711 こんな夜中に
ぐわんぐわんと揺れる地面の感触と、たもっちゃんの絶叫に意識が強制的に浮上する。
「ちょっとぉ! こんな夜中にメテオ撃つのやめてよぉ!」
迷惑でしょ! 近所迷惑とか考えてよお!
などと、まだ目覚め切らぬ頭の中にキンキン響くその声は、やたらとハキハキしていながらに完全に内容が寝とぼけていた。
私も一秒前まで寝てたので訳が解らないのは同じだが、自分よりも寝ぼけて混乱している人間がいるとなんか逆に落ち着いてくる。
音の、そして振動の根源はどこなのか。
ありとあらゆる方向から一斉にドカドカぐらぐらとしていて、もうなにも解らない。けれどもある意味、その感覚で正しかった。
実際にそれは、どこからと限定できるものではなかったからだ。
広範囲にわたり地面が揺れて、割れた地面が掘り起こされる轟音もまた、辺り一帯にとどろき響き渡っていた。
その中をあわわわなにこれとよろけながらに外へ出て、目の当たりにしたのは雪が白くぶ厚くおおい隠した地面を割って今まさに地上へはい出んとする巨大ななにかのうごめく姿だ。
いや、嘘。
なにかって言うか、だいぶ前に我々はそれをすでに見たことがあった。
「あっ、あれフィンスタさんじゃない? 前にローバストで急に出てきたフィンスターニスじゃない?」
たもっちゃんは「前に予習したやつや!」みたいな感じでなぜだか明るい声色で言うが、私はそれが目の前に、そして地中からずるりぬるりと出てこようとしている事実に、うっすらと頭をもたげる心当たりがあった。
いやこれ、渡ノ月のあれちゃう? と。
これは、今まさにそうなってみるまで思いもしなかったことなのでどこまでも多分ではあるのだが、我々は恐らく、すでに月末がきていたことをうっかり気付かずにいたのだ。
こないだ渡ノ月終わったばっかじゃん。みたいな気持ちもあるのだが、これは子供の頃には解らなかった、大人がなぜか口をそろえる「なんか知らん内に一ヶ月が終わっとる」と言う、不可思議な感覚のあれなのだろうか。
思えば、前回の渡ノ月をやりすごすついでにローバストでは強靭なるスキンケアシリーズをお歳暮として配ったりと忙しく、あと忙しいついでにクマのおばあちゃんが管理する家でのんびりとかして今月の頭辺りを数日溶かした。
それから大森林の温泉へ親分の様子を見に行って、親分の温泉辺りを担当している薬売りの隠密から仕入れた情報で自分から踊り、大森林でたまに採れる貴重な氷を手に入れようとそわそわし、けれどもその時はまだ採集時期ではなかったために一旦ブルーメの王都やザイデシュラーフェンまで足をのばして保湿クリームを配り歩いたり納品したりでまあまあの日数をすごしていたような記憶もなんとなくうっすらなくはない。
なのでこの胸に広がる非常なおどろきとは裏腹に、数えてみたらしっかりと異世界での一ヶ月、二十七日が経っていた。
こわい。逆に。逆にこわい。
日にちはしっかり経過しているのに、自分の中ではまだ全然月末の感じがしていない。むしろまだ全然始まったばかりみたいな感覚すらある。
これが、大人になると言うこと……?
