736 カレーと共に板ばさみ
ミスカのカレーおじさんぶりは、もはや村で周知の事実なのだなあ。
我々は、遊びに夢中だったのにどこからともなくただよってくるカレーのにおいで帰宅の時間を悟った小学生の集団のように、ぞろぞろと帰って行った老人たちの好き勝手な言いようを思い出し、なんとなく深い納得を共有しながらもちもちとおはぎなどをいただきおばばと弟子の言い合いが収まるのを待っていた。
「ねぇ、餡子どう? 俺、ちょっと思ったんだけど栗餡もよくない? 豆だけじゃなくて、栗で作った餡子をありとあらゆる甘いお菓子として加工したら夢じゃない?」
「したい。やるといい。むしろやるべき」
「わかるう」
たもっちゃんが思い付いたことを思い付いたままつらつらと若干ぐるぐるした目で言い出して、なんかそれはおいしいやつやなと私がおはぎをもりもりいただきながらに同調。
同じくおはぎをもりもり行きつつレイニーが強めにうなずいて、そのそばでは自分が丸めたおはぎの仕上がりを改めてしげしげ確認してから満足そうに頬張っていたじゅげむが片手間の全肯定マシーンとなっていた。
肯定の感じがこれで正解なのかは解らない。
そうしておのおの好き好きに食べたり語ったり言い合いしたり、すでにさんざん食べていてさすがにもうあきたのか砂漠の細かな砂地の土間で金ちゃんやフェネさんがうつらうつらと野生を失いつつあるところへ、シピがきた。
「クラーラが夕飯に戻れと。ミスカが午後の間中煮込んだカレーを鍋ごと持ってきて……責任を取れと言ってます」
シピはクラーラの夫である。
そしてクラーラは我々をここまで案内し、しかしもうだいぶヒマを持て余し「もうこれ帰っていいかな」みたいな顔をしている族長代理アルットゥとは伯父と姪の続柄になる。
また、シピはミスカと同郷で、この水源の村とはまた別のネコの村の出身だ。元々、ミスカはネコの村の族長筋であるシピのお目付け役として行動を共にしていたのだ。
つまり、シピは今、愛しき妻と気心知れた友人との間でカレーと共に板ばさみの状態で、アルットゥを迎えにくると言う口実で逃げてきたか家族としてアルットゥだけを逃がすまいと巻き込みにきた可能性が高い。
なんか知らんが、家庭って大変なんだなあ。と思った。
まあそれで、おばばと弟子はなんかもめてて全然収まらなかったし、もはやなんでもめてるのかも解らない。
今はもう、普段からちゃんと片付けないからいつも家が汚いんだとおばばが弟子に生活態度を責められている。
わかる。一回もめると、それ今は関係ないやろみたいな普段の不満とか盛り込んでくるよね。怒り心頭のカーチャン。わかる。
弟子の女性は恐らくおばばの娘か孫ほどの年頃でおばばのカーチャンではないのだが、でも……こう言うのは年じゃないから……。ちゃんとしてる人は若い時からちゃんとしてっから……。ちゃんとしてない奴はいつまで経ってもちゃんとしてないと言う逆説が成立してしまうな……。
――とにかく、こちらとしては一応の用件は伝えた。
あとはもう……ねっ。
二人で話し合ってもらって、ねっ。
と、我々は逃げた。
ハイスヴュステの呪術師がもめてるところに割って入る勇気はなく、と言うか普段の不満をぶつけ合う段階の身内の争いに解決はないので、そこに首を突っ込むとただただ徒労に終わるのだ。
私知ってる。私とカーチャンの争いとかで。
部屋が汚いのは生まれてこのかたずっとなんだからもう今さらしょうがねえだろ。
で、ちょっとクールダウンが必要かも知れんと今日のところは撤退し、もう全然舌戦が止まらないおばばと弟子をそのままにそっと気配を消して脱出。
ひとまず、カレーに占拠されていると聞くアルットゥの家へとそこそこの速足でさかさかと向かった。
その途中。
オレンジ掛かった夕暮れの、巨石の群れが迫りくる砂漠の砂地をでっかい虫を警戒しながらこそこそさかさか歩きつつ、ものすごくしょんぼりメガネが呟く。
「カレーはねぇ……カレーに罪はないと思うのよ、俺は。ただちょっと、この辺ではスパイスに馴染みがなくてあんまり受け入れられてないだけで……」
よいものなのよ、本当は。
そんな感じで悲しみをたたえ、たもっちゃんはぶつぶつずっとなんか言ってた。
