720 三人の紳士
アーダルベルト公爵家の食堂が、朝も全然早いと言うのにアダルティな社交の感じになっている。私の勝手な所感ではある。
その雰囲気を作っているのは三人の紳士たちである。
見た感じからきらきらしくて、まぶしいレベルで麗しい公爵。
大人の余裕で全てを包み、また、なにもかもうまいことコントロールしそうな深すぎるふところを思わす我らが老紳士ヴァルター卿。
その老紳士から受け継ぐ遺伝子で、底知れぬたたずまいと地味に本気でモテそうなムーブメントが隠し切れない中年紳士ラーヴァ伯爵。
この三者が同じ空間にそろい、ゆったりとソファに腰掛けテーブルを囲み節度強めに談笑などしている光景は、なにやらだいぶ貴族みたいだった。
みたいと言うか貴族だが、この、どこか優雅でありながら腹の探り合いとまでは行かないまでもなんとなく距離感が遠めの感じ。
ドライすぎない? 公爵さんと老紳士、なんかいつもと違わない? と思ったら、今日のヴァルター卿はご子息の付き添いポジションであるために、ちょっとよそ行きみたいなおもむきを出しているらしい。
訪問先が貴族的に格上の公爵家なので通常もよそ行きはよそ行きなのかも知れないが、特に。特にね。息子の前ではお澄まししたいみたいなとこもあるじゃない? 多分。
かくして、いつもの我々だけでなく、また別の貴族が増えたあああああ、と、小動物みたいにかわいい顔で大いに嘆き、しかし悲鳴はぐっと堪えた筋肉ウサギの兄弟たちも一緒にと誘われ、朝食の会は始まった。
雰囲気だけはなごやかである。
「いや、驚いたよ。あぁ、責めるつもりではないよ。誤解しないで。でも、暗い内に飛び込んできたから、何事かと」
アーダルベルト公爵は品よくゆっくり朝食をとりつつ、それでいて客たちに次々と話題を振った。言葉通りに責める色は少しもなくて、むしろおもしろがっているかのようだ。
と言うか、しっかり食事もしているはずなのに、口の中に食べ物のない時間が多すぎる。なんかずっとしゃべっとる。なのに食事も減っている。一体どうやって食べていると言うのか。貴族の特殊技能かなんかか。
持ち前の食い意地で公爵家のちゃんとした朝食を一生懸命もりもりいただく我々は、逆に口の中に食べ物がない時間がなさすぎて特殊な訓練を受けた貴族らの会話をあわあわと聞いていることしかできない。リッチなよそさまの朝ごはんおいしい。
やはりすいすいと朝食を口の中に消しながら、しかし優雅に明瞭な口調で会話に応じるのは明るい灰桜色の髪をすっきりなで付け整えた紳士。
ヴァルター卿のご子息で、現ラーヴァ伯爵である。
「申し訳ありません。不躾とは承知でしたが……部下に泣き付かれてしまって」
「部下に! ラーヴァ伯爵の?」
公爵は実に楽しげに、それは大変だ! と大げさに笑う。
ものすごいジョークを聞いたとばかりのリアクションながら、でもあれじゃない?
軍の諜報部でぶいぶい言わせてたヴァルター卿から役職を継いだって訳でもなさそうなのに、なぜか同じようなポジションでぶいぶい言わせてるとうっすら聞いてるご子息の部下って、ちょっとした隠密とかじゃない?
