733 自制心の欠如
人はなぜ、それが毒だと解っているのになんだか気分がよくなるからとつい手を出してしまうのか。深刻な自制心の欠如。
デンジャーな法に触れるタイプのやべえお薬の話ではない。
合法ながらに中毒などの症状が出るとだいぶやべえアルコールなどの話ですらなく、今は、しびれや酩酊状態を伴うちょっとした毒についての話だ。
よくない。
金ちゃんとフェネさんはいつまでもいつまでも、酩酊をもたらす毒の染み出る虫の足をしゃぶしゃぶと口から離さなかった。
なぜなのか。
なぜそこまで執拗な勢いで享楽にふけってしまうのか。
あれか。自由闊達な様子に見えて、なにか心に秘めた闇でもあるのだろうか。
「あれですよね……大丈夫って言う人ほど大丈夫じゃないって聞きますもんね……。大丈夫じゃないって言う人も大丈夫じゃないから大丈夫じゃないって言ってるような気はしますけども」
ケンカを愛し、ケンカと見れば我先に飛び込む暴力と自由に腰布を巻いてこん棒を持たせたみたいな金ちゃんや、素敵な神を自称しながらなかなかの異常性をちょくちょく見せる白き獣のフェネさんを見やり、ついそんな呟きが口からこぼれ出る。
そのことに「リコ、またなんかどうでもいいこと考えてるでしょ」などと、たもっちゃんからひどい誹謗中傷を受けた。
ただの事実と人格攻撃を両立させるとは。なかなか大したものである。
「まあ、あれよね。悩んでる時ほど人に言うのは勇気がいるかも知れないけど生きづらさやつらいと感じることがあるならしかるべき機関に相談の上、共感と傾聴で迎えてくれるいい医師を見付けて適切な治療方針を話し合い保険適用でいいお薬とかをもらって欲しいよね。この世界の医療費、保険なさそうでめちゃくちゃ恐いけど」
「だからさ……重いのよ。ごはんのついでの話にしては。何なの」
たもっちゃんは「リアクションに困んのよ」と言いながら、私が手にしたごまだれ入りのお椀の中にちょうどよく煮えたなんらかのお肉と野菜を追加した。たすかる。
私は、こんもりと食材でいっぱいになったお椀とお箸を両手に持って、キリッとした顔をメガネに向ける。
「私たちは金ちゃんを幸せにできているのかしら?」
その問いに、疑問が浮かんだと言うようにメガネが首をかしげて質問で返す。
「フェネさんは?」
「フェネさんはテオにべろべろ甘えてるから……むしろ我々が考えるべきはテオの福利厚生だから……」
「あっ、それはそう……」
マジでそれはそう……。
鍋の具をおたまですくい、その具をもりもりといただきながらうなずき合って、たもっちゃんと私はそっとテオをほうを見る。
「テオ、いつもありがとね……でもしんどい時は一人で悩まないで助けを求めるだけでもして欲しいなって」
「そう、ありがとね……しんどい時はしんどいって言うのもつらくて一人にしてくれって気持ちもわかるけど……僕たちテオの味方でいたいなって思ってるから……」
「……おれは別に……。いや、どうしてそんな……心労で病むのが確定の様に……?」
普段からアレな我々のアレで気苦労を掛けている自覚があったので、急に心配になって気遣いを見せたらこの言われよう。
テオはだいぶ気味悪げに戸惑っていたが、その自覚のなさがストレスをため込む人間のあれやなって。本当に気にしてない可能性もごくわずかながらなくはないけども。
そうこうしながら鍋をいただき体を内側からあたためて、いざ、ハイスヴュステの水源の村へとやってきた本来の目的についてうだうだと話した。
聞き手は水源の村の族長代理であり、こちらの話を聞く内にくっきりとした顔立ちになにやら複雑げな表情をありありと乗せてきたアルットゥ。
そしてそのそばで「しっかり」と元気付けている姪夫婦だ。
いや、我々も事情を打ち明け始めた当初は一応キリッとしてみてはいたのだが、おばばに頼んで掛けてもらった呪いがどうやらうっかり返されたようであれやこれやありまして一旦なんとかなったかなと思ったらやっぱりどうもダメっぽい。と言う、内容が内容だけにどんどんグチっぽくなってついうだうだした感じになってしまった。
「ハイスヴュステの呪いを返すとは……」
