725 事前に一言
義理堅さがアダとなり――いや、この状況を、しかもほかならぬ我々が、アダと表していいものかどうかちょっと判断が付かないが。
なんだかんだありながら我々に付き合いここまで一緒にきてしまった筋肉ウサギの兄弟たちも、ずいぶんと公爵家に慣れてきたようだ。
本当に慣れたのか、なにも慣れてはいないけど大人としての処世術をしぼり出しなんとかギリギリ耐えているだけなのか、それは誰にも解らない。ウサギだけが知っている。
ウサギって言うか、ウサギによく似た獣族であるハーゼ族の俊敏さと生存本能は、人族には到底マネできず、よい鍛錬になると公爵家の騎士らから遊ぼうぜ! 野球しようぜ! みたいな感じで鍛錬にちやほやむきむきひっきりなしに誘われていた。
そんな筋肉ウサギの兄弟たちを見ていると、ふと、その中に比喩の意味での姫っぽい長兄がいないことに気が付いた。
どうしたのかと思ったら、服飾に強いメイドらに連れ去られこれでもかとかわいい服をふりふりに仕立てられていた。
気になったのできゃっきゃと華やいだ空気でいっぱいの、なにやら布やらリボンやらであふれた公爵家の一室をそっと覗いてみると、ウサギ長兄は長めの耳をぱたぱたさせてなんだか少し恥ずかしそうに、しかしじわじわとうれしそうにしてたのでそのまま好ましい自由を謳歌して欲しいと心から思った。
そう言えば、私がふと感じた不安のような、大事なことを一瞬思い出しそうになったがすぐにわやわやと霧散してしまいなんのことやらさっぱり解らなくなったあれ。
あれは王城に呼ばれた日から少しのち。
せっかく王都にきたことですしと街をうろつき、冬は冬でまたよいお菓子をこれでもかと作り出す高級菓子店の戦略にやられて「たまにだから……たまの贅沢だから……」と何度目になるかもうなにも解らない言い訳をしながらお菓子の購入と発注をあほほどお願いし、そのやり手の高級菓子店の割と近所のペーガー商会にも顔を出して文房具や靴下などの消耗品を見繕ってもらっていたら、なにやらじとっと恨みがましい空気をただよわすペーガー家の次男のフーゴがいつの間にかものすごく至近距離にいた。それで、「もっと小まめに顔を出すべきだと思う……」と、めちゃくちゃ低い、小さい声で文句を言ってからなにやらドロドロとしたテンションで例のごとく我々がだいぶ忘れ去っていた、鉄をぐにぐにさせて開発していたスプリングや安全ピン、やわらかいパンを大量に焼くためだけの大型オーブンや、あると便利なスプレーボトルなどなどもろもろの、売れ行きや経費についてのことを大体の商品においてうっかり知識を吐いてしまいがちなメガネに向けて、あれやこれやと話長めにつらつらと浴びせた。
きっと、収支報告と言うやつだろう。私は全然関わりがないので、なんやよう知らんけど多分。
アイデアやら権利やらで支払うべきものは収益から冒険者ギルドに振り込んでいるが、こーゆーのはちゃんとしないとダメなんだ。報告も確認もちゃんとするのが大事なんだ。人に任せ切りにすると不正の温床になる。うちの商会をダメにするのはやめてくれ。
そう熱弁するフーゴは、某マダムの夜お店でうっかり初めて会った時から絶好調でチャラいのに、なぜか家業の話になるとガチガチの堅実派ぽい側面を見せてくるのも相変わらずだった。
だいぶ真っ当に怒ってくるじゃんと思ったし、見た感じなんか元気そうでよかったなあみたいな所感があります。
なお、安全ピンは細かい便利商品ながらパーツごとに分けて仕立ててその都度特殊な着付けが必要な貴婦人のドレス、を、着せるほう。つまりメイドや侍女から主人の体を傷付ける心配が少ないとじわじわ話題になってきて、大ヒットと言うほどではないものの地味に売れ行きがいいらしい。
安全ピンはフーゴと最初に会った時、話の流れで私がぽろっと口にしてなんとなく商品化したものなので、なるほど私のお陰ですねと軽口を叩くなどしているとなんかフーゴが靴下を買ったぶんよりちょっと多めに渡してくれた。ありがたいけども。
そう言えば、フーゴとの出会いで縁のできたペーガー商会で、パンを大量に焼くためだけの大型オーブンを開発する折には人族が治めるこの国でエルフとしてはめずらしく錬金術師をしているルディ=ケビンの力を借りていたのだった。
