735 おばばの弟子
砂漠の民たるハイスヴュステはかなり特殊かつレアな一族で、基本、灼熱と渇きに支配されすきあらば容赦なくたんぱく質をあぶる砂漠から出てこない。その過酷な環境に見事に適応して生きるのだ。
気温に関しては冬の今、ちょっと風とか冷たいなと思うので恐らく時期によって違ってはくる。
また、ハイスヴュステは砂漠に隠された水脈を守る民族でもある。どの村も砂漠を流れる水脈にそって存在するので、そこにもきっと砂漠を生き抜く秘訣が隠れているだろう。
けれども、砂漠の暮らし――それも猛獣めいた魔獣にあふれた異世界で、大自然に囲まれ生きるのは並大抵のことではなかった。
そう、例えばいつも通り暮らしているだけなのに、巨大アナコンダみたいなサイズのヤスデに村がうぞうぞ襲われたりとか。
つらいよね……玄関開けたらいるんだぜ……。おばばの虫よけで今は比較的マシになってはいるとのことだが。
あとあれ。
異世界の砂漠には普通に、人間より大きいサソリとか、列車みたいなムカデすらいる。
いやサソリもさ、最初に見たのがシュピレンへの定期便として運行してるだいぶ人に慣れたやつだったからなんとなく大丈夫そうな気がしてただけで、やだよね。砂漠であんなのに出会ったら。そう言えば、ムカデに乗って移動中には白鯨みたいな砂漠の謎巨大魚にも出会った。よくない。陸で海のパニック映画みたいな感じ、よくない。こわい。
ただし食材としてのサソリはエビみたいでよいものだった。私は狩ったりできないが、食料として運ばれてくるでっかいサソリはもはやわくわくしてしまう。
まあそれはいいとして、砂漠はだから、だいぶ厳しい。
今問題となっているヤスデは直接は人を襲わないらしいが、でも家の外にあんなのが普通にアホほどずるずる這っているかと思うと……あまりにも……あまりにも厳しいと思うの。砂漠……。こっちはなんも悪いことしてないと言うのに……。
ここのところその対策に忙しくしていたおばばとその弟子は口々に言う。
「数が多いんじゃ。数が」
「おばばの術は雑だから……無駄が多いんですよ。それで余計に疲れるんです」
「あの虫は肉は食わんがの、弱いが毒持ちで力もあるじゃろ。弱いもんからは遠ざけにゃならん」
「だからって村全体に結界は無茶ですよ」
「この弟子は! 結界じゃのうて害虫除けじゃい」
静かに指摘する弟子の女性に、おばばが全然ちゃうやろがいとぷりぷり憤慨して言い返す。
そんな二人のやり取りを眺め、たき火に五徳のような金具を置いて鍋を掛け、おたまでかき回しながらにメガネが呟く。
「仲良しだぁ」
別に怒鳴ったりする訳でもなく淡々と、それでいて全然言い争いが止まらない師弟になにやらものすごい距離の近さを感じるらしい。
正直、ちょっと解らなくもない。
おばばの弟子であるらしい女性は、頭から足の先まで黒く隠したハイスヴュステの民族衣装で見た目ではなに一つ判然としない。
だが、彼女がおばばに対してずいぶんと気を配っているのは感じる。
それはずっと寝台の横に控えてさっきから延々とえんぴつみたいに細長く切り分けしっかり揚げてカラメルっぽいなにかをまぶしたイモ的なものをポリポリポリポリ食べているおばばにお茶を飲ませたりべたつくイモの被害が及ばないよう寝具の毛皮に布をかぶせてカバーしたりとあれこれ世話を焼いているからかも知れないし、そうしながらに淡々と、お説教みたいに、それこそ祖母のように年かさの老婆に止まらない文句を付けながらその辺に散らばった布や小物を手早く片付け整えたりと、休む間もなくあれこれ気を利かせているのを目の当たりにし続けているからかも知れない。
これは口うるさい嫁のようでいて、でもばあちゃんがマジでなに一つ話聞いてねえから何回も言い返さねばならないだけでお嫁さんそんなには悪くないし、むしろ有能まであるやつですね……。
「お嫁さんもちょっと休んでおやつ食べなよお……」
つい、頑固な姑に手を焼く嫁のように思われて、私は体にいいお茶と軽くつまめる甘いものを両手に持ってそんなことを口走ってしまった。
が、これには頭に掛けたハイスヴュステの黒布の下から「おばばの家に嫁に入ったつもりはないですね……弟子なので……」と声の感じがだいぶ真顔のマジレスがあった。
