756 本職のメンズたち
クレメルはものすごく機嫌が悪そうだった。
まだ全然眠そうなしぱしぱとした見た感じと、強めの口調からかもされるトゲ。
これにはさすがの我々も、なるほどねとご機嫌ななめの雰囲気を察知するレベルだ。
しかし察知はしていても、まあまあまあね。寝起きですもんね。それはね。ぐずっちゃっても仕方ないですね。と、最初はその程度にしか思わなかった。
これはこれでクレメルのことを幼児扱いしすぎている気がしなくもないが、仕方ない。だってだいぶおねむの感じだったから……。
で、我々も特には深く考えず少年の質問に普通に答えた。
「いや、どっちも行かないよ。なんならもう行ってきたところだよ」
異世界タコ焼き食べに行ったり、我々に魂のレベルでしっくりなじむTシャツの引き取りや発注に行ったりだとかで。
タコ焼きの屋台はブーゼ一家。
Tシャツはハプズフト一家の管轄になるので、我々はいつもシュピレンの街をだいぶうろうろしなくてはならなかった。
できればまとめて済ませるように一ヶ所に固まってて欲しいが、それらの立ち上げと製造に一枚噛んでなくもない我々も狙ってそうした訳ではなくて、行き当たりばったりの流れでなんかそうなっているだけだ。
これはもう本当にしょうがないとしか言いようがない。めんどいのはめんどい。
だから、クレメルの問いにそう深い意味があるとは思わなかった。いつもそうして、大体うろうろしてるので。
しかし、おねむのクレメルは真剣だった。
「どっちだ? 今年はどっちの一家から出るんだ? いや、どっちでも変わらねえなあ? 闘技会が終わるまで、オレらとじっくりオハナシでもしようや」
「えっ」
「えっ」
「あっ……今年か……?」
思わずそんな声が出たのは、主に、たもっちゃんと私と、だいぶはっとした様子のテオだ。
クレメルのもにょもにょしながらもキレ気味の言葉に、すっかり虚を突かれてしまった。
闘技会。
世界には色んな闘技会があるのかも知れないが、この砂漠の都市においては二年ごとに開催される街の四分の一を占めるナワバリを賭けたエクストリーム抗争祭りを意味した。
私、知ってる。
と言うかあの時、テオが剣奴として出場者に名を連ねていたあの年を知ってるメンバーは大体、「あれ、マジで大変だったな……」みたいな暗澹とした思いでついしみじみしてしまうほどもう嫌なやつだ。
我々は取り乱した。
それがどんな意味を持つのか、理解した途端に。
「えっ、今年? マジ? 今年そうなの?」
「うわー! しかも雨期じゃん。今、雨期じゃん。だったらマジでもうすぐ闘技会じゃない? やだぁ! 帰ろ!」
すぐに! 今すぐ!
またテオか誰かがなんらかの理由で奴隷にされたり多額の借金を背負わされ、非合法組織感あふれるどっかの一家からナワバリコロシアムに放り込まれてしまう前に!
我々はめちゃくちゃあわてておろおろと、それぞれ子供をかかえたり自称神たる白い毛玉をかかえたり、まあせわしないとあきれ顔でまだなんかもりもり食べつつくつろいでいる天使やあればあるだけ食べておくと言う強い意志を感じさせる金ちゃんを「頼むよお!」などと言いながらぐいぐい押して薄暗い食堂から逃げ出そうとした。宿代と食事代はメガネが店主にしっかり徴収されていた。
しかし、わたわたとした我々が戸口にたどり着くことはなかった。
明らかな逃げの気配を察し、いかついメンズらにおうおうと囲まれてしまったからだ。
このオラつき。間違いない。クレメルを見守っていたシュタルク一家の若い奴らに違いない。
見守ってるのは知ってたが、なんか思ったよりいっぱいいたのでもしかしたら食堂の中には一般客など一人もいなかった可能性まである。
そんな、見るからに本職のメンズたちに囲まれて、我々にできるのはもう恥も外聞もなにもなくとにかく必死で頼み込むことくらいだ。
「頼むよぉ……見逃してよぉ……! 俺らまたどっかの一家に借金とか塩返済とか抱えさせられるの嫌なんだよぉ!」
「そうだよお……見逃してよお……私らもう、こないだの白旗対決で一生ぶんお腹いっぱいなんだよお……」
「白旗は……白旗の話は……止めてくれ……」
たもっちゃんも私もただ自分なりに正直に心の底から訴えただけではあるのだが、あの時の話をするには避けて通れぬ白旗のくだりはテオの古傷に思わぬ流れ弾をぶち当ててしまったようだった。ごめんな。でもあれは、テオにも原因がありすぎるから……。
しかし、あまりに恐くてちょっと泣いてる我々のどこまでも必死な訴えに、クレメルが髪がチクチクはね回る頭をこてんと不思議そうに倒した。
「こないだ? ソイツが出たのは前の前の……ふたつ前の闘技会だろ?」
「えっ」
「えっ……」
そんな……ばかな……?
