754 悲劇のヒロイン
全体的に活発な、それでいてどことなく気品が見え隠れしてなくもないファラオ顔の少年の若さゆえの素直さと無邪気さで、事態は一転ちょっとだいぶぐっちゃぐちゃになった。
「エリック、殺す!」
「オットー! そう言う元気は出さなくていいから!」
「待ってぇー、待ってぇー、俺が思ってた感じと違う……もっとショック受けるんじゃないの? テオが仇だと思ってた時にはあんなべしょべしょな絡み方しといて、恋人がクズだと解ったらこんな殺意に直結すんの?」
場所は相変わらずのシュピレンで、上が宿になっている酒場をかねた食堂である。
砂漠の雨期の霧と湿度に重たい空気が隅でぱちぱち燃えている暖炉の炎であぶられて、いくらか乾いて薄暗い食堂に広がり満たす。
朝と言うのに暖炉や燭台に火が灯り、それがなければ物の形もよく解らない。昨夜の残り香か、それか部屋そのものにこびり付いた酒の匂いも手伝って、時間の感覚が解らなくなるような空間だ。
その中で今、少なくとも本人的には男子でありながらも悲劇のヒロインだったオットーが恋人の裏切りを知り、烈火のごとく殺意をたぎらせていた。事実を知ったオットーの、キレる速度があまりにも秒。
またそんなオットーの周りでは彼の仲間で結構前から自分だけ全部知ってて黙ってたスヴェンが、わてらがホンマのこと言えへんかったんそう言うとこやぞみたいなこと叫びながらになんとか止めようとすがり付き、うっすら責任を感じてかうちのメガネも思うてたんと違うと一緒になっておろおろとしていた。
その辺を聞いて知ってて黙ってたのは私もまあまあ同じだが、なんかちょっと引いちゃうな。などと丸テーブルの反対側からなんとなく一歩引いた気持ちで勝手な所感をいだきつつ、もりもりごはんをいただいていると、オットーは胴体にすがり付くスヴェンをくっ付けたままにキッときつくテオを見る。
「知ってたなら言えよ!」
八つ当たりである。
けれどもテオは、戸惑い半分、それでいて律儀にオットーへと答える。
「あ、いや……。知らなかった。昨日まで。あの時、エリックは必ず戻ると言ったんだ」
今ではクズだと断定されているエリックも、当時はまだ仲間に信じられていた。はずだ。
だから、テオにも強く疑う理由がなかった。
違和感くらいは覚えたかも知れないが、テオである。
自分以外の人間も、自分と同じくらいの倫理があって当然と信じすぎるとこがあるのだ。よくないぞ。
いや、厳密に言うならよくないのはテオでなく倫理観低めの一般人のほうだが、倫理観低めのほうに期待するのもムダである。
ごめんね。我々も、もうちょっと聖人になれるようにがんばるね……。なんか普段の我々の心当たりがいっぱい頭に浮かんできちゃった……。
まあ、我々のことは心で泣きながらちょっと横に置くとして。
だから、エリックはそんな仲間からの信用や、テオの人のよさを利用した。
それでまんまとテオに面倒を押し付けて、自分は行方をくらませ逃げたのだ。
だいぶふわふわしてる気がするエリックの言い訳を信じたテオもテオではあるが、テオには――いやテオでなくても、人には常識がまさかとジャマをして不安を打ち消してしまうことがある。
解るよ……。
まさかまさか見知った人間が、それも、テオからすればパーティ仲間でこそないけれど共に依頼をこなしたりして命を預けたこともある相手が、ふらっと恋人を捨てて逃げるなどとはあんまり考え付かないと思う。
ましてやそのエリックが、ほかの町でほかの女と家庭を持っているとは。
だからテオがそれを知ったのは昨日、スヴェンが口を滑らせた時だ。
「済まない。まさか……そんな事とは……」
「ほんとだよ! 言えよ! エリックがいなくなった時にさぁ! そう言ってたって! そしたらオレだってすぐに嘘だって解ったよ! あいつがオレとの将来なんか考える訳ねーだろ! クズなんだよあいつ! なに気ぃ利かしてんだ! 人殺しまで言われて黙ってんじゃねぇよ!」
元々がエリックが別れ話をする甲斐性もなくぬるっと消えて、困惑のテオがちょっと自己犠牲強めに空気を読みすぎた結果なのにこの言われよう。ひどい。
なお、テオがエリックを殺した疑惑はオットーの思い込みである。生きてるし。そうでなくても、死んだと言うのすら個人的な憶測だった。