それはガチで大変やんけなんとなく。
一体なにがあったのかと思えば、その部下たちが上司たるラーヴァ伯爵に頼み込んだのはほかならぬ某ビートの回収だったとのことだ。
「ろほひへ」
「リコ、言えてない。解るよ。どうしてって思うよね。でも口の中に食べ物入った状態でしゃべろうとするのやめときましょうね」
はい。
うめえうめえと公爵家の朝食を口に詰め込むのに忙しく、大体の感じで聞いていた三人の貴族然とした紳士らの話をまとめると、そもそもラーヴァ伯爵が部下からビートを回収したいと頼み込まれ、けれどもなぜかビートを含めた我々が当然のように滞在するのはアーダルベルト公爵家。
あまりにも格上の貴族の家だ。
急に、それもまだ暗い内から押し掛ける訳にも行かず、しかし部下たちは一秒でも早くと追い詰められた様子を見せる。
どこまでも真顔のラーヴァ伯爵はきちんと整えた灰桜色の髪の頭をうなずかせ、どんな仕事の時よりも部下たちが焦っていたのがだいぶ印象的だったと語る。
隠密、どうやらやらかしがちらしいビートが自分たちの手を離れ、見えない所で、それもなんだかえらい人の近くで、自由の身なのがだいぶ不安でならなかった様子。
まるで我々の行動をあとから知って、手遅れを痛感して胃をキリキリさせるどこかの常識人たちのよう。
まあそれで、公爵家と縁のある実の父、ヴァルター卿に協力を求めて話をどうにか通してもらい、非礼を承知で平身低頭なにとぞ一つとどう考えても訪問には適さない未明の時間に部下に引きずられるようにして押し掛けた、と言う。
お解りいただけただろうか。
ラーヴァ伯爵の、めちゃくちゃ話の中心にいるのにものすごい気の進まないしぶしぶの感じ。
必死の部下に囲まれ懇願されて、部下だけで公爵邸にやる訳にも行かず、いたしかたなく付いてきただけなのがよく解る。
公爵とラーヴァ伯親子の三人が話しているのを聞くだけで、現場を見てないのに目に浮かぶ。マジでしぶしぶだったに違いない。
ビート、ちょっとそんな気はしていたがやはり、仲間たちにはなにも言わずにこちらに残っていたようだ。
そのことを知った、隠密たちのビャッとした恐怖。想像するだけで同情がすごい。
あるよね。
背筋が冷たいような、胃がぞわっとするような。それか、急に落下しヒュンとしてしまうあの感じ。
恐らくそんな激しい動揺が、悪気だけはなさそうなのになぜかやらかしてしまうビートと、なぜか色々食い込んでくるけどまじりっけのない部外者である我々がべったり同行していると言う事実によって隠密たちに巻き起こったに違いない。
あと、我々もだいぶやらかしがちなほうなので、マイナスとマイナスの相乗効果で壮絶にマイナスのなにかがあってもおかしくはなかった。プラスにはならない。確信がある。
だから、それはもう。
冷静で密やかにどんな任務も遂行するはずの隠密ものっぴきならず追い詰められて、雇用関係ではあるもののやはり隠密的には部外者には違いない上司、ラーヴァ伯爵に頭を下げて一秒でも早く回収を急ぐのも解る。
隠密を揺るがせた混乱と必死さが、エピソードのあちらこちらからびちゃびちゃににじんじゃってますもんね。かわいそう。
我々ですら、まともなほうの隠密たちにしんみりとした労りの心を向けてしまうほどだが、ふと見ると、テオやアーダルベルト公爵が公爵家の食堂の、落ち着いていながら凝った造作でさりげなく飾られた天井をそっと見上げてここにはいない苦労するほうの隠密たちにめちゃくちゃ心をより添わせていた。
なにが彼らをそうさせるのか。
我々の普段の行いかなとちょっとだけうっすら思わなくはないです。
なお、これらの話は隠密が隠密でありビートが隠密関係者である辺りのことはうまくふわっと伏せられた形での会話となったが、これはこの場には悪気なく口の軽い我々とあんまり深入りしたくなさそうな筋肉ウサギの兄弟たちや子供が同席しているゆえの配慮だろう。隠密は正体を隠すものなのだ。我々はちょっと、軽率に見破っちゃうけども……。
ウサギによく似た姿を持った筋肉多めのハーゼ族の兄弟たちの、長兄は特に頭がよくて空気を読むのでもうなにも隠せてない気もするが、彼らはその配慮にありがたく乗っかり、そして朝から豪華なお食事と、貴族を前にしたマナーと、もうそれどころじゃない緊張でわやわやに訳が解らなくなってしまった様子で最終的にはもう知らんとばかりにもりもりとごはんをいただいていた。そう言う力強い投げやりさ、嫌いじゃないです。
ラーヴァ伯爵はトータルすると「自分も不本意ではあるのですが、ご迷惑をお掛けして申し訳ないです」と言う趣旨の、聞きようによっては言い訳にも思えるただの事実に頭を下げて、公爵だけがちょっとおもしろがっているような朝食の会は終わった。
あとこれはごはんが終わってだいぶついでにポロっと教えられたことだが、ビートの回収は夜明け前、ヴァルター卿の口利きで公爵家内へと招き入れられた精鋭の隠密がすさささと、お屋敷裏手にどーんと出した古民家に全力で侵入しスキルや薬品をこれでもかと駆使して速やかにビートだけを回収して行ったらしい。
伯爵的にはそのあと起きた我々がビートがいないと気が付いてどこだどこだと探してるのを遠くから眺め、ずいぶんなじんでたんだなあ。などと、しみじみ感心していたそうだが……こう、あれ。
我々がのんびり寝てる間に同じ屋根の下のだいぶ至近距離であざやかに人が一人連れ去られてたとか、そんなおっかないことになってたかと思うと、それ、あんまり聞きたくなかったなって思いました。




