734 アレがアレしてアレ
どうやらおばば、わっさわっさと押しよせるだいぶ大きめの虫に対応するために疲れのピークがきていたらしく体自体は割と元気だったようだ。
よかった。
我々もおばばの長命を願い、前人未到の森へ分け入り人魚の肉をハントせずに済んだようだ。ただし人魚は海とかに住んでそうなので、前人未到の森には分け入るだけムダ足だった予感もしますね。
八百比丘尼ってあれでしょ? なんかそう言うアレがアレしてアレになるやつでしょ? ふわっとしか知らんけど。
と、安心からすっかり緊張がゆるみだらだらと弛緩して、我々はおばばに食べ物をせびられながらどうでもいい話に興じてしまう。
「て言うかさ、そもそも人魚っているの? 伝説上の生き物じゃない? あっ、おばば、お茶も。体にいいお茶も飲んで。これ体にいいやつだから」
「この世界だと、セイレーンとかがそうなのかなぁ。おばば、出したの俺だけど今はちょっとお餅はやめとこう。もうちょっと体調が万全な時にしとこう」
「いやおるんかい」
人魚か人魚的なやつ。
たもっちゃんは自ら一度並べておきながら、やっぱこれアカンわとおもちのお皿を回収しつつ「うーん」と頭を傾け悩む顔を見せた。
「でも、人魚は確実に人魚だけどセイレーンってなると半分魚と半分鳥の派閥に分かれてるからー、やっぱ俺らが思ってる人魚とは違うのかなって。だから必ずしも不老不死の効能があるとは言えないのとー、もしかしたらマーメイドとマーマンみたいなパターンになると上半身が人間に近い感じするのと知的生命体の可能性が高いからお肉にするのはちょっと倫理的なあれがあるよね」
「それは気い使っちゃうね……」
あと、マーメイドとマーマンてなに? マーメイドしか知らんぞなどと言ってると、たもっちゃんは急にスンと真顔になって私を冷たく突き放した。
「リコ、知的生命体を狩るのは気ぃ遣うどころの話じゃないのよ?」
突き放すと言っても精神的になんとなく私がそんな感じを受けただけだが、そこ倫理の大事なとこよと、さも自分だけは人間性が大丈夫みたいなメガネの口ぶりには釈然としないものがある。
嘘つけ。お前は私と大体同類だって解ってるんだからな。おとなしく人でなしのそしりでも受けておけ。誰が人でなしだ。
なぜなのか。
この論法で行くとメガネをけなせばけなすほど私も落ちて行くの、あまりにも死なばもろともすぎない? やだあ……。
そもそも人魚の話自体がだいぶ横道にそれているので全然掘り下げなくていい上に、なんかどんどんただのケンカになってきでだいぶ訳が解らない。
途中でテオが「マーメイドは女でマーマンは男だと聞いた事はあるが……魔物のはずだ。セイレーンもそうだな。この大陸にはいないはず。見付けるのも骨だぞ」と、戸惑いながらも端的かつうっすら有用な解説を入れ、おばばへの差し入れをつまみ食いする金ちゃんやフェネさんをなだめる一方でもくもくと地味にずっと食べ続けているおばばの手元に飲み物のカップをさりげなくよせてスマートにご老人の手助けをしていた。さすが配慮の申し子である。
じゅげむもなにやら私と言い合うメガネの袖を引っ張ってごちょごちょしてると思ったら、たもっちゃんがどこからともなく取り出したあんこをほどよくまとう丸っこいものをおばばを包囲する食べ物の中へとそっと加えた。
「おばば、これ、おはぎ。ぼくがまるめたんだよ。おいしいんだよ」
そして一生懸命にこのがんばったアピールである。
やいやい言い合うのに忙しかった我々も、さすがにこれはニッコリである。
そうね、おはぎならね。まだね。
おもちと違ってまだ危険性がね……先にお茶飲んでちょっと食道の滑りはよくしときましょうね……。
しかし、孫感の止まらないじゅげむによっておはぎがおばばに差し入れられて大盛り上がりしたのはいつの間にか増えていた村のお年よりたちである。
「やらかい食べ物はええの。歯がいらん」
「いらんもなにも、お前の歯なんぞとうにないじゃないか」
「甘いのう。ええ冥途の土産になるわい」
いつの間にか増えていたご老人たちの姿にじゅげむがあわててメガネにせがみ、おはぎをぽいぽい出してもらってせっせと配る。
その光景に、私は思った。
「年よりジョークって笑いにくいな……」