まあそれは時間感覚のバグった大人の悲しみなので今はそっとしておくとして。
現在の我々はそもそも、存在自体が天界製のなにかで、その恩恵によりこの異世界で人生を続行している状態だ。
ただ、さすがレイニーの元職場だけあって、天界も色々と詰めの甘いとこがある。
我々に課せられ、渡ノ月に表面化してくる様々なバグもその一つ。
今回の場合は、渡ノ月をすごす土地によっては地中に眠る巨大魔獣が起き出してくる、と言うあれである。
「あったねぇ……」
「あったよね、そんな話も……」
我々は、とにかく安全を確保せねばとそれぞれが小さい子供や病み上がりの大人などをむきむきと担いで隠れ里から逃げ出して、山に向かって少し斜面をのぼった辺りに頑丈な障壁を張った内側でへたへたと座り込んでいた。大体は隠密たちや筋肉ウサギの兄弟たちがむきむきとがんばってくれた。
そうしてどうにかこうにか無事避難して、今もなおのたうち回る巨大な影に里の土地ごと、または雪に隠されすでに半壊しているような家々がめきめきと倒れひっくり返されて行く様をなすすべもなく見下ろしている格好だ。
これはもう、どうしようもない。
こちらは里よりいくらか高い位置にいるのに、それでも全てを破壊しのたうち回る大きな影はまだいくらか見上げるほどの巨漢であった。
ちょっともう、あれ。
巨大怪獣に故郷を踏みつぶされるのを見ているしかない、無力な村人のような気持ち。我々たまたま立ちよっただけで、全然故郷とかではないのだが。
こんなのはもう不運としか言えず、すぎ去るのを待つほかにない災害に似ている。
けれども。
一方で、たもっちゃんや私、もしかするとレイニーの心にだけは、なんとも言えずもやもやと「やっちまったな」みたいな思いが広がっていた。
忘れてたとかじゃないんですけどね……渡ノ月のバグ……。
そもそも渡ノ月になってたのにも気が付いてなかったって言いますか……。
やっちまったなあ……。
たもっちゃんが「前にも見たやつや」と一瞬はしゃぐようにして、多分そうだと断定したそれ。
フィンスターニスと呼ばれる、この異世界でもかなり巨大で厄災に近い存在とされるその魔獣。
思えば、これと同種の魔獣に最初に出会った時も渡ノ月のバグだった。
そして今日この時と同様に夜陰にまぎれて地面の下から現れて、地上の建物や生物、地形までもをぼこぼこに壊して行ったのだ。
あれもなかなかひどかった。その時はまだ我々も自分たちのバグを知らず、ただ恐れ困惑するばかりではあったが。
その当時を思い出し、やっちまった。またやっちまった。うっかり。などと、ぼそぼそと言い合い焦りと困惑を深めていた我々の、たもっちゃんは急にこぶしを前後に振りつつ突き出しながらにこう言った。
「リコ、ジャンケン」
「どうして」
たもっちゃん、マジでどうして。
唐突になんなのかと思ったら、この状況は我々のどちらかがなんとかしなくてはいけないと覚悟を決めたとこだったらしい。
「あれ、やっぱ何とかしなきゃでしょ……。俺達のせいでしょ完全に……。どっちが行く? やっぱリコ? 前の時もリコが何とかしたもんね……あの、あれ。小っちゃい風船に入ってる羊羹みたいなぷっちんの感じで……」
「ジャンケンとはなんだったのか……。いやいや……前に私が羊羹むくみたいにしたとしたらさ、今度はたもっちゃんの番じゃない? だって私は一回ぷっちんしてる訳だから……」
「いやいやいや……ここは一つ、ねっ。経験のあるなしって大事かも知れないですし……」
「いやいやいやいや……」
「いやいや……」
いやいやいやと面倒かつ責任の重そうな仕事を互いになすり付け合って、たもっちゃんと私が静かに醜く争っているとその肩を、がしっ、がしっ、と強めにつかむ者がある。
テオだ。
「お前達……本当にあれをどうにかしたのか……?」
本当に? えっ、本当に? 思ったより全然大きいんですけど……。
そんな感じで困惑し、どうにも現実が受け入れられないみたいな様子で問い掛けるテオに、我々はもう一つ思い出したことがある。
「……そう言えば……テオ、あの時もいなかったですね……?」
ごめん、嘘。私はもうなにも覚えていなかったので、戸惑いにじむ小声のメガネの証言によると、現場にテオはいなかったらしい。
テオは腕の立つ冒険者でありながら、常識的で優しく、周囲への気遣いも忘れない。
およそ欠点らしい欠点の見当たらないような人物ながら、なぜか、イベントと言うイベントを欠席しがちと言う変な属性があった。
そのため、いやそのためと言うか。
あの頃はまだ、テオと我々の関係も何度か顔を合わせただけにすぎない親しいと言えるものでもなかった。
だから我々が旅の途中でうろうろとローバストのクマの村へと迷い込み、まだ自分たちのバグを自覚せず巨大魔獣の眠る土地で渡ノ月をすごしてしまって地中のフィンスターニスを起こしちゃった時、テオが一緒にいなかったのも当時としては不自然でもない。
今となってはテオがいないとどこまでも転がり落ちてしまいそうな不安しかないが、まだ我々も軽い付き合いだったのだ。誤解を招きそうな言いかたをしている。
テオも、我々がなりゆきの偶然でぶよぶよ巨大なフィンスターニスを討伐したのを情報として知ってはいても、こんな感じとは思わなかったようだ。だいぶ顔が引いている。