そのためぎゃんぎゃんに怒鳴り散らすオットーはめちゃくちゃ理不尽に逆ギレしている状態なのだが、しかし、その言いぶんに私はうっかり共感してしまった。
「それはマジでそう」
マジでそれ。
テオがちょくちょく発揮する、困らない訳ではないのだが自分が黙って飲み込んでおけばなんとか丸く収まるのでは? みたいな、全体主義をこじらせた感のある変な献身。よくない。
テオは善意を炸裂させてるだけで悪くはないのかも知れないが、とりあえず反省もして欲しい。
私はそんな感慨でオットーの言いぶんに乗っかって、そうだぞテオ。よくないぞ。などと好き勝手に言っていただけだが、一方で我が幼馴染たるメガネはもう少し細かいところが気になったようだ。
「て言うか、元彼がクズなの解ってたんだ……。えっ、じゃーあれ何? エリックが生きてれば自分の所に戻ってくるって自信まんまんに言い切ってたあれは?」
言ってることに統合性が取れてなくはないかと困惑するメガネに、オットーが片方の眉をくいっと上げて鼻からふんと息を吐く。
「そら戻ってくると思うだろ。あいつ、冒険者としての腕はあるけど甲斐性ねーもん。金入ったらすぐに溶かすし、訳解んねー借金ダルマになって戻ってくるからさぁ。オレが養ってたんだよ」
「どうしてそんな男を……」
「いなくなったのいつの話か知らんけど、なんでそんな男を何年も引きずっちゃうの……」
お前それ、急にいなくなるどうのこうの以前にそもそもがろくでなしやんけ。と、困惑してしまうメガネや私に、さすがにオットーも少々気まずい様子で言った。
「顔がよかったから……」
「顔が……」
じゃあ……しょうがないか……。……ないかな……?
本当にエリックのやらかしがこれだけで済むものなのか、まだちゃんとは解らないながらオットーはとりあえず現状判明している全部のことを男子たちに吐かせた。
さながら油分多めのなんらかの種子を布袋にまとめて入れて、専用の器具できりきり潰して油をしぼり取るかのような容赦のなさだ。かわいそう。これからは植物油を口にするたびちょっと泣いてしまうかも知れない。
それで、すっかりカスッカスのしぼりかすになってしまった男子たち――これは主に、テオやスヴェンのことである。
たもっちゃんはべらべらとしたスヴェンから話を聞いただけだったし、もう一人いるおっきな体で存在感はあるが本当にしゃべらなくてめちゃくちゃ静かなアンドレアスはオットーをたしなめる側だった。
なのでオットーの爆発的な怒りは最初テオが一身に浴び、その途中、そう言えばお前もとっくに知っとったらしいやんけと気が付かれてしまったスヴェンにも向けられた。
キレ散らかして、オットーは咆える。
「言えよ! 知ってたんだろ!」
「だってこーなるじゃん! 絶対こーなるじゃん! やだよ! オットー怒るじゃん! 怒って魔法とか使うじゃん!」
「うるさいな! ちょっと痺れて半日動けなくするくらいだろ! 受け止めろ!」
気心知れた。――と言ってしまえば仲がよさそうに聞こえるが、そうであるがゆえに遠慮ない、または自己都合のぶつかり合いを彼らは見せた。
昨日知り合ったばっかりの我々、ちょっとだいぶ引いている。
「えぇ……こわ……」
「魔法はダメだわ……」
ケンカで魔法は過剰戦力的ななにかだわ……。マジかよ冒険者最低だな……。
あとあれ。昨夜から今日までと言う比較的短い時間ではあるが、なんか流れでスヴェンから大体のことを聞かされて一緒に黙ってた我々も恐怖。どうしよう。半日ビリビリさせられてしまう……。
ここは一つ、オットーの注意を引かないように息を殺してやりすごせないものか。
そんな気持ちで、ただただもりもり食べているレイニーや金ちゃん。ひたすらキレられているテオを心配しながらも、食べられる時に食べなきゃと強い意志をかもし出すじゅげむ。それから最近やっとなんとなく矮小なる人類の中でもテオの精神性がまあまあ特殊と気が付いてきたのか「つまもたまには怒られたらいいのよ」などと鷹揚に構えてやはりもりもりと朝食を消して行くフェネさんにまざり、私ももりもりと食事をいただいていた。
と、オットーの肩に大きなぶ厚い手が置かれ、振り返る彼にアンドレアスが言った。
「俺も、以前から知っていた」