困惑が勝手に口からこぼれたように、アルットゥが呟くと姪のクラーラとその夫のシピが難しい顔で首を振る。
「おばばが失敗するなんて。きっと巡り合わせが悪かったんだわ」
「そうです、親父殿。ハイスヴュステの呪術師を出し抜くなどと、卑怯な手を使ったのに違いありません。戦いましょう」
「おっ、ゴリゴリに話変なほうに行かすじゃん。ねぇ。戦うて何? 戦うの? 呪いもう一回掛け直すとかじゃなくて、呪術直接対決きちゃうの? ねぇ」
たもっちゃんもさすがに戸惑いそんなことを口走ったし、実際、ハイスヴュステの民による村の呪術師への信頼がなんか油断ならない方向に重い。
そんな感じでうだうだと、そして時に強火のなにかで大体のことを共有し、我々はアルットゥに連れられておばばのところへぞろぞろと向かった。
岩間の家の革の扉をめくり上げ、注意しながら外へと出ると比較的大蛇のような大きなヤスデも今は少し遠く、まばらに見られるだけだった。
さすが砂漠の民である。
ちょうど虫がいないタイミングを計るのがうまいと思ったら、虫の嫌うにおい袋みたいなものをおばばに用意してもらっているらしい。なにそれ。欲しい。
しかし、だから、虫対策などに駆り出されおばばは最近かなり忙しかったようだ。
我々の先を歩きつつ、アルットゥが「今は少々、間が悪いが……」と、歯切れ悪く言ったのもそこに起因していたのだろう。
巨石と巨石が折り重なって自然と形作られた、穴倉めいた入り口の、せまく天井の低い呪術師の住まいで横になる老婆の姿を目にしてやっと、アルットゥが曇らせた表情の意味を理解した。
「おおおおおおおばば! えっ、なに? 調子悪いの? お茶飲みなよ! お茶! はい! どうぞ!」
「過労なの? やっぱ過労なの? 害虫対策とかでおばばに頼り切りで負担が一点集中しちゃって休養もままならない感じなの? 俺、そーゆーのよくないと思いますぅ!」
消耗し弱り切ったおばばの姿に、我々は取り乱した。
体にいいお茶をどこからともなくあわてて取り出しばっしゃばしゃにそそいだカップをおばばに突き付ける勢いで差し出している私に続き、たもっちゃんもごはん食べなよ! ごはん! と、やはりどこからともなく取り出した備蓄の料理でほっかほっかと寝床で休むおばばの周りを取り囲む。
なんと言うことだ。
我々は、おもっくその動揺におそわれた。
衰弱したお年よりはあかん。危機感がすごい。
あかん。なんかこう、ひたすらあかん。
おばばはなんか、シニカルにも似た憎たらしいほどの元気さでいつでもいつまでもいてくれるものとうっかり信じてしまっていた。
そんなの、なんの根拠もない思い込みでしかないのに。
「お……おばば! 元気で五百歳くらいまで生きてて……!」
横になるおばばに掛けられた寝具の毛皮に取りすがる私に、たもっちゃんが「リコそれなんて八百比丘尼……」と消え入りそうなものすごい小声をこぼしたが八百比丘尼は多分名前からして八百歳だし、その概念は完全に私にしか通じない。
お前もうちょっと状況を考えろ。ここは居合わせた全員に通じる話じゃないとダメだろと、冷静に思えば絶対そこじゃない方向に私とメガネの言い争いが発展し掛けたその時。
「やっかましい!」
これである。
おばばが、砂漠の砂が入り込む穴倉の住まいにコンパクトに合わせた、低い寝台でごろごろしながらはちゃめちゃにキレた。
寝てるところに急にきて騒いでんじゃねえとのことである。
「それはそう」
「すいませんでした」
寝台で仰向きに寝ていた体をぐるんっと横向きに回転させて、カッとこちらをにらみ付ける老婆には力強いおもむきすらある。
なんか、元気だな?
そんな感触がじわじわときて安心したし、寝てる横でぎゃあぎゃあ言うのはマジでよくなかったなと反省もした。それはそう。
あと、なんかごめんねとその場にスッと正座して逆に落ち着いてきた我々の前では、おばばが自分をずらずら囲んでなんらかの儀式みたいになっていたあったかい料理や大事な時に取ってあった高級菓子をさりげなく自分のほうへ引きよせて、片っ端からちびちび味見を始めるなどしていた。元気だな?