あんなんついこないだの話やんけと思ってしまう我々をよそに、現実は容赦なくそれだけの時間が経過していたらしい。
これは……そう、あれ。そこそこ年を重ねた大人特有の、こないだ一年が始まったはずなのにもう年末がきちゃってんのどうして現象に近いやつ……。
シュピレンにおける闘技会、ナワバリコロシアムは二年に一度。
我々はだいぶ最近みたいな感覚でいたが、のっぴきならないあれやこれやでテオが出されることになったのは前々回の大会らしい。
なんやそれ。
そしたらそれもう四年前ってことやんけ。
「嘘でしょ……いやいや……もうそんなになんの? いやいやいや……嘘でしょ?」
「でも待ってリコ。俺もそう思うけど、テオの塩返済が結構長期だったからその途中で一回闘技会あった計算になる……。だとしたらそれはそう。そのくらいは経ってる。それはそう……。ただ俺らが、街に滞在するタイミングうまいこと外してスーパーファインでスルーできてただけかも知んない……」
「ええ……こわ……なにそれ……」
時間の概念に関してはちょっとだいぶガッバガバの自覚はあるのでじゃあマジそれのやつじゃんと得体の知れない恐怖に震え、その途中、私の頭に急な気付きがふっと出てきた。
「えっ、てことはなに? じゅげむ何歳?」
じゅげむはいつまでも素直でかわいくて、そしてなによりまだ全然ちっちゃい子みたいな印象が強い。
しかし、彼との出会いはテオが諸般の事情で自ら奴隷落ちしたのちに人買いにシュピレンへと運ばれる道中でのことだ。
なぜそんな特殊な移動中の話を我々が知っているかと言うと、別に買われた訳ではないのだがむりやりテオの所へ押し掛けて人買いの馬車に同乗していたからにほかならぬ。
すでに奴隷にまでなっているテオから目を離すのが心配すぎたし、でも一回買われると約束した以上、勝手に反故にはできないと変な責任感をこじらせた男を説得するのは難しかった。
じゅげむは最初から一緒だった訳ではなくて、移動途中に人買いがどこからか連れてきた商品だったのだ。この言いかたはものすごく嫌だが、どうしようもない事実でもある。
で、その時のじゅげむは――まだじゅげむの名前を持ってはなかったが、まるで三、四歳の幼児のようだった。
けれども、当時の実年齢は六歳程度。それも本人すら自分の年齢をよく知らず、たもっちゃんがガン見で確認してやっと解った。
つまり、そんなことがあったのもテオがうっかり剣奴になった四年前のことになる。
ここで、当時六歳だったじゅげむの年齢に四年の月日を足してみましょう。
「えっ……十歳……?」
「えっ……寿限無、十歳……?」
我々はざわついた。
まだ全然ちっちゃい子の印象が強くて、ついつい幼児のように扱ってしまうじゅげむ。
それがもう、よく考えたらそこそこ大きめの児童だったと言うことに。
「十歳っつったら……十歳っつったら……あれじゃん。あと二、三年で中学生じゃん……」
「リコ……微妙な例えすんのやめて……」
解りにくい……解りにくくてなんか感情が取っ散らかっちゃう……。
たもっちゃんはそんな文句を付けたが、びっくりのあまり出てきた例えがそれだった。
なんか、本当におどろいてしまった。
じゅげむ、もう全然幼児とかじゃなかった。
それでいて、さあ逃げようとかかえられメガネの腕でぶらんとした状態のじゅげむに目をやると、どう見てもまだちっちゃめだった。
それでも当初より少しずつ成長してるので、こう……ぴかぴかの一、二年……ギリギリ小学三年生っぽさのある幼さと言うか……。
「ご飯……一杯食べさせたるからな……」
たもっちゃんはすでにもういっぱい食べさせているはずだが、じゅげむをそっとかかえなおしてぎゅっとして、そんな強めの決意を新たにしていた。




