712 ぬるんと迫る
テオ、もうだいぶ一緒にいるのにイベントごとをなぜかいっつも欠席しがち。
一応その都度ちゃんと理由はあるのだが、出張が多くて家族の思い出が一人だけ違うお父さんみたい。かわいそう。
そんな事情が関係してか、それとも普通にそうなのか。
話としては我々がフィンスタ殺しのイベントをこなしたことは知ってても、実際の巨大魔獣を目の前にするとやはり頭で思うだけとはインパクトがだいぶ違ったようだ。
ええー、でかいじゃん。フィンスターニス。
マジで倒したの? ねえマジで?
口調こそここまで砕けてなかったが、テオには大体そんな感じの戸惑いがあった。
「あれを倒したのか……? あれを……?」
ずっと同じようなセリフを呟き、疑い、と呼ぶにはあまりにぼう然としていた。
ちょっとした小山のように巨大な魔獣、フィンスターニス。それは闇夜よりさらに黒々と、異形の輪郭を周囲にさらす。
その様はまるで、巨大怪獣のサイズ感を持つタコがぐにょんぐにょんと暴れまわっているかのようだ。
この例えが今まさに我々に差し迫る危機を、ちゃんと伝えてくれているかは微妙だが。タコって言うとなんとなく、コミカルなおもむき出ちゃうよね。
辺りには絶えず響く破壊音。
地面は揺れ、見上げるような巨大な影がぬるぬると辺りを壊しのたうち回る。
それを必死で避難した山の上から少し見下ろすようにして、けれども我々――または隠密や、隠れ里の住人たちは不安や恐れを口にしてそわそわおろおろしながらも全体的には割と落ち着いてるほうだった。
理由の一つは少し高い所へと逃げ延びて、障壁でぐるりと守られていること。
もう一つは、暗くて正直あんまりよく解らないと言うのもあるような気がする。
暗い中、黒く大きなぶよぶよの影がのたうち回って暴れているのは轟音や地面の揺れで想像はできる。
それに、隠れ里の建物――恐らく我々が先ほどまで寝泊まりしていたものだろう。暖炉の火でも広がったのか、壁や屋根を焼き崩し骨組みを焦がす炎がいくらか闇夜を照らし切り裂いた。
だから全くの暗闇ではないものの、それでも夜の暗さはいよいよ深く、もうほとんどなにがなにやら解らないのが正直なところだ。
あと、あれ。
責任とおっかない作業をどうにか自分以外に押し付けようと、「どうする?」「いやどうする?」と、たもっちゃんと私はジャンケンの構えで責任をなすり付け合っている。
「やっぱここは経験者のリコが。ほら、前にも一回倒してる訳ですし。へーきへーき!」
「いやでも前の時はだいぶ偶然だった訳じゃないすか? とりあえずあれでしょ? あのぐにょぐにょの体の上にある小っちゃい頭みたいなのぷちってしたらいいんでしょ? たもっちゃん、できるできる!」
その、やいやいとした言い合いのせいで障壁の外の轟音が、ちょっと中和されてるみたいなとこがなくもない。
普通に考えれば、ただの油断だ。
言い合いしているヒマがあったらさっさと倒したほうがいい。わかる。正論。
しかし、我々もこう見えて一応恐い思いをしている。
それに、いち早くこの状況をなんとか片付けてついでに自分たちのバグと言う名のやらかしをどうにかなかったこととかにしたい。と言う、打算ような、あせりのようなものもある。
これを普通と言えるのかどうか。
とりあえず、冷静ではない。ただし冷静でないのは大体いつもの可能性もある。
そうこうする内にうじうじするばかりの我々にしびれを切らせた常識人テオが、もういい! 俺が行く! と剣を取り飛び出して行く……かにも思われたが、そうはならなかった。
片腕に、小さめの白い毛玉がキャンキャンと「我やる! 我、やれると思う! だって神だから! 我、神だから!」とぐねぐね暴れて騒ぐフェネさんを。
もう一方の片腕に、ここまでじゅげむを荷物のように担ぎ上げむきむきと運んできた金ちゃんからの信任を受け、さもそれが当然であるかのようにぐいっと預けられたじゅげむをかかえて保護することに文字通り、手一杯だからだ。
「何とかしろ。何でも良い。とにかく何とかしろ」
そうして一人託児所として地味に大活躍しているために、テオはものすごく複雑そうに我々に頼むみたいに尻を叩くのが精一杯なのだ。
