706 押せば行ける
レイニー先生のありがたい、そしていっそ気高さすらかもし出しているかのようでいて内容がだいぶ浅い感じがなくもない助言を、子供たちは神妙に受け取った。
例年にない積雪に埋もれた隠れ里の一軒家――の、戸口辺りでせめぎ合う大人らにしたら恐らくそれどころではない状況である。
しかし私は戦力外としてぺいっと弾き出されているので、これはもうおやつにでもしないとしょうがないのだ。
そうして溶けたバターでしみしみになったホットケーキに光り輝くジャムを載せ、ちょっとした宝石箱を自分やレイニーや子供らのお皿と言うお皿。そして金ちゃんが直接手に持って辛抱強く待ち構えるホットケーキの上に作り上げるお仕事をこなした。
金ちゃんの手の皮はきっと、炊き上がったばかりのお米をノータイムでおにぎりにできるおばあちゃんの手の皮ほどに厚いのだ。
春のローバストでクマの老婦人からこれでもかと渡される、なんらかのベリーや白い小さな花のジャム。メルヘンなおもむきすらあるそれらは、ホットケーキにしみ込んだバターの風味でうまみを深めて行くかのようだ。
それらを大事に、少しずつ味わう我々に対し、鷹揚なトロールである金ちゃんは丸いホットケーキを一口で頬張りもっちもっちと口腔内の全ての感覚で確かめている。あれじゃん。なんか全然飲み込まねえじゃん。おいしいものずっと口に持ってたいよね。解る。
隠れ里の子供らも昼間は薄めのおかゆに手こずるくらいだったのが、今では軽いメニューではあるものの夕飯のあとに甘いものを詰め込む余裕を見せていた。めきめきとした回復の手応え。
しかしなかなか全快とは行かないようで、それか元々子供の胃には多いのか、彼らはレイニー先生の助言によってホイップクリームのフェーズへと移行したホットケーキをいくらか残した。
残念そうな、もういっそ泣きそうにうるうるとした両目で、残しておける? 明日になっても食べられる? と、こちらを見上げて問い掛けてくる小さきものどものいじらしさ。愛おしい。
「大丈夫だよお! 明日は明日で新しいやつメガネに焼いてもらえばいいよお!」
などと言い、今日残してしまったものは金ちゃんへの捧げものとなった。金ちゃんは小さきものからの信頼にあつく答えるトロールなので、胃袋の可能性が無限大なのだ。
そうこうする内においしいものに誘われたのか、愛する伴侶の広めの肩をもっふりと守っていたフェネさんが我々のホットケーキ班へと合流。
我も! 我もクリームいっぱいの! 甘いやつ! 我も! とキャンキャンねだって白い毛玉が飛びはねる姿に、自称なりに神といえども――いや神だからこそ男子らと隠れ里住民勢との確執と言う人間のおろかな争いに飽きちゃったのかなと思ったら、そっちはそっちでなんかもうだいぶうだうだとしていた。
ごちゃごちゃあって、翌日である。
一夜明けても男子らは、まだ全然うだうだとしていた。
「だからぁ、餅なのよ。結局。結局のところね。俺ら、兎の搗いた餅が食べたくて糯米探してただけなのよ。ここが隠れ里だってのもビートに聞いてから知ったくらいで。正直興味ないってゆーか……いや……興味ないって言いかたも悪いけど……」
息が白くなるほどの寒空。
屋外で、積雪をえっさほいさとかき分けて出てきた地面に勝手にかまどを魔法でねりねり設置して、昨日から何度も訴えてきた説明をメガネがくり返す。
けれども、それに答える隠れ里に住んだり関わったりしてる側。恐らくは隠密一族であるらしき大人たちから出てくるセリフも、大体昨日と同じものばかりだ。
「しかしっす。探しても見付からないのが隠れ里っす」
「そうっす。ふらっと迷って入ってこれる立地じゃないんすよ」
「迷ってないから……糯米探してたから……」
でも隠れ里とは知らずにきたから無実ってゆーか……。
そんな歯切れの悪すぎるまあまあ苦しめの言い訳をくり返すばかりのメガネとついでに我々は、昨日は結局隠れ里の一角でお泊りとなった。
親切の目的が見えなくて、マイナスに振り切れた我々の信用のなさがそうさせた。具体的には、これから仲間を呼びに行って里を襲撃するんだろうと物騒な想像をしはじめた里の大人が全然家から出してくれなかったためである。
我々を怪しむとしたらもう昼間のおかゆと体にいいお茶をがぶがぶ飲ませ、向こうもそれを受け入れた辺りですでに手遅れのような気はする。飲食物になんか入ってたらどうすんの。入れてないけど。おいしい食べ物と体にいいお茶ですけども。
