764 救済を乞う
ローバストのクマの村。
そこに我々のやらかしをなんとかなかったことにしようとだいぶ必死にメガネが建てて、今ではクマの老婦人が管理する一軒家。
の、リビングに我々はいた。
台所に面したリビング的なスペースで、大きなテーブルをぐるりと囲むのは我々と、ローバスト領で領主に仕える事務長。
それと皇国からの移住者たちだ。
この家に暮らすクマたちは席を外し、ついでに金ちゃんとじゅげむも屋外へと遊びに行っている。
と言っても、外は雨だった。
これはあとになってから今日あったことを一生懸命教えてくれるじゅげむに聞いたが、席を外したメンバーは雨期の屋外からクマの村でクマのジョナスが経営している宿屋兼食堂へとどやどや避難。
そこで金ちゃんと、ダメなタイプのクマであるリンデン。それからついでに込み入った話をするのでと事務長からご遠慮願われたオットーたちのパーティを代表し、人族としては体の大きなアンドレアスが参戦。
なぜなのか全く解らないのだが、獣族人族ごちゃまぜに集めた村の子供を誰がいっぱい全身に引っ付けられるかの、勝負みたいなことをしていたそうだ。
できれば私もそちらにまざりたかった。ねたましい。楽しそう。
なお、金ちゃんによじのぼる子供代表であるじゅげむは今回出場を見送って、別に親戚でもなんでもないのにいまだにいとこのお兄ちゃんブームが続くスヴェンに肩車されてその意気やよしと血気盛んな後進の育成に当たったとのことだ。先達の風格。
けれどもこの時点ではそんな楽しい遊びがくり広げられているとすら知らず、私は、と言うか我々は、なにやらぐいぐいと救済を乞う皇国組に詰められていた。
いや、詰められると言うか……解る。解るよ。心配よね。解る。
今、顔を突き合わせる皇国からの移住者の中で我々と最初に出会ったのはエレたちだ。
エレはエレオノーラが本名で、本来ならばトルニ皇国の王族の肩書を持つ。
けれどもその頃の彼らは皇国を追われて大陸へと逃れ、そして大陸でも流浪の末にかなり厳しい状況にあった。
幼くして、きっと訳も解らず逃亡することになったエレはその厳しい生活の間に供の大半を失い、我々が出会った時点ではルムとレミを残すだけ。
今でこそ皇国から移り住んできた宿屋の一家やラーメン屋の夫婦などがエレの周りに集まるが、これはほとんど偶然に近い流れで、それもここ何年かのことだ。
それまで、たった三人で、頼れる者もない異国の地をさまようエレたちは本来ならばしなくていい苦労を強いられてきたのだと思う。
それでも。
王族であるがゆえに権力争いに巻き込まれ、そして追われた故郷のことをエレはもう恨まない。
むしろ、いいほうへ向かおうとしているのだと、今の皇国を遠く見守ろうとするかのようだ。
そのエレの姿勢があるからだろう。
まだ幼いように若い皇帝は現在の皇国になくてはならない存在であると、皇国を故郷とする移住者たちが強く説く。
それをなぜ我々に言うのかと思わなくはないが、これはエレたちを某クソ大地主の元から連れて逃げてきた時に例によって移動が面倒になってしまって途中から雑にドアからドアに移動したのと、またのちに皇国から逃げてくる時にも雑ドア仕草の実績がありすぎた。
わかる。
これは我々でも我々に言う。
私としては数と熱量に押されてしまい、「なるほどね」みたいな気持ちでいたのだが、ここでなんかおかしいと顔をぐにゃっとさせたのはメガネだ。
「いやいやいや、それだけじゃないでしょ……何か。解るよ。心配。俺達もできる事があるならしたいです。でも、それだけじゃないでしょ。何か。必死が過ぎる。何かあんでしょ。もうさ、言いなよ。正直に」
たもっちゃんには人の心がないので、具合の悪い子供をただ心配すると言う気持ちがちょっと理解できないのかも知れない。人としてどうかとは思うが、ここまでくると不憫ですらある。
なんとなく多分そう言うとこやぞメガネといっそ憐れむ気持ちで見ていたら、これが奇跡的に割と外れてなかった。
どこはなしにくやしげに、紅を引いた赤い唇ぐっと噛み、皇国ふうの服にひらひら身を包むおかみがしぼり出すように言う。
「エレオノーラ様の……」
「ん?」
「エレオノーラ様の結婚が……これでは、エレオノーラ様の祝言がいつまでも開けないでしょう……!」
「ええ……?」
思わず困惑いっぱいの声も出ると言うもの。
なにそれ……。ええ……?
