714 地獄の魔石ドッジボール大会
やる気と体力を持て余した金ちゃんの、むきむきとした強肩からくり出されるバレーボールサイズの魔石。
脅威。
どかどか飛び交う剛速球。
逃げ惑う我ら矮小なる人間。
もはや涙と鼻水なしには語れない悲劇を、まざまざと脳裏に思い描いて我々は震えた。
その恐怖はあまりに深く、ご勘弁くださいとちょっといいお肉を駆使して金ちゃんにぺこぺこと慈悲を乞うたほどだった。
そのかいあって地獄の魔石ドッジボール大会は開催前に中止となった。よかった。人類の安全は守られた。
ちょっと前まで脅威は巨大魔獣だったはずなのに、金ちゃんの活躍により喉元すぎたのもあって、今や金ちゃんこそが脅威みたいなこの感じ。
あれみたい。
超絶邪悪ではちゃめちゃ強い敵がいる時はスーパーパワーの正義の味方が頼もしいなと思うのに、敵をどかんと倒したら味方のはずの正義パワーがおっかなくなってちょっと心に距離ができちゃう身勝手な小市民ムーブのやつみたい。悲しいね……。
そもそも、事件を未然に防いだ今となっては金ちゃんが強肩投擲バトロワ大会を本当に始めようとしていたかどうかも藪の中だった。
我々が勝手に想像し、勝手に恐怖していただけにすぎない。
だが、もういいのだ。
こんがりとしたお肉を手にしてもりもりと機嫌を直して行く金ちゃんを見ると、なんかよかったなと思うので多分みんなにっこりである。
異世界の常識人たちだけが、ちょっとだいぶ付いてきてないが。
こうして、わちゃわちゃの混乱の内に二ノ月は終わった。
明けて春――と見せ掛けて、まだ異世界は冬である。
残った渡ノ月は無事終わりました。本当にありがとうございます。マジで。
また、少しあとからちょっときーてと半笑いのメガネから教えられたところ、金ちゃんがギコギコ切り落としたフィンスターニス、の、出べそ部分からぬるんと出てきた大きな魔石を鑑定スキルなんかで見ると、私が魔石を取りました欄にキン=チャンの名前がしっかり入っていたらしい。
金ちゃんの名前、異世界的にはもうそれになっちゃってるんだなとか、魔石の来歴にトロールの名前も入るんだなとか。
なかなかの味わいを深くかみしめ、我々は三ノ月を迎えた。
でも冬。全然冬。
異世界の冬、なんとなく長い。
その冬を我々は、持ち運び式エルフの古民家で鍋を囲んでああだこうだ言いながらすごした。
「だからぁ、隠れ里も潰れちゃった訳じゃないですか? 地中から急浮上してきたフィンスターニスに何もかも耕されちゃって。もう全部。建物も土地も。よくない? もう。秘密とかなくない? 結局みんなここに住めなくて引っ越すでしょ? この地点に隠れ里があったって情報、もう無価値でしょ? 俺達、口封じされる理由なくない?」
エルフの古民家の板の間に、四角く切られた囲炉裏をぐるりとぎゅうぎゅう囲み、ぐつぐつ煮える鍋を完璧に整えながらにそう説得するのはメガネだ。
対して、隠密たちは自分の手元に視線を落とし、もう全然集中できてないながらなんとか必死に抵抗しようとがんばっていた。
「……待って……待って欲しいっす……かにを食べてる時に大事な話をするのは卑怯っす……」
いや、抵抗はもうできてないのかも知れない。
彼らがじっと見詰めているのは自分たちが手に持った、鍋のおダシとしょう油と柑橘果汁を黄金比率で投入した小鉢だ。ごまだれもあります。
そして、そこにはいい感じに煮えてほかほかと湯気を立てるカニの脚が。
それはもう、夢のようにぷりぷり太いカニの脚が遠慮なく。
大人の両手で包めるサイズの小鉢には当然ながら全然入らず、うつわのふちとふちに渡すみたいに載せられている。
こうなると、人は無力。
ひどいっす。これはずるいっす。
隠密や隠密関係の隠れ里の住人たちも、そんな悲鳴を上げながらほどよく煮えたカニの圧倒的存在感にずぶずぶと飲まれた。
立地と寒さと雪の多さで最初からまあまあ潰れ掛けていたような隠れ里だったが、この渡ノ月のフィンスターニス騒動でいよいよ致命的に荒廃が進んでしまった。
現在、隠れ里の家々はぺしゃんこに崩れ、小山のように巨大なフィンスターニスが這い出た地面には大きな穴が残されるばかりだ。
