755 別の意味で憤怒
死んだと思っていた恋人の生存と現在のクズクズしい感じを伝え聞き、別の意味で憤怒の炎を吹き上げていたオットー。
それはもう。地獄の底から這いずり出てきたなにかのような勢いだった。
もはや誰も止められる者がないかのようなその彼を、ぴたりと止めたのはオットーの肩に手を置いて低く静かにアンドレアスが告げた事実だ。
「俺も、以前から知っていた」
「いやお前もかい」
思わず返すオットーの声も、なんか逆に軽かった。
まあ言われてみればスヴェンですらも――この、昨日出会ってから今までの間にだいぶうかうかとしたところを見せ付けてくるだいぶ注意力が我々に近いスヴェンですらも知っていたのだ。
アンドレアスがエリックの現状を把握していても、不思議と言うことはないのかも知れない。
では、なぜそれを黙っていたのか。
元から隣に腰掛けていたアンドレアスはすぐそばの肩に手を置いたまま、もう一方の大きくぶ厚い手を伸ばしオットーの手をそっと取る。
そしてほとんどおおいかぶさるように、ぐいと顔を近付けささやいた。
「忘れてしまえばいいと思った。エリックを。それで、俺と一緒になればいいと」
「アンドレアス……?」
いつもと違う仲間の顔を、戸惑いに揺れる瞳でオットーが見返す。
酒場を兼ねた食堂はいつでも灯火が必要で、時間帯に関わらず薄暗い。
それでも一応、朝である。
考えろ。シチュエーションと言うものを。こっちは子供もいるんやぞ。
我々はなにを見せられているのか。
私も突然目の前で始まったなにかにだいぶ困惑していたのだが、それでいてついつい業の深さが口からこぼれ出てしまう。
「スピンオフ……」
やはり私は間違ってなかった。
アンドレアス、あんたは本編では嫌な奴すぎて全然報われなかったジャマ者のモブを実はそいつにも事情とかがあるんやでと語りつつ別ルートで幸せにする立派なスピンオフ要員や……!
そんな思考を読み取った訳ではないとは思うが、ナマモノの扱いに厳しいメガネが少し距離のある丸テーブルの向こうから「シッ!」と私をたしなめる。
「リコ、黙って! ここで余計な事したらまたオットーが荒れるでしょ!」
いや、違った。
これはあれだ。
思わぬことにおどろいて急におとなしくなったオットーをアンドレアスに任せ、そのまま自分たちに降り掛かっていた八つ当たりをどうにか消滅させたいだけだわ。
どうだ。この、自分たちの安寧のためずっとやかましいオットーがおとなしくなればなんでもいいと言わんばかりの雑姿勢。
それはそれで人間性とかがどうかと思うが、気持ちも解る。やりすごしたいよね、理不尽な怒り。わかるよ。
また、そんな雑なメガネと共に、――いや、共にと言うかそもそもなぜか我々にうっかり全部バラしてしまって巻き込んで、今日になってだいぶ前から黙ってたことが当事者であるオットーにまでぼろぼろバレて厳しい追及を受けていたスヴェンも、「アンドレアスが文章しゃべってる……」と、そこじゃないところに衝撃を受けるなどしていた。
アンドレアス、マジで寡黙なんだなと思った。
なおこれはただの蛇足になるのだが、このしっちゃかめっちゃかの状況を悪気なく作り出したクレメルはいよいよ限界がきたらしく料理や飲み物が色々とこぼれたテーブルにツンツンとした頭をぶつけた格好で寝てた。
ではここで、もうなかなかの混沌でわちゃわちゃと訳の解らなくなってきた現在の状況をまとめてみましょう。
クズと知っていながらに、ずっとエリックを忘れることのできなかったオットー。
彼のそばで静かに、忍耐強く機を待っていたアンドレアス。
事情を聞くと釈明的なことをなんもしてないせいでもあるので仕方ない感じもあるのだが、やたらと責められていたテオは一転ほったらかしになり、我々はただただひたすら食べて、クレメルは寝ている。
そのクレメルについては彼が限界を迎えるやいなやほかのテーブルから割といかつい若いのがなにやらささっとやってきて、大きめの上着をおねむの少年の背中に掛けてまたささっと素早く去った。
多分だが、ずっとそこから見守っていたのだろう。お酒にも厳しいと言うシュタルク一家のオヤジさん差配の見守り隊かも知れない。