だが我々が急に訪れた当初は寒さの疲れとお腹すいてるので朦朧としており、正直それどころではなかったようだ。それがごはんによってお腹が満たされいくらか余裕ができてきて、遅ればせながらに危機感が出てきてしまったのだろう。
惜しい。
すでにだいぶ手遅れであることに変わりはないが、どうせなら危機感を思い出すのがもうちょっと取り返しが付かなくなってからだと我々の都合にもっとよかった。この残念がりかたが我ながらだいぶ最低の自覚はあるので、こう言うところが信用のなさにつながっているように思われてならない。
そんなこんなであまり広くない上に古く粗末な家の中、割とぎゅうぎゅうに詰めて寝床を確保し友好的とはとても言えない雰囲気のまま一夜をすごし、――なぜだろう。
どこまでも話は平行線ながら、筋肉ウサギの兄弟を含むうちの男子と隠れ里の大人らの間には、それでいてなにやら雑な距離感ができていた。
決して仲よしって空気ではない。なのに、こう……。まるであれ。酒が入ってぎゃーぎゃーケンカを始めるものの絶対に席は立たないしお互いに手は出ないし同じ話がループして寝落ちしたあげく、酔いがさめたらなにも覚えてないタイプのおっさんのよう。
ただしメガネや里の大人らに酒は多分入っておらず、これは私の勝手な予感だが、昨日からずっと同じこと言い合いすぎていて気を張って高度な話術展開とかで腹を探ったりするのがめんどうになってきたのではないか。
そんなことを思わせるレベルで険悪なようでいながらにどこまでもぐだぐだと言い争う両者に、まるで自分のために争わないでと間に飛び込むヒロインの感じで割って入るのは微妙な立場にはさまるビートだ。
「みんな……みんなもうやめるっす! 姐さんたちに悪だくみなんてムリっす! 陰謀も計画もなんもなく、ただ自由に生きてるだけなんす!」
「おうビートやめろ。そこで会話の中に私っぽいものを持ち出すんじゃない。やめろ」
そんなお前。我々がいつもなにも考えてないみたいなお前。外れてなくもない。意外と洞察力あるな……。それとあれ。色々とたたみ掛けてくる情報にわちゃわちゃしてて忘れていたが、姐さんはやめよう。
――そもそも、よそ者を入れてはいけなかった様子の隠れ里に我々をヘーキヘーキと引き入れたのはビートだが、このことで彼は同胞と我々の間でだいぶぎゅうぎゅうと板ばさみになっていた。
同胞である隠れ里の大人らからは危機感を持てとゲホゴホと責められ、我々からは大丈夫て言うたやんとめそめそ悲しみをぶつけられている。中間管理職である。
あとやっぱ、里の大人に一晩経ってもまだ具合の悪そうな人がいるのが気になる。
「ねえ、お茶飲みなよ。もっと飲みなよ。体にいいよ」
「それどころじゃ……」
ないんす、と続けようとしてゲホゴホと咳き込む病人に、私はさあさあさあさあと熱いお茶をなみなみそそいだカップを手にしてぶるぶる迫る。表面張力でギリギリ持ちこたえる熱湯に近い液体に、病人のほうも振り払うに振り払えずじりじりとあとずさりするだけだ。もうちょっと押せば行ける気がする。
そんな押し付けがましい私と病人がよぼよぼとせめぎ合うのと同時進行で、全然言い争いの終わらない男らがやいやいと騒ぎ、その間にビートがどーんと飛び込むだけ飛び込んで、けれどもさらに騒がしさを増すだけで特になにも解決はせず、それでなにをしているかと言ったらもちである。
「はい、では始まりました。第一回筋肉餅搗き大会。最初は一晩浸水させた糯米を程よく蒸すところから。こっから大体一時間です」
「たもっちゃん……」
「そしてこちらが昨日夜なべして、さすがに住人のかたから途中でうるせぇと苦情が出た杵。臼はこれからちょっと山とか行ってきて、よさそうな綺麗な土を探した上で土魔法でよくこねて作りたいと思います」
「タモツ、夜中に木工作業は駄目だ」
屋外に勝手に作ったかまどを前に、皇国でだいぶ前に手に入れた蒸し器やその中に濡れ布巾に包むように詰め込んだ浸水済みのもち米を示し、急に料理番組を始めたメガネ。そのノリに合わせるのも忘れてただ首を振る私に、まだ全然止まらないメガネに夜中の騒音は迷惑すぎると細かくテオが注意した。
雲一つない冬の冷たい静かな空に、お説教がしみじみと響く。悲しい。