冥途のみやげって概念、異世界にも通用するんだな……。我々に実装されている自動翻訳のかね合いかも知れないけども。
水源の村のご老人たちはハイスヴュステの黒布の民族衣装をゆるめに身に着け、外から一続きになっている砂地の土間へと当然のようにくつろいで座る。
おばばの小ぢんまりとした住まいは屈まないと入れないほど天井が低いが、老人たちは慣れた様子で移動もかささと滑るように素早く、苦にはならないと言った様子だ。
ちょっと虫みたいだなと思ったが、私は大人なのでそれはぐっと飲み込んでおいた。えらい。
そんなご老人の集団を見てると、なんとなく。人の話を全然聞かない王城の錬金術師のおもかげを――いや、いつも黒っぽいローブに全身を隠して顔を見た印象がないのでおもかげでもないのだが。なんだか、彼らのことが思い出されてしまう。
共通点は全身黒コーデのファッションで、人の話をあんまり聞いてないことである。
あとなんか、自分が興味ある時にだけ意外とカサカサ素早く動く。……似てんな……。
いかにも気安く、普段からこうなんだろうなと思わせる様子で何人ものご老人が詰め掛けたおばばの住まい。
小ぢんまりとした中に寝台のほかにも棚やちゃぶ台みたいな最小限の家具があり、それらから少し離されて砂地の土間の中央辺りに石で囲んだたき火のためのスペースがあった。
今も明かりと暖房をかねた火がくべられており、そのそばに腰を落ち着けてほどよい火力になるようにアルットゥが面倒を見る。
ヤスデの大群を避けながらここまで案内してくれて、一仕事終えているためかもうだいぶ手持ちぶさたの空気感だった。
そうして、ちろちろ揺れるたき火が照らす穴倉で突如始まる老人の集いは同じところを無限にループする終わりなき世間話に終始した。
「おばばもな、年よ。そろそろ弟子に道を譲らんと」
「どの口が。お前のが生まれ早かろに」
「年なんぞ六十から数えてのうてなぁ」
「赤いチャンチャンコだねぇ」
「たもっちゃん、それ私にしか通じない。おばばって弟子いんの? 私会ったことある?」
「弟子はほれ、なんと言うたかな。あいつんとこの出戻りの娘じゃろ?」
「繊細なプライバシーぶっ込んでくるのやめてよお……」
村の老人会による個人情報の漏洩がひどい。
「それさー、年よりの言うことだしその場では笑って流してくれるけど本人は心の中でもやもやしてて何年かしてからずっと嫌だと思ってた! とか爆発してえらいことになるやつじゃない? やめなよお」
それ多分、キャッチーさだけでネタにするにはセンシティブなやつだよお。
などと、完全なるひとごとながら大体の感じでふえふえしつつメガネや私も水源の村の老人会に特に違和感なくまざってしまっていたのだが、話題の当事者がいつの間にかにすぐそこにいた。
「そこまでは思ってないけどいい加減同じ話ばっかりで飽きてはいますね……」
その人物は静かな声でそう言って、後ろのほうからするっと普通に話にまざった。
彼女は手の甲までをおおって隠す長袖と、つま先までありそうな黒いワンピース。頭を飾りの付いた薄布で隠したハイスヴュステの民族衣装で、寝台にいるおばばのそばへと膝で進むとえげつなくどろっとしたなにかが入った小さな湯飲みのようなものを渡した。
それをほかの年よりが、「ほれ、これが弟子じゃ」と、出戻りネタでいじっていたのを悪びれもせずしわしわの手で指さして示す。
「もっと気い使ってあげてよお」
老人は、その年齢のせいなのだろうか。
ハイスヴュステの民族衣装をゆるめに着崩し、若い女性には必須に近い顔を隠す薄布すらもジャマなだけじゃいと着けてない。
アルットゥの姪のクラーラなども、外出時はともかく、今では自宅で会うと顔面はノーガードの状態が多かった。
だからちょっと忘れていたが、完全装備したハイスヴュステの民族衣装、かもし出される得体の知れなさがだいぶん強い。
逆に、呪術師のための衣装にすら見える。
ただし、実際はハイスヴュステの全員が呪術を使う訳ではなかった。
人の身には過酷な砂漠に適応し、たまに精霊を伝書鳩みたいにギュルギュル飛ばしたり、子供の頃から少しずつ毒を摂取し耐性を付けたりとちょっとおだやかじゃないような、人様の文化をおもしろがるのはよくないなと思いながらもうっかりわくわくしてしまう特殊性を持っているだけで。……だけかな……。