どんな汁物もカレーの風味へと染め上げる固形のルーはメガネや私が共謀し、大森林のドラゴンさんの住まいの下ででき掛けだったダンジョンで地球の調味料やなんやをせっせと願ってうまいこと産出品としたものである。
そのためこの異世界にあんまりない風味を持っていて、ゆえに異世界人のカレーに対する反応はメガネが嘆いている通り大体ちょっと冷ためだった。
ミスカはめずらしくガチなタイプのカレーおじさんへと変貌したが、それはマジでレアなのだ。
異世界カレーの不遇についてはもう解り切っていた事実だが、改めてメガネがなんかしょんぼりとしている。
「たもっちゃん、私あれだと思う。トンカツかエビフライとかがあるといいと思う。カレーもね、揚げ物と合わせると大正義ですからね。そらもう私にも大ウケよ」
「リコ。リコにしては気を使ったんだとは思うんだけど、カレーのこと得意じゃない前提で話すからそれはそれでフォローになってねぇのよ」
「嘘やろ……?」
完璧なフォローやったやろ今のは。
なんかメガネが落ち込んでたから気を使い、細かく歩きにくい砂漠の砂地をよろよろ踏んでたまにぼこぼこぶつかりながら元気付けようとしたらこの言われよう。ひどい。
「なによ! たまには優しくしてあげようと思ったのに! ひどい! こんなのやってらんない! カレーにトンカツとエビフライ多めに載せてくんなきゃやってらんない!」
「だから本音が出てんのよ、本音が。やめなさいよ。子供が見てんでしょ!」
「子供引き合いに出すのはよくないと思います!」
「たまにはじゃなくていつも優しくして!」
「ええ……なんかこわ……」
我々は大きく長いヘビのような虫を避けこそこそ逃げていたはずではあるのだが、段々と言い合いが白熱してきてそちらへの注意がついおろそかになってしまった。
それでうっかりギャーギャー騒ぎ、急に巻き込まれたじゅげむが金ちゃんの肩からおろおろと「あの、ぼく……見ていない……見てないよ……?」と、精一杯の嘘でなんとか場を納めようとしたり、時すでに遅く、やはり我々がうるさすぎたためだろう。
アルットゥが所持したおばばの虫よけでもよけられない勢いでヤスデの群れに気付かれて、なんやなんや。なんかうるさいのがおるやんけ。と、夕闇の砂漠と巨石群の合間を這いずる巨大な虫にうぞうぞ囲まれ追い掛けられて、砂場を必死のダッシュで逃げなければならないと言う運動不足の現代人を足腰から殺しにくるイベントが発生してしまった。
砂浜ダッシュは体力のあり余った運動部の学生すらも泣かせると聞く。ひどい。
こんな、中高年の足腰砕く鬼畜イベントを一体誰が設定したのか。
いや異世界だけど現実なので設定とかではないのだが、今は正直我々がイベント発生させました。すいませんでした。
それで、わあわあ言って大量の虫を引き連れてアルットゥの家へと逃げ込むと、そこにカレーでいっぱいの一かかえもありそうな大鍋をはさんでじりじりと、にらみ合う黒い人影を二つ見付けた。
それぞれハイスヴュステの民族衣装に身を包む、クラーラとミスカだ。
アルットゥの姪であるクラーラとクラーラの夫に当たるシピのお目付け役としてこの水源の村へとやってきたミスカは、直接親しい訳ではないがシピを介して関わりがある。
この関係性はなんとなくだいぶ気を使いそうなやつだが、彼らはそれをかなぐり捨てて、ギャンギャンにおもっくそやり合っていた。
「だから! その鍋を外へ持って行けと言っているでしょ!」
「人が作ってきた料理に! その言い様はないでしょう? 仮にも! 食べ物に!」
「全部がカレー臭くなるのよ!」
「は? 臭い? かぐわしいの間違いでは?」
「ええー……」
我々は戸惑った。
こんな、なんの遠慮も配慮もなく言い合えるもんなの大人って。
まるでどうでもいいことでつい争ってしまうメガネや私を見ているみたいだと思ったが、よく考えたら今しがた呪術師の穴倉で生活態度を詰めたり詰められているおばばとその弟子を見てきたばかりだ。
もしかしたら、人間と言うものはいくつになっても小学生のような無邪気な心で新鮮にギャン切れできるものなのかも知れない。
あと、ミスカがカレーでいっぱいにしたでっかい鍋はカレーのためだけにわざわざ街で買ったものだとあとから聞いて、この男はもう止まらないんだなあと改めて思いました。