遠く離れた故国を。
その皇国を守り、権力とコネに倦んでいた旧態依然とした体制を変えんとする新しい皇帝に。
見守り、期待し、そして新しくならんとする皇国の、全ての中心にある少年を案じて心をよせている――。
と、思われた皇国からの移住者たちはしかし、だいぶ私的な理由からなんとかならんかと我々に詰めよっていたことが解った。
「皇国の祝言にはどうしても必要なものがあって……相魚と言う赤い魚なのですけれど」
「魚」
「相魚は祝言の料理に欠かせない魚で……」
「祝言の料理」
「祝い事にしか使われず、普段は漁師も獲らなくて。そうして普段は獲らず大きくなるまで育ったものを、特別な祝いの席にわざわざ頼んで調達してもらうものなんです。それが……」
皇国からローバストへ移り住んだ人々はぼそぼそと、くやしさや張り裂けそうな悲しみを胸の内から声に乗せて口々に吐き出す。
ぐっと赤い唇を噛み、そして奥歯を噛みしめるようにしながらに、なんとなく決定的に言ったのはおかみだ。
「皇帝が病だと言うので、祝い事も控えるようにとお達しがあったとか……。それで、相魚を獲りに行ける漁師がいなくて……」
皇帝の病が回り回って素材調達の障害となり、エレの結婚式が延期になっているらしい。
エレはめでたく十八となり、覚悟しておけと宣言していた通り、本来ならばこの春にルムと結婚するはずだったそうだ。
しかし、今はもう夏を目前とした雨期である。
延期の理由は、皇国の文化としてどうしてもそろえたい祝いの料理が用意できないから。
祝いの料理が作れないのは、めでたい食材がそろわないからだ。
つまり、彼らは困っているのだ。
まだ少年めいている年若い皇帝が病に倒れていることに。
我々は引いた。
「因果よ。因果が逆転してんのよ。何か」
「病気治してって、目的じゃなくて手段なんだねえ……こわいねえ……」
一般社会の慣例や常識とあんまりかね合いのよろしくない我々を、ここまで引かせるとは大したもんですよ……。
たもっちゃんと私はついつい好き勝手に感想を述べたが、どう考えても今回は我々の言いぶんに理がある。
なんの理かは解らないけども。
めずらしく我々が正しい側で引いている。
しかし、彼らも往生際が悪かった。
でもでも!
心配してるのは事実だし!
皇帝の具合もよくなって欲しいし!
できればついでに祝い用の魚も欲しいってだけだもん!
などと、皇国組はなんか色々言っていた。
「皇国はもう、わたしたちとは無縁の国です。……でも、幼くして訳も解らず皇帝に担ぎ上げられたヴィルップ様が国を変えようと、ご尽力なのは知ってます。いいほうへ。わたしたちの先祖が、親が、食い散らかして崩し掛けた国をです」
そんな人物を失う訳には行かない。もう関わりがなくとも、故国のために。そう、そこに暮らす人々のために。
エレまでがそんなことを言い、だいぶキリッと演説みたいになっていた。
そもそも、ここは島国である皇国からは遠く離れた大陸だ。
特に、ブルーメは比較的内陸に位置して皇国とは海だけでなく間にいくつか別の国を通らなくてはならない。
ブルーメもわずかながらに海を有したが、それは海が陸地に入り込んだ特殊な格好をしている部分だ。
つまり、遠い。とにかく遠い。
加えて、トルニ皇国は歴史的にも外との交易には積極的とは言えない。
それを変えようとしていたのが現在の若き皇帝で、しかしいまだその途上。
現状、開かれた国とは言いがたい。
だから、疑問はあったのだ。
そんな閉鎖的な風土があり、ましてや距離も離れていながらに、なぜ皇国からの移住者たちは故国の状況をこれほど詳しく知っているのだろうかと。
しかしその理由に関しては大体、うちのメガネが原因だった。




