72 きんぴか
とりあえず、明日は大森林から町に戻ってギルドに行く。
それだけをもう一度確認し、我々は眠った。
ショックを受けていた男子たちも、なんとか眠ったようだった。本当にかわいそうすぎて、逆に笑えてくるのはなぜなのか。
翌朝のことである。
私は静かに叩き起こされた。
起こしたのはメガネだ。テオやレイニー、ターニャたちと薬売りもすでに起きているようだった。それに、トロールも。
昨日、夕方の雨にぬれた地面はレイニーが魔法で乾かしてしまった。だから我々はエアコンの効いた障壁魔法に囲まれて、その辺の地面にごろごろと寝ていた。
起きてみると私は迷惑そうなトロールをふとん代わりに敷き潰していたが、全く記憶にないので不可抗力と言うほかにない。
周囲を見ると、まだ薄暗い。これは大森林の枝葉がぶ厚く、日差しをさえぎるからだけではなかった。空がまだ、夜の色を残しているのだ。
夏である。この時期にまだ空が暗いと言うことは、相当に早い。
「リコ、リコ。凄いよ」
ひそめた声は、しかしはっきりと興奮している。たもっちゃんは静かにと言うように、自分の口に人差し指を当てた。そして注意深く足音を忍ばせ、私の腕を引いて進んだ。
その先にあるのは、昨日作った温泉だ。
一夜明けても温泉は温泉。そこには四角い湯船があって、木のパイプから流れ落ちる透明なお湯から霧のような湯気が立つ。
だが、そこには先客がいた。
まだ薄暗い早朝に、ゆったりと温泉を楽しんでいる巨大な生き物がいたのだ。
「グランツファーデンだよ。こんなに間近で見るのは初めてだ」
すっかり感動している様子で、ターニャがため息のように呟いた。
それは巨大なサルだった。体は小型のトラックみたいで、三畳ほどある広い湯船が一人用のバスタブのようだ。しかし深さは見るからに足りず、お湯につかるのは残念ながらお尻だけ。なんとなく、申し訳ない。
そのサルは、薄暗い中でもはっきりと金色に輝いていた。異様に長くぴかぴかとした全身の毛は、高級な織物や刺繍などに使われるらしい。
素材としては、「一本だけでも銅貨十枚は下らないね」とのことだ。
では数本単位ではなく毛皮なら、さぞや高額になるだろう。そう思ったら、毛皮として取り引きされることは全くないとテオやターニャたちに断言された。
グランツファーデンは温厚な魔獣だが、狩ろうとするのは簡単ではなかった。もっと言えば、狩れたとしても毛皮にはならない。
魔獣にはめずらしく、気性はのんびりとしているそうだ。しかし警戒心は強いし、さすがに攻撃されればやり返す。
武器は魔力を帯びたこぶしだが、その巨体相応にかなりの破壊力を持つ。手強い魔獣だ。
加えて、グランツファーデンが死体になればあっと言う間に毛皮は色褪せ素材としての価値がなくなる。全身をおおう長い毛は、生きた魔力によって輝いているのかも知れない。
例外は、自然と抜け落ちたものだけだ。それは不思議といつまでも美しい金色を保つ。
だから、毛皮を手に入れるのはムリなのだ。そして、強引に狩っても意味がない。運よく見付けた金色の抜け毛を、ちまちま拾うのが矮小な人間どもには似合いなのである。
ぴかぴか輝く巨大な猿の入浴をながめつつ、そんな話を聞きながら我々はもそもそと朝食を食べた。お腹が空いたので仕方ない。ホットケーキがすきっ腹にしみる。
「抜け毛ならいいんだよな」
薬売りがうやうやしく捧げ持つ皿にホイップクリームを山盛りにしながら、たもっちゃんが言った。ひらめいた! みたいな顔だった。
ひらめきメガネはホイップの入れ物を持ったまま、レイニーに問う。
「ブラシ持ってたよな、リコの毛繕い用に」
「えぇ、二本程ありますが」
「待って。私って毛づくろいされてたの?」
確かに寝ぐせはよく直してもらっているが。
レイニーは当然のように私の肩掛けカバンを探り、ヘアブラシを取り出した。これは私が寝ている間にも使うため、アイテムボックスには入れないようにと言われている。
二本ある内の一本を受け取り、たもっちゃんはそれをそのまま私に持たせる。そして立てた親指で、お風呂を堪能している巨大なサルをビシリとさした。
「リコ、ちょっと行ってきて」
「なぜなの」
手を出したら危ないって話をしていたじゃないか。
「大丈夫だって! ブラッシングするだけだもん! それにリコ、完全に村人だから! 攻撃されたとか思わないって!」
なんとなく、ディスられた空気を感じた。
お? 村人バカにしてんのか?
