767 自由意志と尊厳
最初はじゅげむをくれとか言っていたのに今度は別の子を欲しがって、じゅげむはやらんから助かったような、でもそれはそれでなんかおもしろくないようなこの複雑な気持ち。
そもそもじゅげむをやったり取ったりする感じの言いようもよくない。我々の倫理観が問われる。よくない。
人間には自由意志と尊厳ってもんがよお。あんだよお。
みたいなことを私も言ってはみたのだが、異世界の人権雑社会にはあんまり響かず。
また別の、有望っぽい子供を取り合っているメンズらはやいやい好き勝手に主張する。
「あれ、計算が得意だろ? 人もよく見て話を合わせる。商人に向いてる。実家に頭を下げて系列店を任せてもらえるよう頼んでもいい。立派な商人に育てて見せる」
「いや、官吏に向いている。意欲もある。税の仕組みについて学んでいるところで、本人もやりがいを覚えているはず」
「子供の意見も聞いてあげなよお……」
自由意志と尊厳だよお……。
それぞれジャンルは違っているが共通する才能において逸材を見付けたからには育てねばみたいな張り切りかたをしている二人。
事務長とオットーの様子に私は引くが、確かに、適性があるならその分野に才能を伸ばさないのはもったいないと言う気持ちも解る。
ただ、とある海辺の街の孤児院で預かっていると見せ掛けてすでにパン屋で働いたりしている思春期の男子がふわふわのパンを焼きたいのになぜかしっかりめのフランスパンしか焼けなくてそれはそれでよいものではあるのだがやりたいのはこれじゃねえんだと泣いちゃった姿を思うと、本人のやりたい方面に行かせてあげるのも大人としての役割のようにも思われた。
あと多分、パン屋の思春期にこれを言うと「泣いてねえ」とはちゃめちゃにキレる。難しい。思春期。
この、子育てに興味ありすぎるオットーと第二の事務長を作らんとするタンタカタンとした戦いは結局、取り合われている当人、才気あふれる子供による「官吏になってよい領土を守るお手伝いがしたいです」と言う、事務長に毒されているにしてはだいぶマトモな理念によって決着となった。ええ子やった。
しかし、なんとなく税収に対してのみ並みならぬ情熱を燃やして矮小なる人間などは替えのきく歯車くらいにしか思ってなさそうな事務長も意外と次世代の育成にコストを掛けるんだなと新鮮なような、おどろくような心地がしたが、でも事務長自身、元は貴族でもなんでもなく流れ着いた移民かなんかでたまたま教育の機会が得られたことから現在の事務長に仕上がったみたいな話を聞いた気がする。
ならば自分と似た身の上で、幸運にも教育の機会を得たことで才能を発露させた子供に対して肩入れするのはむしろ当然と言うものかも知れない。
教育は幸運でもなんでもなくて、標準的な普通のことであって欲しさはある。
ちなみに、なぜか我々をはさんで行われたこのメンズらの争いに、「わかるぅ。子供ってね、可能性の塊ですもんね。あわよくば育てたいよね。小さきものとか。わっかるぅ」などと、だいぶテキトーな相づちを打っていたのはうちのメガネだ。
たもっちゃんがお出掛けの間、私やレイニーはうだうだと時間を潰していると言ったな。
あれは嘘だ。
たもっちゃんは確かに皇国までお見舞いに行ったが、そのまま行ったきりではなくて日帰りと呼ぶのもどうかなくらいの短時間、毎日ちょこちょこ行き来しているのだ。
なんか、皇国の皇帝の体調不良はお薬渡してそれですっきり治るってものでもなかったらしく、時間を掛けてじっくりと解毒する必要があると言う。
なお、この場合に使われる「解毒」は意識高い健康マニアが使うタイプのデトックスとは違うガチの解毒と言う意味である。
皇帝、具合悪いって聞いてたじゃないですか?