雨風をしのげる程度の建物すらも残されておらず、こうなったら仕方がねえとメガネがエルフの古民家をいそいそ出して「この家、いいやつ。さぁどうぞ」と、はちゃめちゃ得意げに客を招くことになったのはそんな事情もあってのことだ。
そして、ここぞとばかりに始まる接待。
たもっちゃんがちょくちょく不自然に姿を消し、どこからともなく港町で水揚げされた新鮮なカニを次々に調達。
さらには「せやった」とばかりにやっと思い出した感じのビートが「そうっす! こんな飢饉があったんじゃ、どうせこの里にはもう暮らせないんす! 大丈夫っす!」とか言って、我々を連れ込む最初のほうにもこねていた、そして相変わらずざっくりとした理屈で加勢した。
その勢いとカニのうまみ成分でさすがの隠密も混乱し、じゃあ……そう? そうかも? などと、だいぶ訳が解らなくなってきている雰囲気がなくもない。
この世界の文化的にはカニはあんまり食べないみたいな風潮があるが、意外とカニを好むエルフのためにメガネがせっせとブラッシュアップし続ける鍋は採算度外視でなかなか最高に仕上がっているのだ。
行ける。もうちょっと。もう一押しで行ける気がする。
そんな手応えに我々は、シメのうどんかラーメンか。おじやもあるでよと各種の炭水化物を手ぐすね引いてスタンバイしている。
また、そんな我々のかたわらには異世界における常識人たち――テオや筋肉ウサギの兄弟たちもいる。
彼らは、なんか色々余計なことを見聞きしたような気がすると、どうにかこのままうやむやに、そして最初からなにもなかった感じにならないものかと深刻に悩み続けていた。
ただしめちゃくちゃどんより悩む割にはしっかりカニのお鍋をつつき、また時には白い毛玉のフェネさんを一心不乱になで回して情緒の安定を図ったり、異世界の岩のようなカニの胴体部分をメガネにうまいことボイルしてもらったおいしいところを存分に我が物としていた金ちゃんを雪を踏み固めた建物の外へと連れ出して、どすこいとぶつかり稽古を始めたりしていた。
ざわざわと胸が騒いでいてもたってもいられない。
そんな思いがにじみ出すかのようでいて、しかしよく考えると筋肉ウサギの兄弟たちの、常識および頭脳担当は長兄だけだ。あとの弟たちはむきむきと、だいぶ筋肉と本能だけでやってるみたいな印象が強い。
兄ウサが常識的に苦悩してなんだかどんよりしてるので、弟たちも大体の感じで深刻そうにキリッと合わせてみてるだけでは……?
もしかすると本心は、カニおいしいし運動もしたいくらいのポップなやつを隠し持っているのでは……?
自分も全然イマイチ深刻になれない業を持つ、私の本能がそんな予感を訴えている。
隠密たちが折れてくれれば問題は消滅するのだが、それはこっちだけの都合だ。
彼らもつらい立場ではある。
まず第一に、我々が迷い込んだのは隠密の隠れ里である。
そこに住むのは隠密一族でありながら、諸事情あって隠密業に不適な者たちばかりだと言う。身を守れず、しかし隠密と縁続きである危うい立場の者たちを外敵や陰謀から守るため、彼らは念入りに隠されていた。
隠密たちはそれらを守ろうとしている。
簡単なのは、秘密を知ってしまった人間を葬ってしまうこと。我々である。こちらとしてはなんとか一つご勘弁いただきたいところだが、隠密としても葛藤があった。
一時的にではあるものの、隠密側の救援が到着するまでの時間、その守るべき身内がこの侵入者――つまり我々の食事や薬や草やらお茶でむきむきと救護されていた。
それをきっと恩と言う。
弱い者を守るため、秘密は外へもらすことはできない。
けれども、では、守るべきものを助けた恩人を葬るのは道理にかなうのか。
そんなことをぐるぐると考え、考えては疲れ、疲れては鍋をつついて隠密たちはすっかり思考の袋小路に迷い込んで延々とぐるぐるしていた。行ける気がする。
もう一押しとデザートを用意していた我々の前に、新たなる客が現れたのはそうしてぐるぐる悩みに悩み、そしてずっとなにかしら食べてだいぶぐだぐだとしてきた頃である。