言ってから私もちょっと反省したのだが、我々はこの割と直前まで彼女の出戻りいじりを聞かされていたので多分だいぶ配慮が足りなかった。
たもっちゃんすらドン引きで「リコ、さすがにそれは人の心がないと思う」としみじみ苦言をていしたほどだし、テオとじゅげむの良識があるタイプの異世界人がなんかすごい顔でこちらを見ていた。
じゅげむに関してはさすがにこの大人の間にビシビシ流れるセンシティブな機微と、お前さすがにそれはない。みたいな緊張感が伝わったとは思いたくないので、もしかするとすごい顔をしたテオの様子に「またなんかした?」と私に問い掛けている表情なのかも知れないといいなとほのかな期待をいだくなどしている。
よく考えたらこれ多分「またなんかした?」の時点でなにも大丈夫ではないですね。
なお、「あっ、これアカン」と、素直に強く思わせたのは金の巻き毛を揺らしつつこちらに向いてゆるゆると悲しげに首を振るレイニーの姿だ。
これはただごとじゃないですね……。
レイニーがそんな……人類を虫かなんかだと思ってていつも興味なさげに我関せずの人外が、まるで憐れむみたいなこの様子……。本当に人類を虫かなんかだと思ってるかどうかは知らない。
さらには、恐らく前世の地球の奇跡的に結婚してくれた妻のかたからありがたい薫陶を受け続けてきたメガネにも、そもそも嫁か娘が老いた親の面倒を見るのが当然と言う考えかたもよくない。互いに憎悪をこじらせないためにあえて距離を置くのが大事になってくるフェーズもある。押し付けはよくない。人による。べったりとゼロ距離の付きっ切りで介護すんのがベストとも限んないの。社会よ。社会で支えんのよ。一人に押し付けちゃダメなのよ。などと、なんらかの実感とホスピタリティ高めのご意見が切々と説かれた。
私が悪い。すいませんでした。
今回、我々が砂漠の果てにある水源の村へとやってきたのは昼下がりのことだった。多分。異世界ではまだ時計を見ていないので、私の体内時計と言う名の空腹具合からすると大体そのくらいだったように思う。
それが大蛇みたいなヤスデの大群から逃げてアルットゥの家へと連れて行かれたり、そこからおばばの穴倉に移動しなんやかんやと食べ物で囲んでお見舞いしたり、どこからともなく増えてきた村の老人会に体にいいお茶やおやつや軽いお料理などをもりもり持って行かれる内に、そろそろ日が傾いて夕刻と呼ぶべき時刻がきていたようだ。
と、おばばの穴倉にどこからともなくうっすらと、カレーのにおいが紛れ込む。さながら土曜日の夕方を思わせるそれに、老人たちが「お、もうこんな時分か」「こりゃ、族長んとこのミスカじゃの」「カレーか」「またか」などと口々に言い、ぞろぞろと住居となった穴倉の隅っこにわだかまる黒い影に溶けるみたいに姿を消して帰って行った。
恐らく位置の関係でここからは見えない通路かなにかがあるのだと思うが、去りかたがだいぶムーディーでよかった。
我々が、やっと自分らがなんでここまできたのかをうっすらじわじわ思い出しおばばに相談できたのはそうして、やいやいと全然関係ない話題で勝手に騒いでちょっと疲れて「おやつ食べよ……」と自分たちもお茶などをいただきだいぶのんびりしてからのことだ。
大事な本題をすぐに忘れる。よくないところですよ我々の。
で、おばばの呪いが返されて――もっと言うならどうやら呪術が破られたらしいと知らされて、思いのほか苛烈な反応を見せたのはおばば本人よりも弟子だった。
「おばばの術が? 馬鹿な! どこの誰? 始末しないと……!」
「あっ、意外とそんな感じなんだ……」
たもっちゃんは今にもおばばの穴倉を飛び出して、宿敵のもとへと駆け出して行きそうな呪術師の弟子にぼそっとそう呟いていたし、私もこくこくうなずき同意した。
なんか、おばばへの態度が淡々としょっぱかったから、もっとドライなあれかと油断していた。強火じゃん。おばばの技術が世界最高峰と信じて疑わない勢いのあれじゃん。
「落ち着け」
「でもおばば! 呪術を破られるなんて、ハイスヴュステの恥ですよ!」
「誰が恥じゃい」
かりんとうのようにバリボリとしたイモ的なものをかみ砕き、逆に弟子をたしなめていたおばばもあまりに必死になりすぎてうっかり師匠をそしってくる弟子にノータイムで突っ込んだ。だいぶ息がピッタリで、なんか仲よしだなと思った。