あれね、病気じゃなくてじわじわ毒盛られてたっぽいです。
こわい。
体調不良の症状は万能薬で割とあっさり治りはするが、これまでに蓄積された毒。そしてその毒が及ぼすじわじわとした害については、じっくり時間を掛けて取り除いて行くしかないそうだ。
あと、そうして解毒を試みたところで継続的に毒が盛られては意味がないので犯人捜しと見せ掛けてメガネが大体ガン見し特定済みの主犯や共犯や実行役をうまいこと理由を付けて検挙する――ための、包囲網を整備する水面下での根回しにもいくらかの猶予が必要だった。
と、言うような話を、「もー、たいへん!」とばかりにべらべら語るメガネから聞かされているだけの私は「へー」と雑な合いの手を入れるだけくらいしかできることがない。
へー。たいへん。
……いや、多分マジで大変なのも解る。
お留守番とされた私は実際に見てはいないので全部ちゃんと理解しているとは言えないが、それでもマジかよとそわそわしてしまう恐ろしさがあった。
ただ、お見舞いに薬を届けに行ったメガネがとりあえず戻ってきた時に、あれ毒っぽいわと言った時点で初回の万能薬が投与されており、もうだいぶ解決のアレが見えてそうなのとメガネだけじゃなくテオとかも一緒に通ってくれているのでまあなんか、大丈夫やろみたいな慢心があった。慢心て言いかたものすごくよくない。響きとかがなんか。でも慢心。まあ大丈夫やろ。
流れとしては文字通りの毒を皇帝に振る舞った犯人たちを追い詰める算段を皇国の元官僚たちがずんどこと整えてくれていて、たもっちゃんはただただお薬を運んで容態をガン見するだけのお仕事をしているところだ。
しかもそれすら元から皇国の皇帝に仕える侍医たちがいるので、たもっちゃんはもはやちょっといいお薬を運ぶだけの添え物みたいな雰囲気すらある。
もう俺なんで通ってんのか解んないけど出どころの解らない不審な薬を侍医に預けて本当に飲ませてくれるかは解らず、そしてそれはマジでそうと言う正当な警戒心なので説得も難しい。仕方ない。夜中に通ってこっそり飲ませ続けるしかない。中年の夜更かし、本当によくない。もうなにも解らない。
たもっちゃんはそんなことをむにゃむにゃと語り、ここ数日はほとんどしかばねのような状態でいる。猛烈な眠気で。わかる。中高年の睡眠不足よくない。
……って思ったけど別に若ければ大丈夫でもなかった。全人類寝ろ。全人類よく寝ろ。
そんな、だいぶぐだぐだとした事情で昼間は時間をあまらせているメガネは、立派に子供を育ててみたいだけなのになぜうまく行かぬのかとぶちぶち文句を言っているオットーに大体の感じでぼんやりと絡んだ。
「何かさぁ、解んないけど。目的のために子供選ぶのも違和感はあるよね。それは人材育成じゃない? 子育てなの? いや事務長のは完全に後継の税務職員育てようとしてるけど。でもオットーはあれでしょ。子供かわいいかわいいで育てたいんでしょ? それってさ、優秀かどうかで選んじゃうと逆に後悔しちゃったりしない?」
「たもっちゃん、ちょっと一回お昼寝しなよ」
お前もうなんかだいぶ寝ぼけてしゃべってるだろ。そのつらつらとした長文。私には解る。
しかしこの、まあまあ寝ぼけたメガネの理屈にうっかり打たれた者がある。
オットーだ。
彼はイスに腰掛けテーブルに着いた状態でいたが、まるで動揺によろめくふうに瞳を揺らして視線を伏せた。
「それは……だって、心配だろ。子供がちゃんと育ってくれるか。自分が立派な親になれるのか。だから……だから、しっかりした子供をもらえば少しは安心できるかもって……」
「心配してしっかり育てるのは大事だけどさぁ。それはそれでやっとくとして、せっかくだったら気の合う好きな子と一緒にいなよぉ」
「たもっちゃん、もう寝なって」
その寝言はなんか、子供じゃなくて恋人とかそう言うあれの雰囲気出ちゃってんのよ。
見て。
オットーにぴったり付いているのっそりと大柄なアンドレアスの顔面。絶望に近い、すわとしたなにか。かわいそう。
見てるぶんにはおもしろいので私はうっかり笑わないようにだけ気を付けている。
しかしメガネも恐らくそんな考えて言ってる訳ではなくて、寝ぼけた頭で思い付くままぼろぼろこぼしてヒマを潰すだけだろう。
ただのヒマ潰しで人様の人生に口を出している。最悪である。
けれども解らないもので、このぼろぼろとした雑すぎる指摘もなぜかオットーには刺さっていたようだ。
「でも……でも、役に立たない子供なんて……期待に応えない子供なんて、親は疎むものだろう……?」
「たもっちゃん! ほらあ! オト子もう泣いちゃってんじゃん! ほらあ!」
惑うように、切なげに、瞳を揺らすオットーの姿に、ついつい私も心のやらかいスイッチ押しちゃってんじゃんと同級生女子感を出して騒いでしまう。これは男子がよくないですね。知らんけど。泣いてっから。謝って。男子。本当に悪いかどうかは関係なく、とりあえずの感じで理不尽を飲んで。