まあそれはいいとして。
今こそ勝負と思ったのかどうか。
大きな体で急にぐいぐい迫り始めたアンドレアスに、オットーはそんなつもりじゃなかったの系ヒロインのようにふええと溶けた。これはだいぶテキトーに言ったので、そんな系統のヒロインがいるかどうかは解らない。
ちなみに、時刻はまだ全然午前中である。
もうなにも解らない。次々に明かされるどうでもいい秘密で各自の設定がどんどん変化してしまい、すでにお腹いっぱいの気持ち。
でもアンドレアスはもうちょっと押せば行ける気がする。なんかオットーが乙女の感じでふええとしている。行ける気がする。
行け。そこだ。差せ。大穴アンドレアス執念の末脚を見せろ。
今は事態を悪化させるモブの出番ではないらしいので、私もだいぶ空気を読んでごはんをいただき心の中で強めの声援を送る。
酒のにおいや場末の空気が染み付いた、フロアは最高潮である。
だいぶカオスと言う意味で。
もうマジでなにも解らない。
そんな中、場の空気を一気にさらったのは子供であるがゆえのスーパーファインプレイじゅげむだ。
酒場をかねている薄暗い場所柄、実感しにくいと言うだけで時間帯は朝である。
そのためこの朝食の席にはしっかり子供の姿もあって、じゅげむはごはんをもりもりいただきながら大体の感じで「けっこん? けっこんするの?」とピュアにわくわく問い掛けてオットーをさらにはわわとさせたりしていた。
解る。さっさと結婚すればいいよね。
アンドレアスのことなんにも知らんし、この世界での同性婚がどんな感じかも知らんけど。でもオットーがもうだいぶオチちゃってるもんな。結婚しろ。チョロすぎて心配。
そんな我々が雑に口にする、結婚の単語を大きなお耳で聞き付けたのだろう。
自称神たる白い毛玉のフェネさんが自慢の胸毛をくいっと反らして長い鼻先を天井に向けつつ話題の中に割り込んで、「伴侶はいいよ! 伴侶! 我の伴侶はね、つま!」とすきあらばノロケ、その間に子供には少し高い木のイスをよいしょと下りて私の所へやってきたじゅげむが「お花のおさとうちょうだい。お花の形のやつ」と興奮気味にはあはあ要求し、どうするのかと思ったら異世界砂糖の特産地でもめずらしい砂糖の原料となる花の形をそのまま残した花の砂糖をそうっと大事にオットーへと差し出した。
そして、「あげる」と人の幸せがうれしくてたまらないみたいにぎゅうっとした表情で笑った。
「は……はわあ!」
我々大人、全員に被弾。
オットーたちもテオと同じくブルーメの国民であるために、結婚を祝い幸せを願う花砂糖の習慣を知っていたようだ。
我々と共に、しっかり心をやられていた。
――これはつまり、チャンスである。
オットーはむんむんと迫るアンドレアスと子供からの無邪気な祝福にふにゃふにゃふええとするので忙しく、テオへの怒りもちょっともうとっちらかっているように見える。
今だ。今しかない。
このすきに。またオットーがむかつきを思い出しキレ始めたりする前に逃げちゃおうぜと我々は、いやしかし自分にも責任の一端があるのは確かだと高すぎるモラルで身動きの取れない――もしくはここで逃げるのは卑怯と徹底的な話し合いと言う名の一方的な叱責をじっくり覚悟しすぎているテオをどうにか押したり引いたりして動かそうと試みた。
しかし、ウエイトの差か。それとも体幹や武術的な体の使いかたでもあるのだろうか。
お腹の空いた時の金ちゃんなみにどっしりと、もうなんか全然マジでびくともしないテオに群がり代わる代わるどしどしと新弟子の稽古のようにぶつかってみたりしていたのだが、そしたらね。さすがに気付かれちゃいましたよね。
それはそう。あまりにもテオが動かなすぎて、嘘でしょこんな重いとかあんのとなんか楽しくなってわいわいしちゃった。
ただし、あわよくば逃げようとしていた我々の動きに気付いたのはオットーではなく、クレメルだ。
「どこへ行く。ブーゼか。ハプズフトか」
むりやり起こされたばかりかも知れない。
なんかまだ顔がしょぼしょぼしている少年は、いつも元気にチクチクしている髪の毛を心なしかしんなりさせて、我々の前にのろのろと立ちはだかってそう言った。