なお、そうしてじゅげむを信頼できるテオに託した金ちゃんは、腰布のベルトにはさんであったとある村でムリめにもらった穀物を念入りに殺すためのこん棒を手に、ぶんぶんと振り回してアップを始めながら巨大魔獣の脅威から我々を守り囲むはずの魔法障壁に突撃。どかどかと内側から叩いて破壊して、外に出ようと大暴れしている。
金ちゃんは元気のいいトロールなので、いついかなる時も暴れるチャンスを見逃さぬのだ。それでこそ俺たちの金ちゃんである。
あとなんか、意外と寒いのも大丈夫だなと思ったら、収容人数がそこそこいるためちょっとしたお部屋サイズになった障壁の隅でレイニー先生がほんわりと、さながらオイルヒーターのような優しいぬくもりを全身からにじませてくれていた。
渡ノ月に入って寒さがわずかにゆるんだ可能性もあるが、レイニーによる空調の感じ。夏もそうだが、寒さにも助かる……。
そんなこんなでだいぶぐだぐだしていた我々ではあったが、テオに確保されていながらに「我やれる気がする!」とキャンキャン強く主張する勢いに感化されたのかなんなのか。
テオに確保された小さきものの、もう一人。
じゅげむがやたらと凛々しい顔で「ぼくも。ぼくもお手つだいする。たもつおじさん、はち●くつくって」などと言い出して、もはやよぼよぼ責任を押し付け合っている場合ではなくなってしまった。
「寿限無……フィンスタさんをゴーレムでは厳しいよ……見て。大きさが全然違うでしょ……。それにね、寿限無を行かすとしたらその前に大人が行くからね……さすがにね……。いいかい? 見ててごらん……今からリコがあの頭のとこのイボみたいなのぷっちんしてくるからね……」
「たもっちゃん……どうしてこの流れで素直に自分が行くと言えない……?」
まだ小さな子供を説得し、言い聞かせると見せ掛けて全部こっちに投げ付けてきた。あまりにも剛腕。油断ならなくてびっくりしちゃった。
この時点で我々も、だいぶのんびりしちゃってた自覚はちょっとだけあった。
けれども現実の流れは、自分で体感しているよりもさらにのんびりしてしまっていたのかも知れない。
そんなことを思うのは、我々がじゅげむやフェネさんをなんとかなだめ、その視界の端でずっとガンガンゴンゴンとこん棒で障壁を内側から攻撃し張り切って外に出ようとしている金ちゃんの存在をうっすら確認していたさなかのことだ。
めまいのように見える世界がくらりと揺れて、夜の暗さがふと増した。
――いや、違う。夜ではなかった。
夜よりも黒い、巨大な魔獣がずるりずるりと今にも崩れそうにぶよぶよと、けれども触れるもの全て壊しながらに体を引きずり這いよって、山の上――と言っても中腹とも言えない地点だが。
盆地になった隠れ里から逃れ出て、少し高い山のほうへと非難していた我々に向かい、ずいっ、と顔を近付けるみたいに巨体で迫りこちらを見詰めた。
本当に見ていたのかは解らない。
ただ、小山のように巨大な体で山の斜面にもたれ掛かるようにして、木々をめきめき折りながら、そんなことには構いもせずにすぐそこにいたのは間違いない事実だ。
あとほんの少し近付けば、我々を守る障壁にフィンスターニスをぬるりと濡らすねばついた粘液がべったりと付いてしまいそう。
いつの間にここまで近付かれていたのか。
いや、完全に我々がやだやだ誰かやってよとおっかない仕事を人に押し付けようと言い合っている間だろうなとは想像できるが。
その、差し迫ると言うのがどこまでもぴったりの状況に、たもっちゃんはぽんと手を打つみたいな調子で言った。
「あっ、凄いちょうどいいとこにいる」
まるで都合のいい打開策が向こうからきた、みたいな明るい声だ。
……うん……解るよ……。
ほんと、ちょうどいいよね……。
山のほう、少し高い所に避難している我々と、それに這いよるようにして山の斜面にべたりともたれたフィンスターニスが。
なんでなんだろうね……。
めっちゃ目が合う。
いや……フィンスターニスの顔がどこかよく解らんけども。
なんか我々がいる高台と、小山のようなフィンスターニスのてっぺんがちょうど同じくらいの高さになってしまっているのだ。目が合う。
なんかこれ……多分、行けるな……。
ぬるんぬるんと迫る巨大魔獣を見ながらに、そんな思いが我々の胸をいっぱいにした。




