722 なにとぞ一つ
我々の知る、そして以前なんやかんやありましてちょうど大森林の間際の町まで遠征していた武者姫との初邂逅を果たしたドラゴンさんは、話の流れでオエッと実演して吐き出したちょっとした一軒家サイズのペリットを吐きたてそのまま武者姫にお譲りしたことがある。
私にはどう言うことなのか全く理屈は解らないままだが、なにやらなかなか立派なドラゴンであるらしきドラゴンさんの胃袋で、その魔力に染まったペリットはだいぶ稀少で高級な素材になるそうだ。
武者姫はそのことにいたく感謝して、この命ある限りおいしいもんいっぱい食べさせてあげっかんね! みたいな誓いを、ドラゴンさんに対して声高らかに宣言していたのだ。
そのために用意された、王城で働く、もしかすると彼らも自身や親が貴族の位にあるのかも知れない侍女や侍従がうやうやしく、それでいてきびきびと運び入れる大量の捧げもの。
これらをぽいぽいとなんらかの魔法と見せ掛けてメガネや私がアイテムボックスに放り込んでいると、いつでも元気な武者姫がめずらしく沈んたような顔で言う。
「可能であれば、わたしも共に参上したかった……約束したのはわたしだ。しかし、以前あんなことになっただろう? さすがに、お父様もお母様ももう、大森林行きはお許しくださらなかった」
「クーデターになり掛けましたもんね……」
「いつの間にか始まって知らない内に終わってましたけどね……」
「うん……」
全然実感はないのだが、我々が姫やお付きの人々と大森林できゃっきゃ遊んでいるのと同じタイミングで、大森林遠征により警備が手薄になるはずの姫をうまいこと人質にして王都で王様のタマ狙ったろ。などと、いらんことをたくらんでいた一派があったのだ。
なりませんでしたけど。
我々がなにも知らず帰った時にはもう全部終わってて、結局今にいたるまでどんな感じで一体なにがあったのか、全然解らずピンとこないままである。
しかし、我々が知らず解らないからとなかったことにはならないらしい。
実際に事件はあったので、姫もまた少々自重を求められている。
「大森林……行きたかったな……」
そんなことを呟いて、ソファに体をぐんにゃに預ける武者姫はめずらしくちょっとだけしょんぼりしおしおと背骨を失ったタコのようだった。
そうしてメガネと私が捧げものの物量によって忙しくして、異世界的常識に縛られ目の前でしょんぼりしている王族を放っておけなかったテオが「こちら……お撫でになりますか……」と白い毛玉を差し出して、自称神たる小さな獣のフェネさんの「ええー」とか言う抗議のうめき声をなだめすかしてどうにか姫の機嫌を浮上させようと腐心しているそのすきに、サロンの一角ではいつの間にかしれっとぞろぞろ侍女を連れて参加したこの国で一番の貴婦人がじゅげむと金ちゃんをおやつ攻めにしていた。
「まぁまぁまぁ! キン=チャンはいつも気持ちの良いこと!」
王妃様である。
名実共に貴婦人の中の貴婦人であるこの人は、たおやかで優しく、おっとりとした癒し系みたいな雰囲気であふれていながらに、なんでもよく食べる金ちゃんのフードファイトぶりがいたくお気に入りなのだ。
いつの間にか現れてトロールと子供に山盛りのおやつを与えている母親に気付き、姫もさすがに注意する。
「お母様、むり強いなさってはいけませんよ」
下々の者へのパワハラを危惧し、苦言を呈してくださる武者姫。ありがたい。これぞたっとき立場に生まれ付いた者のとうとい義務的なあれである。
ただし姫の腕にはしっかりと白く小さな毛玉の獣が確保され、よーしよしよしとふっかふかになで回すなどしているところだ。
ちょっとだけ、ごりごりと説得力がはげ落ちている。
また、フェネさんは姫が以前勲章に似せて用意してくれた、自称神たるキツネ本体から分体を作る時に使用する毛が収納できるアクセサリーを首輪のように装備していた。今も、自称神たる本体が魔力を練り上げ形作った小さな毛玉の分体の豊かな毛皮をかき分けてみれば、そこにちゃんと存在が解る。
姫もそれに気が付いて、「役に立っているならよかった」とニッコリした上でヨシャヨシャシャシャとなで回す勢いが増していた。
