかるよ……。
そうこうしながら大体いつも寝ぼけているメガネが「エルフの里……エルフの里……」と、それしか記憶のない怨霊のようにくり返す姿にうっかり同情してしまう私が「じゃあ我々だけ先に……」とか言って、なに一つとして折衷案になってないナイスアイデアを提案してじっくりブチギレられる無益すぎるくだりをあきもせず何日かやっている間に、なにも進歩しない我々以外のところではしっかりなにやら進展があった。
それは出会いだった。
我々ではない。
それは我々の知らない内に、我々が知らされた時にはすでにオットーのもとに訪れていた。
ある暑い、夏の日。
常に寝不足状態の一部男子らをまじえ、相変わらずうだうだとし続けていた我々の前にオットーはもじもじと現れた。
そのかたわらにはのっそりと大柄なアンドレアスがより添って、私は最初、彼ら二人だけできたのだと思った。
少し後ろにスヴェンもいたのは知ってたが、これは完全に冷やかしの空気をかもしていたので数に含めないものとする。
しかし、よく見ると、オットーとアンドレアスの間。その足元にしがみ付くみたいにちんまりと、なにやら小さなものがいる。
それは人間だった。子供だった。
子供にしてもまだ小さくて、乱雑に切られた硬そうな髪がまるで爆発してるみたいだ。
その子供は必死で居場所を守るみたいにオットーとアンドレアスのズボンを両手でしっかりつかみ、ぎゅっと口を引き結ぶ。
子供の服はぼろぼろで、洗っても落ちないのだろう。汚れもひどい。
でも顔や手足だけはぴかぴかに綺麗で、着替えはまだ間に合わないけれどとにかくできるだけその子に手を掛けようとしているのが伝わってくる。
そうしたのはオットーやアンドレアスだろう。
自分らの足にしがみ付く小さな人影を見下ろすオットーが泣きそうで、けれども同時に胸いっぱいになにかがあふれているようで。
彼らの様子を見ているだけで、つい、全部解ったみたいに思えてしまった。
実際、聞こえてきたオットーの声は大体思った通りの内容だった。
「この子、育てることにした」
その言葉に我々は沸いた。
ハレルヤやんけと、大体の感じでわあわあと沸いた。
もう何日もだいぶヒマを持て余していたのもあり、テンションがおかしくなっていた気はした。反省はちょっとだけしている。
けれどもそれはそれとして、我々は酒のさかな感覚でやいやいと細かい話を追及し、そしてオットーもまた気恥ずかしげに、しかしはちきれそうなよろこびをにじませぽつりぽつりと語り出し、この子は彼らが選んだ訳ではなくてこの子が彼らを選んだみたいなことを言う。
よく解らんが、大人も子供ももじもじしながらうれしげで、我々までもがよかったなあと素直に思う。
そんなぽかぽかとした空気の中で、スヴェンが横から「そして長男のオレ」などと、どうしようもなく強引に、そしてあまりにも当然の顔でまざろうとした以外はなんかだいぶいい感じだった。