ケンカなら買うぞ。さあ行け、トロール。ふんどしの中身を見せてやれ。
ついそんな、全ての者に悲しみしか生まない無慈悲な戦いを始めそうになった。それを止めたのは、スイーツに懐柔された薬売りの男だ。止めたと言うか、ただささやいた。
「姐さん、一本で銅貨十枚っすよ」
この情報を聞くのは二度目だ。しかし、効果は絶大だった。
そうだった。毛、いい値段するんだった。
それが戦わずして手に入るなら、ちょっとした一攫千金になるのでは? 手の中のブラシを見詰めていると、うっかりそんな気持ちになった。
私は不安に揺れる心を抑え、あ、どーもー! 絶好の露天日和っすね! なんかまだ薄暗いけど! 旦那、どっすか! 一杯キューッと、ミルクとか! みたいな感じでへこへこしながらサルの元へと近付いた。
普通ならこんなムチャを常識イケメンのテオが見逃すはずはないのだが、この時は特に止められはしなかった。
あとから聞くと、へこへこしながら近付く姿が不憫すぎてもうなにも言えなかったらしい。優しさがつらい。
サルである。
きんぴかの、巨大な、温泉につかったサルがいる。
大きな湯船に半身浴状態で、サルはふしゅるると深く呼吸する。そこへ私は中腰になって、お日柄もよろしくと揉み手しながら近付いた。視線を受けたのは一瞬だった。
わずかにちらりと向けられた目は、黒っぽい橡の色をしていた。その瞳をたった一瞬見ただけで、私は圧倒されてしまった。
なんかこう、なんか。瞳の中に知性を感じた。そして一目で取るに足らぬものと私を見抜いて、放っておく圧倒的な強者の風格。
私はひれ伏した。しょせん村人。ためらいはない。
湯船のフチに持ったブラシをそっと載せ、その横に布をぐしゃっと載せた。こうすると、底の丸いうつわでも安定して置けた。
そうして恐怖の実のボウルにミルクを満たし、湯船の外にひざまずいて金色のサルに差し出した。親分、貢物っす。
親分――じゃなくて金色のサルは、私の手からミルクを受け取った。いやホントに。受け取った瞬間は私もマジかとびっくりした。
恐怖の実を二つに割った入れ物は大きめのボウルくらいだが、サルが持つと茶碗ほどのサイズ感になる。親分でっかい。
金のサルは黒橡の目を細めると、すんすんミルクのにおいを確かめてからキュッとあおった。自分でもよく解らないのだが、これが異常にうれしくて仕方ない。
へっへっへ、親分イケるクチっすね。とか言いながら、サルが戻してくるうつわにおかわりのミルクをそそぐ。それを何度かくり返していると、親分は満足したようだ。
もういいと言うふうにうつわを置いて、ぶ厚く大きな座布団みたいな親分の手が私の頭をぼすぼすと叩く。
正直力が強すぎて、首が胴体にめり込むかと思った。でもなんか、ほめられたみたいでまんざらでもない。
やったーっつってみんなの所に戻ったら、たもっちゃんが腹をかかえて地面に崩れ落ちていた。笑いすぎである。
ヒーヒー言って苦しげに笑い、なにかを訴えるメガネに耳を澄ませる。すると、リコ、お前、ブラシはどうした。みたいなことを言っていた。ほんまや。
へこへこしながら温泉に戻ると、サルは嫌がりもせず普通にブラシを掛けさせてくれた。さすが親分。ふところが深い。
グランツファーデンは単独行動が基本で、群れを作らない魔獣だそうだ。そのせいか、どうやら普段のグルーミングが甘い。
親分の広い背中をブラシでなでると、金の長毛がごっそり取れた。うれしいと言うより、親分の毛根が心配になった。
「いやー……姐さん、どうかしてるね」
私はがんばった。
途中から親分ザルがちょっと大好きになったこともあり、がんばってブラッシングしたし、よく売れる金の毛も大量に取れた。
その結果、ターニャの評価がこれである。
温厚だが腕の一振りでたやすく人を吹っ飛ばす魔獣に、ブラッシング。やれと言うほうも言うほうだが、やるほうもやるほうらしい。
ターニャたちや薬売りの男が、これはないわとはっきりとした表情で語った。
「なぜなの」
思いっ切り引かれとるやないか。