なお、我々に対する忖度叙勲に合わせて姫が用意してくれたなんとなく勲章のデザインによく似たアクセサリーはじゅげむや金ちゃんにも用意され、じゅげむは大事にしまったものを今でもたまに取り出して、えへへとみがいてうれしそうにしている。
我々がもらったなんらかの勲章を出して出してとねだっては並べて、ぴっかぴかの顔面で「おそろい!」などと言い、そのたびに我々は胸を押さえて子育てのだいご味を感じながら倒れ伏す日々だ。いとおしい。
姫の気遣い、じゅげむと我々に効いてます。本当にありがとうございます。
そんな思いで私が勝手にしみじみしているすきに、我々を取り巻く状況はめまぐるしい移り変わりを見せていたようだ。
気が付いた時にはフェネさんが「我、素敵なだけのお人形じゃないんだから!」と自己肯定感のありすぎる悲鳴を高らかに上げ、なで回す姫の手をびたんびたんと暴れて逃れてサロンの窓からばーんと飛び出してしまった。
これには自称神の妻たるテオも真っ青である。
我々も、これあかんやつやな。と思いはしたのだが、神を自称していても獣の本性が隠し切れないフェネさんは機動性が高かった。
王城の庭をずばばばばとピンボールのように駆け回り、止める間もなく、恐らくは一流の庭師によって丹念にお世話されている庭木や寒さに強いけなげな草花にいくらかの被害をもたらした。
これ、なんか……誰かのクビが色んな意味で飛びそう。
パニックすぎると逆に凪いでしまう我々は、もう体も気持ちも付いて行けず、そんな物騒な思いをぼんやりいだくのが精一杯だ。恐いですね。
子供心に不穏な空気を察した、と言うのもあったのだろうか。
ふと見ると、侍女に持たせた豪華なおやつをまだまだ出してくる王妃様に向けて、じゅげむがあわわわと必死の顔でバレーボール大の魔石をなにとぞ一つとばかりに差し出すなどしていた。どうして……。
あれは、忘れもしないこないだのこと。
正確な日にちは数えていないので全然解らないけども。
夜中に地中からアンギャアと目覚めた巨大なフィンスターニスを、なんやかんやと金ちゃんがプチっと仕留めてその魔石を手に入れていた。
仕留めるまでにだいぶ暴れていたせいか、我々が初めて仕留めたものよりは少々小ぶりではあるものの、それでも魔石としては充分大きめの部類と言える。
金ちゃんも大きな魔石には少し興味が出たらしく夕食後の空いた時間にコリコリと小まめに噛ってどうにか食べられないものか試したりしていたのだが、どうやっても食べられないと解るとじゅげむにぺいっと下げ渡し、そのまま忘れてしまったようだ。
で、ちょっと途方に暮れた感じのじゅげむから「どうしよう」と相談されて「どうしよう」と一緒に悩んだ我々が、せや。里もなくなっちゃった訳ですし、再建とかね。ご入用ではないですか? 隠密。
と思ったことをそのまま言って、当時まだ一緒だった隠密たちにフィンスタ殺しの魔石を「さあどうぞ」と渡そうとしたら「えっ……こわ……」とか言われ、全身で拒絶された流れまでありありと思い出してしまった。
人の親切を恐いとはなんだ。
うそ。わかる。親切にされすぎるとなんかウラがありそうで恐い。わかる。
なんか親切そうな顔のまま、さも大したことではなさそうに連帯保証人の署名とか迫りそう。恐い。
そんな変な納得で、彼らの気持ちを深く理解してしまった我々は、それは受け取れませんね解りますと渡すに渡せず魔石を引っ込め、そのまま忘れ去った状態でいたのだ。
で、それを、じゅげむが今まさにこの国一番の貴婦人にぶるぶると差し出そうとしている。
命乞いをしてるのか。
それとも、おやつのお礼のつもりなのか。
解らない。もうなにも。
おっとりと、それから少しおどろいた様子で、「あらぁ」と言ってる王妃様には恐らく罪はないのだが、その構図から漂ってしまうやたらと高貴なカツアゲのおもむき。
いや、カツアゲではない。じゅげむは自分から差し出している。でも、どうして……。どうしてそんな……。どうして……。
けれども、妻に最近いいようにあっちこっちで差し出されて傷心のフェネさんがバキボキにしているお庭のことは我々もちゃんと謝罪したほうがいい……それはそう……。
あと、魔石……。この感じからすると、どうやらうっかりじゅげむに持たせたままだったんでしょうね……。
子供に高価すぎるもの持たせるの、安全防犯上よくない……反省……。