みたいなことをフーゴの長い話に退屈し思い出したのか、たもっちゃんが「そうだ。エルフに会いに行こう」などとめちゃくちゃ唐突に、そして普段は見せたこともないキリッとした顔で言い出していそいそとルディ=ケビンが妹さんと暮らす家へとアポなしで押し掛けたり、自分だってエルフと言うだけでメガネから親切ごかした重たすぎる歪み切った愛を向けられているのに妹だけは守らんとするルディ=ケビンとの攻防があったり、毎度のことだがこれはアカンと主に私がおやつによって金ちゃんをけしかけムダに行動力のある変態メガネをがっぷりと止めたりと、なかなか訳の解らない時間をすごした。
ルディ=ケビンと妹さんも変わらずご健勝だそうで、王城でもらったばかりの高貴なるマロングラッセをおすそ分けした時は妹さんのおどろきと遠慮と感激がまざった素直なリアクションがまぶしかった。
その輝かしい表情は毎度毎度変態を近付けてしまって申し訳ないとお詫びにマロングラッセを差し出した私が真正面から浴びたので、諸悪の根源であるメガネは「そのポジション変わってよぉ!」と、金ちゃんの両肩に横倒しに担がれバックブリーカーのなにかみたいになりながら叫んだ。あの状態で意外と余裕あるなと思った。
で、そんなこんなで散財と叱られが発生しながら数日すぎたある日のことだ。
たもっちゃんが製作し、メンテナンスして、定期的に待ち受けのための魔力を補充しているプロ用のまな板みたいな大きめの板の通信魔道具に着信があった。
相手はローバストの事務長である。
噂をすれば影って訳でもないのだろうが、なんとなく王城で話のついでに事務長のことを思い出していたこともあり、着信が事務長からであるってだけでなにやらひやっとしたものを覚える。
そしてまた、その感覚は正しかった。
どんな理屈で音声通話ができているのか私には理屈がさっぱり解らない、しかしあると便利な通信魔道具の向こうから事務長が少しざらつく音声で言った。
『……神殿に恩を売るなら、一言知らせて欲しかった』
事務長は色々と有能なので、地方領地のローバストにありながら王都の情報をなぜか素早く知っていたりする。個人的にはなんとなく本当に勘弁して欲しい。
しかし、さすがに全てを把握するのにはそれなりのタイムラグが生じる。
そのため我々に関する最近のあれやこれやに関しては情報が届くのに少々掛かり、知ったのがこのタイミングになった、と言うことのようだ。
我々はうめいた。
「これだあ……」
なんか大事なこと忘れてんなと思ったら、これだわあ。
あれよね。事務長に色々報告するの、大体忘れちゃってましたね最近は。
なるほどね……。なるほど……。
これが……油断と慢心と言うもの……なるほどね……。
あと、始まりも終わりもない完全なものであるウロボロス焼きのレシピを、たもっちゃんが使用料もなにもなく新たなる弟子のマーガにまるっと教え、それを神殿のイケおじが人脈を駆使してごりごりと本部にねじ込み困窮しがちな地方の小さな神殿に対して運営資金調達の救済案として広め、レシピの無償提供と言う恐らくなにも考えてなかったメガネの無私の功績をたたえると同時に、ギルドを通してレシピを登録した場合に見込めるほどではないものの、いくらかの謝礼が神殿から毎年支払われることになっている。
――って、知らない内に知らないところで割と大掛かりになってきてる話を、我々は、この事務長からの『神殿に恩を売るとは一体どう言う状況なのか……』とドン引きのような、自分ならもっとうまくやったのにとくやしがっているかのような通信魔道具での会話で知った。
しかしあの、すきあらば不正バイトに手を染めて寄付金を着服しがちな神殿にまあまあの額のお金を吐き出させるとは相当な話だ。
神殿でそこそこ身分がありそうなのに苦労を一身に背負ってそうなイケおじの、バスティアン様がだいぶがんばった気がする。
もちろん、神殿にも利益があると計算した部分もあるだろう。
だが、バスティアン様のすることだ。
利益と言っても、利権と野心が際限なくうずまく……ようなイメージが強い王都の中央神殿から離れ、資金ぐりに難渋している地方の神殿をなんとか救おうとしたのではないか。
かの人こそが私心なく、天に恥じぬ真っ直ぐな慈愛を体現しているように思うから。
そう、だから悪気とかはないの。わかる。
ウロボロス焼き、全国の神殿に広めるって話はちょっとこの時点で初耳ではあるけど。
ちらっと事前に一言欲しかったっすね……。
なにもかも忘れてて事務長から鬼電もらった我々が言えることではないですが……。




